藤原宮出土木簡

和銅6年(713)丹波国から加佐郡を含む5郡が分割されて丹後国が置かれました。加佐郡とは、現舞鶴市域と大江町域、宮津市由良を含む地域を指します。
 平安時代にまとめられた『和名抄』によると、加佐郡には志楽・高橋(椋橋(くらはし))・大内・田造(田辺)・凡海・志託(しだか)・有道(ありじ)・川守のほか、余戸・神戸の各郷があり、丹後国府が加佐郡にあったことを記しています。
 加佐の地名は、藤原宮出土木簡に「丙申年(696)七月且波国加佐評□□」と記されているのが最も古く、大宝律令制定(701年)後、評から郡に表記方法が改められました。