桂小五郎



元治元年7月、京都にて蛤御門の変が起り、会津、桑名連合軍と戦い、長州藩は利なくして敗走した。

桂は当時、但馬国出石出身の広戸甚助という人をしっており、彼の生国但馬へ遁れ、時の到るのを待つことを告げたところ、甚助快く受け、その夜直ちに変装して、船頭姿となり甚助と共にひそかに京の都を出て路々諸藩の関所を経て出石に着き、甚助の旦那寺、唱念寺に潜んだが、会津藩士が出石に着き桂の行方を探索するので、桂は城崎温泉御所湯前のつたやに移った。時に元治元年9月のことであった。

当時弊館は女戸主で、一人娘たきと言うものがいて、桂の境遇を悟って非常に親切であった。桂は入浴して心身を休めて後のはかりごとをめぐらした。

長州再興し幕府と戦うに当り、桂を探し其の帰藩を望む。愛人幾松長州より城崎湯島の里へ尋ね来て、長州藩の大勢を告ぐ。共に弊館に泊って入浴し長州に帰り木戸と改名す。当時桂は33才であった。

エピソード:  桂は弊館の木戸に「朝霧の はれ間はさらに 富士の山」の句を書き残した。(焼失したため現在はない)また、一人娘タキは桂の身のまわりの世話をしているうちに身重となったが、流産したという。





「桂の間」は潜伏当時は柱に
刀傷もあったそうです

桂の間には西山英雄先生の
富士山の絵が飾られております


桂小五郎の孫、木戸幸一様より


当館玄関の左手にある桂小五郎に関する碑文


司馬遼太郎先生
『竜馬が行く』執筆の折
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