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南インドの学校訪問記 〜 インドから学ぶ智慧

 

今年も夏休みを利用して南インドに行って来ました。目的の一つは、古来から何千年もの間、現代に伝えられているインドの叡智がなにであり、教育の現場ではどのように行われているかを、しかとこの目で見て確かめ、行き詰まっている日本の教育を、特に塾の 果たす役割は今後なにであろうかを考えて、これからの授業で生かすことでした。

私たち夫婦の訪ねた学校は150人くらいのこじんまりしたものでしたが、なによりも素晴らしかったのは、校長先生ご夫妻のお人柄 と子供たちへのあふれるばかりの愛情でした。下は3歳児くらいから、中学生までの生徒が通う、非営利の学校で、1クラスの生徒数も多くなく、先生との接触がきわめてよくて、教える側と、教わる側が、ちょうどインドの伝統的な「ウパニシャッド」(師のそばに、 または近くに座わる)の関係を保っていました。教室は、黒板こそあるものの形ばかりの机と長椅子しかなく、教科書やノートも粗末 な紙質のものですが、写真の通り生徒の授業に対するまなざしに素晴らしいものを感じました。また、3歳から英語でタミル語を、さら に上の学年になれば、もうひとつの公用語であるヒンディ語を習うというふうに、まず語学からしっかりとした学習がすすめられます。

コンピューターは高価なので、空港やホテルでしかみかけませんでしたから、さすがに学校に設置するところまではゆかないようでしたが、なんとテキストで授業はちゃんと行われていました。実習は、月に1〜2度、コンピューターのあるところへ行って実習させるようです。(その後、校長先生からコンピューターを導入したとの便りがありました。)日本のように、ハードのコンピューターが何十台あっても、教えられる先生がほとんどいない現状よりははるかに進んでいます。 教育は、物ではなく、人であることが分かります。

インドの聖者といわれるヴィヴェーカナンダは、教える者と教わる者について次のように述べています。

教える者の資格

1.ものごとに対する本当の意味・精神を知っていること
2.心の純潔さ
3.生徒に対する純粋な愛情

教わる者の資格

1.心の純粋さ
2.熱心さ
3.強い忍耐力

教育は、先生の近くに坐わり、心と心のふれあいからスタートするもので、決してコンピューターの前に坐ってゲームのように進め られるものではありません。インドは、お釈迦さまやガンジーのような偉大な人物を生み、聖者といわれる人を多く輩出している国で、現 代科学の面でも飛びぬけて優秀な人材が世界で活躍しています。それは何千年も前の智慧を現代に伝え、それを生かし続けているからこそだ、とい うことがインドに行けばこの目で確かめられます。

先ほどの「ウパニシャッド」という言葉は、もともとは「ウパ」(近くに)、「シャッド」(坐わる)という意味ですが、シャンカラという有名な 哲学者は「人間の無知を破って、智慧に導く教え」と言っています。 西暦2000年を目前にひかえ、日本の教育は2002年には大き く変わります。それは残念ながら、グローバリズム(世界は国を越えてひとつ)の流れとは逆行するものです。それを知って、サバイバルする、生きてゆくための智慧は、自分で探し、いい教師について学 ぶ姿勢が要求される時代の到来です。こういった動きや変化に積極的に変わろうとする人にはチャンスが訪れます。

従来の「暗記型学習」や、(あらかじめ答えが1つ決めてある問題への)素早い反応型学習」は崩壊します。世の中に出ると、答えはあ らかじめ決まっていなくて、自分で探さないといけません。「考える力をつける」ことがなによりも大切です。 小学生のみなさん、早い機会に世界の共通語としての「英語」の学習を始められることを提案します。それもフォニックスから始めて、 英語を聞き取り、話せる力です。関西国際空港を飛び立つと、もうそこは英語の世界です。もちろんインドのような広い国では、北は ヒンディ語、南ではタミル語といろんな言葉が使われて英語だけがすべてというわけにはゆきません。しかし、ホテルでもどこでも 「自分で出来ることは自分でするようでないと他の人の世話になったり、迷惑をかけることになります。つまり生きてゆくためにこ れからの世代に「英語」は必要なのです。どうか、「なぜ勉強が必要なのか」この問いを持って、私たちの塾、教室にお越し下さい。

(C) T.Mashimo 1999
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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