大きなわらぞうり     たいら 4

むかし、むかし、平の村は、しずかなわんの奥で、ゆたかなのんびりとした生活をしていました。ある年のことです。

武者修行むしゃしゅぎょうと言って、さむらいや力じまんの人がどんどんやってきて、村の人を相手に、たたかいをしました。勝つと村をあらし、お金を取ったり、女の人に悪さをして、いじめていたのです。そんなことか何年もつづきました。

村人たちは、しょうやさんの家に集まり何か良い考えがないのか、みんなで相談をしました。力の強い人をたのむのにももう、お金もありません。何日も話し合いが、つづきました。一人のおとしよりが、「そうだ良い考えがある」と、みんなにいいました。村をあらしにくる、さむらいのはいている、わらぞうりより、もっともっと大きいわらぞうりを作ったら良いと、いいました。さっそく、みんなでわらをもちよって、大きな大きなわらぞうりを作りました。そして、その夜に村の入口にぶらさげたのです。

あくる日、さむらいが力じまんに村の入り口にやってきました。村人は小屋のすみや、木のかけに、かくれてじっと様子を見ていました。さむらいは大きなわらぞうりを見て、こんな大きな人がこの村にいるなら、かなわないと、こわくなってこの村に、はいらずに逃げて帰ったというのです。めでたしめでたし。

 一言 この平には、むかしから1月24日には次のような行事があります。
 その年に42才と63才の厄年の人達の無病息災と村全体の無事を祈るための行事なのです。1b50aのわらじと約二bくらいの大蛇のわら細工を竹につけ、お礼を書いた木札をつけて各村に通じる道の入口に立てかけます。当日の朝、厄年の人達が集まって、行事の準備をします。まず男の人はワラを持ちよって、大きなぞうりと蛇をつくります。各家から持って来た木札に水伸さんと荒神さんへのお礼を書きます。女の人は料理の準備をします。すべての準備が終わると、仏だんにお祝米と新鮮な野菜を供えてお坊さんにお経をもらい、般若心経をあげるのです。 これが終ると42才の人が、お経さんといって、お経の本とお洗米をもって村中をお礼をいって歩き廻ります。  
1929年昭和24年 ソ連引揚第一船高砂丸
  引揚記念公園昭和45年 記念館(1970年建)
舞鶴市指定文化財 所有管理 平八幡神社 字平140の1
区分 作品 制作時代
彫  刻 男神・女神坐像 平 安
男神・女神坐像