舞 鶴 誕 生

260年間続いた江戸幕府が倒れ、1868年明治新政府が誕生します。政府は、五箇条の御誓文を発表して、新しい政治の方針を示しました。同時に、庶民に村しては、江戸幕府と同じように、一揆やキリスト教を禁止する五榜(ごぼう)の掲示を各地に立てました。四民平等、地租改正、徴兵令、学制と、諸改革は次々と実施されました。
 明治2年(1869)、版籍奉還(はんせきほうかん)の後、太政官(だじょうかん)より、 田辺藩の名称は、山城や和歌山藩付き家老が立藩し、当藩と同名を称したため紛らわしいとして、明治2年6月に改名を命ぜられ、城号を採って「舞鶴」藩と呼ぶことになった。

また、同4年7月、廃藩により舞鶴県となったが、次つぎに府県の統廃合が進められ、同年10月に舞鶴県は廃されて豊岡県に属し、さらに同9年8月に豊岡県の廃止で京都府に編入され、現在に至っている。