還らない季節(とき) −春日影−
作・ちゃちゃ
(一)(二)(三)(四)
たとえば 新月の夜
昏い空に
月の姿は見えなくても
空には月が居るように
私はあなたと共に在る
それだけは 忘れないで
*****
昨日までの冷え込みが嘘のように、空は晴れていた。暖かい日と寒い日を繰り返しながら、それでも確実に春は近づいているのだろう。数日前まで所々に残っていた名残の雪はもうほとんど消えてしまっている。
先ほどから、千耶は壬生寺の境内への出入りを繰り返していた。どれほども離れていない新選組の屯所の前をちらりと見ては境内へ引っ込む。いかにも不審な行動だと自分でも思うのだが、他にどうする、という知恵もない。
──二十二日、昼四つ。
とだけ書かれた伝言が千耶の元に届けられたのは、三日前の事だった。用件以外何も書いていない文は意外と小さな文字で最初から最後まで一気に書いてある。それが癖の沖田からの文だった。
が、約束の刻限を過ぎても沖田は来なかった。約束が守られないこと自体は、そう珍しいことではない。市中の治安を守るという役目を帯びている新選組の性格上、急な出動はままあることだった。が、そういう場合、沖田はは必ず隊の小者に文を持たせて寄越した。
木立に囲まれた境内で、まだ少し寒そうな枝がざわめく度に、「遅れてすまなかった」そう言いながら姿を見せる沖田が来たような気がして、その場で待ってみた。もう少ししたら、来るかもしれない、そんな事を何度考えたのかわからなくなった頃、千耶は待つことを諦めて帰途についた。
──なにかあったのだろうか。
そう思いながら一夜を明かすと、どうすることも出来ずに壬生まで来てみたが、屯所の門前は静まり返っている。門前に張り番の男が立っているのも以前の光景と変りがない。
ここから先をどうするかは、千耶には思案の余ることだった。屯所へ直接、沖田を訪ねるには憚りがある。かといってこのままこの場に立っていたとて、どうなるわけでもない。時折、伝言を届けてくれる男衆が通りかかる偶然を待つことくらいしか出来ないが、そんな幸運がどれほど期待できるというのだろう。
何度目かのため息の後、坊城通りを人影が動いた。通りを下ってきたのは、雪星を連れた沖田だった。もうひとり連れの男がいる。沖田よりひとまわり程も年上に見えるこの男を千耶が見たのは、この時が最初で、そして最後だった。
沖田が連れの男に何か話し掛けている。千耶のいるところからは遠すぎて、何を話しているのかは全く聞こえないが、沖田の表情は硬く、普段の彼とは別人のようだった。
春の訪れを感じさせる光の中で、二人の男の周りの空気だけは、薄く張った氷のようだった。僅かな振動にも簡単にその空気は壊れそうで、千耶は声を掛けることを躊躇った。
張り番の男たちは、緊張した面持ちで沖田達を迎え入れる。門内に消えた後ろ姿を見送りながら、沖田がもう一度出ては来ないだろうか、と千耶は心の内で願ってみた。が、屯所から人が出てくる様子はない。
無事なら、それでいい。そう自分に言い訳して、千耶は帰途に着いたのは、それから半刻もあとのことだった。
数日後、暖かくなった日差しの中で、桜の蕾はわずかに色づきはじめていた。沖田とは、もう半月以上会っていない。きっと、忙しいのだろう、そう思う。千耶のような町家のものならば、仕事が忙しい、といえば結構なこと、そう思えばよい。けれど、新選組の忙しさは危険と隣り合わせだ。あの日、わずかに姿を見ただけで、戻ってきてしまったことが悔やまれる。
千耶は手の中にある花を見た。淡い山吹色をしたその花は、祠の前に置いた一輪挿しに活けるためのものだった。沖田と逢うためにこの社を利用するようになってから、この小さな神社に参ることは、いつのまにか千耶の日課になっていた。訪れる回数が多くなると、殺風景な祠がとても気にかかる。家から一輪挿しを持ち出して、野草を入れてみるとそれだけで、見違えるほど明るくなった。それだけのことが訳もなくうれしかった。
それに、と心の中で別なことも思った。もしかしたら訪れる人のほとんどないこの社に住まう神様なら、一つくらいは願いを聞いてくれるかもしれない、と考えたのだ。勝手に利用しておいてわがままな言い分かもしれない、そう千耶は気づいたが、でもお願い彼を守って、と手を合わせるのが常だった。
訪れた境内には先客がいた。それが誰であるか考えるより早く千耶は反応していた。
「あ、総司さん」
「どうしてここに?」
小さな社を取り囲むように生えている雑多な木の一本に半身を預けて何か考え事をしていたらしい沖田は、千耶に驚いたようだった。
「どうして、って……。私、毎日ここへ来てるの」
そのまま沖田の脇をすり抜けて祠の前にある小さな一輪挿しに手の中の花を入れる。
「総司さんこそ、どうしたの?」
そう問い掛けたが、それ自体にそれほど意味があるわけではない。たとえ予定外であろうとも沖田に逢えたのだから、理由など必要なはずがない。
「そうか。ここに来るつもりはなかったんだが……。なぜだろう。気がつくと来てしまっていた」
自分に言うように呟いたあと、沖田は千耶の方へ向き直って
「この間は来られなくてすまなかった」
「ううん、お仕事だったんでしょう。仕方ないわ」
「仕事か……。たしかにそうだな」
自嘲するように沖田は言った。沖田がそういうものの言い方をするのを千耶ははじめて聞いた。
昨年の大火の後、街中には新選組への非難の声が高かったが、沖田の中には職務に対する自負があるのだろう。そういう時でさえ、沖田は普段と少しも変わることがなかった。それなのに、一体どうしたというのか。
「今日はお仕事は?」
そう言いかけて、千耶は沖田の表情が普段と違ってひどく疲れたものであることに気づいた。
「総司さん、大丈夫?とても、疲れてるみたい」
沖田の目を覗き込むようにして尋ねた千耶の視線を避けるように沖田は目を逸らした。
千耶の目に見つめられてはなにもかもが見透かされそうだった。
「疲れてるかもしれない。でも私は大丈夫だ」
言葉とは裏腹に一瞬、表情が歪む。
その沖田の表情に、千耶は目を顰めた。とても、大丈夫には見えない。
「本当?」
「本当に」
千耶の問いに沖田は笑って見せた。無理に作ったような笑顔だ。
「ほんとに大丈夫なの?」
思わず、沖田の額に手を触れる。
「心配してくれるのか」
逆にその手を取って沖田が言った。
「あたりまえじゃない、どうしたの?なにかあったの?」
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