三.砲  撃


 祇園八坂神社での相撲興行は無事終わり、次に壬生でも開催されることになった。近在の人々への慰安を兼ねて、近藤、土方、山南などが気を配ったのである。それというのも芹沢一派の乱行は日増しにひどくなっており、近頃では壬生浪士組の評判は悪くなる一方だった。市中見廻りもやりづらくなっている。失地回復の意味もあったのである。

「歳さん、佐々木愛次郎の一件その後どうなった?」
相撲興行の話題が一段落したとき、近藤が土方に尋ねた。近藤の部屋である。
「島田にそれを調べさせてるんだ。どうも佐伯はこの頃芹沢たちから遠ざけられているらしいな」
「そりゃ、どういう意味だ?」
「娘に舌をかませるような事をしたのは佐伯で、芹沢は怒っているらしい。もっとも元はと言やあ娘に色気を持っていたのは芹沢だからな。佐々木の逃亡も芹沢をおそれてのことだろう。佐伯がそう仕向けたのかもしれんが」
近藤は渋面を作った。
 近藤は情に厚い男である。一度情を通じた妓を落籍せて引き取ってしまい、後に妾宅を複数構えることになってしまう。それも近藤という男の一面を表している。あぐりという娘を不憫に思う気持ちが強いのも近藤だろう。
 その点土方は冷静である。佐々木愛次郎の件も、芹沢がからんでいるので慎重に調べさせている。
 島田魁という六尺を越える大男だが如才ない隊士がいて、それが土方の目に叶った。監察という役目につかせている。いずれは監察部という内外の情報を得る部署をもっと充実させたいと思っていた。
「このままではいかんなあ」
心底困ったように近藤は言った。
 土方にとっては芹沢一派はいつかは排除するべき対象以外の何者でもない。近藤はまだそこまで非情になれないだろう。しかし、その近藤もここにきて腹をくくり始めていた。
 そういう二人の密談中に沖田が入ってきた。
「おお、総司」
嬉しそうに近藤が言う。
 日野を生活の拠点としていた土方、井上とは違って、沖田は十年以上近藤の道場に住み込んで修行している。そこには余人にはわからない絆があったことだろう。
 土方の方は邪険に「なんだ」と言った。
 沖田は二人を見比べて
「お二人が揃って密談中だとなんか江戸を思い出しますね。もっとも土方さんはもっと可愛げがあったけど」と無駄口をたたいてから
「佐伯さんが斬られたそうです」と用件を告げた。
「島田さんが副長に現場に来ていただきたいそうです」
「場所は?」
 土方はもう立ち上がっている。

 佐伯亦三郎が朱雀千本通りで斬られた話は、副長助勤にも伝わった。
 永倉と原田は同室で、その部屋はいつのまにか近藤派の幹部が集まる幹部部屋のような趣になっていた。二人とも将棋好きなので、ここへ来ると相手をさせられるのは覚悟しなければならない。
「長州のやつらか」
「俺はそうは思わんな。例の佐々木の一件だが、佐伯が斬ったことは本人も認めているのに、うやむやになっているだろう。芹沢さんの命令だという一言でな。あれに関係があるんじゃないか」
永倉がそう言った。将棋の相手をしていた藤堂は長い指先で駒を進めてから
「佐伯さんはあれから様子が変だったものな」
「おっ、藤堂君、これは待ってくれよ」と永倉は藤堂の駒に待ったをかけながら
「平間が佐伯をののしっていたらしいぞ」
「あいつらの仲間割れってとこか」
原田と斎藤は今日は将棋の見物に回っている。
 藤堂が永倉の待ったを「だめです」と断って
「そういえば斎藤は平間の商家へのゆすりを止めたんだったけな。あれから何かあったか?」と続けた。
 藤堂と斎藤は同い年で幹部の中では最年少であった。
「いや、別に」斎藤はかぶりを振る。
「この頃は新入りの山野にからんでるらしいね」
「山野?」藤堂が首をかしげる。
「ほら、隊中美男五人衆の一人さ。あれさ、俺は納得いかないね。平隊士のって、ことわりを入れてほしいね」原田が言うと
「原田君、自分が入ってないからか」永倉がちゃかした。
 永倉、原田、藤堂、斎藤は皆近藤の試衛館時代に知り合い、流派を越えての仲間意識があった。経歴はばらばらだ。
 永倉新八は神道無念流免許皆伝、松前藩脱藩で試衛館の食客となった。原田佐之助は伊予松山藩で若党をしていたが、後脱藩。種田流槍術を修行したらしいが、本人はあまりくわしく語りたがらない。藤堂平助は神田玄武館で北辰一刀流の目録を得ている。冗談で藤堂候のご落胤との噂が出ることもあった。
 斎藤一だけはいっしょに上洛した浪士隊の一員ではなかった。江戸で旗本といざこざがあって、京都のある道場にいたところ、偶然江戸で知己を得ていた近藤たちの浪士組募集を知ったのである。
「山野は沖田君がけっこう面倒みてるんじゃないか」
「そうらしいが、山野は沖田に甘えるようなやつじゃないみたいだな」
「ふうん、一度沖田君に注意しといてやろう」世話好きな永倉が言った。
「総司さんには関係ないんじゃないか」と斎藤が珍しく反論した。
「ま、そう言うなって。あれで沖田君も面倒見がいいやつなんだ」
「永倉さんほどじゃないけどね」藤堂が混ぜ返す。
「新八さんは特別だあね」原田も笑った。

 隊中美男五人衆、それは亡くなった佐々木愛次郎に、楠木小十郎、馬越三郎、馬詰柳太郎、山野八十八を加えた五人のことで、近在の人に評判になっているらしい。
 山野は迷惑していた。彼は容貌のことを言われるのが大嫌いだったのだ。
 注意深く平間たち芹沢派の隊士を避けていた山野だったが、運悪く出くわしてしまうこともある。平間がなぜそんなに自分にこだわるのか、山野にはわからなかったが、腕ではかなわない斎藤たちへの屈託を手近な隊士で晴らそうとしているのかもしれなかった。
「山野、今夜はつきあえ」
と、稽古帰りを平間に捕まえられた山野は、断る隙もなく島原の角屋まで連れていかれた。島原は壬生からほど近い遊里である。特に角屋には隊士たちがよく通った。
 今日は芹沢はいっしょではなかったが、平間と平山の二人から後で新見先生も来られると聞かされた。
 山野は酒に強くない。平間は酒を湯飲みになみなみとついで山野に飲めという。断っても許されなかった。困っている山野を酒の肴にして、楽しんでいるようなところがあった。何杯飲んだのかわからなくなり朦朧としだすと、着物を脱げと言う。妓たちがきゃーと笑い合う。山野はさすがに憤然として席を立とうとしたが、めまいにおそわれてその場に崩れるように倒れてしまった。
 その時、「あ、新見先生お疲れさまです」と平山の声がして、何人か入って来たようだった。
 山野はかすかにまだ意識があった。妓たちの嬌声に混じって、新見錦の声が聞こえてきた。
「佐伯の件はかたがついた」
新見は近藤に土方がいるように、芹沢派の参謀のような男である。
「うまくいきましたね。土方たちが出向いたらしいが、こっちには芹沢先生がいらっしゃるんだ。何もできまい」
と野口健司という芹沢派ではもっとも若い隊士が言う。
「しかし佐伯はおめでたいやつだ。裏切って許されるとでも思っていたのか」
「本当だ。芹沢先生の思し召しのある女を横取りしようとするとはな」
「いくら京でもあれほどの美形はめったにおるまいに」
「惜しいことをした」
新見は倒れている山野を見つけ、眉をひそめた。
「何だ、こいつは」
平間が「今日のおもちゃです」とにやにやして言う。
 山野は反駁しようとしたが、もちろん声は出ないし動けない。
「おもしろい余興ですよ」
という平間の悪意のある言葉に被さるように、廊下から仲居らしき声がした。
「申し訳ありまへん。今下に、沖田様という方がこちらの山野八十八様にご用事だと来てらっしゃいます」
「何っ、沖田だと」
 角屋の玄関に沖田総司が立っていた。

 山野は乱暴に起こされて、店の土間へ放り出された。平間が何か言って誰かが答えているようだがわからない。着物も乱れているし、裸足だった。酒で頭がぼーっとしているが、泣きたいような気持ちだ。ようやく立とうとしてよろけた所を誰かに支えられた。
「しっかりしろ」
という声が聞こえた。どこかなつかしい声だ。でも頭がふらついて焦点が定まらない。
「気持ち悪い」山野は吐き気をこらえることができず、その場で吐いてしまった。
「あーあ、水をもらって来る。籠を呼ばなくちゃいけないな、これは」
 誰かの足音が遠ざかると共に、八十八の意識も完全に切れてしまった。

 山野八十八が沖田総司に担がれて帰ってきたというニュースは隊中に広がった。
 事の顛末を当事者の山野は同室の松崎たちから聞かされることになる。
「お前、べろんべろんに酔ってたぞ」
「急に飲み過ぎたら命にかかわるって沖田先生がお前に水を飲ませようとしたけど、お前は暴れたんだぞ。取り押さえるのに難儀したんだからな」
山野の頭はがんがん痛んだ。気分はお世辞にもいいとはいえない。
「お前、沖田先生に謝ってたほうがいいぞ」
 聞けば聞くほど自分の醜態が想像されて、このまま誰にも会わずにすませたいと思った。しかしそういう訳にもいかない。痛む頭をかかえて隊務に復帰する。真っ先に沖田を探したが、彼は外出中ということだった。
 若い隊士の中には、松崎が幹部の斎藤に傾倒しているように、沖田にあこがれている者も多い。中には山野に嫌味を言う者もいた。あまりに的はずれで山野は無視したが、自分で自分が情けなくてしょうがなかった。

 斎藤一も沖田を探している。彼にしては珍しいことである。斎藤は自分と直接関わることでもないかぎり、他人の事に興味や関心をいだくことはめったにない人間だった。
 その頃沖田は壬生寺で警備の配置などを図面に書き込む仕事をしていた。
 忙しげな沖田をわざわざ捕まえた斎藤は
「総司さん、この頃新入隊士も増えて、どっかの間者も入り込んでいるって話だ。あんまり新入りにかまわない方がいい。総司さんがわざわざ島原まで捜しにいくことはないと思うが」
「まるで土方さんみたいなことを言うなあ。そんなことをここまで言いに来たのかい」
「忠告しにきたと思ってもらいたいな」
 沖田は面白そうな顔付きになって
「でもなんかあの人真面目すぎてほっとけないんだな。昨日永倉さんからも聞いてたし」
「永倉さんはおせっかいなんだ」斎藤がつぶやく。
「実を言うと、ここんとこの平間さんたちの行動も気になっていたんだ。このご時世だ。ささいなことでも命取りになってしまうからね」
まだ釈然としない表情の斎藤を見て、沖田は
「わかった、わかった」となだめるように言い
「一さんも壬生の相撲興行の打ち合わせがあるんだろう。土方さんががみがみ言い出す前に行こう」

 宿酔いに悩まされ、沖田にもまだ謝罪できないでいるうちに、山野は島田魁に呼び出された。もう昼近くになっている。
「昨夜新見先生方と島原の角屋でいっしょだったね」
島田は大きな体躯を窮屈そうに机の前に収めている。
「はい・・そのう」
山野は言いよどんだ。
「酒をだいぶ飲まされたそうだな」
「はい・・申し訳ありません」
「何も覚えていないのかね。何か他の隊士の名前が出てこなかったか」
山野は懸命に記憶をたどった。
「たしか佐々木とか佐伯とか言ってたと思います」
「もっとくわしく思い出してくれ」
「かたがついた・・そう、確かにそう聞きました」
「佐伯はかたがついたと言ってたんだね」
「はい」
 山野は島田の質問にできる限り答えようとしたが、何しろあまり記憶に残っていない。島田もこれ以上山野から聞き出せることはないとあきらめて、話題を変えた。
「君を迎えに行ったのが、沖田さんだと聞いたが」
「恐縮です」
山野はしゅんとなって答えた。
「まあ、それで君への疑いは消えたよ」
「疑いとは?」
「君が壬生浪士組ではなく芹沢先生個人に君の志を預けているという疑いだよ」
山野は呆然として
「それはあり得ません」と声を大きくした。
「わかっているが、これが目下の私の仕事なんでね」
島田は淡々と事務的に片づけるといった風に
「もう帰っていいよ」と言った。
 これはどういう意味なのだろうか。芹沢につくのかそうでないのかという探りの意味もあったのだろうか。結局沖田に二重の意味でかばってもらったことになる。

 その日の市中見廻りの午後番に当たっていた山野は、同行の隊長が斎藤一だと知った。松崎は斎藤との同行にはりきっている。
 斎藤はいつ見てもきちっとした身なりをしている。物腰が優雅なので年齢より上に見られることも多かった。沖田より二つ下だが、沖田の方が童顔のせいもあって、斎藤の方が年上だと勘違いされることもある。
 斎藤が江戸で沖田に初めて出会った時、自分の方が年上だと思い込んだのも無理はなかっただろう。
 壬生界隈は浮かれた雰囲気だった。娯楽の少ないこの頃に、村で相撲興行があることはまれにみる「お祭り」であったに違いない。気のせいか浪士組を見る目も今日は親しげな気がする。
 斎藤は沖田と違って平隊士たちと余分な私語を交わさない。隊列は粛々と進んでいく。翌日の興行を無事終わらせるために、特に念入りに不審者がいないか調べていく。
 今日の巡察隊の中に、山野といっしょに美男五人衆と言われた楠木小十郎も加わっていた。まだ一六才の若さである。睫毛が濃く、伏し目がちになるとどきりとするような色気があった。
「山野さんて果報者ですね」楠木がこっそり山野に話しかけてきた。
「何が?」
「沖田先生がわざわざ島原まで迎えに行ったと評判じゃないですか」
山野はまたその話題かとむっとして
「沖田先生はたまたま通りがかりで連れて帰って下さったんだ」
ときっぱり言った。
「そうですか。沖田先生に目をかけてもらってうらやましいなと思っていたんですよ」
山野は楠木の言い方に毒があると気づいたが、それには答えるつもりはない。
 帰営して装備をはずしていた山野は、行きかけて立ち止まった斎藤に呼び止められた。
「昨日のことだが」
いつもながら斎藤からは容易に感情をうかがえない。
「君は自分の事は自分で始末できるようにならなければな。同じ事は二度とないと思いたまえ。沖田さんはときどき酔狂なことをする人なんだ」
 山野は頬に血がのぼるのを感じた。いつのまにか隣に来ていた楠木がくすりと笑ったのがわかった。

 気落ちしていた山野は、山南敬助と談笑しながら廊下を歩いてくる沖田を見つけても、すぐには動けなかった。
 山南はかなり小柄なので、沖田はずっと背が高く見えた。あいかわらず大きな目が山南をのぞき込むようにして笑っている。
 山野は決まり悪い思いをしていたが、意を決して口を開こうとしたとき、それより前に沖田の方が山野を認めたようだった。
「山野君、大丈夫ですか」と聞いてきた。
「沖田先生、本当に昨夜は助けていただいてありがとうございました」
山野は深く礼をした。
「ほお、この人か。総司の自慢の袴の上に吐いちゃった人は」
山南が今にも笑い出しそうに山野を見る。山野は自分がしでかした事を知らされて真っ青になった。苦笑する沖田に
「ほんとにほんとにすみませんっ」とまた頭を下げる。
「別に気にしないでいいですよ」
沖田はそうあっさり言って、山南と行ってしまった。
 お説教めいた事もひとつも言わないし、自分に目をかけてくれているとか、そういう特別な態度も一切ない。それが山野には嬉しかった。

 翌日、壬生寺で盛大に相撲興行が行われた。近藤勇が壬生浪士組局長として面目をほどこした頃、土方歳三は芹沢一派が大砲を持ち出して行ったのを知った。
 大和屋砲撃の報が屯所に届いたのは深夜のことだった。
 大和屋は葭屋町一条の生糸問屋で、芹沢たちの金策に応じなかったために標的にされたのだが、相撲興行のあった夜に決行されたとは、近藤たちに対する示威の意味があったのかもしれない。
「言うなればいやがらせだな」と永倉は言った。
「土方さんはさぞおかんむりなことだろう」

 沖田が例によって土方の部屋を訪れてきたが、意外にも土方の機嫌は悪くない。
「芹沢先生たち、意気揚々とご帰還してきましたよ」
「そうか」
くっきりとした土方の目に目標に向かって疾走しているような輝きがあった。バラガキと呼ばれていた頃の、昔の歳三のようだった。
「あれ、土方さん、何か嬉しそうですね。何考えているんですか」
「総司、俺はこの浪士組を決して潰しはしないからな」
 一つの組織にトップは二人並び立たない。芹沢と近藤。決着の日が近いことを土方は知っている。


「四.粛  清」
「千駄ヶ谷の家」