碇シンジの朝は早く、そして覚醒直後から極度の緊張を強いられる。

パジャマ代わりのTシャツ、その胸の所を掴んでいる十本の指を、

相手を起こさない様に細心の注意を払いながら、一本一本丁寧にこじ開け外してゆく。

数分を要し、やっと自分の上半身が解放されると、

次は、やはり相手を起こさない様に、布団の中に残る自分の体温を逃がさない様に、そっと、布団の中から這い出る。

そして「…………ふう」と、ここまでずっと我慢していた溜息を一つ。

シンジは、未だ眠る相手の額にそっと口づけをし、

相手が「……ん……」と僅かに微笑むのを確認してから、静かに襖を開け寝室の外に出た。

 

そこからは手早い物である。

風呂を沸かし、洗濯機を回し始め、そして朝食の準備に取りかかる。

足かけ四年にも及ぶ彼の努力の集大成が、ここに顕現しているのだ。

朝食も後は味噌汁−彼の家の朝食は専ら和食である−を残すところとなり、早くも弁当の準備を始める。

 

とんとんと小気味良いリズムを響かせながら包丁を操っていると、

彼の寝室の襖が勢い良く開かれた。

中からぬうっと現れたのは、赤みがかったブロンドの少女。

ふらふらとした足取りで、だが確実に、シンジの元へと歩いてくる。

そして包丁を使っているシンジに、腰に腕を回して後ろから抱きついた。

シンジは包丁を使う手を止め、腰に回されている両手に自分の手を重ねながら言う。

「……おはよう、アスカ」

「…………おふぁよ……シンジ……」

「お風呂沸いてるから、入っておいで」

「……………………」

「……アスカ?」

「……………………」

「ねえ、アスカったら、ちゃんと目を覚ましてよ」

「…………すぴぃ〜……」

「アスカッ!」

 

ちなみに、惣流アスカ嬢、ここまで来るのに、まだ一度もその蒼い両の瞳を開けていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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mr. self DEATHtruct psyence@mxa.nkansai.ne.jp

 

 

 

 

 

 

 

「ほらバカシンジ、早くしなさいよー!」

「待ってよアスカ、こっちだって急いでるんだから!」

「幾ら急いだって遅刻したら意味無いじゃないのよ! ボサボサしてないで早くしなさい!!」

「解ってるって! えーとガスの元栓は閉めたし、電気も消した、留守電もセットしたから……

 よし、じゃあ行ってきます!!」

「行ってきまーす!!」

 二人暮らしで二人とも家を出るのにそう言うのが、残された二人−還ってきた二人−の習慣だった。

 

「おはよーヒカリ!」

「おはよう、アスカ」

「おはよう、トウジ、ケンスケ」

「おはよーさん」

「おはようシンジ」

 丘の上にある高校、第参新東京市立第弐高校へと続く長く緩やかな坂道、その途中の交差点が、彼らの待ち合わせ場所。

 シンジを間に挟んで並んで歩く三バカトリオの後ろを、弐高の双璧と歌われる二人の美少女がついていく。

 顔のそばかすも無くなり、メキメキと大人らしい美しさの頭角を現してきた洞木ヒカリ、17歳。

 二つに束ねていた黒いお下げの髪はもう無く、今はストレートのまま。

 もう少しで腰に届きそうな髪は、風になびくのに任せている。

 『中学の内にモーションかけとくんだった』と後悔する壱中出身の男子は多い。

 だが所詮それも無駄な話である。

 彼女の前を歩く、額に雑嚢(ざつのう)を引っかけて歩く黒ジャージの少年、それが諸悪(無論彼らにとってだが)の根元。

 彼もまた真ん中の中世的な顔立ちの少年と共に、男子生徒の敵意を一身に受けていた。

 一方、シンジを挟んで、トウジと反対側を歩く相田ケンスケだけが、そんな羊達の味方であった。

 噂によると、彼の『月収』は五万円を超えているらしい。

 だがその五割近くが『撮影料』としてアスカとヒカリの財布に収まっている。

 ヒカリは当初、写真を撮られることは了承したものの、ギャラを貰うことは遠慮していたのだが、

 アスカの『美貌は女の最大最強必殺の武器なのよ! それを最大限に活用しないなんて損よ!!』と言う

 猛烈な攻(口)勢によって、そして『お洒落したら、もう少したくさん振り向いてくれるかなぁ……』などという

 彼女らしいと言えば彼女らしい欲望には勝てず、結局撮影料を巻き上げることにした、らしい。

 だが、現在の所、その撮影料の効果は、期待通りには現れていない。

 

 昼休み。

 三年以上前からの決まり事なのか、晴れた日には何時も屋上で食事取るのが五人の習慣だ。

 アスカの弁当はシンジが作ったもの。

 それとは正反対に、トウジの弁当はヒカリ謹製の一品だ。

 もっとも味だけならシンジのそれの方が上回るらしい(ヒカリ談)が、籠もっている感情が違う。

 行儀は悪いが実においしそうに食べるトウジと、それを笑顔で見つめるヒカリを見て、アスカは何時もヒカリを羨ましく思っている。

 結局は「練習しようと思ったって、シンジ以上のレベルになろうと思ったら一生が終わっちゃうわ!」という結論に達するのだが。

 

 至福の一時を終え、いつもの通り談笑する三バカトリオ。

 トウジヤケンスケが、自分の趣味のことなどを話すのに対して、シンジはというと専ら聞き役に回っている。

 アスカ曰く「あれでも大した進歩よ」

 シンジ自身、チェロの事や、(バンドを組んでいたりする者を除けば)他の同級生に較べてもかなりの音楽好きだというのに、

 その事は滅多に話に出さない。

 彼には彼なりの思惑があるのだろうが、同居人に言わせれば、

「頷いてばかりじゃなくてもうちょっと自分の事も話せば、言うこと無いのに」と言うことらしい。

 そんな言葉に相づちを打つのがヒカリである。

「でも碇君、ホントに明るくなったわよねぇ」

「そうね。もし鈴原の脚が元に戻ってなかったらと思うと、ぞっとするわ」

「ええ。それにアスカも」

「アタシ!?」

「うん。インパクトの後初めて学校で再会した時なんて、酷いものだったわよ。

 体中からトゲが生えてるかと思ったわ」

「嘘! アタシそんなにツンツンしてた?」

「そりゃもう」

「……そうだったんだ」

「でもまぁ、アスカがここまで明るくなったのも、碇君のお陰よねぇ」

「……うん……」

「あー赤くなっちゃって! それで碇君とはどこまで行ったのよ?」

 他の二人と話をするふりをしながらケンスケは聞き耳を立てる。

「え……どこまでって、何がどこまでなのよ?」

「とぼけないで」

「(大きな溜息一つ)別にアタシ達は、一緒に暮らしてるだけよ?」

 そこでアスカは、横目でシンジの方を見る。

 「ニブチン度」では弐高の双璧をなす二人は、変わらずくだらない会話を楽しんでいる。

(ちっとも気に掛けてないなんて……いたずらしちゃえ)

「でも使ってるベッドは一つ、毎晩一緒に寝てるわ?」

「何ぃーっ!!」

「何ぃって……まさか相田も聞いてたの?」

 二人の鈍感男は、何が起こったのか解らず混乱している。

「粛正だ……」と呟くケンスケに首を絞められるシンジ。

「ワイにはどうする事もできひん。許せ、シンジ……」と、トウジは既に諦め顔である。

 親指を交差させ、的確に頸動脈を絞めるケンスケ。なかなかの腕だ。テクニックに於いては、シンジも彼には劣るだろう。

「……ア……スカ……何を……喋っ……た、の?」

「べっつにアタシは毎晩シンジに添い寝してもらってるって言っただけよ?」

「……」

 白目をむき始めるシンジ。ケンスケはもちろん手加減無しだ。

「不潔、不潔よ二人とも……」

肩を震わせる学級委員長。自分から話を切りだしたことはもうすっかり忘れている。

「あ、誤解しないでね、ヒカリ?

 確かにアタシはシンジのことが好きよ?」

 さらっと言う。その言葉がN2並の破壊力を持っている事などつゆ知らず。

「でもただ単に好きなだけなら、自分の部屋で寝るわ。

 アタシとシンジが一緒に寝るのは、単なる偶然じゃなくて、そうする必要があるからなの。

 アタシもシンジも、独りで寝るのが怖いのよ。それこそ手首を切りそうになるくらいね」

「手首を切るって、アスカ……」

「決して冗談なんかじゃないわ。

 昔のアタシ達がどんなだったか、知ってるでしょ?」

 昔とは、サードインパクトの前後の事。

 極限まで傷付け合い、殺意さえ抱き、それでも離れる事は許されなかった。

 そして迎えた最高に最悪な、この上無く甘美なる結末、サードインパクト。

 しかしそれでも二人は決別を許されなかった。

 会話が成立するようになるまで三ヶ月。

 談笑できるようになるまで、さらに三ヶ月。

 互いの気持ちを知り得るまでには、さらに半年を要した。

「うん……」

 ケンスケもその言葉の重さに気付き、首を絞める手を緩める。

 半分あっち側に逝ってしまっているシンジ。ケンスケは殺人未遂だろう。

 目を覚まさないシンジの頭を自分の太股に乗せながら、アスカは言う。

「だからアタシは毎晩シンジの布団にもぐり込んでるの。互いの保身のためにね」

「保身って……でも……」

 何を想像したのか、ヒカリは顔を赤くする。

「何考えてるのよヒカリ?

 この朴念仁に寝込みを襲う度胸なんてあるわけ無いでしょ!」

 ほっぺたをぺちぺちと叩く。しかめ面をするシンジ。

「そんな事心配するよりも、シンジが壊れないように見張るのが、アタシの役目」

 と思ったら次は指でぷにぷにとつつきまわし、

「みんなの前じゃなんともないように振る舞ってるけど、一度落ち込んだら、歯止め、効かないんだから」

 そして髪を優しく撫でる事に帰着する。 当のシンジ本人は未だ三途の川で水遊びをしているのだが。

「ミサトの事、加持さんの事、レイの事、アタシは写真見ただけなんだけどカヲルって言うフィフスの少年の事、

 鈴原の脚の事、お父さん……碇司令の事、そしてアタシの事もね?

 何から何までみんな自分のせいだって思いこんで、独りで勝手に抱え込んじゃう奴なのよ、コイツは。

 自分は引き金を無理矢理引かされたってだけだってのにね?

 ホント、内罰的なところはずっと変わってないんだから」

 シンジの顔が段々と安らかなものに変わってくる。

「……だから誰かが、それは考え過ぎだって、仕方のない事だったって言ってあげなきゃいけないのよ。

 でもそれが出来るのはアタシだけ。他の人じゃ、コイツを理解してあげる事なんて絶対出来ないわ」

 他の三人も、眠り続ける少年の顔を優しく見つめる。

 ただケンスケだけは「こりゃ久方ぶりのベストショットなんだけど……今撮ったら惣流に殺されるな」などと

 少々不純な事も考えていたりするのだが。

 

 タイミング良く昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。

「さ、アタシの話はこれで終わり! 教室に戻りましょ?」

「そうね」

「そやな」

「ほらシンジ、アンタもいい加減起きなさい! このまま置いてっちゃうわよ!」

 少々の手加減をしながら、ビンタを二・三発。

「う……う〜ん……。あれ、アスカ? 何かミサトさんと加持さんが見えたような気がしたんだけど……」

 自分が膝枕をしてもらっていることには気付かない。

「何時までも臨死体験してるんじゃないの! 昼休みもう終わっちゃったわよ!」

「え……そうなんだ。何か記憶が抜け落ちてるような気がして」

「いいから早くしなさい!!」

「うん。……あれ、アスカもしかしてさっき、膝枕……」

「早くしなさいバカシンジ!!」

 結局アスカは顔を赤くするだけで、シンジには答えなかった。

「なんなんだよ……」

 知らぬが仏という言葉が、彼にも適用されるのか、それは神のみぞ知るところである。

 

「晩御飯、何か食べたいものある?」

 帰り道。高校生なのにこんな話題が出てしまうのも、二人ならでは。

「うんとね、ハンバーグ」

「ハンバーグは三日前作ったばかりじゃないか」

「良いじゃない、おいしいんだから」

 さりげなく褒め言葉を混ぜているのだが、シンジは気付かない。相当の朴念仁である。

「そんなに肉ばかり食べてたら……長生きできないよ?」

「うっ……わ、わかったわよ! じゃあスーパーで材料見ながら考えましょ?」

「そうしよっか」

「そう言えば……そろそろスイカ、熟れてくる頃じゃない?」

 ジオフロントの一角、かつて『彼』が毎日丹誠込めて世話をしていたあの畑である。

 インパクト前の戦自の攻撃によって一度は焦土と化したものの、二人が何とか元通りにしたのだ。

「そうだね」

「今度の週末、採りにいこっか?」

「うん。でも二人で食べるとなると大変だよ?」

「青葉さんにも分けてあげればいいのよ」

 ネルフ上層部でただ一人戻ってきた人物、青葉シゲル。

 他国の研究機関やアンダーグラウンドに先駆けて新技術の研究・開発等を行い、法整備を進めるための

 国連直属の研究機関となったネルフの所長として、多忙を極める日々を送っている。

「あ、そっか」

「……ったく、何時も鈍いんだから」

 口ではそう言うが、それほど怒ってはいないのが本心である。

 怒っていると言うより、むしろその性格が好きだったりする。

 自分の心を全部見透かされたら、逆に嫌になってしまうだろうから。

 多少の内緒を作るからこそ、駆け引きが楽しくなる、アスカはそれを理解できるようになっていた。

「……ごめ」

「まーたそうやって謝る! 別に良いのよ、アンタのその鈍さは!」

 でももうちょっとは気付いて欲しいって時もあるのよね?

「うん……」

 多少の妥協も必要だと言う事も、理解できるようになっていた。

「さ、早く行きましょ?」

「うん!」

 

 夕食は二人で一緒に作る。

 しかし火を使ったり包丁を使ったりするのは、何時もシンジの仕事。

 盛りつけや食器・テーブルの準備が、アスカの主な仕事だ。

「「いただきます」」

 食事をしている時は、殆ど会話が無い。

 あるとしても、料理の味付けに関する事だけ。

 遠巻きに見れば静か過ぎると思えるかも知れないが、二人が

「食事は静かに味わいながら食べるもの」

 という意見で一致しているが故のものだ。

 かつての同居人のせいなのか、週末には酒が入る。

 たしなみ程度のものなので、シンジも気にする事なく飲んでいる。

 

「「ごちそうさま」」

 食器洗いはアスカの仕事、その間にシンジは風呂を沸かしてくる。

 逆にしようとシンジは提案したのだが、アスカは何故か聞こうとしなかった。

 アスカが入浴を済ませてから、シンジは最高の家庭教師の元勉学に励み、

 風呂に入って寝るのは日付が変わる時間帯である。

 

 アスカはベッドの壁際の方に寝る。これも朝シンジが抜け出しやすいようにするためだ。

 後からシンジが布団にもぐり込む。

 長くも短くもないキスをしてから、シンジはアスカの頭を抱き込んで、目を閉じる。

 だが本当に眠るのはまだ後である。

 アスカの呼吸がゆっくりとしたものに変わるまで髪を撫で続け、それから本当の眠りにつく。

 

 心の欠けた二人は、結局の所、二人でやっと、一人前なのだ。

 

 

 


あとがき

 元々考えついたのは、タイトルまでの部分でした。

 そこからどうやって話を終わらせるかに四苦八苦。

 そう言えば、トウジのセリフが二つほどしかない。

 許せ、トウジ。君は黙って総てを察する漢なのだ。

 mr. self DEATHtruct psyence@mxa.nkansai.ne.jp