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指揮者/小沢征爾とカラヤン

 

小沢征爾がウイーン国立歌劇場の総監督になるという。嬉しいニュースだ。 昭和30年代、東京にいる頃、日比谷の野外音楽堂で彼の指揮するベートーヴェンの交響曲第7番を日本フィルで聴いたが、 彼の才能を見抜けなかった日本では受け入れられず、押し出されるようにして海外へ出た。その後の活躍は周知の通りで あるが、彼は、シャルル・ミンシュやレナード・バーンスタインやカラヤンに教えを受けた。神はいつも人をいい方へい い方へと導いてくれる。彼の師のうち、残念ながらバーンスタインだけは、聴いていないが、シャルル・ミンシュは大阪 で1回(フランス国立放送管弦楽団)、カラヤン(写真は、カール・レーブル著、猿田 悳訳「カラヤンの世界」朝日出版社)は、東京と大阪で2回(いすれもベルリン・フィル)生演奏を聴いた。その カラヤンが、もう没後10年になるという。その追悼記念演奏会が8/15ザルツブルグ祝祭劇場で行われ、小沢征爾がウイー ンフィルを指揮した放送がNHKで衛星時差中継放送された。「NHKで」という意味がお分かりになる人はいるだろうか? 今はそのことには触れないが、なにより小沢征爾もブルクナーの第9を振れるような年となったことが、感慨無量であった。 それは越後獅子の被りものみたいなトレ−ド・マークの頭もめっきり白髪が増えたということではなくて、小沢征爾が、 師のひとりであるカラヤンを越えたという、もっと大きな意味がある。当日のバッハの管弦楽組曲第3番もことのほか美し かったが、ブルクナーの第9は東京で聴いた若い頃の小沢征爾が今どうような高みにまで到達しているのかが分かる素晴ら しい演奏であった。ウイーンの人々が彼を総監督に迎えるはずである。 世の中には、アンチ・カラヤンという言葉があって彼をひどく嫌う人々がいる。しかし、東京で聴いたブルックナーの第7 交響曲や8/15に放映されたブラームスのレクイエム、さらにはプッチーニのオペラ「トウランドット」、ワーグナーの楽劇 「ワルキューレ」、ウイーン学派の現代音楽などを聴いてみて欲しい。 東京NHKホールでのブルックナーの第7交響曲の前に演奏されたチェンバロを弾きながら指揮をしたバッハの管弦楽組曲第4 番、第6番の美しさといったら!芳醇たる香りの漂うような極度の美しさである。彼は音を磨きに磨き抜いた。ワーグナー の楽劇「ワルキューレ」の室内楽のような美しさ。一方で、ブラームスのレクイエム第2曲、「草のように」にみられる極 度のダイナミズムと緊張感。しかしながら、この磨き抜かれた美しさがえもいわれぬものでありながら「この世」のもので あり、また、咆吼するダイナミズムも、人間のなせる怒りや感情の爆発であった。また、ベルリン・フィルの音は、どんな場合も強靱で、常に緊張があって、私はいつもくたびれた。大指揮者のフルトヴェングラーは、カラヤンを嫌ったそうであ るが、そのカラヤンは、自分がいつか音楽について書くとき、フルトヴェングラーの1章を設けるとか言っていたのをどこかで読んだが、「音と言葉」のような書はついぞ現れなかった。カラヤンの半生を記録したビデオがあるが、ナチとのかかわりもフルトヴェングラーとはずいぶん違う。帝王と言われたカラヤンは、多くのLPやCDやLDなどの商品は残したが、晩年は寂しくベルリン・フィルを去った。 ブルックナーの第9の演奏を聴いて、「小沢征爾が師を越えた」といったのは、彼が神をみ、そこには祈りがあったからである。 われわれは誇るべき日本人を持った。

(C)T.Mashimo 1999


HMV classica japan   tower records
         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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