山城の分布図

 分布図ても分かるように、東地域に数が多いのは、若狭との国境が近いことであり丹後守護の一色と、若狭武田氏の一統との争いがたえまなかったことをしめしています。
 主な城として、溝尻城、倉橋城、佐武嶽城、建部山城、荒張城などがありました。
 荒張城では、北朝方の吉川経久が丹後を攻めた時(建武4年、1337)、攻防戦が行われています。
 倉梯城では、永享年間(1429〜1441)若狭守護武田氏と一色家臣団との戦いがあり、籠 城した延永春信は、武田・朝倉・朽木の連合軍に攻められ敗死。両軍の死者は2000名をこしたといいます。(東寺過去帳) この頃の土豪に組織される武力集団は、ふだんは、農民とかわらぬくらしをし、有事のときは、武器をもってはせ参じるといった形をとっていたと思われます。
 山城の主で、城をおりて農民化した者も多いようです。

当時の主な山城 跡地
大谷城  東舞鶴 泉源寺
高屋城 東舞鶴 泉源寺
市場城 東舞鶴 市場
威光城 東舞鶴 田中
中田城 東舞鶴 中田
溝尻城 東舞鶴 堂奥
倉橋城 東舞鶴 倉梯
浜村城 東舞鶴 浜
片山城 東舞鶴 浜 片山
長吉城 東舞鶴 北吸
佐波賀城 東舞鶴 佐波賀
亀岩城 東舞鶴 行永 亀岩
逸見城 東舞鶴 蛇島
森城 東舞鶴 森
余部下城 中舞鶴 余部下
引土城 西舞鶴 引土
安久狭城 西舞鶴 上安
上安久城 西舞鶴 上安久
青谷城 西舞鶴 今田
女布城 西舞鶴 女布
建部山城(八田城) 西舞鶴 下福井
中山城 西舞鶴 中山
志高城 西舞鶴 志高
久田美城 西舞鶴 久田美
荒張城 西舞鶴 岡田由里
高野城 西舞鶴 岡田由里
佐武嶽城 西舞鶴 境谷
東西で119の城跡が確認されています。