蛇島 (じゃじま)(上佐波賀)(かみさばか)16

 舞鶴湾の東の海に島が二つ並んでいる。一つは 蛇島じゃじまといい、一つを 烏島からすじまと呼んでいる。

 むかし、じゃ島にはだいじゃが住んでいて海をおよいで、さばかの村人をたいへんに苦しめたのや。村の人たちは、さばかの子ナギという谷あいに住んでいたのやが、夜な夜なだいじゃが、でてきては村人を苦しめたのや、こまりはてた村人はなんとかひがいを少なくしょうと、話し合いをして、海むかえの、あまるべ村にある、うんもん寺のおしょうさんにそうだんしたのや、そして谷をさかいに上下に分かれてうつりすんだのや。ある夜。だいじゃが、いつものょうに子ナギ谷に出てきたけど、そこにはだれ一人、村人がいなくなり、あきらめて、じゃ島にかえろうとっときに、おしょうさんにであつたのや、それからはだいじゃはでなくなっり、今の、かみさばかと、しもさばかになったのや。

 この大蛇を退治したのは中舞鶴の雲門寺の開山普明国師といわれている。

一言 戦前は、蛇島の方は海軍士官の子女だけが海軍の船に乗り、泳ぎにいけることになっていたが、一般の子供は島へは行けず、与保呂川の河口あたりの海岸で泳いでいた。与保呂川の下流を新川といい、よくここで小学生がおぼれ死んだため、川のほとりには地蔵さんが祭られた。毎年八月には、おばれ死んだ子供たちの霊をなぐさめるため祭りが行われ、灯ろうが流される。

舞鶴指定文化財

所有管理者 雲門寺

所在地 字余部上45

    区   分

      名      称

 制作年代

   絵  画    

普明国師頂相(ふみようこくしちんぞう)

 南北朝

   建造物

山門(さんもん)

 桃 山