溝口健二監督の映画「近松物語」や文楽でも有名な「大経師昔暦」(だいきょうじむかしこよみ)と「鑓の権三重帷子」(やりのごんざかさねかたびら)、そして、この「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)は近松門左衛門の三大姦通傑作と言われているが、いずれも実話を基にしてきわめて巧妙に組み立てられているので、藤井乙男校註の「近松世話物全集」・上巻(人形浄瑠璃の台本)に収められている原文を読んでも近松の筆力には圧倒される。ご存じのように、「世話物」とは、世間で実際に起きた事件を下敷きにしたもののことである。
その「堀川波鼓」が、まさか1958年に「夜の鼓」として映画化されていたとは思いもよらなかった。脚本・橋本忍、新藤兼人、監督・今井正、美術・水谷浩、俳優陣は、三国連太郎、有馬稲子、森雅之、金子信雄、東野英治郎、菅井一郎、殿山泰司、奈良岡朋子、日高澄子など、そうそうたる顔ぶれである。
映画化されると、われわれは人形浄瑠璃台本(原作)の読者として、(映画の)脚本の読者として、(出来上がった)映像の鑑賞者として。つまり、秀れた原作、映画化にあたっての脚本や脚色、映像という三段階にわたるクリエイティブ(創造的)なものを楽しめることになる。映像は、原作に忠実な場合もあるが、原作よりも発展したものになる可能性もあって、さらに面白い体験ができる。
さて、この「夜の鼓」はどうであろうか。
「大経師昔暦」は商人の妻であったが、「堀川波鼓」は、下級武士の妻の不倫を題材としている。鳥取藩御納戸役小倉彦九郎(三国連太郎)が、主君に従って江戸へ参勤交代で一年二カ月の在京中、妻のお種(有馬稲子)が酒に心を乱して、かねてからお種に横恋慕しうるさく附き纏う磯邊床右衛門(金子信雄)から逃れようとした際に、養子の文六の鼓の師匠宮地源右衛門(森雅之が鬘をつけた映画は本当に珍しい)とおもわぬ不義に至ってしまう。
この言葉で書けば「おもわぬ」というところがはなはだくせ者であるが、先ずは「堀川波鼓」を紹介した本には、岩橋邦枝さんの古典の旅・「好色五人女/堀川波鼓」(西鶴の「好色五人女」と近松門左衛門の「堀川波鼓」が収録されている)や水上勉さんの「近松物語の女たち」がある。岩橋邦枝さんの書(講談社刊・写真参照)は、「古典の舞台を巡る」とあるように、物語の現地が紀行文とともに写真でも紹介される。
映画は溝口健二作品を多くてがけた水谷浩(右の写真は、「映画美術の創造」昭和48・光潮社刊)の美術が素晴らしく、なにげなく置かれた小物が画面に映っているのだが、大変格調の高いモノクロ作品となっている。下級武士・三國連太郎(小倉彦九郎)、その若妻・有馬稲子(お種)、鼓師・森雅之(宮地源右衛門)、金子信雄(磯邊床右衛門)すべて好演なのだが、しつこく言い寄る夫の同僚の磯邊に心中も辞さないと刀で脅され、とっさの言い逃れの嘘をついてから、それを聴かれたのではないかと心乱れる若妻と鼓師が不義に至る間の、互いの「下心」みたいなものがこの映画では「もう一歩」の感がある。この部分は、この作品の要とも言うべき部分で、原作では、
「こはめづらしいつけざしとおいしただいてのんだりけり、おたねもよほど酔はくる男のてをしかと取、こな様とてもぬし有もののつけざしを、まいるからにはつみは同罪、何事もさたすることはなるまいぞとつめければ、いやはやかかるめいわくはととんで出るをいだきつき、あんまり恋しらず、さてもしんきな男やなと両手をまはし男の帯、ほどけばとくる人心酒と色とに気もみだれ、たがひにしめつしめられつ思はず誠の恋となり・・」(藤井乙男校註の「近松世話物全集」・上巻279頁)
と、お種の方から「男の帯をほどくほど」積極的に詰め寄っている。
鼓師の方も、もともと下心があったわけで、心中も辞さないと刀で脅して抱きついてきた磯邊床右衛門との言い逃れのやりとりを聞いてお種が口外しないように頼んだ時に、
「いや聞たでもなくきかぬでもなく、あまりそばから聞にくくうたひをうたひまぎらしたり、申してもやす大事拙者は他言致まいが、霧(錐)は袋と外よりの、とり沙汰はぞんぜぬとふり切出るをすがりとめ、・・・」(同上)
とは言わぬはずである。
よく、「酒の上のことで」という言い訳があるが、どんな場合でも「おもわぬ不義は起こらない」、つまり「心にそういう意識が存在していないかぎり不義も起こらない」と近松門左衛門は冷徹に述べているので、この作品におけるこの部分の演出はきわめて重要である。それだけに、大変むづかしかろうが、さて、平幹二郎と太地喜和子が演じていたらどうだったろうか。
(C) T.Mashimo June.1 , 2005
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