微笑みながら



婚礼の日取りが決まり、何かと忙しい日々を送っていたが、智香は何か大切な忘れものをしているような気がしてならなかった。
父母の薦める縁組みを断ることなど、智香にはとてもできず話はどんどん進んでいた。
いったい何を忘れているのだろうか。早く思い出さないと手遅れになる。そんな焦燥感に駆られ、彼女の顔は曇って行くばかりだった。

本当は最初からわかっていたような気がする。
子供の頃からずっと好きだったあの人に会いたい。誰かの妻と呼ばれるならそれはあの方と決めていた。そんな自分の気持ちと決別するためにも、一度だけ会いたかった。
でも京都は遠い。女一人で行ける場所ではなかった。

両親も夫となる人も、そんな智香の姿を見守ってくれていた。
そしてある日、用事で京都へ行くという人を捜してきてくれたのは、夫になる人だった。智香が自分の元に来る時に、心残りがないようにとの心配りだった。

本当に甘えても良いのかどうか、智香には良くわからなかった。でも、一生に一度だけ甘えたい。身勝手な考えだとはわかっていた。
あの人の元へ行ったら決して裏切るようなことはしません。だから一度だけ・・・。

結局、智香は京都へ行くことした。
あの人の好意を無にするのは心苦しかったが、このままでは今は新選組の隊士となった初恋の人を忘れることはできそうになかった。
それはあの人への最大の裏切りに思える。だからこの旅であの方への思いは終わり。
沖田総司様、多分私が恋する最後の方……。
いえ、やさしいあの人への思いは、今は恋ではないかもしれない。でもいつか誰よりも愛してみせる。そして子供をたくさん産んで、男の子には剣術を習わせよう。女の子には、いつか自分の大切な恋の記憶を伝えよう。
その時総司様はどうしていらっしゃるのだろう。きっと誰か大切な方を見つけて……。私達はきっと幸せになっている。いえ、そうなっていてほしい……。
それは智香の唯一の願いだった。


京への道は遠かった。一歩一歩近づいていく間、智香は総司のことだけを考えていた。
もしかしたら総司様は私のことなど忘れているかもしれない。でも、お会いすればきっとあの頃に戻れると信じたかった。

やっと京都に着いたが、智香はなかなか新選組の屯所を訪ねる勇気を持てなかった。せっかくやって来たのに、新選組の屯所は江戸にいるときよりも遠く感じられる。
毎日壬生に通っているうちに、帰らなければならない日が近づいてきてしまっていた。
あの人の好意でやっと京都までやってこられたのに、いざとなると臆してしまい声をかけることができなかった。

もうすぐ帰らなければならないというある日、そんな智香に声をかけてくれたのは会いたいと願っていたその人だった。
智香の願いを聞いて、夕食を御馳走して下さるという。天にも昇るような気持ちだった。


***************


ある料理屋の二階。高級ではないが素材がよく吟味され、素朴な味わいがある料理が並んでいる。
智香を目の前にして、変わったなと総司は思う。いや、変わらない部分もある。例えば。

「総司様、どうなさったんですか? 」
「どうって?」
「お食事部召し上がらないものがあるような・・・」
「そうかな。気のせいですよ。」
「もしかして・・・まだ好き嫌いをしてらっしゃるんですか?」
「ひどいな。昔の私じゃないんだから」
「いけません! 何でも食べないと大きくなったら・・ってもう子供じゃなかったんでしたね」
「子供じゃないですよ」
「あ、総司様! やっぱりお刺身食べてない!! ちゃんと召し上がらないといけないんですよ! それとも食べさせて差し上げましょうか?」
「お刺身を食べなくても人間、生きていけます」
「いけません。私のように何でもいただかないと、長生きできないんですよ。その酢の物もおいしいですわよ。食べさせて差し上げますから さあ・・・」
「え・・(無理やり食べさせられる)」

 智香は昔からよく総司の世話をやいたものだった。彼が偏食するのをからかうとも心配するともつかぬ態度で、食べさせようとする。今も変わらぬその口調がなつかしい。

「ところで総司様、浪士隊って何をするところなんですか?」
「今のところ、京の街の巡察や取締りや警護や・・」
「巡察って人を斬ったりなさるんですか?」
「人も斬るでしょうね。必要があれば」
「まあ怖い! ちょっとだけにしてくださいませね 」
「ちょっとと加減できるなら、もちろん無駄に人を斬ったりしません」
「そうでないと、女の方に嫌われますから」
総司は笑ったが、ふとこう尋ねてみた。
「智香さんは聞かないんですか? 」
「何をでございますか 総司様」
「私が人を斬ったかどうか」
「斬ったことがあるのですか?」
「斬ったことのない私を覚えているあなたの前では、変わらぬ私でいたいと思ってますよ。」
「総司様はきっと いつまでも変われませんわ」
「それも情けないかなあ。いつまでも同じなんてね」

「私は きれいになりましたでしょう?」
「きれいでしょう?って、いやになるほど、昔も聞かれましたからね。そこは変わってないな」
「で、いかがでしょうか?」
「私にそれを言えと? 」
「はい(笑)」
「そこも変わってない(笑)。よろしい。言いましょう。・・・・あなたはとても綺麗になった」
それは本当のことだった。智香をどこかまぶしく感じていた。

「でもよく京まで来られましたね。遠いのに」
「一度見てみたかったんです、祇園さんや清水寺」
「祇園さんや清水か。いいところですよ。今度案内しましょうか」
「今度って 明日ですか?」
「明後日の方がいいな。一日非番だし」
「明後日は・・・江戸に戻らなければいけないんです」
「もう、ですか? 」
「はい 江戸には私を待っている方がたくさんいますから 」
「あなたを待っている人たち・・・・そうですか」
「何しろ 私結構殿方に人気がございますの」
智香は悪戯っぽく言う。
「智香さんは人気者なんだ。それは早く戻ってあげないとね」
「総司様は? 」
「私ですか。私にはいませんよ。待ってくれる人など」
「私が待っておりましたのに……。でもお便りもいただけないので、押しかけてきてしまいましたの」
智香の言葉に真剣な響きを感じ取って、総司も真顔になった。
「私を待っていたとは本当ですか?」
「本当です。でも……」
「でも? 」

智香は宣言するように言った。
「私、お嫁に行きます。平凡ですけどとても優しい人の所に 」
「……そうだったんですか」
自分でも意外なほど衝撃を受けて総司はとまどった。幼なじみの智香。いつも総司の後をついて回っていた。初めて好きになった人が智香だったのは自然な成り行きだった。ただ、あの頃はお互いに子供すぎたのだ。

「本当はずっとお待ちしていたかったんですけど……。 少しは 惜しいことをしたと思ってらっしゃいますか 」
「それはおめでとうと……言わせて下さい。 智香さん、私たちは子供のころの同じ思い出をたくさん持っている」
「はい、本当に楽しかったことばかり思い出されて…… 」
「小さかったあなたが、だんだん大きくなって、今はお嫁に行くと突然聞かされたんです」
「驚きました? 」
「ええ、驚きました」
「どんな風に?」
そう聞かれた総司は自分の気持ちを伝えまいと決心していた。
「可愛い妹を取られる兄のような気持ちかな」
「それだけですの? 」
「じゃあ、とっても可愛い妹を取られるかわいそうな兄のような気持ちです。あなたの幸せを祈っている兄です。」
「私、小さな頃から総司様のお嫁さんになると決めてました。でも、いつまでも子供ではいられませんものね」
「私ももしこれから妻をもらうようなことになるのなら、あなたのような人を選ぶでしょう。 笑うとかわいい、元気のいい人をね」
「では お兄さま、智香はきっと幸せになります」
「優しい人で良かったですね。その人」
「子供をたくさん産んで、剣術を習わせましょうか」
「ええ、私が教えましょう。おじちゃんとして。」
「約束いたしましたよ 総司様 」
あなたには私のような者より、平穏な人が似合うだろうと総司はそう思った。
「約束、智香さんにはいくつも約束させられてる。もう忘れてしまったなあ。あんまり多すぎて」
「忘れたら・・・今度はどうしましょう」
「何もかも忘れられるならいいですね。許されるなら」
「そうですわね。何もかも忘れて、昔に戻れたら本当に……」
「 戻れない昔だから、大事にしたい。智香さんとの思い出も」
「はい。 私、そろそろ宿に戻ります。総司様にお会いできて本当にうれしかった……。これでやっとお嫁に行けます」
「明日、何とか非番を代わってもらえるように隊に言ってみます。 最後の思い出に、行ってみましょうか。智香さんが行きたかった所へ」
「ありがとう。ではまた、明日」

明日と智香は微笑んだが、彼女が明日朝、早立ちで江戸に戻ろうと思っていることを総司は知らない。離れたくない思いを断ち切るのが、お互いのためだと彼女にはわかっていた。
総司は自分がこの先誰も娶らないだろうと思っていた。自分にはそういう生き方しかできないこともわかっていた。

「月がきれいですわ」
「明日は天気になるな」

微笑みながら別れた二人。総司と智香はこれ以後二度と会うことはなかった。


***************


夢はあっという間に終わってしまった。また明日・・・、そう約束した日はもう来ないのに。でも、大丈夫。きっと幸せになりますとあの方と約束したから。たくさん子供を産んで、もしもその子が男の子だったら剣術を習わせて、いつかあの方に勝てるような、強い子供に育てます。待っていて下さい、沖田総司様。

江戸に帰る道は来たときより近く感じた。私の帰る場所はあの人の所、と思えるようになったからかもしれなかった。きっと一生総司様のことを忘れることは無いに違いない。でも、今度ははっきり約束することができた。

きっと幸せになってみせますから、あなたにも辛いことが起きませんように。幸せになって下さいますように。
帰り道、神社や寺を見つける度に智香は祈っていた。きっと江戸に戻ってもそうするに違いない。それをあの人も止めないに違いない。
歳をとってお互いにおじいちゃんとおばあちゃんになったら、またきっと会える。その時、どちらが幸せな人生を送ることができたか自慢比べを致しましょう、ねえ総司様。

(終)


作・ともこ (磯宮・ログ部分まとめ)




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