東郷平八郎は、明治34年(1901)10月に開庁した旧海軍・舞鶴鎮守府の初代司令長官として、舞鶴に2年間暮らしました。 明治35年10月の舞鶴町忠魂碑除幕式には、ちょうど来港していた艦隊旗艦「初瀬」の軍楽隊に西洋の音楽を演奏させ、2万人の参会者を驚かせたり、自分の子供の西舞鶴までの通学には通常人力車を使うところですが、地元の学友と毎日徒歩で往復させた東郷の姿は、気軽に地元民と交流する庶民的な性格であったことをものがたっています。 日露戦争では全期間にわたって自ら主要作戦を指揮し、日本海海戦では歴史上その例をみない完勝を収め、ネルソンと並び称される救国の英雄として内外の賞賛を受けました。
|