小倉の大ぐらい (志楽)(しらく)23

      
  むかしむかし、志楽村と言ったころの話じゃ小倉一面が田んぼばっかりで、ぽかぽかのよいお天気の日、殿様がけらいをおともに、かごにゆられて村にさしかかったのじゃ、近くのタンボに牛も使わず一人でた田をたがやしている男がいた。名前をくいち郎という。家来(けらい)の一人が「これこれ、そこもと、このあたりに金剛院(こんごういん)というお寺があるそうだが、どちらの方に行けばよいのか」とたずねたのじゃ、すると男は使っていたスキを片手で持ちあげ、「あちらへ行きなされ」といった。

 かごの中からそれを見ていた殿様はこれにびっくり、けらいに「あのものに、なまえをきいてみよ、、どれほどのカがあるか問うてみい」とおっしゃつたのじゃ。家来がきくと、男は、「くいち郎と申します。今、かついできたかごなら二人はいらない、私一人でかるがるにかつげます。」くいち郎は両手で大きな石をもってきて、かごの一方にくくりつけて、かたにかつぎあげると、「のっし、のっし」と歩き出したのじゃ。殿様はかごの中、しばらく行くと志楽川がにさしかかる。きよい水の流れじやった。橋をわいると「みしりみしり」となる中ほどに来たときじゃ。「よっこらしょ」とかごを川の方にして、くいち郎は、一休みをはじめたのじゃ。かごは川の上、殿様はひやひやしながら顔をだしたのじゃ、けらいも声がだせない。しばらく休んだ、くいち郎は、又やっこらさと橋をわたりだしたのじゃ。橋をわたったところで、けらいがはしりよったて、こしのぬけたようになっている殿様をかごから出したのじゃ。これほど力持ちなら役に立つだろうとめしかかえることになったのじゃ。
 
 殿様は「それにしても、くいち郎とはみょうな名じゃのぅ。お前は一体どれほどめしをくうのか。」ときいたのじゃ。 くいち郎は「まあ三しょうは食べます。」 殿様は「一日にか」 くいち郎は「いいや朝、昼、晩共それだけは食べませんと。」・・・・殿様は「さてさて、力はつよいが、名前の通り大めしぐらいだの」・・・・こんな男をめしかかえたら、ねんぐのほとんどは食べられてしまう、これはかなわんと殿様とけらいは西の田辺城にかえってしまったのじゃ。 小倉の大めしぐらいいのくいち郎は、これではんないはもちろん、よそのはんにも有名になったと。殿様にことわられて、男はがっかりしてしもうたのじゃ。 それからは村人たちは、「大召しぐらいはそんをする。」と語りつぎ、ほうさくの時でも、きょうさくのときにそなえて、いつでもてきとうにたべねばならぬと子どもにもいけ聞かせたのじゃ。 

 それでこの小倉の村は、志楽の中でも大変さかえたということです。