大正11年舞鶴軍港は要港への格下げが発表になり新舞鶴町
は商港として活路を見出すべく町是を転換することになった。
折から国鉄敦鶴線も全通し、内務省からも開港許可が下りた
ので新舞鶴港を宣伝するため、同12年4月1日から5月10日ま
で記念博覧会を開催した。前舞鶴鎮守府司令長官、京都府知
事ら800人が参列して開会式が行われた。
会場敷地は五七四〇坪、建物面積1790余坪、建物は本館・
陳列館・即売館・余興館・海軍参考館などである。
海軍参考館内容は艦船建造工程の順序パノラマ・海軍服装・
食糧見本・軍艦模型・水雷発射の水中模型・人体模型・レント
ゲン]線による人体透写実演、佐久間艇長の遺品特別展示な
どであった。
博覧会の会期40日間の入場者は約17万9000人、観覧料は
大人五〇銭、小人二五銭、出品地域は三府二八県および北
海道・朝鮮・台湾・南満州・中国等の広範囲に及んでいた。
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