
式内・摂社「杉末神社」から続く宮津最古の神社
山王宮日吉神社は、宮津総氏神また宮津藩の守護神として、本殿右隣にある式内摂社「杉末神社」と共に平安時代から続く神社です。御祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)・大己貴神(おおなむちのかみ)で、社記によれば平安後期に現在摂社である杉末神社境内に勧請されたとあります。
杉末神社は赤ちゃん初土俵入が行われる神社ですが、平安時代初期に記された延喜式神名帳に宮津で唯一登載されています宮津最古の神社で、宮津の地に人々が住み着いた遙か昔から、宮津の守り神として崇められてきました。
宮津(宮のある入り江)という地名の由来となった神社です。
江戸時代には宮津藩の守護神・総氏神に
江戸時代に入り、歴代宮津藩主は山王宮を宮津の総氏神として藩の守護神とします。ご本殿や幣殿、そして神輿や石灯籠まで藩主により再建、造営され神域中心に主神として祀られます。それにともない式内・杉末神社は摂社として宮津西地区の守り神となります。江戸中期の文書では宮津の城下のほぼ全てが山王宮の氏子であるとされていますが、そうした中で続いてきましたのが例祭である山王祭です。
藩祭とされた山王祭は城下上げての大祭で武家、町民挙って参加しました。宮津祭と呼ばれる所以です。山王宮日吉神社は宮津を統一する総氏神として城下町衆と共に様々な伝統儀式を執り行って今日に続いて来ました。宮津の町と山王宮は一体となって城下町独特の素晴らしい鯔背な祭文化を形作ってきたといえます。。
現在でも毎月初めの1日、また例祭日と同じ15日には月次祭が執り行われ、宮津の平安を祈る儀式が変わらずに続けられています。

日吉大神の使いである神猿
正保三年(1646年)に奉納された神猿像。猿は日吉の神の使いとされ、神社では御神殿、神輿などに数多くの猿の像を見ることが出来ます。真猿/マサル(魔去る、勝る)と呼び、山王宮の魔除けの象徴でもあります。

御神影
江戸時代後期、画家佐藤正持により描かれた御神影図。佐藤正持は藩主の命により江戸より宮津に赴き、社家に滞在しました。宮津には幾つかの絵が残っていますが、傑作は山王祭礼図とされています。

金色に輝く神額
藩主・本荘宗秀、宗武奉納の神額。本荘家は江戸時代中期から七代百十一年間続いた宮津藩主です。「松賀尾加大神」と読めます。神社が建っている丘を松ヶ岡と呼ぶことから、その意であることが窺えます。縁の紋は、神社の紋ではなく本荘家の紋となっています。



