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文楽「義経千本桜」〜通し狂言

(「三大歌舞伎」〜毎日新聞社と文楽のプログラム&チラシ)

国立文楽劇場開場25周年でこの4月「義経千本桜」の通し狂言が行われた。 「菅原伝授手習鑑」、「仮名手本忠臣蔵」と共に浄瑠璃三大名作と言われるものである。通し狂言は、午前十一時から初段〜二段目まで、そして午後から三段目〜四段目が夜までと、丸一日文楽劇場で過ごすことになる。歌舞伎でも「渡海屋・大物浦の段」や「すしやの段」、「「川連法眼館の段」などは単独で上演されることもあるが、充実感はやはり通し狂言でないと得られないものがある。

浄瑠璃三大名作と言われる「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」、そしてこの「義経千本桜」が繰り返し上演されるのは構成がしっかりしているというだけでなく、その根底に「日本人のこころ」ともいうべきものが流れているからである。初上演はかなり古く、その一番手は「菅原伝授手習鑑」が大阪竹本座で1746年8月(延享四年)だという。次いで同年11月にこの「義経千本桜」が、さらに1748年(寛永元年)に「仮名手本忠臣蔵」が上演されたそうである。

「仮名手本忠臣蔵」は、まず知らない人はないだろうが、「菅原伝授手習鑑」は関心のない人にとっては天神信仰とか、菅原道真が学問の神様と言われるくらいしか認識はないであろう。しかし、先日も歌舞伎で仁左衛門が松王丸を演じる放映があって、同じ松王丸でも団十郎とでは首実検の場もずいぶんと演じ方が違って大変な興味を惹かれた。団十郎を見ていると、まさに何百年も前の錦絵や浮世絵に描かれた世界を今に至っても髣髴とさせるものである。

さて、この「義経千本桜」は、題名からは義経が中心の物語だと思ってしまうが、実は義経の都落ちとともに、壇ノ浦の戦いで滅んだとされる平家の武将たち(知盛、教経、維盛)の後日譚が根底に流れている。そして、その中で描かれる「日本人のこころ」とはなにであろうか。それは、表面的には、敵・味方、身分の上下関係や義理に縛られて出てくる感情のように見えるが、実はそうではない。物語の進行にしたがってわかることだが、それはもっと深いレベルから、時には命まで捧げてしまうような、相手を思いやる気持ちである。

この作品にあっては、「すしやの段」でそれが最もよく現れ、ここで重要な役となるのは、「いがみの権太」と梶原平三景時である。「いがみの権太」は、家族思いながら、相当のわる(悪)であることが、伏線となっている「椎の木の段」であらかじめ描かれる。若君の内侍と六代君、主馬子金吾が旅を続ける途中のこの場面で、「いがみの権太」は二十両もの金を彼らからだまし取る。この後、小金吾は討手の手にかかり討ち死にするが、その首を打ち落として立ち去るのが「いがみの権太」の父親である弥左衛門である。弥左衛門は、平重盛に命を助けられたことがあったので、その子、維盛を匿っていた。拾った首は、空桶にさりげなく隠される。小金吾が討たれて途方にくれる若君の内侍と六代君が訪ねてきて、思わぬ夫婦親子の対面となるが、その様子を窺って、「いがみの権太」が金目当てに密告する。総領ながら勘当されて当たり前の「いがみの権太」。彼は、手を焼く実の父親の留守中に母親からせびった金を隠した空桶を、小金吾の首の入った空桶と取り違えて持っていってしまったのである。権太は、維盛(と思った)首と若君の内侍と六代君に縄打って梶原平三景時に引き渡し、いつでも金と引き替可能な頼朝の陣羽織を報償に受け取る。怒り心頭に達した弥左衛門は、権太の脇腹を刺してしまう。

しかし、権太は意外なことを口にする。首は当然維盛のものではないし、引き渡したのは、若君の内侍と六代君とみせかけた自分の妻子だったのである。「菅原伝授手習鑑」の松王丸とよく似た設定である。一方、権太を褒め称えた梶原平三景時とて騙されるような人物ではない。それとよくよく知った上で、陣羽織の中に維盛に出家を薦めその命を助けるべく袈裟と数珠を仕込んでいたのである。「勧進帳」での富樫の場合とは逆になっているが、それぞれ敵方の立場を思いやる見事な演出である。

この「すしやの段」、歌舞伎ではかなり生々しく、かえってその真意が伝わりにくい。むしろ、人形の方がはるかにそれぞれの立場の情感がひしひしと伝わってきて観客の涙を誘う。

浄瑠璃三大名作、機会があれば一度文楽でご覧になっていただきたい。


(C) Takayoshi Mashimo June 5, 2008

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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