その日まで

作・ゆう磯宮


保津川の川面にはもう陽が傾き始めている。

「行く水に数書くよりもはかなきは
         思はぬ人を思うなりけり」

これは、誰の和歌だっただろう。ああ、そうだ「古今和歌集」の詠み人知らずだ。貴方に恋してからの私は、この歌を何度口にしただろう。

流れる水に数を書くよりはかない事は、自分を思ってくれない人を思う事。なんて解り易い歌だろう。貴方に初めて会った時から私の恋はずっと片思いだった。

 沖田総司、貴方を知ったのは診療所の診察室だった。私は先生の手伝いとして診療を終えた貴方の前に座っていた。先生は医者としての腕は確かだが、はっきりと物を言う人だ。貴方に病名を告げる先生の横で、私の胸は痛んだ。それは「死」の宣告を意味していたからだ。なのに、貴方はまなじりに少し影を落としただけで、泣きそうな顔をしている私に向かってやさしく微笑んだ。

たぶん、私はその瞬間から恋に落ちたのだ。

 治療に通って来る貴方と、何時しか親しく口をきくようになった。
貴方は私が年上という気安さがあったのだろう、屈託なく自分の思い人の話までするようになった。恋と呼ぶにあまりにほのかな物だったようだが、聞いている私の心は、いつも引き裂かれるようにつらかった。でも、私は貴方と話ができるだけで嬉しかった。この思いを貴方に知られればもう会えなくなる。私は自分の恋を一生胸に秘めておくつもりだった。

 でも、昨日先生から私自身の残された時間を告げられた。「死」が確実にそこまで迎えにきていると。眠れぬ夜を過ごした私は、沖田さん、貴方を呼び出した。嵐山の保津川のほとりで待っていると。私は京を去る決心をしていたが、その前に貴方に私の思いを伝えたかった。かなわぬ思いでも、貴方に恋した女として知っていて欲しかったから。

 そして今、私は貴方の腕の中で川の流れを見つめている。
貴方も私を思ってくれていたと、これから残された時間を私とともに生きてくれると誓ってくれた。私が貴方の側にいる事は許される事ではないかもしれない。でも、この私を抱きしめてくれる貴方の暖かい胸から、もう離れる事などできない。いいでしょうか、沖田さん。私はもう、貴方を見ていただけの祐には戻れない。

 保津川の川面には夕陽がもう落ちようとしている。
私はもう一度心に浮かんだ歌を口ずさむ

   「君がため惜しからざりし命さえ
             長くもがなと思いけるかな」

今、恋が始まったばかりであるならば、一日でも長くお互い生きて生きて貴方と愛し合いたい。

私達がいつか向えるその日まで・・・。私は貴方と共にいたい。


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 沖田は懐手をして縁側に座り、物思いにふけっていた。
 思いは祐へと帰っていく。

 診療所で初めて祐を見たとき、なぜかなつかしさを感じた。心惹かれたと言っていいかもしれない。しかし、自分が労咳だと知らされたときに、その思いも封じ込めてしまったのだった。

 何がきっかけだったのか。八重のことを祐に話してしまったのは。
 八重は沖田が巡察途中で一度助けたことのある娘だった。それきりのはずだったが、偶然が二人を結びつけ、ときどき会うようになった。ただ会って話をするだけの淡いつき合い。それだけで満足してしまうのは奇妙だったが、沖田にはそれで十分だった。

 しばらく診療所の一室で療養していた沖田を、祐は親身になって世話してくれた。彼は祐と話すとき、自分でも首を傾げるくらい多弁になった。八重のこともつい口から出てしまったのだろう。
 祐は微笑みながら話を聞いてくれたので、彼は何でもとりとめなくしゃべっていた。そのときの彼は祐の心のうちなどわからなかったのだ。
 診療所に行って、祐の姿が見えないとがっかりした気持ちになる。この頃、八重と会えなくてもそれほど残念に思わなくなっていたので、自分の気持ちが不思議だった。

 やがて、沖田の症状も安定し、診療所に通う日も間遠になった。祐のことが気にかかったが、隊務も忙しく会えない日が重なった。
 八重ともいつのまにか音信が途絶えている。沖田に会う気持ちがなくなったなら、向こうから連絡しようがないのだろう。
 それよりもいつも思い出すのは祐のことだった。診療所で忙しく立ち働いている祐。笑顔で答える祐。心配そうに呼びかける祐。もっと養生しなさいと怒っている祐。
 この気持ちは何なのだろう。沖田は自分自身に問いかけ、答えを得た。それはずっと前から分かっていたことだったのだが。

 そんな頃、驚いたことに祐から呼び出しを受けた。嵐山、保津川のほとりに。
 しばらく見ない祐は少し痩せたようだった……。


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「京を離れるまでに、一度来たいと思っていました」
と、祐は話し始めた。
「京を離れる?それはどういうことですか?」
「沖田さん、私は……国へ……帰ろうと思っています」
「国へ?でも、いったいどうして。祐さんはずっと京にいたいと言ってたじゃないですか」
「ええ、そう言いました。その気持ちは変わっていません。いたいんですけど・・・。でも(唇を噛む) 」

「お国元で、何かあったのですか?」
「いえ、国ではなく(顔を上げ)、私に……あるんです。いつも、いつも、貴方に身体の事ばかりうるさく言ってましたね。でも、今度は……、私がその病人になってしまいました」
「(驚いて) 祐さんが病に? 」

「昨日、先生にはっきりと告げられました。(川面から目を離さないで)」
「(思わず祐の肩を抱いて、自分の方に向ける) 何を? 」
「私の……、私の残された時間です。(こらえていた涙が一粒頬をすべる)」
「 ばかな・・・祐さんはこんなに元気じゃないですか」

「(総司の視線を外しながら)元気でも、この身体の中で悪い物は日一日と大きくなっているんです。 でも、そうね。(少し笑って)元気だわ。歩いたり、話をしたり、沖田さんの顔も見られるわ、ちゃんと」
「何かの間違いじゃないんですか?」
「嘘だったらどんなにいいかと、昨日から千度も願いました」
「 信じられない・・・(呆然としている)」

「でも、夜が明けてから自分の姿を見て、このまま何もしないで国元へ帰ってしまうのは、どうしてもいやだと思ったんです。沖田さん、知っていました?あなたがあの人の事を、私に話す度にどんなにここらが苦しかったか。どうか、怒らないで聞いて下さい。私は沖田さんより年上だし、最初から思ってもらえるなんて事は考えないようにしていました。でも、今、言わなければ後悔すると思って……。沖田さん、貴方が好きです」

「 私を?私がどんな病気かあなたはよく知っているはずでしょう?ああ、でも・・・何ていうことだろう。あなたの命も……」

「沖田さんが病気だからだという事で、貴方への気持ちを消そうと思った事はありません。 私の沖田さんへの思いは、病気とは関係ない事です」
「病気は私の業のようなものです。一生背負っていかねばならない。私の側にいる人にとってそれは重荷でしょう」
「 一生背負う?好きな人の業を一緒に?重荷だなんて、私にとってはその重荷を背負える人が羨ましいです(淋しく微笑む)」

「祐さん、あの頃、先生の所で療養していた頃、あなたに私は自分の恋を語った。あなたはそれを聞いてくれましたね」
「つらかったです、本当は。でも、そんな貴方が私の中ではとてもまぶしく、そして心惹かれずにはいられない人でした」
「あなたがそんなにつらい思いをしているとは、私は知らなかった……。あの頃、あなたに話すことは楽しかった。そのうち自分の恋を相談することが楽しいのか、あなたと話すことが楽しいのか、わからなくなりました」
「私も沖田さんと話しをするのが楽しみでした。それが、貴方の恋の話でも。心が弾んで弾んで、先生によくからかわれました」

「あなたはいつも笑顔で迎えてくれましたね。今日、あなたに会って、自分の気持ちを確かめたかったのです。確かめてあなたに伝えようと思っていました」
「(訝しげに、総司の顔を見つめる)私に?」

「できるなら、私の残りの命を全部あなたにあげたい。気づくのが遅すぎたでしょうか」
「沖田さん、ありがとう。もったいないわ。貴方の命を全部だなんて。その言葉だけを心にしまって、私は帰る事ができます」
「祐さん、待って下さい。あなたと私の恋の話を、語ることは許されないことでしょうか」
「貴方と私の恋?沖田さん、それはどういう意味ですか?(まさか、まさか、まさか)」

「 私はあなたが思っているような男ではありません。あなたは後悔するかもしれない。私と出会ったことを。でもあなたをこのまま行かせるわけにはいきません」
「そう、私が思っているような人じゃないかもしれません、沖田さんは。後悔するかもしれない?後悔してみたいわ。貴方となら」

「私もあなたが好きです。出会ったときからおそらくずっと好きだったのに、私はそれに気づかなかったのです。残りの命、私に預けてくれますか?」
「嘘です。嘘です。私の気持ちに同情して下さったのでしょう?同情ならいらないわ」
「私が、同情でこんなことを言う男だと思うのですか? 」
「では、本当に?同情ではなく?この私を好きだと言って下さるのですか?」
「ええ、好きです。あなたが」

「 私は、本当は沖田さんの側にいたいのです、命のある限り」
「側にいてほしい。どこにもいかないで」
「私は夢を見ているのでしょうか?沖田さんが私の事を好きだなんて……。(涙が溢れている)」
「……(黙ってそっと祐を抱きしめる)」
「(総司に身を預けて)でも、これから側にいると貴方に迷惑をかけるかも」
「迷惑をかけて下さい」

「 沖田さんの気持ちを知って、私はもう前にはもどれない。貴方の側にいて……、貴方だけの祐になりたい」
「(微笑んで) 私だけの祐さんでいてくれるんですね」
「貴方だけの……。沖田さんも私だけの沖田さんでいて下さるのですか? 」
「ええ、この私でよければ。不思議です。先のない病を抱えているのに、こんなに幸せな気持ちになれるなんて」
「それは、沖田さん、私の事です。貴方の病気はまだ死ぬと決まったわけじゃないんですよ」
「あなたも希望を捨てないでほしい。私のために生きると誓って下さい」
「生きます!貴方と一緒に。こらからの日々は沖田さんの為に生きていきます。だから、貴方も誓って、私の為に命を大切にするって」
「……誓います」

「 国へは帰りませんと、先生にお話しなければ。でも置いて下さるかしら。これからも」
「私からも先生に頼んでみます。……名残惜しいが、そろそろ戻りましょうか。身体にさわるといけない。今度またここに来ましょう。二人でいっしょに」

「沖田さん、帰る前にもう一度……、抱きしめてくださいませんか?夢ではない証拠を、確かめておきたいのです」
「可愛いことを言うんですね (祐を抱きしめる)」
「(抱きしめられて)可愛いなんて、本当はとてもわがままかもしれません、私は。(総司の胸に顔を埋める)」
「(笑って) もう少しこのままここにいましょうか。こうして」
「ええ、もう少しこうしていたいです。こんな時をずっと待っていたような気がします」
「私も待っていました」

保津川に佇む二人。幸薄い二人。しかし、これほど幸福な二人もいなかったろう。


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 祐と二人、いつまでいっしょにいられるのか。でも二人でいられるならそれで幸せだと思う。あの人を総ての悲しみや苦しみから守りたい。

「失礼します」
部屋に入って来たのは、監察の山崎蒸だった。沖田は物思いを断ち切って、山崎を見る。
「何か?」
「被害者の身元が割れました。副長がお呼びです」
「わかりました」
 沖田は立ち上がった。

 この事件が片づいたら、祐の元へ行くだろう。

 二人の恋はまだ始まったばかりだった。


(終)

作・ゆう&磯宮


[鴨川の散歩道]