壬生の独楽歌(こまうた)
作・磯宮実里
(一)
春には一面に菜の花畑が続くという壬生村も今は秋の彩りの中にあった。
松本喜次郎が巡察から戻ってくると、坊城通りは子供達の声で騒がしかった。
京都守護職会津候から京の市中巡察の内命を伝えられ、隊名も新選組とした壬生浪士組は、不逞浪士の捕縛、幕府要人の護衛に奔走している。苛烈な役目だが、入隊希望者は後を絶たなかった。動機は様々である。
松本喜次郎もそんな一人だった。泉州岸和田の出身。れっきとした武家に生まれていたが家を継ぐ身でもなかったため、若さにまかせて飛び出してきてしまった。まだ二十歳前である。
隊伍を組んでの巡察とはいえ、その間は気を抜けない。屯所のある壬生に戻ってくると、心なし肩のあたりが軽くなった。
「おっ、独楽まわしか」
四、五人の男の子が独楽に興じていた。独楽は木製で色づけされている。心鉄に紐を巻き付け、投げると同時に紐を引いて回す。こつがいるが、慣れてくると相当長く回していられるようになる。
今も複数の独楽が道端で回っていた。どれが一番長く回るか競っているのだろう。
喜次郎は小さい頃、貝独楽で遊んでいたことを思い出した。貝独楽は巻き貝の上半分をとって中に鉛を入れたもので、空櫃の蓋などで作った入れ物に投げ入れて回す。はじき飛ばされたら負けで、勝者は負けた貝を自分のものにできた。喜次郎はこれが得意でたくさんの貝独楽を持っていたものだった。後で母親に見つかって叱られたのだが。
激しく回転した独楽が勢い余って、喜次郎の足下に飛んできた。喜次郎は避けようとしてつい蹴飛ばしてしまった。独楽は大きくはずんで、転がっていく。
それを見た十歳ほどの少年が喜次郎をにらみつけてきた。新選組が屯所として借り受けている屋敷の主、壬生の郷士八木源之丞の息子だった。近在の子たちの大将らしく、いつも輪の中心にいた。
喜次郎は負けじとにらみ返した。なるべくいかめしい顔をしてみせる。
喜次郎の怖い顔も少年にはまったく通じないようだ。
「じゃまが入ったわ。あっちでやろ」
平然として独楽を拾い集めるように他の子に指図する。
「みんな、いこ」
子供達は少年の後に従順について行く。おそらく壬生寺かどこかの空き地に場所を変えるつもりだろう。
「生意気な小僧や」
喜次郎は子供相手に本気で腹を立てていた。
「あの子は八木さんとこの末っ子やな。沖田先生が可愛がってるみたいやぞ」
と一部始終を見ていた同輩、伊木八郎が喜次郎に言った。喜次郎と子供の取り合わせがおかしいのか笑いをこらえている。大坂出身で年も近く喜次郎とは気があった。
「そういえば沖田先生はよく子供と遊んではるな。あんな子らと遊んでどこが面白いのやろ」
喜次郎が首を傾げた。伊木もうなづく。
「さあな。沖田先生のことは俺にはさっぱりわからん。島原で騒いだほうがよほどええけどな。ああ、小菊」
「小菊って誰や」
馴染みが出来るほど頻繁に島原に行けるほどの金は、新入隊士には入ってこない。伊木のでまかせかと思っていると、
「この間芹沢先生に連れて行っていただいた。そのときに知り合った妓や。君は行かへんかったんやな」
筆頭局長である芹沢鴨はときどき隊士たちを連れて豪遊する。伊木はそのお相伴にあずかったのだろう。喜次郎はたまたまその時他の用事で不在だった。
「残念やったな、松本。でもまあ近いうちに角屋で隊の宴会があるらしいし」
「ほんまか」
「そや、そう芹沢先生が言われていた」
角屋は島原遊郭の揚屋で、これまでも度々新選組の宴席が設けられていた。他の古参隊士の口振りから、隊の結束を固める祝宴のようなものだと察せられた。
しかし密かに楽しみにしていた喜次郎が参加することはできなかったのである。新米のうちの一人なので、もう一つの屯所である前川邸の当直を命じられたのだ。
「不運なやつ」と伊木から同情されたが、喜次郎は落胆の色を強いて隠した。何かを求めて行き場のなかった自分が、初めて新選組に拠り所を見つけた思いでいる。こんなことぐらいで不平を言うつもりはない。
朝から降り続く雨はいったん上がり、また夕刻から降り始めている。
あてがわれた表玄関脇の小さな一間で、喜次郎は気を張りつめて過ごしていた。夕方からの数刻を一人で受け持つのだという気負った気持ちが表に出ているところなど、青いとからかわれても仕方ないだろう。
しばらくして雨の中を、石畳を抜け大きな長屋門の外まで出てみた。陽が落ちると誰もいなくなる静かな通りのままだった。何かが起こってほしいとは思っていないが、張り合いのないことではある。
数刻後、予定通り隊士達は良い気分で戻ってきた。飲み過ぎで朋輩に抱きかかえられている男もいる。伊木など喜次郎に一声かけて通り過ぎる者もいた。例外なく上機嫌で、今宵はよほど楽しかったのだろうと喜次郎は少しだけ羨んだ。
帰還のにぎやかさがしばらく続き、それが終わると屯所内は元通りしんとした。
ともあれ何事もなく終わったのだ。明け方までまだまだ時間があるが、一番警戒すべき時間は過ぎた。少なくとも喜次郎はそう思った。
外は雨が間断なく降り続いている。大きな雨音が戸を通しても聞こえてくる。
喜次郎は行儀良く割り膝で坐り、この長い夜をどうやって過ごそうと考えていた。
普通当直を単独で行うことはないのだが、今日は特別なのだろう。それだけに仮眠をとることはできないと覚悟した。
「ちょっといいかね」
突然、後ろの戸が開いて声がかかった。
喜次郎はびっくりして振り向き、そこに実直そうな笑みを浮かべた井上源三郎が立っているのを見つけて、二度驚いた。
井上は隊の幹部である。副長を補佐し、副長に次ぐ役目である副長助勤を勤めていた。若い喜次郎の目にはかなりの年輩に見える。局長の近藤勇や副長の土方歳三とは江戸からの同志で信任も厚く、新入りの喜次郎が気安く話せる相手ではない。
「これをあんたに、と思ってな」
井上は持ってきた大きな徳利を数本、喜次郎の前に置いた。
「今日は残念だったな。せっかくの宴会だったのに」
「いえ、お役目ですから」
喜次郎は固くなって井上に言葉を返した。
「殊勝な心がけだ。こんな殺風景な場所で悪いが、これで少しは気を紛らわしてくれ」
喜次郎は辞退したが、井上は言い出したら聞かなかった。喜次郎などがたちうちできるものではない。
「今夜は新しい門出なのだ。近藤先生や土方さんも承知だから」
等と言う。
「え?でも私は当直です」
「まあ少しくらい飲んだってどうってことはないだろう。武士たるもの、どんな状態でも役目を果たすくらいでないといかん」
「そ、そうでしょうか」
喜次郎の頭の隅で疑問符がわいていたが、井上にここまで言われると、頑なに酒をこばむ自分が笑われそうで、とうとう盃をとってしまった。
遠くに声が聞こえた。喜次郎はかろうじて座っているだけの状態だった。
「井上さん、そろそろですよ」
井上がその声の主に何か答えたようだが、酔っぱらっている喜次郎にはよく聞き取れなかった。
「手こずってますね。どれどれ」
行灯の光の中で、黒い目が喜次郎を覗き込む。総てを見透かされるようで、それをつかまえようとして喜次郎は手を振り回した。
「仕方ないなあ」
声に苦笑がまじる。
「ちょっと手荒だが、勘弁してくれよ」
そのとたん、喜次郎はみぞおちに衝撃を受け、その場にうつぶせになった。
「何もこんな回りくどいことをしなくても」
「しかし今夜だけ当直を置かないわけにもいかんしな」
嘆息と共に井上の声がして、それきり辺りは闇につつまれた。
深夜、喜次郎が周囲の騒がしさで目覚めたとき、総ては終わっていた。
通り一つ隔てた八木邸に分宿していた芹沢鴨と、その腹心平山五郎が斬殺されたと聞かされて仰天する。
芹沢たちは女と同衾しており、おまけに今夜の酒席でかなりの酩酊状態だったと言う。 賊は長州浪士だと推定された。
井上に勧められた酒を飲んでいたことがうっすらと思い出されたが、徳利は消えている。
喜次郎を職務怠慢で責める者はいなかったし、上から問いただされることもなかった。しかし喜次郎本人には悔やんでも悔やみきれない思いが残った。
賊は八木邸に侵入したのだし、仮に夜通し起きていたとしても、喜次郎には何もできなかっただろう。けれど勧められるまま酒を飲んでいなければ、せめて賊の姿形なりとも目撃できた可能性があったのではなかろうか。
二日後、前川荘司邸では盛大な神葬が執り行われていた。
先ほどから名実共に唯一の局長となった近藤勇の長い弔辞が続いている。
近藤は、白い奉書紙を広げ読み続けていた。武骨ながら哀悼の念にあふれており、それがその場の粛々とした雰囲気を盛り上げていた。
喜次郎は数十人いる参列の隊士たちの一番後ろでうなだれていた。生来色黒の顔が今はたいそう青く、小柄な肩を落としている。
「芹沢先生っ」と、前方で誰かが太い泣き声をあげた。
喜次郎ははっと目を上げ、泣き声の主を確かめようとしたが果たせず、前よりいっそう深くうつむいた。
やがて玉串奉奠(ほうてん)という段になって、やっと喜次郎は顔を上げた。弔問の会津家中の武士や紋付き姿の隊の幹部達が立ち上がって前に進み、玉串を奉じて二礼二拍手一礼を行う。葬式ではしのび手にするのが決まりだった。
八木源之丞もいる。八木家の下の息子が事件に巻き込まれて怪我をしていると聞いた。あの独楽を回していた少年だ。それも喜次郎の気を重くさせていた。
今、神妙に拝礼する井上源三郎をなじる気持ちはない。大切な役目中に酒を飲んでしまった自分が悪いのだ。
亡くなった芹沢には喜次郎は何の感情も持っていなかった。それでも筆頭局長を失ったこの組織が、これから先上り調子になるとは思われず、喜次郎には自分の責任のように思えてくるのだった。
思いの中に沈んでいた喜次郎は、ふと誰かに見つめられている感触を覚えた。
気のせいではない。黒い二つの眼。井上の後で拝礼を終えた人物が喜次郎を見ていた。
背が高く精悍な男。井上と同じ副長助勤の沖田総司だった。
喜次郎より数才年上の若者だが、剣の腕前は比べ物にならない。いや喜次郎だけでなく沖田と肩を並べられる剣客がどれだけいるだろう。彼にはいわゆる天賦の才があり、激しすぎる稽古で道場では新入隊士からもっとも恐れられていた。
沖田は喜次郎と視線が合うと、実に自然にそれをはずし、二度と振り向かなかった。
「千駄ヶ谷の家」 