嘉伊(かい)は急いでいた。研ぎから上がった商売物の刀を大事に抱えて道を小走りに歩く。
嘉伊の家は古くから商売をしている刀剣商である。ただし、店はそれほど大きくない。商売気があまりなかったらしいご先祖そのままに、祖父も父も気に入った客には採算を度外視して刀を売っていた。そういう所が顧客の信用を得ていたのかもしれないが、儲けが少ない分内実はかなり苦しい。
実は嘉伊は京にはまだ不慣れである。父親が江戸の別の店に住み込んで修行を積んでいたとき、嘉伊の母親といっしょになった。そのため、嘉伊も江戸で育ち、一年程前父の兄が他界してしまったときに、一家で京都へ戻ってきたのだった。
「もう少し女らしくしたらどうなの」と母は嘉伊に小言を言う。嘉伊が刀の事ばかりに興味を示して、お嫁に行く気がまったくないのを心配していた。嘉伊はまだ誰の所にも嫁ぐ気持ちはなかった。
町家の角で一人の侍と接触してしまったのは不可抗力の出来事だった。
嘉伊の抱えていた刀が相手にぶつかってしまったのである。
「申し訳ありません」
と嘉伊は急いで頭を下げる。
泰平の世の中では武士の無礼討ちなどめったにあることではなかったが、今は何もかも狂ってきている。暗殺、天誅が日常茶飯事のように起きている京都だった。嘉伊が問答無用で斬られてもおかしくないような物騒な世の中になっていた。
「ご無礼いたしました。どうぞお許しを」
「いえ、こちらもよく確かめなかったから」
その声は低いが暖かく、嘉伊はだんだんと面を上げて、声の主を見た。
浅黒い顔に切れ長の瞳が印象的だった。
「それは刀ですね」
「はい、私どものお店でお預かりしているものでございます」
「そうか、刀屋の人なのか。さっきからなつかしいような気がしていたが、あなた江戸の人ですね」
若者はそう決めつけるような言い方をした。
「はい」
そういえば、この若者も京言葉ではなかった。
「私も江戸から来ました」
と若者は言う。
「江戸に戻りたいですわ。できることなら」
どうしてこの初対面の若者にこんなことを言ってしまったのだろう。
「そうか。京は嫌いですか」
「いえ、京は好きです。それとこれとはまた別のお話です」
若者は笑って
「なるほど。あ、ほら、それも落としてますよ」
嘉伊はいつのまにか懐にはさんでいた財布を落としていた。
慌てて拾う。
若者は邪気のない笑い声をあげて、
「じゃ、気をつけてお行きなさい」
と、目的の場所があるのだろう、先を急いで行った。
その後ろ姿を、しばらくの間嘉伊は見送った。
その日の夕刻、店に入って来たのは斎藤一という侍である。名前を知ったのはつい最近だが、嘉伊は半年ほど前からその若い侍が店に通って来ているのを知っていた。
斎藤が新選組の隊士であることは父親から知らされた。
「新選組でもかなりの使い手やそうや。あの沖田総司と双璧と呼ばれてるらしい」
父親の言葉はかなり京言葉に戻っているが、嘉伊はまだしゃべることができない。
「あの『沖田総司』と。ほんとに?」
池田屋からこっち、新選組は良きにつけ、悪しきにつけ評判になっていた。中でも、「沖田総司」という名は「新選組の剣鬼」として畏怖を持って噂されていた。
「それなら斎藤様はかなりの腕前なんでしょうね」
「せや。そやけど、礼儀にかなったお人やから安心やな」
「『沖田総司』もここへ来ないかしら」
「おうてみたい気もするが。怖い気もするな。きっとおそろしい顔してはるにちがいないわ」
父親が笑って言うので、
「そんな怖いお侍様には会いたくないわ」
と嘉伊も笑った。
斎藤一はいつも整った横顔を見せて、寡黙に座っている。
嘉伊がお茶を出すと、黙礼を返して来た。
斎藤が長い指先で刀の拵えを調べる様は、優雅とさえ言えた。物腰に品があって、嘉伊はいつも彼の前で緊張していた。
斎藤が来るのを心待ちにするようになっていた嘉伊はだまって彼をながめているのが楽しみだった。
ふと斎藤が目を上げて、嘉伊に
「明日、よかったらいっしょに行っていただけないか」
と聞いてきた。嘉伊は驚いて
「どちらへでしょう」
「江戸の親類に送る土産なんだが、私は女物はぜんぜん見当もつかないし、気のきいたものが選べないのだ。よかったらいっしょに選んでほしいのだが」
斎藤といっしょに外出すると考えただけで嘉伊は頬が上気した。
「いいですわ、お供します。と言っても私もあまり京のことは存じませんが」
斎藤と嘉伊はゆっくり歩いていた。
買い物をすませての帰り道である。
小川の流れが美しく、川面が光ってきらきらと道を作っていた。
遠くに子供達のにぎやかな声が聞こえる。
「京はいい町だな」
斎藤が話しかける。
「そうですね。何でもあでやかな感じがしますわ」
「毎日のように斬り合いがあるとは嘘のようだ」
「斎藤様はお役目大変ですね」
「いや、別に」
斎藤との静かな会話は嘉伊をほっとさせていた。
またしばらく無言で歩を進める。
と、その静けさは笑い声で破られた。
小川に入って一人の若者が子供たちと魚を獲っている。
侍だ。袴の裾をたくしあげている。
「ほーら、いちにのさんだぞ」
「おっちゃん、あかんわ」
「何言ってんだい。そうじゃなくて、こっちにかしてごらん」
若者は子供から網を受け取ろうとしてようやくこっちを見ている二人に気づいたようだった。
その若者を間近に見て、嘉伊はそれが町角でぶつかった侍だと気づいた。動悸がなぜか早くなった。
「おい、沖田、私が尊攘派の浪士だったら今頃命はないぞ」
驚いたことに斎藤が愉快そうにその若者に声をかけている。
若者も笑って
「殺気があったらその時はまた別の話さ」
と言って、岸に上がって来た。
てぬぐいを出して、足をふき、袴を整える。きびきびしていて、無駄のない動きだ。
「あいかわらず、口の減らないやつ」
斎藤の笑顔を嘉伊は不思議そうに見ていた。いつも落ち着いていてあまり笑わないのが斎藤だと思っていたのだ。その若者のせいだということは嘉伊にもわかった。
「おや」
若者は嘉伊に目をとめて、
「斎藤が女連れなんてどういう風の吹き回しかな」
と言いつつ、彼女をどこかで見たことがあると言うように
「あなたは」
若者の瞳が嘉伊に注がれたとき、
「こいつは沖田総司と言うんだ」
と斎藤の声が割り込んで来た。
「沖田総司…さま。あの節はご無礼しました」
嘉伊はあわててお辞儀をする。
若者は低く笑って
「ええ、そう、沖田です。そう思い出しましたよ。あなたを」
と言うのだった。
「でも私の悪名を聞いたことがある顔ですね、その顔は」
沖田は嘉伊をからかっているのか、
「どうです?実物は」
と聞いてくる。
「知りません。私、沖田様の悪名なんて」
「二人は知り合いだったのか」
斎藤が二人を見比べるように言った。
「いえ、私がこの方にぶつかってしまった事があるというだけです」
嘉伊が慌てて弁明するように言ったとき、
「斎藤、この人、あわて者みたいだよ」
「え、ひどいおっしゃりよう」
思わずそう言う嘉伊だった。
「嘉伊さん、こいつの言うことをあまり本気にとらない方がいい。何しろこいつはいつも冗談ばかり言ってるやつだから」
斎藤は、沖田にも
「またこんな事をしていると井上さん達に叱られるぞ」
と言った。沖田は肩をすくめる。
ほんとにおかしな人、嘉伊は沖田を見てそう思った。
しばらくして嘉伊の店に斎藤が顔を見せたとき、驚いたことに沖田もいっしょだった。嘉伊は一時店の留守番を任されていた。
斎藤は嘉伊を見るとなぜか謝ってきた。
「すみません。こいつがぜひこちらの刀を見てみたいというので」
「よくいらっしゃいました」
嘉伊は二人に笑顔を見せた。
「商売上手な笑顔ですね」
と沖田は面白そうに言った。
「沖田、失礼だぞ」
斎藤がすぐにたしなめて、嘉伊にも
「すみません」と言う。
「お前、さっきからこの人に謝ってばかりだな」
「お前のせいだろ」
嘉伊は二人をあきれてながめていた。
「これ、見せてもらえますか?」
沖田が手にとったのは、昨夜嘉伊の父が持って帰ってきた、さるお宮から出たと言われる古刀だった。
「はい、どうぞ。まだ研ぎ直しなど何もしていない古いお刀ですが」
「では、拝借します」
沖田は鞘から刀身を出した。
そのとき、嘉伊は沖田の目が細められるのを見た。
沖田は刀身を裏返して再び見入った。
「うん、これはいいな」
「どれ、私にも見せてくれ」
斎藤も沖田から受け取る。
「なるほど、これはいい。高いんだろうな」
「さあ、私ではわからないのです」
「どうもありがとう」
斎藤はその刀を嘉伊に返し、その刀をまだじっと追っている沖田に
「気に入ったのか、沖田」
と呼びかける。沖田は夢から醒めたような顔をした。
「うん、気に入ったな」
「確かにお前に合う刀かもしれん」
「嘉伊さん」
急に沖田に名を呼ばれて嘉伊はびっくりした。
「またここに来ます。それまでその刀、売らないで下さい」
「わかりました。父にそう申し伝えますわ」
「ありがとう。約束ですよ」
「はい。約束しました」
沖田の子供っぽい言い方に嘉伊はつられて微笑んでいた。
斎藤はそんな二人を見て、少し表情が変わった。
今日は祇園八坂神社の縁日だった。斎藤から誘われたとき、嘉伊は迷った。本当なら一も二もなく嬉しさが込みあげてくるはずであったのに。
重ねて誘われて「はい」と承諾したのは斎藤が強引だったわけではなく、
「ちょうど私は非番だが、沖田は巡察中だろう」
という何気ない斎藤の言葉があったからだった。どうしてなのかわからなかったが、斎藤の口から「沖田」という名をもっと聞きたかったのだった。
斎藤は時間通りに迎えに来た。祇園は壬生の新選組屯所からかなり遠いが、斎藤は通い馴れているようである。
通りにはたくさん人出があった。喧騒のなか、人の流れに乗って二人は歩いていた。
「祇園祭りとまではいかないが、いつもここはにぎやかだな」
「私、実は初めてです。八坂さん」
「じゃあ、誘ってよかった」
斎藤は話題を変えて
「あれから沖田はお宅に来たのだろうか」
と聞いてきた。
「はい、ちょうど私が留守の間にお見えになったようです」
そうなのだ。沖田は嘉伊が稽古事に行っている間に来店していた。それを父親から聞かされて、がっかりした嘉伊だった。沖田に会えないことを残念に思う自分を変に思いながら。
しかもあろうことか父親はすっかり沖田贔屓になっており、度々沖田の話題を持ち出してくる。
「あの差し料は沖田様に買っていただくことになったから」
と事もなげに言う。
「あれは無銘やが、たいしたものやで。いま拵えを直してるんや。沖田様に喜んでもらえるようにな」
父親は楽しそうに言った。
嘉伊がそういう事を斎藤に言うと
「そうか」
と斎藤も笑った。
「あいつらしい。あいつにはどこか憎めんとこがあるからな」
そして、嘉伊を見て
「嘉伊さんもそう思うだろう?」
聞かれた嘉伊は困って
「私は沖田様のこと、あまり存じあげないから」
と返答した。
縁日にずらっと並ぶ出店をひやかしながら歩く。
子供に返ったようにはしゃぐ嘉伊を斎藤は微笑してながめていた。
突然、ざわめきが波のように参拝客に広まった。
悲鳴、怒号が切れぎれに嘉伊たちの所まで届いてくる。
斎藤はすぐに反応して
「ちょっと見てくる」
「私も行きます」
もう背中を見せている斎藤を懸命に嘉伊は追った。
そこには倒れている何人かの浪人の姿があった。そして浅葱色の隊服に身を包んだ新選組の隊士たち。負傷している者もいるらしく、止血を受けている。
新選組と敵対して剣を構える浪士が一人。この浪士は見るからに腕が立つ剣客風であり、隊士たちは間合いをつめられないでいる。
ようやく斎藤の側にたどりついた嘉伊は、彼が今にも飛び出して行こうとしているのに気づいた。しかし、新選組隊士の中から、一人が進み出た時、
「あいつがいたな」
と斎藤は独り言を言った。
長身で隙のない身のこなし。それは嘉伊が見たことがなかった「新選組の沖田総司」であった。
構えは平青眼。
対峙して間合いをはかる。
嘉伊はあまりに沖田のことが心配で気分が悪くなりそうだった。でも、目をそらすことはできない。
沖田は別人のようだった。厳しい剣に生きる懍乎とした男の顔で、嘉伊には決して手の届かない人に見えた。
勝負は一瞬。刀を合わせたと見るや、沖田は相手の刀をはねあげ、袈裟がけに斬り下ろした。浪士はその場に崩れ落ちた。
全てを見終わったとき、斎藤は
「天賦の才か」
とつぶやいた。そこにはあらゆる感情が込められているようだった。
沖田は後の指図をてきぱきこなし、隊士たちを先に帰らせている。自分はまっすぐに斎藤と嘉伊のもとにやってきた。気づいていたのである。
「斎藤、人が悪いな。手伝ってくれたら良かったのに」
「そう思ったが、私の出る幕がないじゃないか」
「よく言うよ」
沖田は嘉伊に向き直り、
「嘉伊さん、大変な所を見せてしまいましたが、大丈夫ですか」
「はい、ご無事でよろしゅうございました」
「ありがとう」
沖田は笑顔になった。
「せっかくの縁日が台無しになりましたね」
「でも私、沖田様の剣を見せていただきました」
「あなたには見てもらいたくなかったな」
「まあ、どうしてです」
「鬼の沖田の顔ですからね」
沖田は冗談とも真面目とも受け取れるような言い方をした。
「じゃあ私はこれで屯所に引き揚げます。お二人はどうぞごゆっくり」
お二人と言う言葉が沖田の口からするりと出て、嘉伊は少し心が沈んだ。
「土方さんに報告か」
「ついでに女連れの斎藤に会ったことも報告するか」
「よせよ」
「冗談さ」
「お前の冗談はときどき笑えないよ」
嘉伊はいつもながらの二人のじゃれるような会話を笑って聞いていたが、ふと気づくと沖田が自分を見つめているのに気づいた。その視線の強さに嘉伊はたじろいだ。
「じゃ、嘉伊さん、失礼します」
沖田の目が嘉伊をとらえて離さなかった。
斎藤がそういう沖田を無言でながめている。奇妙に静かな一瞬が流れた。
沖田が去った後、斎藤は嘉伊に優しかったが、嘉伊の目の前には沖田の姿が現れては消えていった。