大工の独り言(3,4月)

株式会社 能勢工務店

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2000,4,26

家の近所のお寺の屋根の修理をしています。
この本堂は明治28年から33年にかけて曾祖父が建てたものです。
もう建って100年あまり、改修の時期がきています。
軒が随分下がって波打った状態になっています。
日本の木造建築は、適切な時期に適切な改修を行えばかなりの長期間寿命をもたせる事ができます。この本堂も、ここできちんと直してさらに100年もたせたいところです。


2000,4,20

兵庫県のお宮さんの修理にかかりました。
いわゆる丹波地方の北部、氷上(ひかみ)郡氷上町にあります。
まず、本殿も覆屋もひどく傾いてしまっていますので、これをまっすぐに直す事からはじめます
ひどい所で6センチほども傾いています。
ジャッキをかけ、ワイヤーでひっぱって直すのですが、これが結構曲者で、長年ついた癖はなかなか直らないのです。
さあて、うまく直りますか。請うご期待。

『現在進行中』のページで紹介していきます。よろしく。


2000,4,11

作業場の移転もほぼ終わり。
この一ヶ月、材料・道具の運搬や、整理でほかのことはなにもできませんでした。
でも、何十年も眠っていた材料がようやく整理でき、活用できるようになりました。
6mの欅の大黒や、松の破風板など、いざ買うとなるとなかなか大変なものがたくさんあります。せいぜいこれらを使ってやらねば。
ようし、がんばるぞ。


2000,4,5

2月に見に行った兵庫県のお宮さんの修理をすることになりました。
このお宮さんは間口が4.5尺(約135p)、屋根の幅10尺(約3m)というもので、そんなにおおきくはありませんが、彫刻や屋根の造りに手の込んだ立派なものです。
屋根は柿(こけら)葺という薄い板を重ねて葺く手法で造ってあります。
この柿葺の屋根が、貂(テン)か鼬(イタチ)が食い破って巣にしたものか大きな孔があいてぼろぼろになっています。
あと、あちこち朽果て大きく傾いてしまっています。

柿葺の改修は随分高くつくので銅板葺に変えたりすることが多いのですが、このお宮さんのわずか10軒ほどの氏子さんは出来る限り元の姿に戻したいと、あくまで柿葺での修復を希望されました。
費用の捻出は大変であろうと思いますが、そう決断された以上、こちらも出来る限りの力で修復を完成させたいと思います。
柿葺の修復は数も少ないですから、今後 HP上で工事の進行状況を報告するページを作りたいと考えています。
今月の末には、工事にかかります。
始まりましたら、興味のある方は覗いて見てください。


2000,3,30

大阪の知人の大工さんと話をしていました。
大先輩のりっぱな大工さんです。
「どや、そっちは」
「全然あきませんわ。なかなかいい仕事ありませんね。」
「そうか、どっこも大変やな」
「今、なにしてはるんです?」
「今か。今な、桑名まさひろの家つぶしてんねん。」
「え、桑名まさひろのですか」
「うん、アンルイスの旦那やった。
数寄屋造りのりっぱな家でな。
テレビでも何回か紹介された事あるねんで。
そやけど、マンションにするいうて、クラッシャーでグシャグシャにしてんねん
もったいない話やけどな」
「・・・・・・・・・・・・」


2000,3,23

先週、福井県高浜に古い民家を見に行ってきました。
若狭湾沿いの国道のすぐ脇にあるりっぱな旧家です。
60坪ほどのお宅ですが、化粧材として使ってある丸太梁のみごとなこと。見に行った全員が、すぐに気に入ってしまいました。
このお宅はある事情で建替えることとなり、古材バンクの紹介で奈良の方が引き取りの希望をもって見に来られたのです。
みんな2時間ほど唸りながら見ておりました。
移築のための解体の見積をすることとなったのですが、これが結構大変なのです。

移築する為には、各材料の位置がわかるよう番付を付け、ほぞや仕口など痛めないように注意深くはずしていかねばなりません。さらに化粧材は出来るだけ傷つけないように丁寧に取り扱います。板や垂木などは後で使う為、釘など一本一本抜いておかなければなりません。そうこうすると、解体だけで一月くらいはすぐにかかってしまいます。
「え、こんなにかかるの。」と言われる事はしばしば。見積を持っていくのがつらいところです。
それでも、古い建物をさわるのは面白いもの。今回の建物でも短い柱に梁をのせる肘木の先人の工夫のあとがありました。
この民家、できればこの手でさわってみたいものです。


2000,3,15

作業場が手狭となり移転することにしました。いまの場所は駅にも近くよいところなのですが町中すぎて狭く、付近の住宅も増えてきたので移転することにしたのです。
さて、いざ移転するとなるとたいへんです。なにより、在庫の材料を移動するのがちょっとやそっとではありません。なにしろ祖父のころから工事現場の残った材料や、余分に買った材料などが山のように積み上げてあるのです。(こんなに残りものができるのならお金で置いておいてくれればどんなに今楽だろうに。)涙、涙。
ま、これを機会に整理することとします。おそらく大半は使い物にならなくて処分することになるでしょう。ああ!


2000,3,8

若い大工見習いにK君という子がいます。昨年の夏、大阪の知人の大工棟梁の紹介でうちにやってきたのですが、じつに一生懸命やってくれています。

以前にも、若い子を見た事がありますがなかなかむずかしいものです。
むかしは徒弟奉公の世界ですから、親方にぼろくそにおこられしばかれながら修行していくものでしたが、現在はそれでは若い子は続きません。以前はそれがあたりまえであって通用したものが今は違います。
しかし、若い者の気質が変わっても教える方の気分は以前のままそうは変わらないものです。悪気はなくてもこれはいかんと思うとどなったりわめいたり。

大工の仕事は一人前になるのにずいぶんと年月がかかります。その間本人がどういう姿勢と意識で臨むかによって覚える期間も技量も随分ちがってきます。
大工の仕事は鉋や鑿のあつかいといった技能も大事ですが、頭の働きがとても大切です。
頭のよしあしではなくて、段取りや工夫、施主や他の職方との打合せといつたさまざまな事柄に対して考え、目を配ることがだいじです。
それらは、本人が見習いの時代から、いろいろな事柄に目を向け関心をもって、なにより覚えようという強い意欲がないと身につけることはなかなかできません。

K君の場合、早く覚えて一人前になりたいという気持ちが強い事。これが一番よいところだといえます。その意欲をずっともって がんばってほしいものです。かれにはもう回り道の余裕がない。なにしろ、夏には2児のパパになってしまうのです!!


2000,2,29

昨年の末、約一年掛りで行った民家再生の工事が終わりました。

民家再生は、現代の住み手のニーズに応えながら、古い民家の良さを生かし古材の魅力を引出して造りあげていくものです。民家再生は、現代の住み手のニーズに応えながら、古い民家の良さを生かし古材の魅力を引出して造りあげていくものです。

今回の藤原邸の場合、現場での工事の進行につれいろいろな発見がありました。丁寧な仕事があったり、かつての大工さんの工夫のあとが見えたり。

なかでも玄関の奥の天井を破ると井桁に組んだすばらしい梁組みが顕れました。
当初の設計では、そこは梁を取り去って新しく天井を貼る予定でしたが施主様、設計の先生相談のうえ急遽これをそのままに生かすこととしました。

その結果、玄関ホールは天井の高い見ごたえのある空間となりました。

施工するものとしては工事途中での変更は厄介なものですが、再生工事に於いては、基本計画にのっとりながらも状況に応じた臨機応変の対応が必要なようです。


2000,2,22

先日、兵庫県のある神社から修理の見積を依頼され見に行ってきました。
そんなに大きなものではありませんが、細かい彫刻のされた立派なお社でした。
それ以上に感心したのは、氏子の皆さんが古いお社を大切に守っていこうとしておられるその姿勢でした。

それにつけても思い出されるのが、一昨年の秋に見せて頂いた同じ兵庫県の別の神社です。大きなお社でしたが台風のため杉の巨木が倒れ押しつぶされてしまっておりました。
じつは宮津市で数年前にやはり台風でつぶされた神社を復元したことがあったので、総代さんに「これは元どおりに直す事ができます。以前に修復したものより破損の程度も軽いようです。」と言うとたいそう喜んでおられました。
「ばらばらにすると復元が難しくなりますから壊れたこのままの状態でおいてください。」と言ってもどりました。

ところが数日して再び現場に行って見ると、跡形もなくなっているではありませんか。

「こんなつぶれたもの直せるわけがない。古い木を使うより新しく作り直した方がよい。」という意見がでて処分してしまったそうです。

しかし、古い建築物は値打ちがないのでしょうか。
私はいつも思うのですが、加工された木材のひとつひとつ、刻まれ鉋をかけられあるいは彫刻された木材のひとつひとつは、大工や木挽、彫刻師ら工人の工夫と努力の証です。古材そのものも、大きな価値を持ったものなのです。
ましてこの神社の場合、性の良いりっぱな欅と桧をつかい、斗組の拳鼻にまで龍や鳳凰の首を彫刻した素晴らしいものでした。今、同じものを造ろうとしていったいどれだけかかるでしょう。

金額で言っても、復元なら新築の半分以下で出来たでしょうに。

今、地元の会社が新しい社を作っていますがずいぶんと小さなものになりそうです。