波照間

今年、最北端は断念。理由はマイワイフの妊娠中。
いろいろ検討した結果、どうせ行くなら一番反対の南、日本最南端に決定!地図で見ると波照間島という小さな島。
沖縄から石垣島まで行き、そこから高速艇で1時間程の南にある、人口600人ぐらいの島。もう台湾に近い場所。


今回バイクは、あきらめることにして、飛行機もなんだか早すぎて節操がないし、オール船で行くことに、車を乗せて行こうと思い沖縄までのフェリー料金聞いてびっくり!片道10万近く!「ええーっ!」往復で、車が買える!というのは僕にとっては大げさではない。
なら自転車ではどうだ、などといろいろ考えたが、逆に足手まといになりそうだし、 足はむこうで確保することに。
最低限、大晦日の宿だけは確保しておこうと波照間島の民宿に予約をするが、呼び出し音が、遠い。
つながったら、横から鳥の鳴き声、バイクが砂利道を走る音。外の声がよく聞こえる。
すごくローカルな感じが電話でわかる。
5軒中、3軒予約で一杯、1軒は正月は営業しない、残るは1軒、全然つながらない。しかし結構端っこ好きなやつはいるんだなあ。
そんな状態で、沖縄行きのフェリーに乗り込むことに、

12月24夜

大阪南港出発
船長さんにこの船は揺れるか聞く。
今回は天気もいいので大丈夫と言うことだ。
船旅はちょー快適、この時期、北海道フェリーでは生活のための移動の民が半分ぐらいはあり、船内は演歌の雰囲気だけど、こっちのフェリーはなんだか、ウキウキ観光メイン。もしかして今回の僕がバイク抜きなので、浮かれているのかも?
陸地が肉眼で見える場所では船から直接、携帯電話が使え便利。
船の中で、昼メニューの中に、ゴーヤチャンプルーという、ニガウリと野菜炒めをみつけ注文した、味は「!?」
だらだら過ごしているうちに、いつの間にか九州通過!らくちんらくちん。
12月26日早朝、那覇新港到着。
港に着いてびっくり、こんな朝早くにうろついている人の服装はビーチサンダル、半ズボン。実際暖かい。
いつもなら今頃は、小樽でソレルの防寒ブーツを履いて、雪の上なのに。
初めての沖縄。道や建物が本土とは雰囲気が少し違う!。
基地周辺、国道、アメリカと台湾と日本のそれこそチャンプルー。気に入りそう。

27日夜。

石垣行きのフェリーに、乗船。この船の終点は、台湾なので国際船?というのか、なんだかおもしろい。

28日朝石垣島入港。

どんどん暖かくなり、半袖半ズボン。
船着き場から緑がまぶしく、家もあまりない。いきなり土の感じローカルで、いい雰囲気。
途中近くの島に寄り道して、90のカブをレンタル、ヘルメットなんてのはこの島ではいらないみたい。ノーヘル裸足でGOGO!

29日

一日2便の高速艇で、今回の目的地、波照間島へ。
海の上をすっ飛ぶ感じで、結構揺れる。船に酔ってしまい1時間、時計とにらめっこ。
結局、民宿が30日の夜のみのしか予約できなかったので、大晦日は島のどこかで野宿予定。
30日は「けだもと荘」という親切なおばさんの宿で、その日は偶然、夜、地元の人たちの宴会で、真っ暗の夜道のなか車で運んでもらい、畑のビニールハウスで民謡を聴かせてもらい、山羊鍋などもいただきながら、最高の夜でした。
こんな端っこの島の人たちは、僕にとって興味深く、地元に人に生活を聞いてみると、不便な端っこの島と思っているのは外から来た僕だけで、ここの島のひとはここが真ん中。あたりまえのことだけど、あらためて感じた。
宿のおばさんが子供の頃は、この島には当然電気なんて無く、それまでは冷蔵庫がなかった生活で、電気が来て初めて氷を触ったとき、初めての感覚に、「熱い!」と言って、その時大人の人にこれは冷たいって言うんだよと教えられたそうだ。
この島の人たちは、明らかに僕たち「本土」「やまとんちゅ」とは一線を引き、この島に生まれた、血、運命のようなものを、すごく大事にしていると思った。
そして東京から発しているテレビがこの島の人を通してみると、妙でしらけた物に見える。
話していた一人のおしゃべりなオッサンが「今から仕事だ」と言って、この島の自家発電所に自転車で行った。

31日
民宿はこれで終わり、お土産のおにぎりをもらい、昼過ぎに歩いて、最南端に到着。
途中道ばたでかわいい山羊を何度も見たが、昨日あいつの仲間を食ったんだと思ったら、やはりあれは食いもんなんだと自分に言い聞かして、見ることに。
最南端記念碑近くの屋根とベンチがある休息所を今日の宿とする。
大阪を出てからずっといい天気で、このままなら明日の初日の出も見られそう。
ラジオを出し受信チェック。紅白歌合戦ok! この1日野宿のために、那覇の軍の払い下げ品屋に行って、シュラフを買っていた。
この手の店も観光用とそうでないのとあって、観光用の方は、品物がきれいで、商品在庫もきっちりあり、えせ中古が混じってる感じ、それに比べほんとの方は、店に入るのからしてなんだかヤバイ感じで、品物もぐちゃぐちゃ、値段も親父またはババアの言い値だけど、こっちは掘り出し物がたくさんあり、トラック借りて一杯荷物つめて船に乗って帰りたくなった。工具箱とか、机とか。
その買ったシュラフをコンクリートの上広げ、ここが寝室、ここが調理場、などと家のように配置する。
ふきっさらしの場所だけど、我が家が出来た。
快適すぎてなんだか怖い!
いい天気で、Tシャツ、何もないから、何もしない。
海鳴りと、風の音だけ。
昨日の夜、この島にいる年越しライダー数人と会い、やはりこの最南端で、初日の出を拝むのだそうだ。
その中に、僕と同じ綾部に住んでいる兄ちゃんがいてびっくりした。
今回僕は奥さんずれで、それもお腹には6ヶ月の赤ちゃんが入っている。
バイクは乗ってこられなっかたのは,少しさみしかったけれど、またこうして2人で、気ままに歩いてうろつくのもたまにはいいもんだ。
そしてこんな所までいっしょに来てくれるコナツにも、感謝。

そして、お腹には、元気な赤ちゃんで出てくれよ!
やがて日が暮れ、海に今年最後の太陽が沈んでいく。
次、反対の海から上がるときは、初日の出。
シュラフに入り紅白歌合戦を聞いている頃、こっちに人影が来る。
同い年ぐらいの男の人で、仕事は神奈川の高校の地理の先生ということだ。
こちらと同じく、民宿あぶれ組で、僕たちの家に玄関から上がってもらう。

お互い酒を交換し、早速この先生に琉球王国からの、沖縄の歴史なんかを、 教えてもらう。
こんな先生に教えてもらう生徒は幸せもんだなあと思う。
しかし先生が多いなあ。こういう時こういう所に、いる人は、だいたい仕事聞いてみると、先生が多い。
そういう僕も、この仕事の端くれだから、しかたないか。

ゆくとし来る年あたりで眠ってしまう、 よなかに車の音で目が覚めた、若者の酔っぱらいが、岬でわいわい、すごく楽しそう。たぶん帰省で、久しぶりの再開みたい。でも何をいってるのか不明。
これは方言というよりは、別の国の言葉に近いような。
やっぱり夜中は寒かった。
早朝
海から朝日が昇る、観光客や地元の人で、賑やかだ。
最北端の初日の出から、ここの日の出まで数十分時間差があるだろうけど、 今この瞬間、あっちでも毎年のことが行われているんだろうなあ、 しかしこの快適な気候からは、も一つ現実感がわかない。
一通り記念写真撮った人も帰り、しばらくすると、また静かな最南端になった。
荷物をまとめ船着き場へ、だんだん曇ってきた。
船が波照間島を離れる。今度この島に来ることがまたあるのだろうか? 石垣に戻り、飲んだものはアイスティー。店は冷房がかかっている。
ほんとに汗ばむ気候。
那覇で、3日間友人のタンちゃんにベリイお世話になる。
タンちゃんの知り合いの台湾人経営のビジネスホテルを紹介してもらい,正月なのに値切って1泊3000円。タンちゃんがどうしてもかりろというので自家用車も借りる。
特別安い駐車場を教えてもらい、那覇の国際道り近くなのに、1日停めても700円ぐらいの爺さん経営。こういうところが沖縄のいいところ。
タンちゃん自身も元は台湾人で、沖縄というところはごちゃ混ぜの島。
丁度、普天間基地返還云々の問題でテレビでは連日騒いでいた最中だったけど、 実際大騒ぎしているのは、テレビだけのような感じ。
タンちゃんは実際基地が沖縄から無くなれば、困る日本人もたくさんいるのにそういうことはあまりテレビでは言わない。と言っていた。
それぞれの基地の近くには、兵隊さん相手の飲屋街があり、でも今は、ほとんどが廃墟、ゴーストタウン。朽ち果てた看板、抜けた空の色、いろあせた車、ブロックの建物、以前はここはアメリカだったんだもんなあ。
沖縄気に入った。みんな親切。沖縄に住んでみたい。

1月4日
沖縄新港出発。
払い下げ屋で値切って買った、弾薬箱に一杯自分のお土産を詰め込み、乗船。
5日夜大阪南港、到着。
雨、寒い。夢から現実へ。
今年4月に産まれてくる子は、いったいどんな子になるか楽しみ。
おわり




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