楠木小十郎の死は山野八十八にとって思った以上に衝撃だった。好ましい男ではなかった。むしろ敬遠したいタイプの男だった。けれど彼が長州の間者で沖田総司に斬られたことが、悲しみに似た気持ちを八十八の中に残していったのだった。
そういう山野の気持ちが剣に表れてしまうのだろうか。道場で沖田に対したとき、恐れが生じた。ある意味それは、ただがむしゃらだった山野に、剣を見る目がわずかながらもできてきたということなのかもしれなかったのだが。
山野はつい、いつもはなんとか受けきれる種類の打ち込みをまともに身体にくらってしまった。
「山野」沖田が倒れた八十八を見下ろしていた。
「何のために剣を持っている」
それは今まで聞いたことのない冷たい声だった。
「沖田先生」
「剣を持つということにはそれだけの覚悟がいる。覚悟のない者に教えるほど、私は暇ではない」
山野は沖田と目を合わせられなかった。
山野の人を斬ることへの原始的な恐怖を沖田自身は理解していたのだろうか。あるいは彼自身が通った道だったのか。
山野は沖田から手を差し延べてくれることはないと分かっていた。これは誰かに助けてもらうことができない八十八自身の問題だった。
非番の日、屯所界隈を散策していると、壬生寺の裏手にあたるところに水茶屋が開いているのをみつけた。寒くなってきたので、甘酒でも飲もうと店に入ると、驚いたことに甘味屋にいた娘が応対に出てきた。
お波も山野のことを覚えていたらしい。
「おひさしぶりどす」と笑顔を見せた。
お波はあの菓子屋は親戚筋の店でときどき手伝いにいってるのだと説明した。本来はこの水茶屋がお波の家である。
「なんや、元気がないこと」
「そう見えるか」
「見えます。でもお勤めきついんやろね」
「別にきつくはないが」
「そうやろか。なんやいやなことがあったようなお顔してはるわ」
この娘に見透かされているようだ。
そのとき、「あ」とお波は山野の肩越しに、入って来た男に向かって
「山南先生、おいでやす」
と明るい声をかけた。
山野もあわてて振り向いて、総長の山南敬助の姿を認め、礼をした。
山南は北辰一刀流免許皆伝の後、近藤の天然理心流に入門しなおしている。仙台藩脱藩者で学問も武芸も一流の人物だった。隊内での人望も厚い。
「甘酒を頼む」と山南はお波に笑顔で注文してから、山野に
「君もどうだ、いっしょに」
「ありがとうございます。ちょうど欲しいと思ってました」
「そうか、じゃ、二つ」
山南と山野は向かい合って腰をおろした。
「どうだね、もう慣れただろう、ここの暮らしには」
「はい、なんとか」
「確か総司が君を島原から連れて帰ってきたことがあったね」
「その節は本当にご迷惑をおかけしました」
山野は思い出して赤くなった。
「君はまだ若いからね。総司も剣術にかけちゃ厳しいとこがあるが、いい奴だからね。自分には弟がいないんで君のことを気にかけているようだよ」
「そんな、もったいないです」
山野はびっくりしてそう言った。
「私が初めて総司に会ったのは、そうだな、総司が君よりももっと若い頃だった。まだ少年といっていい頃かな。近藤先生の道場で修行中の身だったよ。でもその頃から他の門人とは全然違っていたと思うよ。稽古の激しさはもうその頃からだった。あいつは人の稽古にも厳しいが、自分の稽古はそれ以上だったな。いつも打撲傷だらけの身体をしていた。なんでそんなに無理するんだと一回怒ったこともある。私も近藤先生の道場にころがりこんでいたしね、身近に見てるとつらいんだよ。でも総司は無理してやってるんじゃなくてこれが自分にとって自然なことなのだと言ったよ。剣が彼をそうさせたのかもしれないな。しかし普段は陽気な男だ。京都に来てもあの性格はぜんぜん変わってないようだが」
甘酒をいっしょにすすりながら、山野は沖田の少年時代を想像してみた。激しい稽古、剣に魅入られた沖田。今、人を斬らねばならない沖田。そして自分もこれから人を斬っていくのだろうか。この新選組で身を立てるということはそういうことなのではないか。
山南はその後気軽に世間話を始めた。世間話といっても学識が豊かな山南である。山野の知らない時勢のことや学問のことなど、わかりやすく話してくれた。山野は時間がたつのも忘れて聞き入るうち、ふと、このような穏やかな人は新選組に似合わないような気がした。それは不遜な考えのように思われてすぐうち消したが、山野はその後ずっとその印象を持ち続けた。
この頃になると毎月決まった手当もでるようになり、山野も故郷のことを考えるゆとりが出てきている。養子にいった上での脱藩で、ずいぶん養父に迷惑をかけたことだと思う。
しかし養父が外に実子を作り、それで八十八も思いきることができたのである。許してはくれまいが、便りでも書いてみるかと思った。自分がここで立派にやっていると知ったら、怒りはとけないまでも、安堵はしてくれるだろう。
隊士たちは手当が出ると大喜びで島原などの遊郭へ遊びに行ってしまう。それは平隊士、幹部の区別はない。
副長の土方もかなり盛んに遊び歩いているようだ。また実際彼は妓たちによくもてた。平隊士の山野のところにもその数々の艶聞が聞こえてくる。
沖田は遊郭で遊ぶより、壬生寺でぼーっと過ごす方が性にあっているのか剣士として酒量をひかえているのか、あまり遊びに出ないようだった。
近藤はよく二条城や黒谷の会津本陣に出かけていって、情勢の説明や折衝を行う。その護衛に沖田や斎藤たちも同道することがあった。近藤は騎馬で数人の従者を従えていた。今ではもう立派な大身の武家姿である。
文久四年一月、将軍家茂の二度目の上洛警護のため、新選組は大坂に下坂する。
一月八日に家茂は大阪城に入城。将軍の京都二条城入城まで新選組も警護を続けるためその後も大坂に滞在していた。そこに船場の呉服商岩城升屋が助けを求めてきたのだ。
岩城升屋は老舗で大坂でも有名な呉服商であった。店の裕福さに目をつけた浪士たちが借金の強談に来たという。いったん穏便に出直してくるよう頼むことができたが、いつまた戻ってくるかわからない。新選組に取締りを願い出てきたのだ。
あまり猶予がなく、しかも副長助勤たち幹部は皆出払っていた。そのとき大坂屯所としていた万福寺には土方、山南の二人の幹部しか残っていなかったのである。
「我々が行くしかないな、これは。まさかここを無人にして行くわけにもいかない。何人か残すとして、連れていけるのは二人くらいか」
土方の頭の中には早速段取りができあがっていた。山南も
「それしかないだろう。二人で出るのは江戸のけんか以来じゃないか」
「ふふ、あのときは無茶したな」
土方、山南は試衛館以来の仲間であった。性格はまったく違う。考えも違う。しかし仲間意識は強くある。京に来てから立場が重くなってしまった二人は、近頃あまり打ち解けて話す機会がなくなっていたが、こういう場合はお互いを信用できた。
連れていける平隊士の中に山野八十八も混じっていた。
「斬り合いになるから覚悟しとけよ」
と山南は緊張した山野の若い顔に声をかけた。
「よし、俺が合図したら飛び出して相手を斬れ」
簡潔に土方が指図する。
岩城升屋の店内である。ふすまで隔てた奥の間に隠れて浪士たちを待っていた。鉢金付きのはちまきをし、鎖を着こんでいる。山野は手のひらに汗をかき、どくどくと心の臓が鳴るのが耳に聞こえてきそうだった。
土方が何を思ったか山野の鉢金に手を伸ばした。
「ずれてる」
「すいません」
山野があわててはちまきを結び直そうとすると
「あまり緊張するな。いざというとき力がだせないぞ」
「はいっ」
鋭く気を配る土方を見ているうちに山野も落ち着けるようになった。土方の指揮官として部下に与える安心感は大きい。
浪士たちが五人ばかり、どやどやと入ってきた。日々の暮らしがそうさせるのか、荒廃した雰囲気の男たちである。
それを見て、すぐに番頭が対応に立った。なかなか度胸よく、にこやかと言っていいほどなめらかな口調で挨拶をしている。
土方は様子をうかがいながら、飛び出すタイミングを計っていた。
浪士のリーダー格と思われる男が
「借入を申し込んだ金子の用意はできているのか」
と居気高に言う。
「はい、ご用意させてもらってます。今すぐこちらへ」
番頭がそう答えると、浪士たちは肩の力を抜いた。番頭が立ち上がって奥へ引っ込み、同時に土方は「行くぞ」と走り出た。
「京都守護職会津侯御預り新選組である。詮議のためご同道願おう」
驚愕したのは浪士たちである。金の工面がついたと思い、ほっとした時にいきなり現れた新選組に逆上した。逃げるより、抜刀したのである。
斬りかかってきた最初の一撃を土方ははねあげて、大上段から斬りおろした。血煙が上がってどぅと浪士が倒れる。その時には山南たちも土方の後に続いて斬り込んでいる。
山野八十八は必死で闘っていた。無我夢中とはこのことをいうのだろう。自分に振り下ろされる白刃。それを受け止め、はね返す。打ち合うその衝撃は、なぜか沖田との稽古を思い出させた。山野は自分がどういう剣さばきをしているのか、もうわからなかった。
そのとき、山野の目前にいた浪士が後ずさりをして、バランスを崩した。好機と見た山野は眼前の相手しか見ていなかったため、別方向から身体ごとぶつかられて、自分もかたひざをついてしまう。そこへ敵の剣が容赦なく振り下ろされた。山野はその一瞬をスローモーションのように知覚した。
刃はまちがいなく自分の頸動脈をねらって落ちてくる。自分は無理な体勢のため、それを防ぐことはできない。刃が首に当たる瞬間を予想する。
しかし、刃は落ちてこない。山野のすぐ側にいた山南敬助が敵の刀を払ったのである。そのとき山南の刀が折れてしまい、刃先が宙を飛んだ。
山南に生じたその隙を見逃さず、別の浪士の刃が山南の左を襲った。山南の左の袖口からどくどくと血が伝わり落ちた。
山野は体勢を立て直して、がむしゃらにその敵にぶつかっていった。
山南はかろうじて右手のみで折れた刀を握りなおしたが、耐えきれずその場に崩れ落ちた。山野は山南を庇いながら必死に防戦につとめる。
「山南さん、だいじょうぶかっ」
土方の声が聞こえる。同時に浪士のうめき声が上がった。
浪士、三人即死。二人が深手の上、逃亡した。
山南を止血を終えた土方が、「よくやった」と、山野の肩をたたいた。
沖田が手勢をひきいて飛び込んで来たのはそのときだった。
「土方さん。聞いてすぐにかけつけたんですが」
そして倒れている山南に気づいて、顔色を変えた。
「山南さん!」
「総司、今医者を呼びにやってる」
土方が無念そうに言う。
「大丈夫なんですか」
「わからん」
山南は左肩から左腕にかけて斬られていた。かなりの深手である。医者が呼ばれたが、当時は外科手術や輸血などの医療を受けることはできない。絶対安静だった。
山南が運ばれて行った後、沖田は山野にこう言った。
「山野君、剣を持つ覚悟、やっとできたようですね」
山野はそのとき緊張が解けたのか、危うく涙ぐみそうになったのだった。
山野は山南の病室に詰めていた。
山南はまだ眠っている。
隊士たちがそっと見舞いにくることも多い。
近藤勇もすぐにかけつけてきた。
「山南さん、しっかりしてくれ」
青ざめた山南の顔を見るなり、枕元にがくっと膝を落とした。
「早く良くなってくれ」
いかつい手で目頭をこすっている。
怪我をした同志を心配して涙を浮かべる局長に山野は心を動かされもし、同時にこのように感情をあらわにする局長に正直驚いている。
近藤は部屋の隅に下がっている八十八を見つけ、
「充分に看護してやってくれ」と頼んだ。
「はいっ」
言われるまでもなく、山野は決心していた。山南は自分を助けようとして怪我をしたのだ。出来るかぎりの看病をするつもりだった。
翌日山南は意識を取り戻した。傷が痛むのか少し顔をしかめた。
枕元に座っていた山野はすぐに気づいて、
「山南先生、痛みますか」
山南は自分をのぞきこんでいる顔が山野だとわかったようだった。
「いや、だいじょうぶだ。ここはどこだ、いや、ここは大坂だな」
声には力がなかったが、目に光が戻ってきていた。
「ここは大坂の屯所です。山南先生、私は先生に命を助けていただきました。それなのに何もできなくて申し訳なく思っています」
「それはお互いさまだろう。ああいう場合、誰でもすることだ。我々は同志なのだから」
山南はそう言って、また眠りに落ちたようだった。
山野は山南の「同志」という言葉をかみしめていた。
やがて、将軍が京へ向かうためそのお供で新選組も京へ戻ることになった。沖田と藤堂平助はその間病室にたびたびやってきて、山野と看病を交替することもあった。
幹部は京に戻らねばならないが、平隊士の山野は大阪に居残って山南の看病を続けることの許可をもらっている。
京へ戻る前に病室を覗いた沖田が
「山野君、山南さんのことよろしく頼みます」
と言ったとき、眠っていたかに見えた山南が目を開けて
「総司、戻るのか」と聞いた。
「起きていらしたんですか。今日、伏見に立ちます」
「そうか、せっかくのご上洛に、こんな様とは。情けないよ、総司」
「ご奉公の機会はこれから先何度でもありますよ。今は余計なことを考えないで、怪我を治すことを一番に考えて下さい」
山南はうなづいたが、無理にでも起き上がろうとする。山野は
「まだだめです。傷口が開きます」と必死で止めた。
沖田も山南の傷にさわらないように、彼を押さえて
「山南総長、聞きわけのない子供のようなことはしないで下さい」
と半分冗談口で、その実真剣な表情で言う。
「私が看病で残れるのなら、びしびし言い聞かせてあげるのだけど。私の代わりにこの山野君を残していきますから、この人を私だと思ってちゃんと言うことをきくんですよ」
山南は苦笑してうなづく。
やがて藤堂も病室に来た。彼からは香をたきしめているのかいい香りがした。
「山南さんの分まで将軍家の警護を勤めてきます」
と藤堂は明るく言う。
「頼もしいことだな」
と山南は沖田と藤堂をながめながら笑った。
その後、沖田は面白い話ばかり選んで山南たちを笑わせた。途中で土方も入ってきて「ずいぶんにぎやかだな」と言う。
「総司、山南さんの邪魔してるんじゃないか」
「邪魔?とんでもない。私は山南さんに無理をされないよう言い聞かせていたところですよ」
「お前が言っても真実味が薄いな」
「私も総司に言われるようではおしまいだと思ったよ」
病床の山南までそう言って「ひどいですよ、山南さん」と沖田をくさらせた。土方や藤堂も笑っている。
山野はそんな彼らを一歩下がってながめていた。
彼らは普段あまり情愛を表に出さないが、何気ない会話からそこにお互いへの信頼がうかがえた。しかし彼らはまた一方で、暗殺剣をふるい、人を斬る。そのことと彼らの人格は矛盾しないのだろうか。
山野は無我夢中だった真剣での斬り合いを思い出した。そこには人格など入る余地がない。生命と生命のぶつかり合いだけだった。自分もせいいっぱいぶつかって、それでもまだ生命があったなら、この人たちと生きて行こうと山野は思った。まだ決意とまではいかない、漠然とした思いだった。
沖田や土方が去った後、病室は寂しくなった。
山南の復帰はまだ先だが、壬生の新選組に日常生活が戻ってきている。
「また行くのか」
副長の土方歳三が出かけようとした沖田を呼び止めた。いつもみなりに気をつかう土方らしく、一筋の乱れもない。見ればそれでもあわてていたのか、筆を持ったままだ。
「土方さんこそ、また句吟ですか」
沖田はいたずらっぽい目で、土方の筆に目をやった。
土方は気づいて、
「ああ、うん」とこの男らしくなく照れた表情を見せたが
「そんなことより、総司。お前このごろ暇があったらどっかへ行ってるな」
「私だって行くとこぐらいありますからね」
「どこだ」
「内緒です」
「調べるぞ」
沖田はあきれたように土方を見やった。
「監察方でも使うつもりですか。別に変なとこに行くわけじゃないですよ。第一、幹部は休息所を持っても許されるんじゃなかったんですか」
「休息所……」
土方はあきらかに衝撃を受けたようだ。
「お前、それ届け出てるのか。どこだ。私は聞いてないぞ」
「当たり前でしょう。私は休息所なんて持ってませんから」
「なんだ、お前は俺をからかってんのか」
「ものの例えですよ。じゃ、私は急ぎますから」
そう言って、沖田は土方が呼び止めるのを聞こえないかのように出て行った。
土方は山崎蒸を呼びつけた。
「総司がこのごろ通っていく非番の時の行き先を探ってくれ」
例の如く土方は単刀直入に用件を切り出した。
それを聞いたとたん山崎はいやそうな顔になった。この男にしては珍しいことである。
「沖田さんの後をつけるんですか」
「不服か」
「見つかったら、またえらい目にあいますわ」
「見つからないように探るのがお前の役目だ」
そう簡単にいかないくらい土方ならわかりそうなものだと山崎は思う。沖田は隊内一の剣客で、その勘は異常に鋭い。
以前、幹部の非番の行動を探るため、自主的に幹部を見張ったことがある。しかし、沖田にはすぐみつかってしまい、挙げ句の果てに壬生寺で子供と半日遊ばされ、その後沖田の有名な荒稽古につきあわされてしまったのだ。
「とにかく探ってくれ」
有無を言わせない土方の命令だった。
山崎は副長室を出て深いため息をはいた。
「土方副長は沖田さんのことになるとなんや別人のようやな」
思わず独り言をつぶやいた。
沖田を心配しているもう一人の男。それは斎藤一である。
「この頃の総司さんはなんかおかしい」
斎藤が珍しくこんなことを言い出したので、世話やきの永倉新八が
「沖田君なら別に何がこようと心配いらんだろう」
とすぐ相手になった。
「あの人はああ見えて、ずいぶん無防備なところがあるんです」
「悪い女にひっかけられたりしてるかもしれないってことか」
「まさか」
「じゃあ、なんだい」
「悪い男です」
「えっ?」
永倉がぎょっとした顔をした。
「沖田君が悪い男にひっかけられてるというのか」
「ええ」
と斎藤はうなづいてから、あわてて
「違いますよ、永倉さん、何言ってるんですか」
「そうだろう、びっくりしたよ」
「悪い男とは医者ですよ」
「医者?沖田君はどこか悪いのか」
「そうじゃなくて、その医者は元は武士だったらしく、その医者の持っている剣に総司さんがご執心なんです」
「それはずいぶん酔狂なことだな。沖田君は他に業物を持ってたんじゃなかったかな」
「それが、その刀にすっかり惚れ込んでしまったようなんですよ」
「じゃあ、買いとればいい。お手当だって沖田君はあまり遊ばんから、たまってるだろう。それに近藤先生に言えば、他ならぬ沖田君の刀だ。一も二もなく買ってくれるだろう」
斎藤はかぶりを振った。
「その医者は売らんと言ってるんですよ」
「先祖伝来の刀ってとこか。いったい沖田君はいつその医者と知り合ったんだろう」
「さあ」
なぜその医者と沖田が知り合ったのか、それは斎藤にもわからなかった。
斎藤は、沖田が普段、極端に執着心が薄い性格だと知っている。ただ剣の道以外では。今回は刀がからんでいるのでややこしいことになりそうだった。