おふじさん    45上東かみひがし

                   
江戸時代のころ、藤津ふじつ神社の社やしろの下の方におふじさんの家の田がありました。 
おふじさんは、とても働きもので村人は感心していました。

ある日の 夕暮ゆうぐれは西の山の空はまっ赤なきれいな夕焼けでした。
「明日もいいお天気だろうな」と、おふじさんは、つぶやきました。明日から田植が始まるのでせっせと 準備じゅんびをしていました。すると しゅうとめがやって来て、「明日はよい天気だから一日で田植をすませ。」ときつく言いつけました。おふじさんは、これはいつものように 無理難題むりなんだいをいわれたなあと思いましたが、口答えすると又、何をいいだされるかわからないので、素直に「ハイ」と返事をしてしまいました。

次の朝早く、おふじさんは朝ごはんの仕度をすませて田へと急ぎました。姑はまだ 寝床ねどこの中です。辺りはまだ薄暗うすぐらく夜明けには、まだまだです。おふじさんはそれでも仕事にかかりました。よく仕事をするといっても、一人では思った程はかどりません。よいかげんに植えると、姑からまたいやなことをいわれてしまいます。 おふじさんは一生懸命に働きました。昼の食事も朝作ったおにぎりをほおばり、横の小川の水を手ですくって飲んだのです。お茶をのめば、また嫁はぜいたくだといわれてしまうのです。
夕日が西の空にかたむき、親子のカラスの群か楽しそうに山の方に帰っていきます。まだまだ田植はすみません。腰が痛くなって来ました。でも仕上げてしまわねば姑に約束をしておきながら何ということだと叱られる。

おふじさんは夕日に向かってお願いしました。

「どうかお日さま、田植がすむまで しずまないで下さい。」と両手をあわせてお願いしました。
どうしたことでしょう、お日さまはニッコリ笑ったようだ。
「早くしあげなさい、まってあげますよ。」といっているようだ。おふじさんは嬉しくなって田植を続けた。

田にほとんど苗が植えられた。おふじさんは うれしくなってお日さんにお礼をいいました。
すると見る見るうちに、日は西に沈み、あたりは暗くなってしまいました。一日の疲れがどっとおふじさんをおそいました。重い足どりで 家路いえじにむかったのです。木のかげから姑は、田植えを手伝わずに今までの様子をじっとみていたのです。

家に帰ったおふじさんは床にふしてしまいました。その日までの疲れがもとで、高熱にうなされたのです。
お日さまをひきとめたタタリなのでしょうか。
その後高熱は続き、食事ものどを通らず、まもなく亡くなってしまったのです。
村の人たちは、おふじさんをあわれみ、働き者の力の持ち主だったと、藤津神社におまつりしたといわれています。