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取り調べの侍は、閉じた扇をせわしなく片方の掌に打ちつけている。 小えんはその前に神妙にうなだれたまま立っていた。凝った意匠の裾模様が目をひく。一目で祇園の芸子だと素性が知れた。 戸板に乗せられ白布をかけられた死体がそばにあるのだと思うと落ち着かなかった。その形相を当分忘れられそうもない。きっと夢に出てくるだろう。 陽の落ちる前、ぽっかりと人通りが途切れる時刻だった。祇園の石段の下、奉行所の役人や新選組隊士が数人、小えんと物言わぬ死体を取り囲んでいる。 「本当に何も見なかったのだな」 くどいと小えんは思ったが、もちろん何も言い返せない。怯えたようにうなづいてみせる。 「らちがあかんな」 新選組隊士であるらしい侍はいらいらした気持ちを隠そうとしなかった。死んだ侍が隊の幹部であったことは、先ほどから繰り返される質問の中で、小えんにも容易に推測できた。 小えんは、石段の下に倒れていた男のことを通報しただけである。あのときはただ夢中で、助けられるかもしれないと思ったのだ。こんなことなら知らぬふりをして通り過ぎれば良かった。後の祭りである。お座敷にも間に合うまい。 気落ちしていた矢先のことである。若い侍が到着した。新しい顔だ。数人の部下を従えていた。 長身痩躯で、切れ長の目元に光があった。 まず死体を一瞥してから、侍たちに軽くうなづく。周りの男たちがいっせいに頭を下げた。 「沖田先生。やはり谷先生でした」 小えんに尋問していた侍が、若い侍に報告している。 「こっちが発見者です。何も見てないそうですが」 沖田と呼ばれた侍が何気なく視線を小えんに向けてくる。 彼はそのとたん目を見開いたように、小えんには感じられた。彼の形の良い口が声にならない何かをつぶやいた気がした。 しばらく小えんを見つめていた沖田は、他の人々が不審を抱く直前に目をそらし、死体の側に立った。冷静に白布をめくって死顔を確かめ、傷の有様を検分する。それらの手順や質問に無駄がなく、彼の有能さが感じ取れた。 白布を元通りにかけ直し、瞑目して手を合わせた。 死体を新選組屯所である西本願寺まで運ぶ指図をしてから、沖田は小えんに向き直った。 言いよどんだ後、沖田はやっとこう話しかけてきた。 「何も見てないというのは本当ですね」 「へえ」 小えんは肯定する。 「役に立たんな。もっと協力的にならんか」 横合いから他の隊士が小えんに言葉を投げつける。小えんがびくっとすると、沖田は、 「見てないものは仕方ない」 とかばうように遮った後、小えんを見つめた。 「じゃあ、もういい。帰りなさい。わかっているだろうが他言は無用です」 声は事務的だった。そうしなければならないように感情を殺した顔をしている。 小えんは拍子抜けする思いだった。また一から尋問が始まるのかと観念していたからだ。 おずおずと行きかけて、彼に呼び止められる。 「念のために名前を聞いておこうか」 「小えんどす」 名乗ると沖田はなぜかほっとした表情になった。 「小えんか。そうか」 怪訝そうな小えんに沖田がふと微笑んだ。見せるつもりはなかったのに、つい見せてしまった笑顔のようだった。 どこか少年のようだと小えんは思った。 副長の土方歳三に報告を終わった沖田総司はそのまま自室にひきとった。同室の井上源三郎は入れ替わりに巡察に出ていて、部屋は無人である。行灯に火を入れて、庭に面した戸を開け放った。 同じ隊の者の死は、それがどういうものであろうと気が滅入る。そういう感傷を押し流すように、部屋の中の空気を入れ換える。 春から夏に向かうこの季節は過ごしやすい。まだ眠気のない総司は着替えた後も夜具に入らず、月明かりにぼんやり浮かんだ庭石を眺めている。 「私に縁談があると言ったら、どうなさる?」 ふいに美津の声が総司の耳朶を打った。過去からの呼びかけだった。 もう三年近く前の話である。美津が総司から離れて余所に嫁いでいってからそれほどの時間がたっている。 なぜこうしていつも思い出してしまうのだろう。 美津は総司が江戸から京に来て間もなく知り合った室町二条の織問屋の娘だった。総司と同い年だった。 彼女も武蔵に生まれ育ち、八つで京に移り住んでいた。おかしなことに京に来て後の月日の方が長いにもかかわらず、京言葉を使わない娘だった。むしろ意識して話さないようにしていたらしい。幼いながら何か思うところがあったのだろう。排他的な京では、それは異端でいることを意味していた。美津とはそういう娘だった。 総司は江戸で生まれ、近藤勇たちと共に浪士組として上洛している。この浪士組の一部が新選組の母体となったのだが、最初は身分も不確かな浪人の集まりでしかなかった。 美津という京言葉を話さない京娘と出会ったとき、剣一筋で来た総司の中に今まで知らなかった感情が芽生えた。 美津のことを想うだけで総司は満たされる。互いを抱きしめたこともないほどのそれはまだ初々しい恋だった。 だが女である美津にはいつまでもそうしていることは周囲が許すはずもない。まして年も二十歳を過ぎ、嫁に行くには遅すぎるほどだった。 美津にとある大店の跡取りとの縁談が持ち上がっていた。 いつものように美津を送り届け、あっさり帰って行く総司の後ろ姿に、美津はこう言った。 「私に縁談があると言ったら、どうなさる?」 思わず振り向いた総司は不意をつかれて、ただ美津の顔を見つめていた。美津の黒い瞳がひたむきに総司に注がれている。彼女の瞳が持つ力に、総司はたじろいだ。 「私のこと、どうしても欲しいんですって。大きなお店のご主人になる方」 美津はまるで総司に挑むかのように言い放った。彼女はそのとき待っていたのだろう。総司の「行くな」というひとことを。 しかしこのとき何を言えただろうか。美津の総てを受け止めるだけの男としての自信も覚悟もまだできていなかったのだ。 美津の幸せを保証してやれなかった。そんな自分に縛りつけてしまうことを総司は恐れた。 二人にとってあまりに重大な岐路はこうして突然出現し、突然選択されてしまった。 「私、いくわ。その人のところにいきます」 美津は泣き笑いのような表情を見せて、足早に去っていった。 残された総司は、打ちつけられたようにその場所に立ち続けた。 情けない話だと総司は思う。今の自分ならどうだろう。 美津を誰にも渡さない。絶対に。 ここまで考えていつも総司は自嘲めいた感慨を覚える。すべて過去のことだ。未だにそれに囚われている自分を持て余していた。 先ほどのあの娘。祇園の芸子の顔を思い出した。 驚くほど、美津に似ていた。 |