六人部(むとべ)の由来(の一説) ☆「天孫記」によると、神代(かみよ)の古(いにしえ)には、   妙斗(みょうと)の命(みこと)は、身渡部(みとべ)の運(むらじ)   の祖であった。現在のむとべ(六人部)は、みとべ(身渡部)   からきたものといえよう    身渡部の運は、京の西方に住み、篠を皇室に献上していた。   篠とは竹のことで、皇居の建築等に利用されていた。 ☆藤原時代。平安初期の弘仁(元年801年)時代以降、約270年間。 このころ、身渡部の郷は、平の資基(つねもと)の所領となる。    その後、鳥羽天皇の皇女、八條院の所領となる。 そのころは、  六人部の荘園と称せられる。 ☆鎌倉時代、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、北条氏が政権を握   っていた時代。(1192年〜1333年)。「六人部の郷」は、   八條院から亀山天皇(700年前)の皇子 、守良親王に譲られる。   その時の譲り書には、「丹波ノ国六人部庄、生野・大内・長田」と   いう地名が出ている。庄は荘園とも称し、下屋敷または隠居所で   あったといわれる。 「むとべ」地域にある施設など・・・

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