文久三年春。京都、壬生村に江戸から将軍警護の目的で浪士団が上洛し、一部の者がそのまま居着いてしまった。それがついに京都守護職会津候御預りの壬生浪士組として、京都の治安維持に当たるようになる。後の新選組である。
文久三年七月。真夏である。浪士組の屯所となった前川邸は珍しく落ち着いている。
沖田総司と同室の井上源三郎は江戸の小流派である天然理心流同門の先輩で、沖田より十三以上年上である。あまり物事に頓着しない総司の面倒を何かにつけてみてくれているが、小言が始まると長いので、総司はいつのまにかいなくなる。
新入隊士の山野八十八が呼びに来たときもちょうど沖田は部屋にはいず、井上一人、机に向かっていた。小太りでしゃがれた声に特徴があった。
「総司ならいないよ」とやれやれといった風情で井上が言う。
「どちらへ行かれたのでしょうか」
「さて、どこへ行ったかな。じっとしてない奴だから。それにしてもあんたは見慣れない顔だね。新しい人かい?」
「はい、本日から入隊となりました」
「まだ若い人だね。がんばりなさいよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
山野は固くなって頭を下げた。
入隊はしたもののまだ要領を得ず、山野は緊張の連続だった。自分の部屋は四人部屋の相部屋で、部屋に案内されてから、厠へ行こうと廊下に出たときに、呼び止められたのだ。振り向くとさっき挨拶したばかりの副長の土方歳三だったので驚いた。
「ちょうどいい。その先を右に行った部屋に沖田がいるはずだ。いなかったら捜し出して私の部屋まで来るように言ってくれ」
有無を言わせない口調。くっきりとした二重の目が鋭く、美男だったがその印象以上に峻厳で、山野は何も聞き返すことができなかった。
土方はそれだけ言うとさっさと行ってしまう。
部屋にいなかった沖田をどこで捜せばいいのか途方にくれていると、新入隊士の案内役をしていた永倉新八が通りかかった。
彼は穏やかそうで、新入りの山野でもものが言いやすい雰囲気を持っている男だった。鼻が長くて小さめの目がユーモラスだ。二十代半ばというところだろうか。
事情を聞いた永倉は
「沖田君は新しくできた道場にいるかもしれないな。あいつ喜んでいたから。向かいの八木さんの家と離家の間にある新しい建物だよ。すぐわかるだろう」
と門の方を指さした。
道場は真新しくまだ木材の香りがした。道場なのに妙に静かだ。中には七、八人の隊士たちがいて、中央の二人を除いて皆座っている。
山野は入口で逡巡したが一礼して、入口近くに座っている隊士に近寄って行った。山野が口を開く前に
「斎藤先生と平間先生の練習試合だ」と言う。どうもこの試合が終わるまでは山野の用件どころではないらしかった。
先生と言うからには幹部たちなのだろう。驚いたことに面を着けていない。しかも木刀である。実戦に重きを置いた練習をすると聞いていたが、怪我どころでは済まないのではないか。
山野も腕に多少自信があった。山野の見るところ黒い袴を着用した背の高い男が相手の男を飲んでかかっているように思えた。幾度か刀が交わされたが、それは彼が相手の刀を受けてやっているようにも見える。力量の差はかなりある。
と、その時、ダンと強い音とともに一方の刀が弾かれた。それが見事に一直線に飛んだので、思わず山野は笑顔を見せてしまった。負けた男と目が合ってしまい、相手の顔が険悪にゆがめられた。しまったと思ったがもう遅い。
「お相手ありがとうございました」
低音の良く響く声がし、自分の木刀を持ち替えて背の高い男は一礼する。
「さすが斎藤先生だな」
と山野の隣の隊士が感心したようにつぶやいた。とすれば、負けた方が平間なのだろう。
平間は露骨に斎藤をにらみつけ、木刀を拾おうともせずに道場から出て行った。斎藤はそれを無視して、
「よし、各自稽古始め」と涼しい顔で言う。色白で品のいい顔立ちだった。
山野の隣の隊士は今初めて彼を見つけたように
「ところで、貴殿は?」
「失礼しました。本日入隊しました山野八十八です」
「俺も十日ばかり前に入隊したんだ。藤本彦之助、よろしく。でも入隊したその日に道場に来るとは熱心なことだな」
藤本はすぐ打ち解けた表情になった。山野は慌てて
「いえ、土方先生に沖田先生を捜すように言いつかったのです」
「副長に?すごいな。俺でもまだ直接しゃべったことはないぞ。沖田先生は今日はこちらではないようだな」
二人がしゃべっているのが目立ったのか、斎藤が
「そこの二人、何してる」と声をかけて来た。
「斎藤先生、沖田先生を捜しているそうなんです」
「山野と申します。お稽古中、おじゃましました」
斎藤は何を考えているのかわからないような顔付きで、
「総司さんなら近所のお菓子屋かもしれないな」と言う。
「お菓子屋ですか」山野は思わず反復してしまった。
道場を出ると、日は傾きかかっているが、まだ暑い。慣れない京の暑さには参ってしまう。
山野は加賀出身である。縁者に京都に伝のある者があり、それで浪士組のことを知ったのだった。
教えてもらった菓子屋まで山野が歩いていこうとすると、六人ほどの浪士が固まってやって来る。自主的に市中見廻りをやっているというので、その帰りだろうか。
先頭が隊長つまり副長助勤という役目の幹部なのだろう。山野は立ち止まって脇に下がり一礼した。
先頭の幹部隊士は横目に山野を見て頷いただけだった。切れ長の目が涼しく、他の隊士たちが暑そうに汗をぬぐう中、どういう具合なのか汗を一つもかかず、颯爽とした印象である。まだ若い。
山野の後ろから、また別の一団が屯所から出てきたらしい。その隊長が
「藤堂、終わったか?」 と戻ってくる隊長に声をかける。大声である。
藤堂は
「原田さん、交代だ」と言った。
「変わったことは?」大声の主は原田と言うらしい。きかん気そうな精悍な顔つきをしている。流れる汗に辟易して「暑いよなー」とてぬぐいで顔を拭いている。
「今日は何もなかったな。さっき、沖田さんに会ったけど。一人だったから仕事ではないだろう?」
藤堂が確認するように原田に言った。
「あのー」沖田と聞いては黙っていられない。山野は沖田を副長命令で捜している旨を話した。
「そんなに遠くへは行ってないだろう」
藤堂は自分たちが来た道を教えてくれる。
「急いだ方がいいぞ。土方さんは待たすと機嫌悪いぜ」
と原田が面白がるような口調で言った。
今日、新入隊士として引き合わされた幹部は局長の一人、近藤勇。三十を少し出た位の年配。大柄でその笑顔を向けられると誰でも暖かい気持ちになれた。隊士たちの人望も厚い。
芹沢鴨というもう一人の局長と新見錦という副長の一人は同席していなかった。後でわかったことだが、隊内には近藤派と芹沢派という二つの派閥があるらしい。
副長土方歳三は黙って座っているだけで、圧倒されるほど整った雰囲気があった。ひとつひとつの動作が決まるのだ。近藤よりは若く見える。
第三の人物が同じく副長の山南敬助。近藤、土方よりやや年輩だろうか。無口な土方とは違って、山野などの新入隊士にもよく声をかけてくれた。
これらの大幹部の下に副長助勤という幹部たちが位置することになる。
何もかも勝手がわからない山野は、顔も知らない沖田を見つけねばならず、冷厳な土方の顔を思い出して、気があせるばかりだった。
藤堂に言われた道を行くと程なく「甘味屋」という菓子屋にたどり着いた。
色とりどりの干菓子が並べてある狭い店内を一目見て山野はがっかりした。武士らしい人物は一人もいない。近所の子供が何人かいるだけだ。
店番の娘にもしやと思い、尋ねてみる。
「すまん、こちらに沖田さんという人が来てなかったか?」
娘と子供たちは一斉に山野を見た。
「沖田のおっちゃんならお寺やで」
一人の利発そうな男の子が言った。
「寺と言うと壬生寺か?」
屯所のすぐ近くの寺を思い出した。寺の境内で、時々浪士組の教練があるらしいことを山野が思い出していると、店の娘が
「沖田はんはさっき出ていきはりました」と言う。十六、七くらいでなかなか愛嬌のある顔をしている。はきはきとものを言った。
どうやら沖田とは入れ違いになってしまったようだ。
「にいちゃんも壬生浪か?」
また別の男の子が言う。
「これ」と娘がたしなめる。
「そやかて波ねえちゃん、みいんなそう言うてるやないか」
壬生浪士組は京の人々に「壬生浪」と呼ばれているらしい。山野が苦笑していると、お波も笑顔になって
「沖田はんは、いつもは、ようお寺にいてはるけど。さっき、ぎょうさんおまんじゅうを買っていきはって、お供えにしはるのかもしれまへん」
「ありがとう。じゃ、行ってみることにするよ」
背後でませた子供が
「色男のにいちゃんやなあ」と山野のことを評していた。
壬生寺は、門をくぐると本堂まで広い境内が続いている。夕暮れが近い時刻なのだが、近所の子供たちが遊ぶ姿も見られた。
とりあえず、本堂へ向かった。抹香の匂いが漂う。
山野はその匂いをなつかしく思った。彼の実家は寺なのである。次男坊なので、住職は兄が引き継ぐため八十八は好きな剣術に励むことができたのだった。
そして八十八は現在の山野家に十三歳で養子に入った。山野家はれっきとした藩士で、彼は武士となった。
過去を思い出していると、急に「おい」と乱暴な声がとんで山野は振り向いた。山野が佇んでいる間に来たのだろう。先ほど斎藤と道場で立ち会っていた男、平間が片目に傷がある小柄な男と連れだって立っていた。
「おまえさっき道場にいたな」と平間が言った。
「新入りだな」と決めつける。
片目の男はじろじろと山野を見ていた。
「芹沢先生が島原に行こうとおっしゃっている。隊士を何人か連れて行ってもいいとのご沙汰だ。おまえも来い」
山野は当惑した。
「しかし、私は」
「芹沢先生のお誘いだぞ」と平間が言下に断ってみろというように言った。
芹沢は水戸藩天狗党の生き残りで、その出自が壬生浪士組創設に役立っていた。知名度があったのである。人を人とも思わぬところがかえって資金調達などの強談には有利だったと言える。もっともこの頃はそのふるまいが度をすぎてひんしゅくをかうことの方が多く、近藤たちの悩みの種になっていた。
やがて現れた芹沢は、一目でそれと知れる異様な迫力のある人物だった。鉄扇を持ち、赤ら顔で太い眉、太い首、ぐいぐいと迫ってくるような印象を与えた。
「平山、平間行くぞ」
「芹沢先生、この新入りを連れて行ってもよろしいですか」平間が聞いた。
「新入り?」芹沢はじろりと山野を見る。
「よかろう」芹沢は山野の名を尋ねた。山野は緊張して答えたが、心はどう断ったものか考えあぐねている。
「今日は飲ませてやるぞ」
口調とはうらはらに平間は山野にからんだような視線を送ってきた。道場でのことを根に持っているらしい。平山らしき男は同調するでもなく無表情である。
今にも挟まれて連れ出されそうになったとき、カツッカツッカツッと下駄の音がした。本堂から出てきたのか若い侍がこちらにやって来る。
「やあ、芹沢先生、どちらへ?」と若い男は芹沢に笑いかけた。
背は中背の山野よりやや高い。浅黒い小さめの顔に目袋がくっきりしていて、笑うと片側にえくぼが出ている。真っ黒で大きな目だった。
若い男は山野と芹沢たちの間に割って入った形になった。
「沖田、何やってたんだ」
芹沢がおもしろそうに言う。
平間は反対におもしろくなさそうな顔つきになった。
そうか、この人が沖田総司なのか。山野はほっとして気が抜けるような気分だった。
「供養ですよ。おまんじゅうを供えてきました」
沖田は本堂を振り返った。
「供養?妙なことをする」
「私の趣味なんです」
「おかしなやつだな。それよりどうだ、わしといっしょに島原に行かんか」
「いえ、やめておきます。前にご一緒してひどい目にあいましたから」
沖田がけろりとして言った。平間が「沖田っ」と怒鳴ったが、芹沢は大笑いして
「大坂では暴れたからな」
「今日の供養の相手はあの時の熊川関ですよ」
沖田のこの言葉に芹沢の表情が動いた。ふうむと何かを思い出す顔付きだ。
そして、「今日は島原はやめにするか」と言い出し、あっさり帰って行こうとする。平間と平山もあわてて後を追って行った。
沖田は三人の後ろ姿から山野の方に視線を移した。
「さて、君はいったいどなたです?」
「沖田先生をずっと捜していました」と思わず言ってしまった山野の言葉に、沖田は怪訝な顔をしている。山野はあわてて自己紹介をして土方の伝言を伝えた。
「土方さんか。あの人は待つということができない人だからなあ」
沖田はじゃ、帰りましょうと山野をうながした。カランと沖田の高下駄が鳴った。
沖田はおしゃべりな上に聞き上手だった。気がつくと寺から屯所までのわずかの間に山野は自分のことをずいぶん沖田にしゃべっている。
「あれ、土方さん」
屯所の入口に、誰かを見送った後なのか土方が立っているのを目ざとく見つけた沖田は、
「まさか私をそこで待ってたんですか」
土方は憮然として
「そんなわけあるか。にしても総司、遅いじゃねえか」
「遅いって、約束は日が暮れてからでしょう。まったく土方さんは気が短いんだからな。私は今日は非番なんですからね」
土方にぽんぽん言い返す沖田を山野は驚いて見ていたが、沖田とはそういうことが許される幹部なのだろうと合点がいった。
「まあ俺の部屋に来い」
土方は沖田にそう言って、山野をちらとも見ず自室へ向かった。
「今日の夕餉はもうすぐでしょう。ゆっくり休んで下さい」と、沖田は続けて、
「平間さんたちに気をつけて」と不吉な事を言いつつ、ニコッと笑った。
山野はつくづく壬生浪士組とは変わった人種の集まりだと思ったのだった。