ぐしゃ・・・

 ひゅうううううううううううう・・・・・・

 ぽちゃんっ・・・

「・・・カヲル君、どうして・・・」



どぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!



 サードチルドレン、第17使徒を殲滅。

 この時起きた爆発によりNerv本部は消滅した。








a・i


By Siek







がちゃ

「おはよう、碇君。」

「おはよ、シンジ。」

 今朝もレイとアスカはこの部屋にやってきた。

 シンジと朝の挨拶を交わすため。

 シンジを学校へ連れて行くため。

 シンジに朝ご飯を食べさせるため。

 ・・・シンジを生きさせるため。

 二人の挨拶にシンジは何も答えない。

 大きく見開いた目で天井を見ていた。それだけだった。

 あいかわらず悪夢にうなされ続けて良く眠れず、目の下に隈を作ったシンジを寝汗で濡れたシーツから引き出す。

 風呂場に連れて行き、一緒にシャワーを浴びる。今日はレイの番だった。

 要介護指定を受けた老人か幼児のようにシンジは何もしない。ただシャワーを浴びながら立っている。

 痩せてあばら骨が浮き出た体は日光を浴びていないため不健康に白い。

 隈のひどいやつれた顔。ぼさぼさに伸びた髪。そして・・・

 泥のように濁った、闇のように暝い、生気の無い瞳。

 その瞳は、ただただ見開かれていた。

 そんなシンジをレイはイトオシソウに慈しむように、丁寧に洗う。

 最後の戦闘より3年が経ち、レイの体も女らしくなった。

 相変わらずアルビノ特有の不健康そうな肌の白さは変わらないが、体つきは以前に比べ遥かに豊かになった。

 そんなレイの裸を見てもシンジはぴくりとも反応しない。ただなされるがままだった。

 洗い終えるとレイはシンジの体を拭く。そして自分もさっと水分を取るとシンジに服を着せる。

 操り人形のようにシンジはそれに従う。何もその顔には浮かばない。

 シンジに服を着せ終わると自分も素早く服を身に纏い、シンジと自分の髪に軽くドライヤーを当てる。

 それが終わる頃には今日の朝食・弁当当番であるところのアスカの朝食が出来上がる。

 レイがシンジを食卓に連れて行くのとアスカが三人分の洋風朝食を並べ終えるのは同時だった。

 アスカはレイからシンジを受け取り自分の隣に座らせる。レイはシンジの向かい。

「じゃ、いっただっきまーす!」

「いただきます。」

「・・・」

 いわずもがなだが、上からアスカ、レイ、シンジの発言である。

 シンジはフォークを取るでもなくぼーっと皿を眺めている。

 アスカはソーセージを持ち上げると、そんなシンジの口に入れて食べさせる。

 パン、サラダも同様。

 何か口に入ると、シンジは自動的に咀嚼し飲み込む。

 レイはもくもくと自分の分を食べる。

 だいたいシンジに食べさせるとアスカは自分の分をそそくさと食べる。

 三人とも食べ終わるとレイが皿を流しに持っていき、水に漬ける。

 それから三人は学校へと向かう。





 学校。

 三人は常に一緒にいる。そして独特の雰囲気をかもし出す。

 クラスの生徒はそんな彼らに近づけなかった。例えレイとアスカが魅力的な美少女であろうと。

 そんな三人に隣のクラスの一人の少女と二人の少年が声をかける。

「おはよう、アスカ、綾波さん、碇君。」

「シンジ、惣流、綾波、おはよう。」

「おはようさん。」

「おはよ、ヒカリ!・・・と2馬鹿。」

「おはよう、洞木さん、鈴原君、相田君。」

「・・・」

 周りで賑やかに交わされる挨拶にもシンジは何の反応も示さない。

 そんなシンジにヒカリ、トウジ、ケンスケは少し悲しそうな、寂しそうな顔をするが何も言わない。

 やがて先生がやってきて授業が始まる。

 シンジは機械的に周りに合わせるように起立し礼し着席し、ぼーっと窓の外を眺める。

 そんなシンジをただレイとアスカは見つめる。

 瞬く間に昼休みを迎える。

 彼ら三人は隣のクラスの三人と共に人気の無い屋上に向かい、そこで昼食を取る。

 シンジは朝のアスカと同様にレイに食べさせてもらう。

 ヒカリもトウジもケンスケもそんな彼らを見ても何も言わない。

 ちらちらとシンジのやせ衰えた腕を見て、瞳に罪悪感を漂わせるだけだ。

 そして午前中と同様に午後の授業もいつのまにか終わりを告げ、放課となる。





 シンジ、アスカ、レイは誰と一緒にでもなくそそくさと帰る。

 途中、アスカにシンジを任せてレイは夕飯の買い物に行く。

 シンジを連れて家に帰り着くと、アスカはシンジから目を離さないようにしながら手早く掃除洗濯皿洗いを済ませる。

 シンジは居間のソファに座ってただ虚空を見つめつづける。

 彼の視線の先には、何も、無い。誰も、いない。

 やがてレイが帰ってくる。レイとアスカはシンジに気を使ってか、ダイニングテーブルで紅茶を飲みながら小さめの声で会話を交わす。

 しかしあまり長続きはせず、そのうち二人揃ってソファの上のシンジを見つめる。

 窓からは夕暮れの紅色の光が部屋の中に侵入する。

 シンジは闇色の瞳で虚空を見つめ、レイとアスカは紅と蒼の瞳でシンジを見つめる。

 彼らの視線が交わることは、ない。

 やがて、紅色だった室内が闇に侵食され始めると、レイは夕食の支度を始める。

 出来上がった夕食を三人で食べる。

 やはりシンジはアスカに食べさせてもらう。

 汁物、スープは彼らの食卓には出てこない。以前、シンジがポタージュスープで溺れかけて以来暗黙のうちにそうなっている。

 シンジは水をストローで飲む。ストローを咥えさせると自動的に飲む。

 夕食が終わり、三人で食卓に座ったままなにをするでもなくぼーっとくつろぐ。

 無論シンジがくつろいでるかどうかは誰にも、判らない。

 やがてお腹がこなれてくると、レイはシンジをお風呂へと連れて行き、アスカは皿洗いを始める。

 朝とは違い、ゆっくりと二人で湯船に浸かる。

 シンジが溺れないように、レイは後ろからシンジをしっかりと抱きしめながら横たわる。

 ふと思いついてレイはシンジのペニスを握ってみる。

 色々刺激を加えるも、それは全く反応しない。

 シンジ自身も無反応だった。

 レイは溜息をついた。

 彼女がどんなにシンジのことを愛していても彼はそれに答えてはくれない。それはアスカにも同様だった。

 彼が生きる気が無いのは判る。

 あんな過去を持ち、あんな経験をし、ほぼ全ての知り合いを失った。

 自業自得の部分もあるとはいえ、世を捨てたくもなるだろう。

 だがそうすると彼が何故死なないのかが疑問だった。

 彼が死を恐れ、生からも死からも逃げている、とは思わない。

 しかし、彼は一度も自殺しようとしたことは無かった。

 それでも積極的に生きようとはせず、むしろ死ぬ機会があったらそれを喜んで受け入れる。

 最初の頃、一人で風呂に入って溺れかけた時、彼は暴れることも無く悄然とその運命を受け入れようとした。

 たまたま洗面台で顔を洗おうと思ったアスカが異変に気付かなかったらそのまま死んだことだろう。

 その答えは一月前までは、シンジしか知らなかった。

 そしてその答えを知ると同時に彼女たちは完全にシンジの信用を失った。

 今はこうした日常を通してシンジがいつか心を開いてくるのを待つしかない。

 風呂から上がり、体を拭くとまだ時間は早いが就寝。

「おやすみ、シンジ。」

「おやすみなさい、碇君。」

 二人はそういって部屋の電気を消し、静かに扉を閉めると、シンジの寝室の両隣の自室に戻る。

 最初の頃、二人はシンジに添い寝しようとしたが、そうするとシンジが一睡もしないことに気がつきやめていた。

 何故彼女たちが一緒にいるとシンジが眠れないのかはわからない。

 二人は自室で読書などし、やがて眠りにつく。

 また、何の変哲も無い一日の終わり。

 明日はレイとアスカの役割を取り替えてまた同じように過ごす。

 明後日も、明々後日も、ずっと、ずっと・・・・・・

 変わらない明日が来る事を祈りながら。










 3年前、シンジが初号機を駆って第17使徒を倒した時だった。

 それまでの色々な事象の積み重ねにより軋み、歪んでいたシンジの心。

 カヲルを握りつぶした時、その嫌になる「ぐしゃ」という音と同時に彼の心もオトをたてた。

ぴきぴきぴき・・・

 その時、彼の心はコワレタ。

 そしてその時カヲルは十字架の形をした巨大な炎となった。

 その寸前、初号機は誰の意思によってか、使徒追撃中にEVAで開けた大穴だらけの竪穴まで突っ走り、エントリープラグを射出した。

 レイもATフィールドで飛びながら後を追っていた。

 そしてカヲルの爆発と同時に更に大きな十字架が二本たった。

 初号機と弐号機のものだった。

 使徒とEVA2体、その自爆による衝撃は非常識に大きかったが、いくらなんでも本部が丸ごと消滅するほどではなかった。

 本部は自爆したと思われた。

 これは不思議なことに本部以外、ジオフロント表面部の施設には被害が無かったからだ。

 爆発当時、本部内にいて無事だったのはファーストチルドレン及びサードチルドレンのみだった。

 両者は爆発の衝撃波に乗るように、本部から飛び出したエントリープラグに入った状態で見つかった。

 地底湖のほとりであった。

 不思議なほどエントリープラグ及びシンジとレイは無傷だった。

 これはレイがATフィールドを張ったためだった。

 レイはエントリープラグが地上に落ちてすぐ中に入った。

 シンジを調べる。

 無傷ではあったが、シンジは完全に心を閉ざしていた。

 しばらくして救出隊が来て、すぐに彼らは病院へと運ばれた。

 アスカも同じ病院にいた。

 レイは問題なかった。

 シンジはアスカの隣の病室、脳神経外科の302号室に入れられた。

 シンジはアスカと全く同じように見えた。

 心を閉ざし、外界の刺激に対して何ら反応を見せない。

 死んではいないがそれだけ、生きてもいなかった。

 だが、一つだけ変化があった。といってもシンジに、ではなくアスカにである。

 アスカはシンジが入院したのと時を同じくして、目覚め、回復を始めたのである。

 まるでシンジがアスカの無気力を吸い取ったかのように。

 レイはずっとシンジの病室に付き添った。夜は予備のベッドを出してそこで寝ていた。

 昼はただシンジの右手を握って顔を見つめる。





 第17使徒来襲後、3ヶ月。

 アスカは退院した。

 その日、アスカは初めてシンジの病室に入った。

 複雑な顔をしていた。

 しばらく戸口で佇んでいたが、やがて踵を返して去ろうとした時、レイが声をかけた。

「・・・セカンド。」

「・・・何?」

「もうEVAはないわ。NERVも消えた。」

ぴくっ・・・

 アスカもレイもかすかに震える。己の存在価値と信じていたEVAの消滅という事実に。

「・・・知ってるわ。」

「そう・・・」

 そう、アスカは少なくとも弐号機がもう無いことを知っていた。多分初号機も。



 何故ならアスカが回復したのはそのお陰だからだ。

 つまり、彼女の夢に母・キョウコが出てきたのである。

 最初、また彼女にくびり殺されるのかと思った。

 だが、キョウコはある少年の話を始めたのだった、とても悲しい話を。

 その長い話が終わった時、アスカは夢の中で静かに涙を流していた。

 自分と同じ、いや、自分より酷いかもしれない境遇。

 彼はアスカの境遇に気がついていなかったが、アスカも彼の境遇に気がついていなかった。

 そんなことを混乱した頭で考えている時、母にならんで一人の女性が現われた。

 レイに似ていた。

 その女性は少年のことをアスカに頼んだ。

 そしてレイにも同じ事を頼んだと告げた。

 キョウコも同じことを言った。

 アスカは一瞬躊躇した後了承した。

 二人の母親は安堵したように微笑しながら小さくなって消えた。

 そこでアスカは夢から覚めた。

 しばらく今の夢をかみ締める。

 それから長期間の入院生活により筋肉の落ちた体に鞭打って隣の病室の前までやってきた。少しだけ扉を開けて中を覗く。

 レイが声も出さず、シンジが横たわるベッドにすがり付いて泣いていた。滂沱の涙を流していた。

 レイも夢を見たのだ。ユイの夢を。

 レイは初号機がターミナルドグマから駆け出る瞬間、二人目の記憶が戻っていた。

 その理由はついさきほど判明した。ユイのお陰だった。

 記憶だけでなくユイのお願いまで受け、レイに否やは無く、シンジを助けることを誓ったのだった。

 それを見てアスカは自分の病室へと引き返した。

 今はまだレイに預けておけばいい。自分はまず己の体調を整えなければ。そう自分に言い聞かせて。



「・・・あなたはこれからどうするの?」

「そーゆーファーストはどうすんのよ?」

「・・・私は碇君と一緒にいる。」

「・・・・・・そう。せいぜい仲良くやんなさい。」

 アスカは母との約束を忘れたわけではない。

 この3ヶ月、自分を見つめる時間がたっぷりあった。

 そして気がついた。シンジが好きなのだ、と。

 それから自分がシンジに対して取った行動を思い出した。

 自己嫌悪。

 自分といるよりレイといる方がシンジにとって幸せなのでは?

 このような思考を経て出た台詞。

「・・・どうしてそういうこと言うの?」

 レイの声に非難の響きが混じった。

「・・・あんたのほうがお似合いだからよ。」

 ぼそっと呟く。

 レイが立ち上がりアスカに近付く。そして・・・

ぱあん!

 アスカの頬が高く鳴った。

「そうやって逃げるのね。」

 アスカが小さく震える。

「そうやって私に押し付けて、自分のお母さんとの約束も破って・・・ずっとその罪の意識を背負ってあなたは生きていけるの?」

「・・・」

「・・・」

「・・・言ってくれるじゃない。やってやるわよ!」

 突然顔を上げて元気良く言い放つアスカにレイは微かに微笑んだ。

「ふん、あんたも可哀想にね。せっかくあたしが譲ってやったのに・・・もうあんたに芽は無いわ。」

「ふ・・・碇君は渡さないわ。」

「あたしのことはアスカって呼びなさい。あたしもあんたのことレイって呼ぶから。」

「・・・判ったわ、アスカ。」

 そして二人はお互いに微笑み合う。

 しかし二人は知らなかった。

 恋愛小説のような恥ずかしい会話を交わしている後ろでシンジが一滴の涙を流したことを。

 そしてそれが決して歓喜の涙などではないことを。





 更に三ヵ月後。

 碇シンジは退院した。

 彼は誰も見ず、誰とも話さず、まるで世界に人間は彼一人しかいないかのように、生き始めたのである。

 彼が目覚める前、脳波が覚醒状態になり、モニタは医師・看護婦へと連絡しアスカとレイは期待に胸をときめかせた。

 シンジが目覚めたら、抱きしめよう、手を握ろう、思いっきり笑いかけよう、そんなことを考える。

 そしてシンジの見開いた目、今まで何も写さなかった瞳が変化する。彼の瞳に写るのは白い天井。

 やがて、シンジはゆっくりと窓の方を向いた。

「シンジ!」

「碇君!」

 アスカとレイがシンジの名前を呼び、彼と窓の間に入って彼の顔を見つめる。

 何度も呼びかける。

 だが、シンジは全く反応しなかった。まるでアスカとレイなど存在しないかのように。

 シンジが何か言ってくれるのを待っていた二人はその様子に気がつき、慌てて医師に見てもらう。

 医師も瞳孔反応など調べる。

「異常ありません。」

 彼は告げた。

「ちょ・・・どーゆーことよ、それ!」

「彼の体機能に問題は無いということです。私たちの役目は終わりました。後は精神科医の専門領域です。」

 彼の言う通り、シンジの身体機能は元に戻った。

 あとはリハビリをすれば何ら問題なく通常の生活が送れる。

 問題は彼にその気が無いことだった。

 ゆっくりと精神科医のケアを受けて・・・と思っていた矢先、彼らは病院を放り出された。

 正確に言うならば病院が潰れた。

 ジオフロントにあるだけあって当然Nerv系列だったのだが、嫌がらせのように日本政府が許可を取り消したのだ。

 しょうがなく、彼ら3人は第二新東京に小振りのマンションの一室を借りてそこに移った。

 資金はレイが出した。

 レイはゲンドウからの遺産を貰い受けていた。

 ゲンドウの全財産を。

 ゲンドウの遺書にシンジの名前は欠片も出てこなかった。

 レイを使ってユイに会うことのみを考えていたゲンドウが、遺産をレイに譲る遺書など残していた理由はまったくの謎だったが、レイはそんな事情には頓着しなかった。

 あるものは使う。それが彼女のスタンスだった。

 どうせ病院に入れたところでどうなるものではないだろうから、レイとアスカは二人でシンジの治療に当った。

 リハビリなどは本を読んで機材を取り揃えることで割と問題なく出来たが、精神治療のほうはそうもいかなかった。

 シンジは全く一言も口にせず、自分から何かすることも無い。

 全てはレイとアスカに任せきりだった。

 なんとかならないかと、あらゆる手段をとった彼女たちだがなんら改善の目処は立たず。

 やがて彼女たちは発想の転換を図った。

 自分たちに任せきりなのだから、こうなったらシンジに普通の生活をさせよう、と。

 毎朝普通に起き、学校に通い、家に帰って寝る。普通の学生のような生活を送るのだ。

 彼女たちはその案を実行に移し、それは案外上手くいっていた。

 驚いたことに彼らが転入した中学には鈴原、相田、洞木の三名がいた。

 彼らはお互いに再会を喜び、シンジの状態を悲しんだ。

 シンジが何故こうなったのか、アスカもレイも口を噤んで語らない。

 語っても部外者である彼らには理解できないことだし、彼女たちも語りたいことではないからだった。

 つい一月前まではなんとなく、そんな感じで過ごしていた。










 一月前。

 アスカもレイも実りの無いシンジの看病に些か疲れていた。

 ほぼ二年間、彼女たちはあの手この手を試みてきたが、シンジはなんの変化も見せなかった。

 ゲンドウの莫大な遺産に物を言わせて、無理矢理シンジも彼女たちと同じ高校に入っていたが、その生活に変わりは無かった。

 しかし、実際は彼女たちが気がつかなかっただけだが、シンジは変化していた。

 彼は時々視線を動かしてアスカやレイの顔を見る事があったのだ。

 それは彼が再び世界と接しようとする意思の発現、その前触れとでも呼べるものだった。

 しかし、それは彼の臆病な性格ゆえかあまり頻繁には行われず、鋭いレイにすら気が付かれる事はなかった。

 そしてあるときアスカが提案したのである、ショック療法を試みよう、と。

 シンジに精神的、肉体的な揺さぶりをかけて反応を見ようというのだ。

 精神医学を生業とするわけでもない子供としては仕方が無いことかもしれないが、それは実にタイミング悪く行われた。





 ある日、レイとアスカはシンジを起こしに行かなかった。

 シンジは気にせずに一日寝て過ごした。

 翌日、やはり二人は起こしに来なかった。

 やはりシンジは気にせずに一日寝て過ごした。

 その翌日、やはり二人は起こしに来なかった。

 シンジは、ちらりと部屋のドアを見やったが、特に何の行動も起こさなかった。

 更にその翌日、シンジの部屋に訪問者が三人入ってきた。鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリである。

 ヒカリはいきなりシンジに詰問口調で尋ねた。

「碇君、アスカと綾波さんがどこにいったか知らない?!」

 シンジは答えなかった。

「シンジ、これ見ろよ。」

 ケンスケが些か険しい口調で身動ぎもせず天井を見つめつづけるシンジの眼前にメモを二枚見せる。トウジは腕組みしてシンジを睨んでいる。

 ちなみにトウジはなんとか義足によってそれなりの生活が出来るようになっていた。

『もう疲れました。あとはレイに任せます。アスカ。』

『アスカ、碇君のこと、お願い。レイ。』

 三人とも気が付かなかったが、シンジは実はメモを読んでいた。

「これが二人の部屋にあったんだ。」

「そして二人ともいないのよ。」

 ヒカリが冷たく補足する。

 勿論これらは芝居だった。

 もしこれが本当だったら彼らはどうやって家に入ったというのだ。

 もちろんレイとアスカは部屋の外から中を窺っていた。

「ねえ、碇君、あなたいつまでそうやって逃げてるの?」

 ヒカリが責める。

「あなたのせいでアスカと綾波さんはずっと学生らしい生活もしないでいるのよ。そして疲れきってしまった。碇君はなんとも思わないの?!」

「シンジ、いい加減起きたらどうなんや?そうやって寝とってもどうにもならへん。それでも男なんか、われ。しっかり生きてから死ねや。」

 そのトウジの台詞にシンジがぴくり、と反応した。

 三人と二人は室内外で思い通りいったことに思わず心の中でガッツポーズ。

 彼らはシンジにわざと冷たい言葉をかけていたのだ。

 更に言い募ることによって更なる反応を引き出そうとした彼らは、全員凍りついた。

 シンジが首を巡らせて彼らを見たのだ。

 闇より昏い、液体窒素より冷たい瞳で。

「・・・

 シンジの口が微かに動く。三人がシンジのそばによる。

「・・・いい加減にしてよ。

 さきほどよりはっきりと聞こえた。

 何年も喋っていないため酷くかすれた声ではあったが、シンジが喋るのを彼らは聞いた。

 内容はともかく。

勝手なこと言うなよ。

 シンジの声は限りなく細く、冷たい。

 それでもシンジが喋っていることが彼ら三人(と二人)は嬉しかった。そして更なる挑発を加えることによって更に反応を引き出そうとした。

「勝手なことやと?!」

 そう言ってトウジがシンジの寝巻きの襟首を掴む。

「・・・そうだ。何も知らないくせに。

「何を知らないって言うんだ?」

 そのケンスケの言葉に更にシンジの周りの空気の温度が下がったような気がした。

 いくらなんでもシンジの様子がおかしいことに彼らも気が付いてはいたが、もう止められなかった。

「・・・幼い頃に母さんを亡くし、父さんに捨てられ。

 預けられた遠縁の家では無視され。


 何年かぶりに会った父さんは何の説明もせず、暖かい一言すらなく、何も知らない僕をEVAに放り込んで使徒の前に放り出し。

 その後も怖いのに、痛いのに、嫌なのに無理矢理EVAに乗らされつづけた。

 父さんは僕と同じ年の、母さんのクローンに入れ込んで、息子である僕は全く無視。

 保護者はずぼらで似非家族を気取ってるけど、いざ戦闘になれば死ねと命令してくる。

 しかも僕は復讐のための道具だったんだ。同居だって道具のメンテナンスだったのかもしれない。


 あとからやってきたアスカには散々馬鹿だのなんだの罵られ馬鹿にされ殴られ。

 家事は全部僕に押し付けられて休む暇もなく。

 初めて出来た友達の足を奪い。

 好きになれたかも知れないアスカは壊れて。

 憧れていた綾波は死んで。

 生きていたと思ったら僕の記憶を持たない同じ体を持つ別人で。


 生まれて初めて僕のことを好きだといってくれたヒトを僕はこの手で握りつぶした!

 ・・・・・・そしてそのおかげでNervの人が何千人と死んだんだ。僕のせいで。」



 あまりに壮絶な内容に皆一様に声も無い。

 アスカとレイは部屋の外、ドアの後ろで立ち尽くし顔色を蒼白にして細かく震えている。

 アスカの心を過ぎるのは今までシンジに浴びせてきた罵声の数々。

『馬鹿シンジ』

『あんたなんかに・・・』

『こぉんなうじうじしたやつ・・・』

 アスカは自分がシンジの事を好いている事に気がついた。

 そしていつかこの思いが受け入れられるとどこかで信じていた。

 だが今までの自分がシンジをどれほど傷つけていたかを全く考慮に入れていなかった。



 レイの頭を過ぎるのは過去の自分の態度。

『私が信じているのは碇司令だけ。』

『初号機は私でも動かせるのに。』

『知らないの。私多分三人目だから。』

 それらの行動や言動はどれほどシンジを傷つけてきたのだろう?

 そして痛いほどの静寂の中、シンジの声が聞こえた。



それでも僕は死ねないんだ。

「カヲル君は僕が死すべきではないといって死んでいった。」

「・・・カヲル君の命を貰ったんだ。僕は死ぬわけには行かない!

「でも・・・生きたくも無いんだ。」

「それの、何がいけないっていうのさ。」

「シンジー!」

ドガッ

 芝居抜きでトウジは思いっきりシンジを殴った。

「なに泣き言言っとるんや、われ!それならなおさら悶え苦しんで見っとも無く足掻いてでもしっかり生きたらんかい?!」

 トウジは知らない間に涙を流していた。

「わいは足を無くしたからってお前の事なんかちいとも恨んでなんかおらん!義足になってうまく歩けんでもちゃんと生きとるんや。

 お前は今みたいにしとって、そのカヲルちゅーやつに胸張って『生きてる』言えるんか?!」

「そうよ!それに碇君、結局自分のことばっかりじゃない?!アスカや綾波さんはどうするの?」



 それでおしまいだった。

 シンジの中で何か動き始めていたものが、完全に凍りついた。

 結局は皆自分のことしか考えていない。

 トウジ、ケンスケはこんなシンジを見ているのがつらいから。

 ヒカリは自分の友人が苦しんでいるのを見るのがつらいから。

 誰だって自分本位に生きている。彼に近しいはずの友人たちでさえ。

 アスカとレイも、自分の幸せを求めて出て行った(とシンジは思い込んだ)。

 今までだって世話を頼んだわけではない。

 だいたいその二人はシンジが絶望の淵にいるときに、そのシンジをネタに勝手に仲良くなって幸せそうではないか。

 彼らにシンジのことを責める権利など無い。

 自分の周りの小さな幸せを得るために他人の意思を無視して自分の意思を押し付けているのだから。

 シンジは完全に心を閉ざし、その瞳は虚ろにナニモノも写さず、全く何の反応も示さない・・・ただの人形になった。






 トウジ達三人はシンジの部屋を出ると、悄然と立ち尽くしたアスカとレイを連れてリビングに行き、暫くお互いに慰めあうと帰っていった。

 明らかに失敗した試みに、そしてその齎した破壊的な結果に半ば呆然としながら。

 そしてアスカとレイは失意の涙に暮れ、やがて泣き疲れて其々自分の部屋で寝た。

 翌朝、それでも起き出してきてシンジを起こそうとした二人が見たのは誰もいないベッドと開け放たれカーテンが揺れる窓であった。










 その後、アスカとレイは半狂乱になってシンジを探した。

 しばらくして彼女たちが学校に来ないのを心配して家を訪ねてきたトウジたちもこれに参加した。

 だがシンジの行方は杳として知れなかった。

 もはやNervは壊滅しているので、問い合わせるべき保安部はいない。

 EVAのない三人には何の価値もなく、戦自や内調などもまわりにはいなかった。

 聞き込みをしても誰もシンジを見かけたものはいなかった。

 そして三週間後、ようやくアスカとレイはシンジを発見した。

 それは第三新東京市跡の湖のほとり。

 彼女たちが知る由も無いが、そこはシンジとカヲルが出会った場所だった。

 シンジはその三週間、全く何も食べていなかった。

 相当な栄養失調に陥っており、酷い脱水症状にもかかっていた。

 だが、そんな状態になってもシンジは生きていた。

 すぐ目の前にある湖に身を投げる事も無く。

 ただひたすら水面から突き出る彫像の一部を眺めるのだった。










 シンジを発見して泣いて縋りつきたい気持ちを押し殺して彼女たちはすぐに行動を起こした。

 こんな場所では救急車など呼んでも来ないので、アスカがドイツ支部時代に受けた訓練を生かして、放置自動車をかっぱらってきた。

 そして飛ばしに飛ばして第二新東京市まで戻ってくると、総合病院に乗り付けたのである。

 最初、医者が匙を投げ出すほど酷い症状だったが、治療を始めるとゆっくりとではあるがシンジは治り始めた。

 決してシンジが死にたいわけではないことを見せ付けながら。

 一週間ほどで大体危機的状況を脱するとアスカとレイは無理矢理退院させて、家に連れ帰った。

 シンジが病院を嫌っていた事を知っていたから。

 そしてまた以前のような生活を始めたのである。

 以前より完全に心を閉ざしたシンジと共に。










 更に三年後、チルドレンが二十歳になった年の六月六日。

 シンジが死んだ。

 法的に彼の嫌いな大人になったときに。

 死因は衰弱。

 失踪前に心情を吐露して以来、一言も喋ることなく、誰も見ることなく。

 夜、誰一人見守る事も無く死んでいった。

 唇を噛み切り、流れた血で白いシーツに「a・i」と書き残して。

 果たしてそれは愛、会、哀、逢、穢、私(I)、目(Eye)・・・・・・

 誰にも判らなかった。





Fin