二.残  暑


 ある日、沖田総司が小者の孝助に買ってきてもらった冷やしあめを持って、土方の部屋に押しかけてきた。土方は一人部屋である。
「どうです?まだ冷たいですよ」と沖田は土方に片方を渡した。
「いいなあ。土方さんの部屋は静かで。ここへ越して来ようかな」
「ばか言え」
「冗談に決まってるでしょう。土方さんも井上さんも、小言の数では同じくらいなんだから。山南さんとこのほうがいいかもしれないな」
「ふん」
土方はこれ以上沖田にとりあわずに、机に向かった。
「何書いているんです?」
沖田が早速のぞき込む。
「相撲興行?うちで興業をやるんですか?」
「祇園でやるのさ。その警備をすることになった。先月の大坂での一件の、いわば手打式ってとこだな」
 大坂での一件とは、芹沢鴨が往来のじゃまをした大坂の力士を斬り殺した事件で、浪士組と力士たちの乱闘にまで発展している。沖田も否応なく参加して、こめかみに擦過傷を受けた。
「あの死んだ力士。熊川。一度だけ取組を見たことがあるんだ。いい力士だった。けっこう感動したんですよ、私は。つまらないことになっちゃったもんだな」
「寺にまんじゅうを供えて供養してもらったんだってな」
「さすが早耳。ちょうど四十九日あたりでしたからね。菩提寺でもないし宗旨も違うかもしれないから迷惑な話でしょうけど」
「お前そうやって何人拝んでもらってるんだ?」
「さあね」
「きりがねえぞ」
「それって、すごく怖いせりふだなあ」
沖田は土方を見やって「まあ私の気持ちですよ」と言った。そして、
「芹沢さんはああ見えて、後悔してるみたいですよ。根は極悪人じゃないからな」
「総司、芹沢とあまり関わり合いになるなよ」
「わかってますって。でもあのときの芹沢さんの剣はすごかったな」
 土方の拳が沖田を殴ろうとした。反射神経のいい沖田は飛びのく。
「いい加減にしろ。敵に感心してどうする」
「あれ、芹沢さんは敵なんですか」
 察しのいい沖田だが、ときどきこうしてわざと土方をからかう口調になる。土方は大迷惑だが、これは二人の長年の習慣だった。

 土方自身は末っ子で兄や姉に迷惑をかけてきたが、その土方も総司を見ていると、兄たちの気苦労が分かる気がした。
 近藤、土方、そして井上は、沖田とは彼がまだ十にもならない年で試衛館 の内弟子に入って以来のつきあいである。兄弟同然と言っていい。もっとも土方は、沖田自身にそんな甘いそぶりを見せるつもりは全くない。ないが、それは土方がそう思っているだけで、他の者にそう見えないだけの話であった。
 沖田の剣の腕は、身びいきなしで隊内一だろうと土方は思っている。沖田は早くから天才だと言われ、二十才で試衛館の塾頭を勤めている。
 試衛館とは局長近藤勇が四代目を継いだ天然理心流の道場である。道場は江戸市ヶ谷にあったが、道場をたたんでまで浪士組に応募し、上洛して来ているのだ。
 沖田の剣は京に来て、真剣を使うようになってから恐ろしいほどの冴えを見せるようになっていた。それがどうだ。本人はいつまでたっても部屋住みの呑気な若者のままなのである。
 この四月に壬生浪士組は会津候に召されて武芸を披露し、大いに面目をほどこした。中でも沖田は際だっていた。浪士組の武芸に感心した会津候より、破格のことに直々に賞賛のお声がかかった局長の近藤はしばらく有頂天だったくらいだ。
 近藤、土方ら大幹部の引き立てをこれほど受けられる立場はないと思われるのに、当の沖田は自分の立場に無頓着であった。しかしこうして距離を置かずに土方や近藤の所へ出入りできる事が、隊内政治に関心のある者の目には、特別扱いに映るかもしれない。
 いずれにしろ壬生浪士組はできたばかりだった。

 山野八十八は毎日道場に出ていた。自分の稽古はもちろんだが、人の稽古を見るのも好きだった。永倉新八、斎藤一、藤堂平助、原田佐之助などのそうそうたる幹部たち、ときどき副長の土方歳三、山南敬助の姿もあった。
 しかし山野が一番見たかった沖田総司はついぞ姿を見せなかった。藤本に聞いてみると、ときどきは来ているらしい。たまたま山野がいない時なのだ。こうなると、どうしても見たい気持ちになってきて、必然山野は暇さえあれば道場にいることになる。それが熱心に映ったのだろう。永倉新八が声をかけてきた。
「どうだ、ひとつ」
「お願いしますっ」
山野は喜んで永倉の前に立った。この永倉も若いのに老練で剣をよく遣う。
 浪士組の剣術は実戦的で、ただ「勝つ」ための剣ではなく殺傷剣であることを目的としていた。山野は入隊して、自分がまだ中途半端な腕であることを実感していた。
 剣を持つと柔和だった永倉の目が糸のように鋭くなる。山野の打ち込みはことごとく受け止めてしまわれた。
 隙があった手首をビシッと打たれてしまう。実戦だったら手首切断だろう。
「すじがいいからがんばれよ」
永倉は山野を励ますように言った。
 その時、入口ににぎやかな声が聞こえてきた。
「沖田君だな」永倉は笑って、
「山野、一度沖田君に見てもらえ」
それこそ山野が望むところだった。
 しかし沖田は手近な隊士を相手に稽古を始めてしまった。
 容赦なかった。相手になった隊士は道場の羽目板まではじきとばされてしまうか、打ち込まれて尻餅をついてしまうかした。
 いつもの沖田からは想像できないような激しい撃剣だった。
「ほら、そこが甘いっ」
「まだまだっ」
「そんなんじゃ死ぬぞ」
沖田の怒声が響く。
 相手が肩で息をしているのを見て稽古を切り上げた沖田は、息も乱していない。山野を見つけてニコッと笑った。
「次、山野君。どうぞ」
 山野は期待にあふれて沖田に稽古をつけてもらったが、結果は惨憺たるものだった。後ろで見ていた藤本はそれがわかっていたのか、経験があるのか、同情するように首を振っている。
 沖田は本当にまったく手加減しないのだ。山野の欠点と思われる箇所を憎いほどついてくる。一度などは本気で殺意がわいたほどだ。
「じゃあ、今日はここまで」
涼しい顔の沖田のくるくるした目が笑っている。山野は息も絶え絶えだった。
 沖田の剣の速さ、読みの速さにとてもではないがついていけるものではない。
「良かったよな。沖田先生が敵じゃなくて」
藤本がもう次の隊士を相手にしている沖田を見ながら言った。

 隊士たちは賄いからお膳をもらってきて、各自の部屋で食事をとった。一日で一番楽しみな時間である。食べながら噂話をするのだった。
「佐々木愛次郎さ、あの看板娘のあぐりって子とできてるんだってよ」
「ちくしょー、うまくやりやがったなあ」
「あいつ、いい男だからさ」
同室の若い隊士たちはたわいがない。山野にも、
「おい、山野、お前もいい男だし。どっかに可愛い娘でもいないのかい」
と面白半分に聞いてくる。
「いないぞ。そんなもん」
ちらっと甘味屋の娘の顔が浮かんだがすぐに消えた。
 それよりも佐々木愛次郎だ。二十歳前の初々しい若者だった。あぐりという娘は近所の小間物屋の娘で、噂に聞くばかりでまだ山野は見たことはない。うらやましい気がするが、今はここに慣れることだけで精一杯だった。佐々木にしてもこんなに隊内で噂になれば困っていることだろう。
「今日、道場で俺、斎藤先生にほめられたんだ」
松崎静馬が言った。年は山野と同じ十八、あばたが残った顔で頑健な体格をしていた。
「斎藤先生はすごい腕だよな」
松崎はすっかり斎藤に心酔している。
 入隊した日に平間と対峙していた斎藤は確かに尋常の腕ではなかった。
「俺は沖田先生の方が上だと思う。沖田先生と見廻りに出たやつに聞かされた話だ。ちょうど斬り合いになったが、沖田先生は一滴も返り血をあびなかったそうだ」
と一人が言い返すと
「斎藤先生ならもっとすごいさ」
松崎が熱のこもった声で断言する。
「沖田先生の稽古はすさまじいそうだな。山野、お前今日稽古つけてもらったんだろう。どうだった?」
皆の視線が山野に集まった。
「沖田先生は人間じゃないように思えた」
山野はありのままを言ったのだが、皆はどっと笑った。そのうち、お前たちも笑えなくなるさと山野は思うのだった。

 暦は八月に入った。
 その日、にわかに屯所内が慌ただしかった。
 山野が事実を知ったのはもう午後になってからだった。佐々木愛次郎がかねてからの恋人あぐりと逃亡しようとし、二人とも幹部の佐伯亦三郎に斬られたという。隊士たちはいろいろな憶測を幹部に知られないようしゃべっていたが、その中で芹沢鴨があぐりに横恋慕していたという噂があった。局長のことなので公にはされない話である。
 山野は痛ましい思いで、いったん屯所に運ばれた佐々木の遺体に手を合わせた。実家で習い覚えていた経文が口をつく。
 通りがかったのは原田佐之助だった。原田は江戸・試衛館で近藤の食客だったという。
「感心だねえ。お経かい」
「はい、その」なんとなく照れくさくなって山野は止めてしまった。
「おっと、じゃましちまったか」
そこへ佐伯亦三郎が現れた。二人を見てぎょっとしたようだ。酒の匂いをさせている。
「佐伯さん、ちょっと酷すぎやしないかい」
原田は大声である。歯に衣着せぬ男だ。山野ははらはらしながら二人を見比べた。
 佐伯も副長助勤。壬生浪士組結成期からの参加だが、近藤より芹沢寄りだといわれている。佐伯はぎろっと原田を見て
「芹沢先生のご命令だ」と言い捨てて出ていった。
「なんでぇ、気色の悪いこった」
原田は怒っていた。佐々木に非があったとしても、あぐりまで斬る必要があったのだろうか。
「こりゃ、近藤先生や土方さんがどうするかだろうな」

 芹沢派と近藤派。山野は沖田の忠告通り平間たちを避けていたが、もし芹沢がこのまま主流になったならここは居づらい場所になるだろうと思った。
 国事に参加できると聞いて、いても立ってもいられなくなって国をとびだしてきた。加賀金沢藩の山野家に養子に請われた八十八であったが、脱藩という形になってしまった。まがりなりにも武士になった八十八は剣術で身を立てたいという気持ちがあった。
 しかし全国から集まってきた男たちの集団に身を置いたとき、自分の存在が小さなものだと思い知らされて、今憂鬱になっている山野であった。仲間の死体を見て、よけいにそう思えてしまうのかもしれない。

 翌日、山野たちの部屋に沖田が顔を出した。
「今日は皆さんにも市中見廻りについてきていただきます。支度ができたら庭に集合して下さい」
沖田はいつ見ても元気である。沖田を見ていると山野の憂鬱な気持ちも吹き飛ぶようだった。
 隊士たちは大急ぎで支度を始めた。あのとき山野を笑った隊士たちも、今では皆沖田の洗礼を受けている。年も若いし気難しいところもなく、いつも冗談を言ってるかのような沖田だが、沖田の剣を知っている者は、彼を侮ることなどできなかったのである。

 あらかじめ図面で説明を受けてから出発する。沖田と山野たち五名の隊士、そして門のところで副長の土方が合流した。土方を見て隊士たちは粛然とした。
 道すがら沖田はここの店はうまいだの、安いだのと教えてくれるのだが、隊士たちは土方が気になってそれどころではない。
 土方は無言でいたが、苦々しく思っているようだった。
 番所を要所要所回り、壬生に戻ってきた頃、死んだあぐりという娘の店の前に来た。忌中の張り紙がもの哀しい。これが土方のついてきた目的だったのだと山野は悟った。

 土方と沖田は他の隊士を待たせて、店の中に入っていった。
 浅葱色の隊服のせいで壬生浪士だとすぐわかる。意気消沈した様子の主人が出てきた。そのすぐ後から母親らしき女が
「何しに来たんや。うちの娘をこないにして。ひどいめにあわせて。なぶりものにして」
「これっ」
主人はうろたえて引き止めたが
「舌かんで死んだ娘があんまりあわれや」
と泣き叫ぶ母親をどうすることもできないでいる。
 舌をかんでと言う所で土方と沖田はちらっと視線を交わしあった。
「娘御のことは心からお悔やみします」
土方は香典を有無を言わせず受け取らせた。

 屯所までの道のりは重苦しかった。
「残暑ですね」
沖田が言うと、土方は
「なに、すぐ涼しくなるさ」
と答えた。


「三.砲  撃」
「千駄ヶ谷の家」