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「沈黙の聖者〜ラマナ・マハリシ〜その生涯と教え」
( シュリ・ラマナシュラマム/柳田 侃監訳・出帆新社)

 

第3回「ヨーガとは何か?」〜南インドへの旅(1)

北インドに続いて翌年の1999年と2001年に南インドのラマナ・マハリシのアーシュラムを訪ねた。

人間として生を受けた「私」という存在は、三木成夫の「胎児の世界」に書かれているように肉体を持った存在であるが、それは「ギーター」が言うように、いずれは古い衣を捨て新しい衣を纏ういわば一時的なものに過ぎない。しかし、肉体と共にある永遠不滅な魂の故郷(ふるさと)は一体どこなのだろうか?

「あなた」ではなくて、「私」という意識を持つようになったのは、いつからだろうか。

中学校で初めて英語を習った時、第1人称の" I " がどこにあっても大文字で書かれることは、ひょっとするとそれが最も象徴的な形で顕れているのではないだろうか。

そういう誰しもが持つ根元的な問い、Who am I ? を求めてシュリ・バガヴァン・ラマナ・マハリシが辿った途を同じように歩いてみたいという強い欲求が前からあった。(写真は、マハリシの生家)

その夢が、1998年の北インドの旅の翌年に実現したのである。「BHAGAVAN SRI RAMANA 〜Pictorial Biography」(邦訳・「沈黙の聖者〜ラマナ・マハリシ〜その生涯と教え」シュリ・ラマナシュラマム/柳田 侃監訳・出帆新社)の第3章に「魂の故郷への旅」という訳がついているが、まさにそれであった。

関空から先ずチェンナイへ。空港は、カルカッタとはずいぶんの違いに驚く。マドライへは、インド国内航空で飛ぶ。ホテルで休憩して、その中のお店をのぞくと、こんなところにも「バガヴァット・ギーター」のサンスクリット/英訳本があった!たったの90ルピー。驚いたことに、Sankara's Gita Bhashyaだった。

午後に訪れたミーナークシ寺院のあるマドライは、パーンディアン王朝の都で、歴史が2000年を超えるインドでも最古の都市の一つだそうである。現在の人口は、120万人を超えミーナークシ寺院を中心にしたいわゆるTemple City(門前町)の景観をなしていて、まず驚いたのは、11本もあるゴープラム(門塔)で巨大なものは、70mほどもあった。特に、南門の偉容は圧巻で、マハリシがいつもここから入ったと言われるこのゴープラムは、おびただしい像の帯からなり高さが11階もあった。同夜、ミーナークシ寺院に行く途中にある、ラマナ・マンディラムを訪れると、プージャが行われていて、「アルナチャラ・シヴァ」の響きが、明るく、力強く、私にもこうしたチャンティングの意味がだんだんと理解できるようになった。歌っている自分、それを聴いている自分、身体中にヴァイブレートする振動を感じている自分。プージャが終わって、2階のマハリシが死の体験をした部屋を通り、奥の部屋で30分少々瞑想。翌日は、ティルチュリのマハリシの生家を訪れた。ティルチュリを出発して、マドライへ戻り、ディンディガル、そしてティルチーラパッリへと向かう。ロックフォート。17世紀にマドライのティルマライ・ナーヤカによって築かれた高さ80mを越える岩山で壮大なものである。

上掲書に、ヴィルプラム駅の写真が載っているが、マハリシは、この駅経由のティルヴァンナーマライまでの直行便ができたことを教えてもらったのである。しかし、途中までの切符しか買うお金がなく、マンバラパトウ駅からティルヴァンナーマライまで約48Kmの道のりを歩かざるをえなかったようで、その途中、約18Kmのところでアラヤニナルール寺院を見つけ、そこで一休みしているところを僧に中に入れてもらう。

このアラヤニナルール寺院(訪れた時は、修復中であった)からアルナーチャラの初めての眺望が見られるが、ここから展望すると、この聖なる山は、鈍角の美しい三角形をしていて、長く尾を引いた裾野がとても美しい。ここまでたどり着いて、アルナーチャラが見えたときのマハリシの気持ちはどんなだったろうか!


(C) Takayoshi Mashimo Apr. 6, 2004


 


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