瑞光山海臨寺(臨済栗東福寺派) 藩主(牧野惟成)が望海楼と名づけ、 書を残しているが、寺名にふさわしい田井の地にある。海臨寺と改めて現在地に移ったのは江戸中期といわれ、藩主をはじめ庶民の崇敬あつく隆盛を続け、往時は20数ケ寺の末寺が記録される。 本尊の宝冠釈迦如来坐像は南北朝時代の作。現在の本堂は天保12年(184りの建築である。