おたかさん 

むかし、むかし、河辺かわなべ八幡様はちまんさまをすぎる所から、坂道となって、 このあたりの田んぼで、とれるお米は田んぼが深くなって土がとても良いので、ものすごくおいしいとのひょうばんがありました。ある農家に、おたかさんと、いう人が住んでおりました。この辺りは、昔から米作りがさかんで、おかたさんは米売りをしてくらしていました。おかたさんは、とてもケチンボでこの村では知られていました。おたかさんは、ぜいたくなくらしが、だいきらいでたいへんまずしいくらしをしていましたが、それでも三つのくらを、持っていました。くらにはいつもお米がぎっしりとつまっていました。

ある日、村人がおたかさに、米をかりに行きました。おたかさんは小さなマスではかり、村人にかしました。こんど返してもらうときは大きなマスではかります。ですから米はたまるばかりです。村人は、ひどいやりかただと知りつつも、しかたなく、おかたさんに米をかりにいきます。町から米買いの人がやって来ても、マスのはかりかたはおなじで、いつもケンカするように、いいあらそいます。そんなわけで、村人は、はたらいても、はたらいても、くらしが楽にならなりませんでした。

村人は、おかたさんに、何度も、何度も、マスを同じにしてくれるようたのみましたが。おかたさんはガンとして聞き入れてくれませんでした。それである夜のこと、村人はみんなで、クワや竹ヤリを手に手に、おたかさんのやしきへおしよせました。おたかさんは、ビックリしてにげまわりました。でも、とうとうつかまりよこばらを竹ヤリでさされてころされました。おかたさんは死ぬ前に「わたしが悪かった。これからは、お腹が痛い人は、わたしがなおしてあげる」といっていきを引き取りました。村人はあわれんで、西屋の入り道の上にある畑の中に「おかたやしき」と、いうところに小さなおどうをたてました。

それいらい、お腹のいたい人が、おかたさんの小堂へお参りすると、ふしぎにもお腹のいたいのがなおるといわれています。

一言 波静かな舞鶴湾沿いに「岸璧の母」で有名なかっての引き揚げ港を左に見ながら河辺の谷に入っていくと、右側の田んぼの奥に竹やぶがあり、円形の古墳が数多くあるそうだ。まが玉や矢じりが出土したそうだ。(縄文・弥生時代)

西屋6
所有管理 観音寺
指定 市指定文化財
区分 工芸品
制作時代 鎌倉
作品 梵鐘ぼんしょう