昭和最後の初日の出の旅大バカ2人組珍道中 2
■12月31日 くもリ
朝10時頃出発。なんとか今日中にと気持ちは焦るが、なかなか前に進まない。
目の前のVFは、この冬の北海道にはミスマッチで、こける度に笑ってしまう。
昼にようやく276号線という、メジャーな所に出た。
この道は雪が溶けており、車がビュンビュン走っている。
「よし、今夜中に行けるかもしれない」。とりあえずここで昼飯を食う。
すると地元の人が、あと2時間もしないうちに、この道もアイスバーンになると教えてくれた。それでも今年は異常な暖冬だそうで、僕らは運がいいそうだ。
まだ目的地まで、4分の1も進んでいない。夏なら数時間で行ける所なのに…。
右は小樽、左は宗谷。断念するか、アタックするか!束の間溶けている国道を前にして、いろいろ話し合ったが、結局断念する事にした。
初日の出を拝まなければ今回来た意味がないし、帰りのフェリーにも間に合わなくなる。
後ろ髪を引かれる思いで、宗谷を背に、国道を小樽に向かう。
雪が溶けて、道路のアスファルトの部分が幅50cm程見えている。そこをここぞとぱかりに走る。しかしVFは前輪がボーズなので、うまく走れない。
2時過ぎには道路が、テカテカと光ってきた。今日は100kmも走ってないのに、もう進めない。
今日は大晦日。
なんてみじめな年の終わり方なのだ。今夜の宿は、無人駅。背中に積んでいた水が、いつしか氷になっていた。
2人で近くの公衆浴場へ行き、一年の垢を落とす。
その後、風呂場の横のレストランで、値の張る定食を味わいながら、紅白歌合戦を、営業時間の終わりまで見てから、店を出た。
暗い国道をひた走り、月が丘駅の待合室で寝る準備をするが、どうも気分が重い。
ここが宗谷岬ならどんなにいいだろうなどと話しているうちに、1989年が来てしまった。結局2日間で200kmも進めなかった。
夜は冷え込みがきつくて、あまり寝られなかった。
■元旦 くもり
国道は昨日よりも溶けている。一目散に小樽まで突っ走る。久々にスピードが出たので、変な感じがした。
途中雨が降り出して泥々になり、惨々だったけど、大きな転倒もなく、無事にフェリー乗り場に着いた。
4日の朝まで船は出ないので、計画を練り直す。やはりこれだけ雪に悩まされたのだから、雪を逆手に取り、もう、遊ぶしかないという事になり、今までの無念さをスキーで晴らす事にした。
近くの天狗山スキー場で残りの3日間を過ごす。
しかし、生まれて初めてのスキーなので、ここでも転びまくり、もうすぺて嫌になる。それにしても、大塚君がスキーウェアを着て来たのは、単なる偶然だったのだろうか?
■1月4日 晴れ
2日目はYHが一杯で、フェリー乗り場にテントを張って暮らしたりと、あれやこれやといううちに、出航の日はやってきた。
乗船の順番を待っていると、誰かデッキで手を振っている。行きの船で一緒だった、大酒飲みのNTTだ!
お互いの無事を祝い、白い北海道を後にした。
帰りの海は大変穏やかで、空は快晴。
目的は果たせなかったけど、夏とは違う冬の北国を体験できたし、地図上で、上へ上へと進んで行こうとするのは、何だか〃宗谷岬〃という山の登頂を試みているような感じがしたし…。
大塚君は、時間さえあれば…としきりに残念がっていた。
船旅も終わりに近づくと、かなりの乗客が甲板に出て、外を眺めている。舞鶴は雪の気配すらなくて、それまでの白黒の世界から、総天然色の世界へと入って行くにつれ、今までの事が嘘のよう。そして、明日からまた仕事だというのも、信じられない。
フェリーが着き、チェーンを外すと一気に大阪まで帰った。
■あとがき
結局僕らは、夏なら半日程で進める所を、3日間もかかってしまったようだ。
結論は、物理的には行けたが、時間的な壁があり、無理があった。
今回の事実を冷静に受けとめ、平成最初の初日の出は、時問を大きく見積り、大胆にも、VFとモンキーとで成功してみせるという事になった。
結果報告を楽しみにしていてくれ。
以上、VFのすべてを信じ続ける僕の友人・大塚君との実話でした。
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