「片恋−みはる−


 沖田総司は初めて大切なその人をその手に抱きしめていた。彼女があまり泣くので。泣き止んでもらうためには、言葉では足りない気がした。
 彼女が泣いたのは、総司が自分の病のために別れを切り出したからだった。

 その若侍にみはるが出会ったのは家の前に続く小道だった。真夏の日差しが痛いような日だった。若者はこちらに一人で歩いてくる。
 背が高く、高下駄を履いているのでなおさら長身に見える。白絣の着物に袴姿。軽装である。
 若者のまわりだけ別の空気が流れているように、みはるには思えた。近づくにつれてその目鼻立ちもはっきりしてくる。
 切れ長の瞳が一瞬、みはるに向けられ、二人はすれ違った。


 次に出会ったのは医者をしている父親の診療に当てている部屋の前だった。
 彼を見てはっとしたみはるは慌ててお辞儀をした。若者はけげんそうな顔になって、返礼する。
「父の患者さんですのね」
 みはるが思い切って尋ねると、
「ああ、こちらの娘さんでしたか」と彼は笑顔を見せた。
ぱっと輝くようなその笑顔をみはるはその後長い間忘れなかった。
「私、みはると申します」
 みはるの突然の自己紹介に若者は不思議そうな顔になったが、
「沖田といいます」
と素直に答える。
「沖田なんておっしゃいますの」
「総司…です」
「沖田総司様」みはるが繰り返す。
「あなたは江戸の方ですね」
 京なまりがないみはるの口調に沖田総司と名乗った若者は尋ねた。
「ええ、昨年こっちへ来ましたの。父の恩ある方のたっての希望で」
「私も江戸です」
「まあ、沖田様も?」
 まだ会話を続けようとしたとき、みはるを呼ぶ父親の声が聞こえた。
「私はもう診ていただいてので、これで帰ります」
 沖田はあっさり背を向けた。
「あ、お気をつけて」
 みはるは沖田ともう少しいっしょにいたかった。父はなんて無粋なんだろう。でもあの方とお話ができたのだ、みはるは嬉しかった。

 みはるは何となくうきうきとした顔をしていたのだろう、父親の部屋に入ると
「お前どうかしたのか」
と言われた。
「あの、お父様、さっきの若いお侍様、沖田様と言われる方」
「ああ、あの若者か。お前なんで名前を知っているんだ」
「ちょっとお話したのです。さっき」
「新選組の男だよ」
「新選組、まさか」
 先日の池田屋騒動は京の人々の記憶にまだなまなましい。
「それも大幹部だ」
「まあ・・・」
 新選組。それは人斬りと呼ばれる集団なのだ。会津藩御預かりとはいえ、その得体のしれない侍たちは、巷では「壬生狼」と呼ばれている。
「会津藩からの頼みで診たわけだが、どうもいかんな。ただの風邪ではないようだ」
 ただの風邪ではない。それが何を意味するのか医者の娘であるみはるにはわかりすぎるほとわかる。
 この頃の医療はあってなきがごとしで、一般の患者はよほどのことがないかぎり、医者には通わない。医者の免許制度もなく、近代的な医学が確立するのはまだずっと先の話である。
「じゃあ、あの沖田様は・・・」
「労咳だな。まずまちがいはない」
 みはるは目の前がまっくらになった。労咳とはこの頃、死に至る病であった。
「しかし、まだ若い。体力もありそうだから、安静にしておれば、あるいは進行を遅らせることはできるだろう」
「そのこと、沖田様に教えて差し上げたんですね」
「うむ、あの御仁はすでにわかっていたようだな。喀血の経験もあるようだから、自覚症状があったのだろう」
 あのさわやかな若者が死病に。みはるは信じたくなかった。その前では彼が新選組の人間だということは、みはるにとってどうでもよいことだった。

 みはるは仕立物の稽古でいっしょになった友人たちから買物に誘われた。あれ以来いっこうに現れない沖田のことを心配しているみはるは、友人の話にも上の空である。
「なんや、みはるちゃん、ちょっとおかしいわ」
「ほんまや、どうしたん?」
「なんでもないったら」
 友人の詮索をうるさく思いながら、四条の混み入った店のなかで、お目当ての小物を探していると、突然きゃーという叫び声が聞こえた。
「いややわあ、また斬り合いやろか」
「ほんまに。このところ毎日やわ」
 おそるおそる店から表を覗いてみる。みはるも好奇心に勝てず、遠まきにしている人垣の間から、騒ぎの中心を探してみる。
「壬生狼や。また壬生狼か」
 新選組の捕物だった。
 浅葱色に白のだんだら模様の隊服。隊長格らしい隊士が下知している。
 それが沖田総司だとすぐみはるはわかった。とたんに足がふるえる。
 どこかに何日か潜伏していたらしい浪人風の侍が、退路を求めてきょろきょろと辺りを見回している。
 自分が新選組に取り巻かれていることを悟って、切腹しようとしたのだろう、自分で自分の腹を突き刺そうとした時だ。沖田が剣を抜き払い、浪人の刀をはね上げた。
 他の隊士たちは隙を逃さず間合いをつめて、暴れる浪人を取り押さえた。
 沖田が鋭く何か言うと、浪人はうなだれてしまい、縛についた。
「いやあ、あの隊長はん、ええ男はんやなあ」
 友人の言葉にみはるは答えず、沖田の姿を目で追っていた。私服の沖田とは違う厳しい顔は、みはるに強烈な印象を残した。

 みはるは沖田が訪ねて来ないので、父に内緒で沖田へ薬を届けることにした。沖田の薬はいつ来てもいいように調合されていたのである。新選組の屯所が壬生にあることも彼女はつきとめている。
 半刻足らず歩くと、壬生村に入った。人に道を尋ねながら、それでもだんだん沖田のもとに近づいていく実感がわいて、動悸が早い。尋ねられた村人は若い女が新選組を訪ねると知って、あからさまに好奇な目を向けてくる。みはるはそんな目にもつんと肩をそびやかし相手にしない。彼女は生来そういう娘である。
 新選組の屯所は壬生の前川邸である。どんなにいかつい所かと想像していたが、意外にこじんまりとして、拍子抜けするようだった。
 さすがのみはるもいざ門の前に立つと、躊躇してしまう。門番をしている隊士は沖田よりずっと年上のようで、みはるのことを無視していた。
 そこへ中から隊士らしい侍が出てきた。隊服を着ていないので、非番なのだろうか。見るとまだ若い。
 みはるがその若者に声をかけようとすると、また中から人が出てきた。女性である。
 みはると同じくらいの年恰好だった。
 若者はふり返って
「じゃあ、沖田先生には私からお伝えしておきます。本当は、先生はあなたにお会いになりたいのです。やせ我慢されてるんです」
 その娘は笑顔を見せた。みはるが嫉妬するくらいに美しい笑顔だった。
 お辞儀をして若者も門の中に入り、娘も去って行こうとする。みはるは慌てて、彼女の後を追った。
「すみません」みはるの声に驚いたように娘は振り返った。
「あなた、どなたなんですか。沖田様のなんなのです」
 娘は更に驚いている。無理もない。一面識もないみはるから突然無礼な質問を投げかけられたのだ。
 娘はちょっと悲しそうな顔をして、そのままみはるに何も答えず去っていった。
 みはるもまた、彼女が沖田と深い関わり合いのある女性だと直観的にわかっていた。

 みはるはどうしても沖田に会いたかった。あのときは結局会わずに帰って来てしまったが、今日こそ絶対に沖田に会うつもりだった。
 今日の門番はこの間の男ではない。みはるは今度はためらわない。
「すみません」
門番はじろじろみはるを見て、
「なんだ」と横柄に言う。
「沖田様に用があって参りました。取り次いで下さいませ」
みはるは父親の名を出した。
「沖田先生に?ちょっ、ちょっと待って下さい。今聞いてきます」
沖田と聞いて態度が変わったところを見ると、やはり沖田は新選組の中でかなり重要な人物らしい。
 かなり待たされて、門番の隊士が戻ってきた。
「どうぞ、沖田先生がお待ちです」

 案内されたのは沖田総司の自室らしかった。
「沖田先生、お連れしました」
「どうぞ」中から声がする。あの人の声だとみはるは思った。
 入ってきたみはるを見て沖田はびっくりした様子だった。
「これは驚きました。確かみはるさんと言われましたね。あいつが何も言わないから、てっきりお父上の方が来られたのだと思いましたよ」
 おもしろがる風情である。
「まあ、座って下さい」
 沖田は客用の座蒲団をすすめる。
「あの、急にお訪ねして申し訳ありません」
「いや、まあ、びっくりしましたけどね。それで、今日は?きっとお父上はご立腹でしょうね。私があれ以来お訪ねしていないから。悪い患者ですね」
「今日はお薬をお持ちしましたの」
 みはるが差し出した薬を受け取った沖田は
「わざわざどうもありがとう。でもこれからはこっちの小者に頼みます。こんなところまで足を運んでいただいて恐縮です」
 みはるは思い切って、顔を上げ、沖田を真っ直ぐに見つめた。
「私は沖田様に良くなっていただきたいのです。ちゃんと安静にして。薬もきちっと飲んで。そうすれば、きっと良くなると父も申しておりました」
 沖田はそんなみはるの一生懸命な顔を見て、温かい笑顔になった。
「ありがとう。ほんとうに。でも私のことは心配しないで下さい。大丈夫ですから」
 何が大丈夫なんだろう。新選組にいて療養などできるのだろうか。
「じゃあ、籠を呼びます。誰かに送らせましょう」
 沖田が立ち上がった。
「私、沖田様に送っていただきたいですわ」
 みはるは伝えきれない想いをこの言葉に託した。
「私に?」
 沖田はまた笑顔になる。
 なぜそこで笑顔を見せるの、とみはるは思う。なぜ少しでもうろたえてくれないのかしら。
「そうしたいですが、私はこれから公務があります。気をつけておかえりなさい」
 今にも部屋から出ていってしまいそうな沖田を引き止めるため、みはるは必死でこう話した。
「私、私、先日もここへ来ました。門の前まででしたけど。そこで女の方に会いました。沖田様を訪ねて来られた人みたいでした」
「そうですか。あの人に会ったんですね」
 沖田の笑顔が消えるのをみはるは絶望的な思いで見ていた。
「あの方はどなたですか」
なぜそんなことを聞くのです?と沖田は尋ねてこなかった。
 やがて沖田の声がみはるに届いた。
「私の大切な人です」
 それはとても残酷な言葉だった。
「どのように大切な方なんですか」
 まるで自分を傷つけるように、みはるは質問を重ねた。
 沖田は、みはるの真剣な眼差しに何かを感じとったのだろう。
「私は生涯妻を娶らぬつもりです。でも私には生涯あの人だけです」
 みはるの両眼から、ぽろぽろ涙があふれ、伝い落ちた。

 みはるはそれでも沖田をあきらめることができないでいた。
 このやけるような想いはどこから来るのだろう。どうして私ではなくてあの人なのだろう。あの人でなければだめなのだろう。
 気がつくと、また壬生に来ていた。屯所にはもう訪ねる勇気はない。沖田に会えるかもしれないという未練で、その辺りを歩くとお寺があった。門に壬生寺と書かれてある。
 門の向こうには広々とした境内が広がっていた。
 それは神の配慮だったのだろうか。
 大きな木の下に沖田と、そしてあの娘が立っていた。みはるはとっさに見つからないよう物陰に入った。
 二人はおだやかだった。話し声は聞こえない。ただ静かな笑顔を交わしている。信頼に満ちた眼差しで見つめ合っていた。
 みはるには、その二人が余人には触れることが許されない神聖な姿に見えた。

 みはるは壬生寺をそっと後にした。
 眼からまた新しい涙が流れ出る。でも今度の涙は、流れ出るたびにみはるを浄化してくれるような気がした。

 沖田総司はその人のために生きる決意をしていた。彼女は何が起きようと総司と生きることを望んだから。
 二人に残された時間は短くとも、それは永遠に近い時間ではなかったろうか。
 総司の手が彼女に伸びて、やがて影がひとつになった。


「千駄ヶ谷の家」