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ヨーガの国・インドへは、過去三回、1998年北インド・リシケシの「シヴァナンダ・アシュラム」へ、1999年と2001年に南インドの「ラマナ・マハリシ・アシュラム」を訪ねました。その「ヨーガ」とは一体何でしょうか。みなさんがイメージされているヨーガとは、時には、アクロバット的なポーズをとったアーサナといわれるものでありましょうが、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」には、「ヨーガとは、心の働きが停止することである」と書かれています。「心の働きが止まった状態」つまり、心が静かな状態は「瞑想」と同じです。ですから、坐をとったり、座禅をしたからといって「瞑想」がおとずれるとは限りません。むしろ、クリシュナムルティが言っているように、「瞑想をしようとする努力は、瞑想を否定するもの」です。つまり、「瞑想」とは、心が静かになった時、自然におとずれる状態です。
さて、ヨーガに最も関連のある経典は、「般若心経」ですが、ここに「サルヴァ・ブッダーハ」という句があります。「サルヴァ」は、「すべて」の意ですから、「ブッダ」つまり、「ヨーガを達成した人は複数ある」ことになります。つまり、お釈迦さま以前にもブッダは存在したし、またそれ以後にもブッダは存在したことになります。ですから、われわれのごく身近にもそういう人物はいるでしょうし、また、われわれもそういう人物になれるわけです。その一人であるお釈迦さまは、「チャリアン・チャラマーノ」(日常の生活をしながら)「常に心が静かであった」わけですから、「瞑想」はなにも特別な修行を通してのみ得られるとは限りません。また、立派な肩書きのある人物や有名なヨーガの指導者が、必ずしも「ヨーガを達成した人物」であるかは分からないのです。
では、どうすれば心の働きをとめられるのでしょうか。クリシュナムルティは、「自分をありのまま、よく観察しなさい」と言っています。「般若心経」には、「これが私である」という意識がどのようにして形成されるかが書かれていますが、ラマナ・マハリシは、「これが本当の私だろうか、私と私でないものを絶えず観察しなさい」と言っています。
みんさんがイメージしていらっしゃる「ヨーガ」という言葉は、身体を操作してヨーガにいたる一つの方法である「ハタ・ヨーガ」と言われるものです。これから一緒に体験していただくわけですが、釈尊の説いた「アーナーパーナーサティ」、つまり、「入れる息・吐く息に対する気づき」をもちながら、アーサナを行うことは心を比較的短時間に静かな方向へと導きます。呼吸への気づきは、特に、「吐く息」に留意して行う、つまり、「入れる息」1に対して、「吐く息」は3〜5倍にして、出すときに肩の力を緩めゆっくりと吐きます。「アーサナ」は、誰にでもできるごく易しいもので十分ですから、このように「吐く息」に注意すれば、短時間に心が静かになり、その静けさを通してのみ、日常の生活の中でお釈迦さまのように、私という実体も、色即是空・空即是色であるということが分かり、クリシュナムルティの著書の題名"You
are the world"が示唆するように、「あなたの心が映し出しているのが世界である。」ことに気づいて、あなたは、その時、ヨーガを達成することになるでしょう。
「般若心経」の「ガテ、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボディースヴァハー」は、人生で起こるあらゆる事柄を乗り越えてゆく過程〜アッヴィヤーサハ(「心が静かな方向へ向かうような修習)とヴァイラーギャン(無執着・離欲)です。心が静かになるにつれ、「叡智の世界」が「垣間見える」ことが起こってきます。
それでは今から約1時間、実際に心を静かな方向へと向ける「吐く息」に留意した「ハタヨーガ」の実践を体験していただき、「日常の生活の中でも」心を静かに保つようにしましょう。
講演:「ヨーガの国・インドと私」〜ヨーガ体験とインドの風景(サマリー)
〜於・三木市立教育センター
(C) Takayoshi Mashimo July. 17, 2005
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