蛇神様 34 城屋
今から450年程【室町時代】むかし、このあたりの殿様は一色という人で、その家来で
女布あたりをおさめていたのが
森脇宗披という侍さむらいでした。
この人の娘さんは、
綾部の侍、糸井という家にお嫁さんにいっていました。
里帰りをするため佐七というお供をつれて城屋の日浦の谷の方を歩いていました。長い道を歩いて来たので汗をいっぱいかき、足がへとへとにつかれていました。山の尾根にさしかかると、体がぞくぞくするような冷たい風が「ビュー」と吹いてきます。娘も佐七も何かこわい気持でいっぱいで、佐七は思わず後を見たり、左右を見たりしていました。前よりももっと、なま冷たい風が「ビュー」と吹いてきました。
そのとたん、娘の体が「ふわり」と浮いたと思うと、大風にのったように「アレー」とさけび声と共に、娘は大きな口をあけた大蛇の赤い口の中へ吸いこまれて姿を消してしまいました。腰をぬかした佐七は、はう様にして城屋、そして野村寺を通って女布の森脇家へ逃げて帰りました。びっくりのあまり、まっさおな顔でしばらく話もできなかった佐七でした。
宗披は佐七を落ちつかせ、娘はどうしたのかと、
尋ねました。佐七は大きな息を「ふーっ」とすると共に、日浦が谷であったことを口早に
一部始終を話ました。宗披は自分の娘が大蛇にのみこまれたことを知り、怒った顔はすさまじく、七月十三日の朝早く、山着に身をかため家来をひきつれ、馬にまたがり城屋の奥の日浦が谷に入った。そこには大きな池がある。「娘をのんだ大蛇出てこい、私と勝負せよ・・」
と声高らかにいうと、ものすごい風と共に雨がざあーと降ってきた。
とたん大蛇が二つの目を「らんらん」と光らせてこちらに向ってきました。
家来たちはこわがり、地にかがんでしまった。宗竣は弓をしぼり、弓をつがえて大蛇の目をめがけてひょーといた。矢は頭にあたったが、矢ははねかえるだけ。宗披は再び一番強い矢をえらんで目をねらった。矢はみごとに左の目にぐさっとささった。しかし大蛇はびくともしない。家来たちも、ようやく気がつくと、「わー」と大きな声をそろえていった。宗披の乗った馬は前足をあげ進もうともしない。
大蛇の片目はまた大きくこちらをにらみつける。宗披は家に帰ってもっと強い矢を持つてこなくてはだめだと、大蛇をにらめつつ女布の家へとひきあげた。翌日の十四日、今日こそは娘のかたきを打つぞと、馬に乗った宗披は、力のつよい家来を従がえて再
び日浦が谷にやって来た。大蛇はまちかまえるように、宗披の方へ大きな赤い口をあけてむかってきた。宗披は身がまえ、大蛇が近ずくのを待った。そうそこに赤い口からべらべらと舌が見えるところまで来た。宗披は満月のように弓をひき、一番強い矢をつがえ、さーっとはなした。弓はねらいたがわず、右の目を射ぬいた。両眼を失なった大蛇は行き先がわからず、頭をあげるだけだ。宗披は家来たちと共に、大蛇の胴を三つに切った。
これで娘をうばった大蛇も天にかえっただろうと、宗披はその三つに切った胴の一つを城屋に、腹のところを野村寺に、尾のところを高野由里におまつりした。
頭をまつったのが
雨引神社です。この大蛇が両眼なくなった時、空がくもり、どっと雨が降り、娘を天に呼びrせるように七色の虹がかかった。いつの間にかこのお宮さんが雨引神社と呼ばれるようになった。 その後八月十四日夜、ドンドコたいこをならし、大たいまつがメラメラ燃えあがり、身を清めた城屋の若者が小たいまつを投げつけるお祭、火の紛がとび散るなか、村人が手を合せて祈る。
揚松明は大蛇が火をはくのにょく似ている。雨の少いときは、この社でおがむと、雨を呼ぶ、お米が豊作になる。今だにこのお祭りはつづいている。