岩室三太夫(いわむろさんだいゅう)(吉坂)(きっさか)21

 「おじいちゃん、きょうは、吉坂(きっさか)のお稲荷(いなり)さんのお話ししてよね。

 むかしから、この吉坂のお稲荷さんには、赤い鳥居(とりい)さんが、いっぱい坂道にならんでおったんじゃ。なまえは、いわむろ稲荷大明神、そのおやしろのうらには、おくぶかいほらあなかあってな、ここに、一匹の白キツネがすんでいたのじゃ。いつのころじゃつたかのぅ、吉坂のあるおひゃくしょうさんが、畑しごとに行くときに、この白キツネにエサをあたえるようになったのじゃ。いつの日か白キツネは毎月一日になると白髪(はくはつ)の翁(おきな)にばけて、おひゃくしょうさんをたずねて、いろんな話をしては、かえっていったのじゃ。そのうち、くわしく吉凶(きっきょう【よい、わるい】)を知らせるようになったのじゃ。おじいさん今日は田うえにいきなされ。ある月は、畑に行ってやさいをつくり、カゴいっぱいにして町まで売りにいきなされ。言われるままに、それを町まで売りに行くと、町の人は「おいしい、おいしい」と、いってはぜんぶ売れたのじゃ。いねをかりとり、米を売りにいく日などを、おひゃくしょうさんにおしえてたのじゃ。おじいさんがその通りすると、おじいさんの家はお金がいっぱい入りだしのじゃ。そのはなしを聞いた村人たちは、こぞっておまいりにいくそうな。

 ある日、田辺藩主(たなべはんしゅ)の参勤交代(さんきんこうたい)で江戸(えど)に行くときは、いつも見えかくれしては、ついていったのじゃ。 そして、江戸やしきではそのころ、ほかのはんと、よくすもう大会が開かれたのじゃが、いつも田辺の三太夫があいてのおさむらいをつぎつぎとたおしたのじゃ。おとのさまが田辺のおしろに帰るときに、けんざかいの吉坂のとうげに、さしかかるころいつのまにかこの三太夫がいなくなる。実はこの白キツネだといわれている。この白キツネことをそれからは、だれとく「岩室三太夫(いわむろさんだいゅう)」と言い、そのうわを聞いた村人たちは、お正月にはかならずお参りするようになり、その年の豊作を祈った。それは現在も続き、ここにお参りする人は多い。