一青記2006

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2006年12月30日 8:30:48

12月15日放送のTBS「ドリーム・プレス社」の録画を見ることができた。 
もらい泣き と てんとう虫 を歌う一青窈に、何故かしら新鮮な気持ちを感じてしまった。

この番組に対してのスタッフの段取りの悪さを指摘するファンサイトの意見など取るに足らない程に、一青窈の歌唱の素晴らしさの印象が強く心に残るのは、
「もらい泣き」を歌う一青窈の姿に感銘を受けたからなのかも知れない。
恐らく、一青窈は、久々に本当に”緊張”した気持ちで歌っていたのだろう。
人の気持ちは、「目の色」に表されるものだから、一青窈の目の表情を注視すれば、一青窈の本気度が分かる。
顔の表情ばかりに惑わされずに、、、、目の表情だけに注目すると、、、、所謂、これが本来の「もらい泣き」の姿なのです。

哀しみと一瞬の喜びが交錯するのが、一青窈のもらい泣きなのです。
しかも、その一瞬の喜びこそが、誰にも真似できない一青窈の目の力なのです。
そして、その哀しそうな目に吸い込まれそうになりながら、音符に忠実な歌唱法で歌う姿を、年末に見られて、良かったと思う。
一青窈の「もらい泣きに込められた想い」は、健在であった。それを知る事が出来ただけでも良かったと思う。
近頃のロック調もらい泣きなど、霞んで見えてしまう。

この時の”もらい泣き”が、次の”てんとう虫”に繋がって、歌唱力が引き締まっている。
気持ちを込めないと、あの目の色は出せないから、一青窈は、もらい泣きとてんとう虫を、凄く丁寧に歌唱していたと思う。
丁寧に歌うことは、、、、それは、一青窈らしさを示すことでもあった。
そんな気持ちを込めて歌う姿を観られただけで、私は満足している。


2006年12月26日 23:10:47

このホームページは、プロバイダの容量も限界に近づき、物理的に不可能となる日が近づいてしまった。
私は、アクセス解析が馴染めないから、フリースペースを使うつもりはありません。

最近の一青窈のTV番組も、録画したままで、その感想は、もう少し先のようです。
いずれ一青窈思考も、その役目が終わるから、今はもう、ホッとしている。

このHPを、いったいどれ程の人達がみてくれているのかも分からないまま、これまで続けてこられた事が、「音楽のミラクルパワー」なのだと信じながらも、
現実は甘くはなかった事を、実感している。だけど、一青窈の歌は、私の心を支えてくれたし、これからも支えてくれるに違いないと信じている。
一青窈に惹かれるのか、一青窈の歌に惹かれたのか、、、、、後者の想いが、私を支えている。


2006年12月25日 23:53:27

goo のblogを退会したので、一青思考blogは消滅した。gooのメールアドレスも、消滅した。
過去の書き込みを消すに忍びないから、goo のデータは、この一青窈思考に移したけれど、いずれ一青窈思考も消滅し、1人のファンが居なくなるだけ。

一青窈の本気の歌声を生で聴きたかったけれど、、、、私は運が悪いのか、それとも嫌われてしまったのか、、、
一青窈の人気が上がれば上がるほど、コンサートが遠い存在となってしまった。

これで、一青窈思考を終える気持ちに整理がついた。
ただ、一青窈の「うた」に出合えたことは、感謝している。


2006年12月5日 20:20:21

この一青窈思考が、BESTYOのフリーコンサートと同じくして終わるのが何か因縁めいたものかも知れないけれど、
歌うことに何倍ものエネルギーを要すると言った「大家」ですら普通の力で歌ってしまっては、もう一青窈の歌声は聞こえない。
ただ残念なこと、、、、、、そして、そのまま、終わってしまった。

ライブへ行けない事を嘆いてるなんて遠い昔の事の様でも、私は、やはり一青窈の歌はじっくりと座って、そして真剣に聴きたいと思っていた。
そんな機会は、もう二度と来ない事が、、、、、このHPを止める動機のひとつとなった。
一青窈は、自身の魅力を最大限に発揮する方法を知りながら、本物として実践する事を拒んでいたかのようだった。

私は、一青窈の歌声を聴く事が難しくなってしまったから、それに、色々と忙しくなり、このHPを続ける事が出来ない。
今までアクセスして頂いた皆様、いろいろとありがとうございました。


2006年11月25日 21:13:13

一青窈のYahoo!チャリティオークションが行われている。
締め切りがBESTYOの発売日まで。
一青窈の殆どのファンなら、このオークションの矛盾点に気付いていることだろう。
全くもって、馬鹿げている。

オークションの趣旨すら、オークションの意義すらも、、、物の価値が空虚と化し、一青窈には似合わない。
ありがたさも、楽しさも、何も残らない、、、、そんなものが、一青窈には似合わない。
こんな結果は、始める前から分かり切ったことだった。


2006年11月25日 18:53:34

一青窈は、ミュージックフェア21で、ハナミズキ もらい泣き てんとう虫 声 を歌った。

ハナミズキは、デュエットで、歌詞も短く、声は控えめに出していた。
今更ながら、ハナミズキが難しい歌であることを知ることが出来た。

もらい泣きは、ソロで、、、所謂、ロック風なもらい泣きと、本来のもらい泣きの中間のような歌い方であったが、
歌詞のひとつひとつは丁寧に発せられていたから、少しだけ安心するような感じであった。
これ位のリズミカルであれば、もらい泣きとして成り立つものであったのだが、、、
よくよく聴いてみると、、、、一青窈が、あえてロックと称するまでもなく、一青窈のもらい泣きは、さほど変化はしていない。
もらい泣きがロック調になったと思わされているが、それは先入観の植え付けに過ぎないだけで
映像を見ずに声だけ聴くとは、それなりにもらい泣きを歌っている。
しかし、映像による演奏とのアンバランスが気になるだけだった。

てんとう虫は、勿論、ソロであった。
会場の雰囲気のせいだろうか、、、しっかりと丁寧な歌い方が、やはり一青窈には似合っているのが感じ取られる。
この歌は、コンサートで聴くのが一番良いのかも知れない。
だけど、ヒットはしないだろう。だから、いい歌になるだろう。

声は、デュエットであったが、一青窈のソロの部分だけでいいと思った。
一青窈の歌の上手さを再確認してしまったから。

このテレビでの歌唱は、総じて声も良く出ている方であったが、、、
もらい泣きなどで、あえて苦しい音を出す必要もないのに、それが出し切れていない歌い方では、もらい泣きも苦しい歌になるだけであったが、、、、、
しかし、一青窈の声が、総じて良く出されていたのは、この時の為に練習をしたからであろうと推測されるが、、、
極度の緊張感が無かったから、上手く歌えただけでは無い、、、丁寧に歌わなくてはならない雰囲気が、一青窈の歌唱を向上させたかのように思えてしまったようだが、
やはり、一青窈の声の魅力は、あの低音に込められた装飾音符に尽きる。


2006年11月24日 23:53:59

一青窈は、12月3日に、よみうりランドで、必ず「大家」を歌うであろう。
その地で、一青窈は楽しく歌うのか、それとも泣き歌を歌うのか。
未だに遠い熊野の地を差し置いて、よみうりランドの観覧車に乗ってみたくなりました。

BESTYOに合わせた演出も、見所満載が必至だけど、、、それでも私は、渋谷AXの「大家」が聴きたいと思っている。
1万人を前にして、客席の前後の温度差を差し引いても、一青窈は、特別なパフォーマンスを魅せてくれるに違いないだろう。
それなのに、やはり、よみうりランドは遠い。


2006年11月24日 22:40:13

一青窈は、ミュージックステーションで、てんとう虫を歌った。
歌唱の出来は、ギリギリの合格点だろうか、、、。

不安げな眼差し、、、ドキドキした気持ちから安堵のため息へと、、、一青窈は緊張していた。
だけど、歌い方にはヒットする要素が少ない。
サラリと流れる曲調が一青窈の個性を引き出していないし、歌詞の語間からも一青窈らしさが感じられないし、、、、。
何度でも聴きたいと思わないのは、表情を崩す必要もない歌い方のせいなのか。

これが、一青窈が言う”鋳型”を取り払った姿なのか、、、一青窈でなければ歌えない歌と言えるのか、、、。
Music Lovers の一青窈の方が、歌い方に人間らしさがあった。
「素朴さ」こそが、一青窈の歌が活きる道なのに、、、、、もっと、もっと、歌い込む必要があるのだろう。


2006年11月20日 23:17:48

久しぶりのTV出演での歌唱が、思いの外だったのは、一青窈自身が一番良く分かっているはずであろう。
今回のように、上手く歌えなかったことは、以前にもあったことで、、、、それは、、、ハナミズキの時だった。

久しぶりの歌唱と、、、新曲披露が重なって、、、、、何か歯車が合わないような歌い方が、、、、次のTV歌唱では、見事に復活したことが、ハナミズキだった。
今回も、その時と同じように、、、次の歌唱では見事に修正して復活するのだろうかと淡い期待もあるが、、、、しかし、、、。
どうしてあんな歌になってしまったのか、、、、、、、、、、、検証しなければ、次につながらないだろう。

昨日のテレビは、一青窈の力が出し切れなかったから、褒めることは出来ない。
ロックなもらい泣きに固執することは似合わないし、良い歌は、シンプルに歌ってこそ活かされるのに、、、、、、それが出来ない一青窈ではないのだから、、、、。
それとも、ハナミズキに押しつぶされてしまったのか、、、。


2006年11月19日 23:59:12

Music Lovers で、一青窈は、ハナミズキ もらい泣き てんとう虫 を歌った。
一青窈が歌う姿を、ライブで観ることが出来ないけれど、テレビを通してなら見ることが出来る。
ライブに、、いくら応募しても当選しないし、応募しようとしても日程が合わない。
それは今後も同じだから、もう、それで良いと思えるようになってしまった。

一青窈のファンも増えて、、、、一青窈の歌も変わり、歌に対する姿勢も変化してしまっては、、、。
もう、一青窈の生歌は聴くことが出来ないし、一青窈の歌に対する情熱が見えなくなってしまっては、この一青窈思考を続けることが難しくなった。

一青窈は、変えてはならないものまで変えてしまった。
変わっていく一青窈を応援することは可能だけど、、、変わって欲しくないところまで変えてしまっては、、、、そんな歌を応援する気持ちになれない。
とても残念なことである。

あれでは、、、まるで宴会場のカラオケタイム。
それは、今まで聴いた中で、最悪のもらい泣きだった。
コメントする気力も、失せてしまった。


2006年11月18日 21:54:51

よみうりランドへ行くことが出来なく成りました。
ハガキ応募も出来ません。
せめて土曜日なら、、、、何とかして行けるのに、、、、。

デジタルデバイトならぬ一青窈デバイトでは、ファンとしての意識が薄れてしまいます。

ライブへ行ける人は何度でも一青窈の生の声を聴くことが出来て、行けない人は、いつまでも行けない。
FC歴が長くても全国ツアーしか参加出来ないで、結局、なんの為にFCに居るのか、、、、、
だから、明日のTVを、楽しみにしている。


2006年11月10日 20:50:31

コロンビアのサイトで、「てんとう虫」の試聴が聴けたけれど、、、、、。
前評判の悪さを、、、残念ながら認めざるを得ない。
なにか、、、心に響くものが感じられない。
あんな歌なら、、、”指切り”の方が断然良い。

一青窈が目指すものが、、、、あんな歌い方で、、、あんな声で、、、、あんな”もの”だったのかと思うと、、、。
甘えた声は、私が最も嫌う歌い方だった。
一青窈は、、、高いキーで歌わされたり、そこはこんな風に歌うことを決められて指示されるのが、嫌いではなかったのか、、、、。
歌手を始めた時の信念は、どこへ行ってしまったのか。
あんな歌い方では、メッセージ性も失われて、、、もはや、一青窈の歌に、期待する事が出来ない。
それとも、、、あれが一青窈自信が願った歌とでも言うのか。

一青窈は、変わってしまったのか。
ライブで歌い方を変えたとしても、、、、一青窈思考を、、、本当に止めてしまいたと思ってしまった。


2006年11月9日 21:12:55

お堂のBBSの敷居が、益々、高くなった。

不適切な書き込みに対する自浄努力も、、、仲間意識で黙殺して、、、。
あれほどツアーコンサートのネタばれ禁止を叫びながら、、、放送前のTV収録の内容を、平然と載せて、仲間内で楽しんで、、、。
指摘されても、、、見て見ぬふりして、しかも自らが削除しようとはしない。
そんなBBSが、、、、、。

一青窈が言う、、、、やさしさ、、、には敏感に反応しているのに、、、、自分勝手な優しさには、、、、呆れてしまう。
昔のお堂は、、、、あんな雰囲気ではなかったのに、、、、
一青窈が、、、、いい言葉を残してくれているのに、、、

お堂のBBSの敷居が、高くて高くて、、、、あれでは、書き込みなんか出来やしない。


2006年11月6日 23:27:43

あたしんち 11月06日 風車 が、、、なんだか嬉しい。
お堂の書き込み批判し続けた事が通じたのか、或いは偶然の一致だとしても、、、、、なんだか嬉しい。
内容もさること、、、一青窈の考え方や気持ちを知る事が出来る事が、なんだか嬉しいと思った。

あたしんち は、基本的には一青窈の気ままな思いで成り立っているけれど、今回のような題材こそが、一青窈の二面性を映す鏡でもある。
時には歌手としての立場を全面に出しながら、、、、時に、社会に目を向ける姿勢を示し、、、、それでいて、、、もう一つの第三の目を潜めている事も伺える。
即ち、一青窈には興味深い三面性があり、そのどれもが人並み以上に優れている。

なぜ、このタイミングで原子力を題材にしたのかは容易に想像されるが、その事を知らされぬまま、、お堂が進んでいる事に、、少しだけ残念に思うけれど、
それを深読みすれば、何にでも思える事を、まるで意識しているかのような書き込みが一青窈らしいと言るのだろうが、、、
知らない方が良い場合もあるから、それはそれで良いのかも知れない。

しかし、、、今日は 何だか、、、ホッとするのは、やはり、私がお気に入りな内容の”あたしんち”なのだから、、、。


2006年11月4日 21:38:50

お堂の主は、お堂が荒れそうになる時は、ここぞというタイミングで登場しては見事に収束させて来ました。
しかし、今はその時ではありません。
だから、、、、、絶対に登場すべきではありません。
一青堂スタッフが対応すれば済むことだから。或いは、ファンの自浄能力に期待する時だから。

もしも、主が出てくるようでは、、、、、それは、本当の優しさではありません。
それは、主なればこそ、、、理解しているはずなのだから。

HPの管理は、時として誤ると危険な方向に進むから難しい。
特にBBSには細心の注意を要することが多い。
だけど、、あるサイトでは、折角の意味深い問い掛けに対して、そこの管理人としては期待はずれのコメントを載せている。
興味深くて、どんな回答をするのか期待していたのに、投稿者の思いに反するかのようで、、、
その程度の意見でしか応対しないのか、或いは出来ない事を知り、とても残念に思ってしまった。
あれでは、次が続かないから、、、、投稿する事も出来ない。

いずれにしても、お堂にしても、、、、敷居が高い事には変わりはない。
特に今回のお堂の件については、、、、どちらにも問題の一端があるのに、、、第三者がもっともらしく登場しては、益々、敷居を高くするばかりで、、、、
削除する権利と義務を行使しないのなら、、、、公式BBSの意義が問われるだけのことだけど、、、、
昔は、もっと自由な雰囲気だったのに、いつからあんな場所になってしまったのか、、、、
お互いの立場を考えたら、別の見方が生まれる。

しかし、、、、お堂の敷居は高い。
いつからあんな雰囲気になってしまったのか、、、、やはり、不特定多数が集まると、色々と問題が生まれてしまう。
良いことも悪いこともあるのに、、、、その悪い面を問題として意識しない者が増えるばかりで、、、、。
優しさの本質を、、、今一度、考える時なのかも知れない事すら、、、、忠告する場所でも無くなってしまった。


2006年11月4日 1:05:51

まだ聴いていない「てんとう虫」だけど、聴いた一部の人の間では酷評されている。
まだ発売もされていない段階で、、、、歌の善し悪しを語られては、、、、しかし、一青窈が知ったのなら、、、相当凹むだろう。

歌の良さを、、、その場その場の感覚で批評する一貫性の無さは、今に始まった事ではないが、しかし、そう思われてしまう作り手にも、問題があるのだろう。
一青窈の歌声を最大限に引き出すには、どうすれば良いのかがないがしろにされて、個人的趣味が強調された結果のように思われるが、
以前、一青窈が言った、、、、気に入った曲でないと、歌わないことが、、、、頭をよぎる。
一青窈が、ことさら変化を願う事が、どんな方向に進もうとしているのか、、、、もうすぐテレビでの歌唱が始まる予定だから、、、興味深く観察するしかないであろう。
一青窈は「こうあるべき」との先入観を捨て去ると、一青窈から離れていく自分がいる。


2006年11月3日 22:59:11

お堂から、更新記念のバッチが送られて来ました。
これで、3個目です。
しかし、これ程までに要らないものはない。
もらっても、嬉しいとは思わない。
こんなものよりも、、、、、一青窈ボールペン 一青窈鉛筆 一青窈コースター 一青窈ティッシュ 一青窈・・・・・・・・・なら、何でも欲しいけれど、、、。
こんなバッチは、使い道がないから。

こんな物よりも、、、、早く、一青窈カレンダーを作って欲しい窈。


2006年11月3日 19:06:28

私が力を入れているのは、、、一青窈思考2006。
一青記2006は、その次。
だから、、、「一青窈思考」は公開していないけれど、、、続いている。


2006年11月3日 18:47:28

私好みの文章が、お堂のBBSに載っている。
それは勿論、一青窈の言葉。
そのタイトルは、「カルメン」 11月3日(金)01:25:27
最後の、、、「その中に」に続くべき言葉は、、、、

例えば、、、
その中に、、、、私の人生を包んで生きたい。
その中に、、、、私の歴史を刻んで行きたい。
その中に、、、、そっと足を入れました。
要するに、靴が歴史を物語っているから、、、その中に大切な物を詰め込んで、私も、その靴で歴史を語りたい事が言いたいのだろう。
それを表すものなら何だって良い言葉が秘められているのに、、、、、、。
それは、一青窈が書いた文体を見れば明らかな事なのに、、、、、。

私には、感傷的な一青窈の姿が浮かぶから、、、、、その先の隠された言葉に、惹かれてしまう。


2006年11月2日 20:30:02

よみうりランドへ行ける確率が、70パーセントに上がったつもりなのに、、、、。
別に、無料だから行く訳では無いのに、、、、。
宿泊費を込めて約5万円の費用すら、問題ではないのに、、、、、。
一青窈の生歌が聴けると思うと、、、やはり無理をしても行って観たいと思うようになったのに、、、、。
一青窈のパフォーマンスなんて期待していないが、、、、どれだけ本気で歌うのか、、、確かめたかったのに、、、、。
おそらく、、、、いや、、、、必ず、大家を歌うだろう。
BESTYOに合わせた選曲になることも、、、、、。
しかし、、、野外であることが、、、一青窈の歌の良さを半減させている事が気掛かりだけど、、、。

案内文をよく読んだら、、、、当たり前だけど入場制限がある。
午前9時から受け付けなんて、遠方から行く者にとっては、不可能な事。
しかも、無料だから、、、相当混雑することが予想される。
結局、行っても入れない可能性が高くなり、、、、またしても、生歌が聴けないことに、、、、。
こんな事では、、、一青窈のファンでいることが、、、虚しくなるだけ、、、、、続ける意欲も薄れてしまう。


2006年10月30日 22:07:10

12月3日のよみうりランドのコンサートがアナウンスされても、、、私は、とても虚しい。
年末の忙しい時期に、、、しかも、日曜日の午後だと、月曜日も休まなくて成らないから、、、、、せめて、、、、土曜日の午後か、日曜日の午前中なら、、、行けたのに、
と、思う反面、東京は、、、遠い。

これは、、、、ことごとく一青窈のコンサートに見放されたようで、、、、
結局、、、私は、、、姿見一青也にある一青窈の本気の歌声が聴けないままに一青窈のファンを終えるしかないと急きたてられたようで。
ファンでありながら、ファンで居られなくなってしまいそうです。
しかし、1万人を前にして、一青窈の歌が活かされるとは思えない。
それはむしろ、話題作りで終わってしまいそうで、、、、、一青窈の歌が、泣いているだけ。
一青窈!いったい何がしたいのか!

一青窈は、デビュー5年目の節目として、「大いなる種」を蒔こうとしているけれど、蒔き方を違えては、芽は生えないし育たない。
一青窈は、野外コンサートを勘違いしているのか、しかも、せっかくの”よみうりランドの観覧車”を、、、、相応しくない演出にしようとしているとしか思えない。
1万人を前にして、”あんな場所”で”大家”を歌っても、気持ちが伝わることはない。
全てに於いて、ミス演出が始まってしまった。
一青窈!いったい何があったのか!

姿見一青也の世界を再現するならば、あの渋谷AXで、再びライブをするしかないのに、、、、名曲「大家」が死んでしまう。
それを選んでしまった一青窈には、10,000人目の観客が見えていないのだろう。10,001人目の私すらも、、、、。
無料ライブが、一青窈を、変えてしまう。

そう言いながら、、、
でも、、、、行けるものなら、、、行きたい。
そして、一青窈の本気度を確かめてみたくて、、と同時に、私は、、、引き際を考え求めている。


2006年10月27日 21:04:50

今日は、一青窈の鶴岡八幡宮でのコンサートが行われた。
たぶん、、、、、今年最後の出演コンサートであろう。
単独ライブではないけれど、一青窈の歌手としての活動を示す、コンサートになったことであろう。
私は、ツアーコンサートでしか一青窈の存在感を知らないから、今日のコンサートがどんな風に仕上がっているのか、分からない。
ライブ活動が、歌手であることの刺激を生み、今後の歌に活かされるのならば良いのだけれど、
最近の一青窈を想像するに、その場限りの出来事として終わってしまうように思えて成らない。

最近は、お堂のコメントがリアルタイムな出来事でないことは容易に想像されるのに、、、、、、、、
もっと、、、、、一青窈の生の声が聴きたいのに、、、、、
もう、ライブにすら参加出来ない状態では、一青窈が、益々、遠い存在となってしまうけれど、、、、、それで良いのかも知れないと思っている。


2006年10月24日 21:25:35

最近は、、、一青窈関係のHPは、、、、、、、ネットサーフィンすることも少ない。
お堂・・・・コロンビア・・・・・個人サイトが2ヶ所・・・・・の繰り返し。
即ち、私の興味をそそるサイトが、、、非常に少ないこと。
お堂も見ないことがある。

どうして、、、、、、一青窈だけに関する個人HPが存在していないのか、、、、
どうして、、、、、、一青窈思考に続く個人HPが存在していないのか、、、、
一青窈に関する生の声が知りたいと思っても、、、、、見つけられないでいる。
一青窈自身、、、、、生の声が聴きたい時もあるだろうに、、、、。
ホームページの限界を感じている。

そして、今日もまた、、、お堂の”あたしんち”が、更新された。
しかし、まったくもって、、、内容が無い。
まるで小学生を相手にしている。。。。。。
一青窈は、、、もう、30歳ではないのか、、、、
そろそろ、年相応に振る舞ってもらいたいものだ。
あんな内容を、、、褒めることなんか出来ない私がいる。


2006年10月23日 20:46:07

ダ・ヴィンチのスクラップブックを作りながら、一青窈の姿を追っていた。
読めば読むほどに味わい深く、一青窈の詩が、面白い。
一青窈の物事に対する姿勢も見うけられて、、、、、やはり並みの歌手ではない。
好きなことにはとことん興味を示し、その多くを吸収して、消化している。
それは、優れた能力でもある。

一青窈は、賢いのか、、、、、。
ものの見方や考えかたが優れていることよりも、物事を考える力が、本当に備わっているのだろうか、、、、、。
先入観や外形に惑わされずに、、、一青窈そのものの思考力が、どれほどのものなのか、、、、、、。

そう考えると、一青窈を思考する意欲も湧いてくるはずだ。


2006年10月22日 10:31:18

一青窈が、お堂のBBSにコメントを載せた、、、、。
しかも、比較的長文を、同日に2本も、、、、。
こんな事は、私の記憶にはない。

内容は、絶賛するほどではないけれど、、、、、一青窈の感覚や感情が読み取れるものだから、、、、最近の”あたしんち”に比べると、凄く新鮮に感じる。
そして、、、、てんとう虫のPVを撮った、、、、、、それはシングル発売を意味していることなのか。

宣伝に力を入れなければならない現状から、一青窈のポジションを危惧するのは、私の思い過ごしであって欲しいのだけれど、、、、。
しかし、一青窈は、お堂にコメントを載せてくれた、、、、、ただ、その事が嬉しくて、、、そして安心した。
セルフライナーノーツも、凄く凄く期待している。

今は更新するつもりが無かったのだけれど、、、一青窈の言葉を前にして、出さずにいられない。
しかし、なんでここがストップしたら、、、、一青窈が走り出すのか、、、、、。
発売に合わせて「てんとう虫」を歌う姿が、TVから見られることが決まっている。
でも、、、一青窈・・・・・・ガンバレ!・・・・・てんとう虫は通過点に過ぎないのだから。
同時に、正念場なのだから。


2006年10月15日 21:53:54

お堂の「あたしんち」が、いくら更新されようとも、、、、
私には、、、、一青窈の感情が見えてこない。

手を抜いた投稿には、、、、興味が湧かない。
あんなものよりも、、、、2002年や2003年の頃が優れている。
その頃の文章には、一青窈が楽しんだり、悩んだりした事が、、、言葉の中からも充分に感じ取れるほどであった。
だけど、、、、最近の頻繁な更新には、、、、一青窈の気持ちが感じられないでいる。

一青窈は、あたしんちの更新に力を入れていないように思える。
あれではまるで小学生の絵日記、、、、だから私は、残念に思っている。

社会体験をした結果、いったい何を感じたのか、、、、そのことを期待している。


2006年10月15日 19:33:01

私がブログを止めた最大の理由は、「mixi症候群」を恐れてのこと。
毎日のアクセス者数から、、、、、続ける意欲も生まれたけれど、、、、ある日、疑問を抱いてしまった。
過去のファンサイトのホームページが継続しないのは、掲示板による燃え尽き症候群が原因であろうが、、、、、、それも3年間が限界であろう。

ホームページでの掲示板は、、、、管理が難しいから、それに変わるものが、ブログであった。
ブログでアクセス者数が増える事は、正直なところ嬉しい時もあったけれど、、、、しかし、ブログの性質上、個性が出せない。
アクセス解析は、導入したくない。
だけど、ブログでは、アクセス者数を見てしまう。
インターネットが、コミュニケーションツールであるのに、、、私は、自ら拒否の道を選んでしまったが、、、それは、ブログ上でのことに過ぎないだけだった。

一青窈が、デビュー当時まで持っていた個人HPを止めた理由が、プロ歌手になったからだけではないであろうが、、、、
なぜ止めたのか、、、、その本当の理由が分かっているつもりでいたのだけれど、、、、。

それから、私は、、、試行錯誤を繰り返しながら、この一青窈思考を更新している。
このサイトは、どこのファンサイトにも書けない事を、管理人の本心として記してきた。
それを批判する人もいれば、理解してくれる人もいる。
だけど、このサイトを発見した人は、一青窈の熱心なファンであることに間違いない。
ファンもいろいろだから、違う意見があって当然なことだから、、、、それが楽しい時もある。
そして、こうやって更新が続くのも、私が一青窈の熱心なファンである証でもある。
そしていつの日か、コンサートツアーではない一青窈の単独ライブに参加して、本気のアカペラを聴きたいと思って続けているだけのこと。


2006年10月14日 20:55:32

2006年10月05日 19時05分  livedoor ミュージック によると、、、
「一青窈はベストアルバムのリリースにあわせ、この新曲「てんとう虫」を複数の音楽番組で歌唱する予定である。」そうだが、、、、
その頃の一青窈のTV出演が、既に決まっているらしい。

嬉しいことなれど、、、シングル曲でない歌が、、、、テレビで歌われるなんて、、、。
てんとう虫の前評判が、すこぶる良いらしいようだけれど、、、、
これでは、、、、何のためのベストアルバムなのか、説明出来ない。

「非常にシンプルな等身大の彼女自身のメッセージ性が強い作品になっている。」らしいけれど、、、、、
果たしてそのとおりなのか、、、、
まだ見ぬてんとう虫だけど、、、私は、購入予約をしてしまった。
一青窈の歌でも、、、歌詞解釈を楽しませてくれるものではないような気がするけれど、、、
ストレートなメッセージ性があるとすれば、一青窈らしさも様変わりしてしまったのだろうか、、、。


2006年10月11日 22:54:01

この一青窈思考は、熱心な一青窈ファンだけに見てもらえたらいいと考えて更新しています。
だから、このサイトの事を、知人等に知らせたり等することは、絶対にしないようにして下さい。
熱心に検索した結果として見つけられた方のみが、ご覧頂けることを条件としていますので、厳守して下さい。

それらが守られている限り、更新していくつもりですので、どうかヨロシクお願いします。


2006年10月9日 8:00:10

お堂の更新手続きを終えて、会員継続が決まった。
この一青窈思考は、今となっては、一青窈に関するファンサイトの中で、一番、特異なファンサイトであろう。
こんなサイトが、会員継続と共に進んでいくことが滑稽でもあるが、、、、、「継続は力なり」とは良く言ったもので、
現存するファンサイトでは3番目の古さとなり、その中では、更新頻度はbPである。

こんなにもテキストだらけだと、、、、初めてここを見た人は、、、、読む気も失せてしまうだろうし、、、、、私ですら、、、もう、読み返す事も無い。
リニューアルしたいけれど、面倒なことなので、そうする気もありません。
しかし、一青窈に関するサイトでも、一青窈に関する事だけを取り扱っている所は、ほとんど無い。

悩んだ末に会員継続をしても、今は安心している。
それは、一青窈の歌手としての真の実力と共に、一青窈が進もうとしている道を知ることが出来るからで、、、
しかし、もう止めようかと思ったお堂の更新を終えて、なぜ止められなかったのか、その理由を考えている。


2006年10月5日 22:11:51

一青窈のベストアルバムが発売される事になった。
一青窈ファンにとっては、人気ある選曲となったが、、、それは嬉しい出来事なのに、素直に喜べない気持ちがある。
それは、どれも良い歌ばかりだけど、、、どうして、最後に「てんとう虫」が入っているのか、それが理解出来ないでいる。
てんとう虫を聴きたい人に向けて発売計画をしたように受け取られても仕方が無い。
さて、このアルバムを買うべきか買わざるべきか、、、、。

私は、多分、買ってしまうのだろうが、、、、しかし、一度だけ聴いて、、、終わってしまうのだろう。
それは、一青窈が常々言っていた伝えたい気持ちが、残念ながら、このアルバムからは感じられないからだろう。
しかし、もしも、このアルバムが、今の一青窈の声として収録されたものならば、聴く価値があるけれど。
私は、一青窈の「二十一世紀の言霊」を見てから、一青窈に対する考えた方が、少しだけ変化してしまった。
それは、良い意味では無い事が、残念な事なのだろうと言い聞かせている。


2006年10月4日 20:58:07

この一青窈思考は定期的に更新しているけれど、ある日突然、更新出来なくなるかも知れません。
それが、数ヶ月後なのか、1年先になるのか、誰にも分かりませんので、お伝えしておきます。
出来るだけ更新していきたいと思いますが、本当に、何の前触れもなく更新されなくなったり、ホームページが削除されるかも知れません。
その時は、どうかご了承して下さい。

さて、一青窈の活躍も本当に静かになってしまったけれど、それが本来の姿なのかも知れません。
今までが、活躍し過ぎたのでしょうから、今は充電期間だと思って、ゆっくりとするのも良いのかも知れません。
だけど、ファン心理としては、生の一青窈が見たいし聴きたい気持ちは増すばかりで、、、
特に、私は、、、、、一青窈のファンでありながら、、、一青窈のコンサートは、「てとしゃん」と「Yo & U 」しか経験していません。
お堂イベントも、はいらんせも、花逢娘も、しゅるりも、ええいああも、縁がありませんでした。
だけど、一青窈ファンのホームページ管理者であるし、会報は全て所有していて、アートブックも全て持っている。勿論、CDもDVDも。
それでも、また、一青窈のコンサートに憧れる気持ちは強くなっている。
それはやはり、正真正銘な一青窈の実力を観たいからで、、、、それこそ、歌い終わって倒れそうになるくらいの一青窈の歌声が聴きたいからだろう。
限られた時間に戸惑いながらも、消化しきれない気持ちに悩みながらも、、、、、一青窈を応援して行きたい気持ちが無いわけではないのだから、、
これからも、こんな形でも、一青窈を応援しようと考えています。
しかし、コンサートに関しては、こんなにも縁遠いのは、いったいなぜなのだろうかと思えるくらい、残念な結果を繰り返して来ました。
次のコンサートでは、是非、敗者復活を取り入れてもらえないのだろうか・・・・・・。せめてお堂イベントだけでもと思うけれど、、、、、しかし、
当たらないから良かったと思える事が、不思議な感覚でもある。
そしてあと何回、一青窈を思考出来るのだろうか、楽しみでもあるけれど、、、、。

こんな事を書いていたら、どうやら、また、一青窈のライブがアナウンスされたようです。
しかも、金曜日の神奈川県なんて、遠くて行けません。仕事を休む事も出来ません。せめて土曜日なら何とかなりますが、、、、またしても、参加不可能です。
平日の17時30分開演だなんて、、、、無理な事です。トホホ・・・。


2006年10月1日 10:39:46

一青窈思考に通しナンバーを導入した。
今までにいったいどれ程の数を思考しているのか、ナンバー化することで明確にする事が出来、検索も容易になった。
この一青窈思考は、他のサイトでは当たり前の一青窈の出演情報などは、ほとんど無くて、、、、ただ、管理人である私の個人的な想いだけを書き連ねているばかりです。
個人的な思考ばかりなので、歌詞解釈にしても、一個人の意見に過ぎないので、、、それは、勿論、正解でも何でもありません。
個人的な日記みたいなものなので、そんな意見を論破しようとすることに対しては、管理人としては、消極的なので、ご了承して下さい。
書いてある内容は、ファンの中のひとつの考え方に過ぎませんから、「一青窈論」なる意見交換をしたい人には、応対していません。ご了承して下さい。

さて、、、一青窈のラジオ番組が、終わってしまいました。
聴くことも出来ないラジオだから、私にとっては、始まりも終わりもありませんでした。
ただ、ホームページに載っている情報だけが、一青窈のラジオを感じさせるものでした。
聴けないことに、なんら不満もありませんでした。
むしろ、聴けない事がプラス思考となって、この一青窈思考が続けて来られたと思います。

雑誌の情報も、限られたものしか見ないように意識していました。
一青窈の情報に、あえてフィルターを通すことが、一青窈思考の本質でもあります。
一青窈について考える力よりも感じる力を失わないことが、この一青窈思考の源でもあります。
それが、続けられることに、楽しさが生まれるのかも知れません。

迷った時には、私は、姿見一青也を観ることにして来ました。
そして、そこから、新たな一青窈思考が始まると思っています。

さてさて、今日は、長年使い続けた自作機の Windows2000 を Windows xp にします。
もうすぐ、Windows Vista が発売されるのに、今更、何を! と、お思いでしょうが、そんな偏屈な一青ファンです。
無事、バージョンアップ出来るのか、それとも、このまま終わってしまうのか、、、お楽しみに。

一青窈は、今も、Macintosh を使っているのでしょうか・・・・・。


2006年9月30日 18:31:41

所用で、九州へ行っていた・・・・・・・。
Yo & U ツアーで一番感動的だった熊本市民会館は工事中であったが、、、、一青窈が紹介した、あの、憧れの「太平燕」を食することが、密かな目的であった。
太平燕と言えば、紅蘭亭。
紅蘭亭と言えば、チャイナドレス。

店内の右手にある階段を上ると、その2階の正面で、とても愛想のいい女性が応対してくれた。
後でネット検索したら、その女性は、紅蘭亭の店長であった。しかも、あのチャイナドレス。
早速、チャイナドレスのお姉さんに・・・・いや、可愛いお姉さんに注文をお願いして、、、、中華のフルコースを、と考えたが、、、コースは2人からと言われてあえなく撃沈した。
コース料理みたいなもので太平燕が食べたいのですが、、、と言うと、、、、太平燕の量は半分になるけれど・・・中華定食を勧めてくれた。
例え約半分になっても、、、、憧れの太平燕が食べられるのなら、、、、と思うだけで、ワクワクしてしまい、迷わず注文した。

とりあえず最初は、生ビール。
塩の効いたピーナツを味わいながら、生ビールを、一気に流し込むと実に美味い。
一気飲みのビールが終わると、吉野家の牛丼に負けないくらいの早さで、中華定食の登場です。だって、、、客は、私1人だけ・・・・・だから・・・・・。
「あぁ、これが太平燕か・・・・」と、心の中でつぶやきながら、1人でニヤニヤしてしまった。

店長に、記念に太平燕の写真を撮っても良いですか・・・と、お願いしたら、、、、快く許可してくれました。

太平燕が、、不思議なくらい胃に優しくて美味かったのは店の雰囲気の良さなのだろう。
太平燕は、、、、とんこつスープなのにとてもあっさりしていて、イカや玉子や野菜などの具が絡まった中で春雨の麺が凄く合っていて、チャンポンのように多い具が、、、
見た目以上にヘルシーで、一度食べたら癖になる味わい深いラーメンのようでラーメンではないような不思議で魅力溢れる中華料理でした。
これなら何杯でも食べられると思いながら、、、、、、、、、帰り際の会計で、とても美味しかった旨を伝えると、店長が満面の笑みで応えてくれました。
店長のナンバーワンチャイナドレスのスリットを忘れるくらい、美味しかったです。


翌々日、太平燕の味を忘れることが出来なくて、また、紅蘭亭へ行ってしまいました。
今度は、「太平燕」と「蟹チャーハン」を注文しました。勿論、生ビールも。
この時も、客は、私1人だけでした。
なぜなら、この紅蘭亭は、昼間は凄く混んでいますが、4時から5時頃が余裕あります。

1人だけだから、、、なんか貸し切りの気分でした。
生ビールは、紅蘭亭ナンパー1美人チャイナドレスの店長が運んでくれました。
太平燕と蟹チャーハンは、紅蘭亭ナンバー2の美人チャイナドレスの女性が運んでくれました。
紅蘭亭ナンバー2の美人チャイナドレスの女性は、店長に匹敵する美人でした。スリットも店長に次ぐ綺麗さです。
憂いのある眼差しで注文を受ける姿は、正に、ミスチャイナドレスでした。
太平燕は、単品での量を食しても、足らないくらいに美味しかったです。

会計は、店長が応対してくれました。
しかも、店長は、私が2日前に来たことも、、、、その時に何を食べたのかも、、、しっかり覚えていました。
私は、別に、変な行動などしていなかったのに、店長の印象に残ったのが何故なのか、、、、
ただ、太平燕の写真を撮る客なんて、めったにいないからでしょうか、、、、、納得。


そのまた翌々日は、名残り惜しく、、、、、、また熊本まで行き、紅蘭亭の太平燕を食べてしまいました。
結局、3回も、太平燕を食べてしまい、、それでも、食べ飽きない不思議な魅力のある紅蘭亭の太平燕が、どうしても食べたくなり、ネット検索すると、、、、、、
なんと、通信販売があることを知り、、、、、凄く嬉しくなり、注文することにしました。
紅蘭亭の太平燕は、熊本Yo & U で一青窈のMCを聞かなければ知ることも無かったことですが、九州へ行く事があれば是非とも食べたいものでした。
長崎ちゃんぽんや、博多ラーメンや、熊本ラーメンや、鹿児島ラーメンに勝る、凄く美味しい紅蘭亭の太平燕でした。
それが、、、、一青窈がYo & U ツアーのMCでチャイナドレスのスリットに興味を示したことがリップサービスだとしても、
その時の一青窈の感覚を知ることが出来た紅蘭亭の太平燕でした。

九州の旅では勿論、むつごろう焼きも食べたし、駅から4キロも歩いて城井一号掩体壕へも行った。
その他にも一青窈がYo & U で訪れた九州の地のほとんどを、訪れてしまい、一青窈が食べたものを探し求めた。
その移動の間、ずっと一青窈の歌を聴いていました。
もしかしたら、その期間中は、世界中で一番多く一青窈の歌声を聴き続けたファンだと思います。


九州を移動中、、、、ずっと、一青窈のシングル、アルバム、DVD音源の全てを聴いていて感じたことは、、、、、、
一青窈には、「鋳型」なんか存在していない事でした。
それを「鋳型」だと言うならば、、、、鋳型を取り払ってしまった一青窈に、、、、いったい何が残るというのだろうか。
一青窈は、自ら作り上げた「鋳型」と戦っている最中なのかも知れないが、それらが、「鋳型」であったと意識すること自体に、無理があるのだろう。
一青窈のような歌手には、歌詞や歌い方が大切な要素であるけれど、それよりも、それ以上に、歌う時の気持ちが一番大切な「もの」でもある。
その気持ちこそが一青窈を一青窈たらしめるものであるのだから、、、、、それを「鋳型」と称しては身も蓋もない。
ましてや、パフォーマンスが鋳型であることではあるまいし、、、、、。

今の私には、一青窈は新たな目標を模索して「鋳型」発言をしているとしか思えないでいる。

そして、今回の移動の最中に録画予約していた僕らの音楽 9月22日の放送を、無事に見ることが出来たのだが、、、、、、しかし、
そのコラボレーションをしてまで歌う一青窈の姿を観て、、、「一青窈は、変わってしまった・・・・・・。」と、思うしかない現実を突きつけられた。
今の状態が続くのなら、「一青窈の時代」が終わりを告げるのも、そう遠くはないだろうと思わざるを得ない。
一青窈に問えるものなら問うてみたい。
「あなたは、いったい、何のために歌っているのですか。」・・・と。
鋳型を取り去る途中をアピールしているつもりなら、、、そんなものに力を注ぐ必要もない。
気持ちを込めることが出来ないのなら、、、歌う必要もない。
気持ちを込めたフリをする歌い方なんて、、、一青窈の歌ではないのだから。
その答えは、、、聞き比べると、、、誰にも分かるものなのだから。

コブクロとのコラボレーションには、、、、一青窈の良さなんて何も感じられない。
ただ、、、歌っただけでは、、、、、、しかし、私は、、、一青窈は、そんな事で終わるはずがないと、、、、ずっと信じていきたいのだから、、、、、。


2006年9月20日 21:51:51

今日は、一青窈の誕生日。
もうすぐ、デビュー4年目を迎える。

ファンクラブ会報は創刊号から保存していて、時々、見返すことがあり、これほどまでに興味をそそる歌手のファンになっていられたことに、感謝している。
無くした映像もあるけれど、残された数々の映像を見比べていると、それらが一青窈の歌手としての歴史めいたものを記しているようで、
歌が、こんなにも素晴らしいことを知らされるのは、一青窈ならではの「力」なのだろうかと考えている。
癒されるだけではなくて励まされているような歌の数々が、何年経っても色あせることが無いのも、、、
今となっても、その拘りの歌詞に由来する事に「ありがたい」と思うことが、、、、多くの一青窈ファンの心揺さぶる想いに繋がっているからだろう。
私のようにファンで居続けることに変化が生じても、一青窈には、いつまでも輝いていて欲しいものです。

そして、今日、一青窈は30歳となった。
まずは、「誕生日おめでとう」。
そして、「20代おつかれさま」。

これからの一青窈は、今まで以上に、言葉を選んで作詞をするだろうし、しなければならない必要性に迫られる時が来るだろう。
そんな時と向かい合った場合に、いったいどんな歌が生まれるのか、、、、、また、私の気持ちを奮い立たせる事ができるような歌が生まれるのか、、、、。
プレッシャーと戦った時に、どれほど優れた歌が生まれるのか、、、、
だけど、そんな事に注意を向ける事が意味を成さないことも良く分かっているつもりである。
それは、一青窈の歌が、そんな柔な事など問題にしていない”もの”だから。

Yo & U ツアーDVDを、、、映像を見なくて、、、演奏を絞り、、、歌声だけを浮かび上がらせて聴くと、、、、一青窈のアカペラが聞こえてくる。
その歌声からは、あんなに嫌ったアレンジも失せて、一青窈の”うた”の上手さだけが際立っている。
言葉のひとつひとつが活き活きとしていて、、、、それが、デビュー以来、なんら変わっていない気持ちの表れであることに、驚きさえ感じる。
一青窈が伝えようとした”もの”が、歌の中に託された想いとして、どれほど感じ取れたのだろうか、、、、、
それでも、少しだけでも、その気持ちに近づこうと思ったのだけれど、、、、、しかし、
私は、一青窈の”うた”に対して、大きな間違いをしているのかも知れない。

30歳、おめでとう。そして、いつの日か、アルバム月天心を超える日を、、、、、。


2006年9月16日 23:13:12

パスワードを解除して実験的にアクセスカウンターを導入した。
その間、この一青窈思考をご覧になれなかった方は、、、、このHPから遠のいたことでしょうが、、、、、
実際にどれくらいの人が見て下さっていたのか、、、、期間限定で調べています。
ここは個人的なHPであり、一青窈に関するファンサイトなので、続けられるだけ続けたいと考えていました。
そして、新たなスタートを切る一青窈と同じように、この一青窈思考も再スタートを切りたいと思っていた、、、、。


2006年9月13日 22:58:57

私は、一青窈のファンなのだろうかと、時々、自問する。
本音のつもりでも批判していることもあり、、、、、その繰り返しの中で、パソコンの利便性を犠牲にしているようで、このままではダメになる。
依存性が、無いとは言えない。
近頃は、何の為に続けているのか、、、、と、思うことが多くなった。

一青窈の活躍も一段落してしまった、、、、、。
単独ライブも、お堂イベントも、手の届かないものになりつつも、二十一世紀の言霊DVDを観ながら、ファンの在り方というよりは、自分自身を模索している。
私は、一青窈のファンでいられるのだろうかと、、、、、自分自身に、問い掛けている。


2006年9月9日 22:15:33

ダ・ヴィンチ10月号で、両親の死を経験した一青窈が、「それでも楽しいことがこの世の中にあると信じて、歌うことを、詩を選んだ。」と言ったことが、少しだけ気になった。
人の死から気力を失った少女が、歌に活路を見い出すことの発想が、、、どうも素直に理解することが出来ないでいる。
だけど、、、こうしてキーボートを打ちながら、「活路」という文字から「生路」という言葉が連想された。

「生路」は、一青窈がデビュー前にゲーム音楽として収録した、今となっては幻の歌で、「生路 MAZE」とは違う。
でも、それが、、、、デビュー前に世に出たものである事を考えると、一青窈の歌は、「生路」から始まっていることになる。
生路には何か、、、ゲームとは無関係な因縁めいたものがあるのかも知れないと考えてしまった。
それは、NHK青春メッセージでの涙の歌唱に繋がるのだろうかと。
これは、もう少し、思考をしなければ。


2006年9月5日 22:23:32

一青窈関連のファンサイトのほとんどが、アクセス解析を導入していて、、、、、、中には、隠しアクセス解析を設置しているサイトもある。
個人で導入する目的とメリットが曖昧で、必要以上に興味本位に解析しているサイトもあり、そんなものには閉口してしまう。
日々のアクセスIPが100以下では、なんの意味もないのに、、、、、
だから、そんなサイトは、自然と敬遠してしまう。
色々な情報が盗られていると思うと、管理人の資質を疑うし、、、、、個人が設置するメリットは、、、、、明確ではない。

だから、この一青窈思考は、アクセス解析を導入しないので、どれだけの人が閲覧しているのかも分からない。
一青窈関係者が見ているかも知れないし、、、、もしかしたら、、、、一青窈自身が、見ているのかも知れない。
だけど、そんな事を意識することは、もう止めた。
この一青窈思考をパスワード化して、閲覧を制限したのは、一次的には堂員の中にも居た誹謗中傷対策であるから、、、、、、
堂員以外に批判されるのは覚悟していたけれど、堂員に非難される事は、正直なところ、応えた。
このホームページは、ある種の特異な管理人の個人的意見の表明であるから、広く公開することは消極的であるし、
ファンの中でも、こんな意見が存在することの本心を、記したい気持ちで始まったものであったのに、、、、。

全てが、一青窈の「うた」に対する想いからで、、、、、生歌が感動の始まりでもあった。
だけど、、、一青窈は、もう、本気で「うた」う事はしないし、、、出来なくなってしまった。
歌手として成功すると、保身してしまい、結果として何事も気にするような歌手になってしまった。
ライブにしても、一青窈は、演出することに力を注いでいるし、、、、ファンの多くが、それに同調しようとしている。
一時のプラス効果を追い求め続けると、その結果として、一青窈から、一青窈の本来の「うた」が消えてしまった。

今後、どんなに癒し系の歌を発表しても、、、一青窈の本来あるべき強くて、そして鋭くて、なおかつ、優しさを兼ね備えた歌は、生まれることはないだろ。
やはり、一青窈は、花逢娘から、、、、変革を余儀なくされたのだろうか。

今の一青窈を応援することは容易いが、今後も応援し続けることは、容易くない。
こうやって、個人的な本音を語れるのも、残り少ないのかも知れない。
それとも、期待通りに、、、、一青窈は、原点回帰を試みるのであろうか、、、、、と思う、今日この頃。


2006年9月2日 18:20:40

一青窈の歌の 歌詞解釈 をすることが、一青窈の歌に対する、ひとつの楽しみ、だったけれど、、、、、、そんな気持ちが湧き上がらない。
難解だった頃は、いろいろと考えさせられる楽しさも、薄れてしまった。
想いが詰まっていた分だけ、気持ちも溢れたのに、私の気持ちの変化以上に、一青窈の歌の「質」が低下したからだろうか。
最近のライブの演出方法が、一青窈の進むべき道だとしたら、、、、そこから生まれる歌詞も、演出に合わせた変化を余儀なくされる。
奇しくも、一青紙13号からは、ライブの演出が作為的な方向に進もうとする意図を、、、、知ってしまった。
だけど、一青窈の歌は、そんな柔なものでは無かったはずなのに、ことさら「楽しいライブ」を意識して作り上げることには、
本当の意味での一青窈の良さが活かされないのに、、、、目先の楽しさを強調する事に何の意義があると言うのか・・・・・。
今の結果を作り上げたのは、外ならぬファンの功罪である事を、誰も顧みない。
一青窈が、やりたいようにやる事を応援するのがファンの務めとする事が、もう終わりに近づいても良い頃なのに、、、、、

ファンの間で、誰も歌詞解釈をしない事が、それこそ違う方向へ進んでいる。


2006年8月27日 20:04:01

Summer Holiday'06〜Love songs Collection〜一青窈が出演するコンサートが、中止になったらしい・・・・・。
大雨洪水雷警報が、一青窈の雨女伝説を作ってしまった。
それでも、アカペラの望春風だけが、、、、歌われたらしい・・・・・。

コンサートの中止を嘆くことなんか、、、、、、一青窈のコンサートに何度も行っている人や、これからも何度も行ける人に関しては、、、、
ましてや、、、、雨女と揶揄する人なんか、、、、みんな同じこと。
コンサートにすら、行きたくても行けない人の気持ちを考えたら、そんな事なんか言っていられない。

その一瞬だけしか一青窈の歌が聞こえない人もいただろう。
次は、、、無い、人もいただろう。
そんな中でも、、、、何度も繰り返されるコンサートじゃない事の意味を理解すらしないファンも多い。
一青窈のコンサートが意味する位置付けみたいなものが、曖昧に終わっても、それは仕方の無いことかも知れないが、、、、
だからこそ、その一瞬を、それこそ倒れてしまうくらいの意気込みでコンサートを考えたら、、、、、本気の歌声が聴こえてくるだろう。

一青窈なら、どんな歌声を聴かせてくれるのだろうか。


2006年8月26日 23:16:09

もう直ぐ、一青窈のライブDVD Yo &U  初回限定版が発売される。
ライブDVDよりも、付属のツアーDVDに、凄く興味がそそられる。
ネットから漏れる内容に、この一青窈思考が間違っていなかった事が推察される事に、ファンサイトとしての確信性が、自信となった。
ファンサイトの中にあって特異さを目指した結果に、間違いは無かった事に、嬉しささえ感じてしまった。
Yo & U で、、、悩んでいる一青窈を見つけられた事が、嬉しくもあり哀しくもあるが、一青窈が、実は、壊れそうな心の持ち主であった事に、、、、安心した。

一青窈は、もっと、もっと、強くなれる。
反面、、、、強くならなくても、、、、と思う自分がいる。
そして、それを見届けられるまで、ファンでいられたら良いと思うようになっても、、、。


2006年8月24日 22:33:16

「タデクイ」という不定期文芸誌に、一青窈の詩が、3編ほど載っているらしい。
普通には買えない、特殊な本のようだけれど、、、、私は、興味が湧かなかった。
それは、詩の内容よりも、一青窈の詩に対する「姿勢」に疑問を感じたからで、、、、。

ほんの一握りの人しか見ることもない本に、一青窈が、何を意図して詩を載せたのかと考えると、詩の内容の良さなど、問題ではない。
即ち、その詩は、「活かされない」に等しいからで、、、どうして、一青窈は、「一青紙」に詩を載せないのかと、、、、尋ねたくもなる。
広く伝わらないことは、読まれないに等しくて書かれていないのと同じくらいなものだから、、、、
そんな方法でしか、詩が書けないのなら、、、、むしろ、書かない方が良いだなんて、誰も言いやしないだろが、
しかも、結果的には、意図的な情報発信に踊らされるだけだろう。
その詩の内容が、良いものであればあるほど、もっと他の方法があったのではないのだろうか。

読めない「詩」なんて、書いていないのと同じだなんて、、、、。
いったい、、、、何の為に書いたのかと推測することすら、意味が無い。


2006年8月20日 20:31:41

このサイトをパスワード化してから、今日、初めて、アクセスカウンターを付けました。
今は、もう、カウンターは取り外しましたが、、、。
アクセス解析じゃないので、正確なアクセス者数は不明だけれど、、、、推測すると、約10人が、この一青窈思考を見てくれている・・・・・・・。
更新停止したブログのアクセス最高IP数が約100だったから、、、ここも、パスワード前は、同じくらいのアクセス者数だったのだろうけれど、、、激減してしまった。
だけど、これで良かったと考えている。
そして、、、今も、このサイトをご覧の皆さんは、一青窈のファンに間違いなくて、、、、しかも、僅か10人ですが、、、
この10人から始まって、、、、1年後には、どれほどまで増えるのかも、、、、楽しみですが、、、。

なぜ、私が、、、批判されるのを承知の上で、こんなHPを作ったのか・・・・・・・・。
なぜ、パスワード化したのか・・・・・・・・。
それらをご理解の上、それでも、このHPに興味を抱いて下さるのなら、、、、、どうか、ご覧下さい。

一青窈のファンサイトは数あれど、、、、正統派のHPにはない、、、、それぞれの本当の気持ちを意見交換したいと考えてはみたけれど、、、、、、
ホームページの便利さと怖さを知ってしまうと、、、、今のスタイルに成らざるを得ません。
相手が見えない分だけ、、、、、逆に、恐ろしい事もあるし、、、、知らない方が良い場合もあります。

私は、ホームページの良いところと、悪いところを、、、、、凄く強烈に、知ってしまいました。
だから、もう、後戻りは出来ません。
そして、このHPが、いつまで続くのかも、、、、分かりません。


2006年8月15日 23:37:51

この一青窈思考が、、、恐ろしいくらいに続いているのは、自分でも、そら恐ろしく思う時がある。
一青窈の事だけ、勝手気ままに、、、、、。

そして、ここは、、、何処ともリンクしていないから、、、、、ここが見られる人は、デビュー当時からの堂員しかいない。
ここは、一青窈に関する情報発信のホームページではないし、誰かに見て欲しいと願って、続けている訳ではない。
始まりに深い理由なんてありやしない。
トップにあるように、、、、熱心なファンだけを意識しているだけ、、、、ただ、それだけのホームページ。
だから、その趣旨を理解のうえ、深く考えないで頂けたら幸いです。


2006年8月15日 22:22:50

墓、通ってみよか

今夜、仕事帰りに・・・・・兄と一緒に暗闇の墓参りをしてきた。
歳月の経つのも早いもので、、、、、亡くなって3年が経つ。
寂しい山裾の先祖代々の墓地にあって、一際目立つ真新しい墓石に、夜の怖さも感じなかった。
灯籠を灯した薄明かりの中で、人生の儚さが身に沁みた。

一青窈が幼くして感じた虚無が、どれ程のものか分からないけれど、、、、私は、同じ事を体験したのかも知れない。


2006年8月11日 22:35:08

この一青窈思考と同じような内容のホームページを発見した。
と、言っても、、、それは、一青窈のファンサイトではない。
それぞれのお気に入りの歌手の事を、色々とコメントしているサイトだけど、、、、
しかし、そこよりも個性的なのが、この一青窈思考であった。

一青窈は、ファンサイトだけで満足するような人ではないと思うから、、、、もしも、ここを見ていたとしたら、、、、だけど、それは、無いだろう。
パスワード化してから、見られる数も少なくなってしまったことに、少し安心している今日この頃。
それは、この一青窈思考が、初心に帰る・・・・・いい機会だったのだ。


2006年8月11日 22:10:48

そろそろ、年に一度の単独ライブのアナウンスが聞こえて来そうな時期になった。
今年は、どこで、どんなコンサートを開くのか気になるところだが、、、、、しかし、それ程までも興味が湧かなくなってしまった。
まだ、どうせ、申し込んでも当たりはしないだろう。
花逢娘 はいらんせ お堂イベント ・・・・・・どれも、縁がなかった。

後から考えても、参加しなくて良かったと思えたことが、間違いではなかったと思いたいし、参加する事で、期待ハズレを実感することも避けたい。
一青窈が、お堂に宛てた「メッセージ」から、自分自身と誠実に向き合った姿が、本当に見られるのか、、、、それは、もっと先のように思えて成らないから。
何年か後に、一青窈が、めいっぱい頑張れたと感じる時に、一青窈の口から、どんな言葉が発せられるのか、、、それまで、待てないかもしれないけれど。

一青窈は、まだまだ、本気を出していない。
だから、そんな姿に、称賛をしないことにした。

8月7日に、一青窈が、お堂に宛てたメッセージこそが、今の一青窈を映し出す鏡のようなものだった。
現状に満足しない気持ちや、もっと何かが出来るのではないかと考える気持ちが大切であるし、不安な気持ちでもある。
それに、100%頑張れたと思えないでいる気持ちこそが、進化の過程の証でもあるのだから。

一青窈は、今年は、何処で、どんなライブを魅せるのだろうか・・・・・・・・それとも、もう、魅せないのかもしれないが・・・・
後者の予感がしてしまったのは、それを望んでいるからなのか。


2006年8月9日 23:09:22

パスワードにして、いったいどれ程の人が、この「一青窈思考」を見てくれているのだろうかと推測するに、、、恐らく、10分の1になった事だろう。
それでも良い。
あくまで、熱心な一青窈ファンだけに見てもらえたら良い。

HPにメールアドレスを載せると、迷惑メールが増えてしまい、、、毎日、大変であるから、、、。

さて、今後はどうしようかと、、、思案している。


2006年8月9日 22:43:12

夢中になるモノを見つけては熱中して、その繰り返しが、一青窈思考だった。
どのサイトにも無い内容が、自然と湧き出てきたのも、もう遠い昔のように感じられてしまった。
一青窈の人間性を垣間見ては、その一致点を見つけて、少しだけ喜んでいたし、、、、
今になって読み返すと、不思議なくらいに一青窈の本質を言い当てていた部分が多かった。
それは、ファンとして麻痺していない証拠だと、自分自身に言い聞かせていたからなのか。

だけど、もう、一青窈のコンサートへ行くことが出来ない事を知ると、何故か寂しくなる。

本当の、アカペラの歌声が聴きたかったし、そうなることを期待していたけれど、それはもう、願わない事にした。
お堂イベントは、もう無いし、、、、毎年の単独ライブは、くじ運が悪すぎる。
こんな形でも応援しているのに、次の全国ツアーまで、自信が無い。

だから、、、、今は、acoustic guitar に夢中。
一青窈思考も、、、、休止するくらいに、、、。


2006年8月8日 23:07:19

ダ・ヴィンチ9月号を買った。
写真の顔が、しっかりとしているように見えるけれど、まだ少し、すました顔をしている。
でも、そんな意識した表情が面白くて楽しく思える。
いつまで経っても、カメラに慣れないことが、一青窈らしくて、逆に、慣れてしまっては、面白みも減ってしまうから。

建築好きな一青窈が、ツアーで訪れた「熊本」の事を語っている。
私は、来月、熊本へ行く事になったから、一青窈が訪れた地を訪ねようと思っている。
大分へも、行って見たい。

単独ライブへの示唆も感じられるし、期待度は大きい。

近代的な建物よりも、純日本風の木造家屋の方が住み良いのだから。
そして我が家は、正に、築3年の日本家屋で、大黒柱は8尺の欅、部屋の四隅は全て6尺の檜、間柱は5尺の檜、勿論、節なんてありません。
材料に拘ると、200年でも大丈夫なのは、優れた素材の一青窈も同じ。


2006年8月7日 22:56:13

8月7日の公式BBSに、一青窈の言葉が載った。
その、一見飾らないような言葉の中に、一青窈の素直な気持ちと、一青窈の構えた気持ちが同居していた。
素直な自分と、素直を魅せようとする自分を、上手く表現していることなど、さほど気にならないくらいに。
苦悩する一面も、思うがままの感情の一面も、、、、久々の感情を表した「言葉」からは、、、、一青窈の、一青窈らしい言葉に惑わされない。

このタイミングで、なぜ載せたのかが気になる所だが、一青窈が、例え「歌手一青窈」をアピールしていたとしても、どうでも良かった。

自分を見つめ直して、「もっと言葉を書きたい」と思った気持ちを、大切にしてもらいたいから。
だから、ギリギリまで頑張らなくてもいいじゃないか。
一青窈は一青窈なのだから。


2006年8月2日 20:54:13

一青窈のギターの腕前が、どの程度か分からないが、、、、、私は、ギターを買ってしまった。
正確には、注文をしたから、、、、、、、、明日、届く予定である。
買った目的は、一青窈のうたを弾きたいから。

しかも、結構・・・高い買い物だ。
恐らく、、、、初心者が手を出す価格帯を、遙かに超えている。
だから、凄く、良いギターである。

さて、そのギターを、何処まで使いこなせるのか、、、、一青窈の腕前が、、どこまで上達しているのか、、、、競ってみたい気もする。
毎日、ギターに触れて、寝る間を惜しんで、ギターと友達になれたのなら、私は、ミュージシャンになれるのだろうかと・・・・・・・淡い夢を追い求めてしまった。
ギターで・・・
早く、、、、ジャングルジムを、、弾いてみたいと思っているから、、、、、
だけど、、路上ライブが出来るようになるには・・・・・何年先のことやら・・・・・ヽ(´ー` )ノ


2006年7月24日 22:41:30

LIVE DVD「Yo&U Tour'06」 が、9月6日に発売される。
勿論、絶対に買う。

だけど、私は・・・このDVDを見たら、一青窈に対する想いが変化してしまい・・・・・そして、悲しく感じてしまうような気がして成らない。
120分にも及ぶツアードキュメント映像が、、、それもまたカメラを前にしての一青窈の姿であるならば、、、
一青窈は、決して、その本心をさらすことはしないのだろう。
一青窈が魅せる人間性が、一青窈の本心に近づいたとしても、それは、一青窈の殻に包まれているから、、、、
その姿からは、歌手としての一青窈しか見えないであろう。

それは、自らが「鋳型宣言」をした、一青窈の「負の遺産」でもあるし、
そして、もう一度、、、、、一青窈は、今もって取り払えないでいる鋳型から決別するために、再び宣言をしなければなならい時がくるように思えてならない。


2006年7月22日 20:42:32

新しいDVDソフトで一青窈の映像を見ると、その美しさが際立った。
スピーカーによっても、その美しさが際立つ。
いままで見えなかったものも見えてくると、DVDソフトの凄さも実感した。

しかし、一青窈は美しすぎる。
見た目の綺麗さだけではない内面から湧き出るこの美しさは、ただ者ではない。
この美しさを目の当たりにして、益々、ファンになってしまったのような気がする。


2006年7月10日 21:31:24

Excite Music Festival 2006 の公式レポートを酷評する事に虚しさを感じた。
一青窈の姿から感じたものが粗末な内容だったとしても、その事をもって、こぞって非難する事の虚しさを感じた。
一青窈が進化しているともてはやすことが、ファン心理としての域を出ない事も残念な事で、、、、、
一青窈らしさが作られてきた事すら、問題視しない。
全てが、一青窈の鋳型とするならば、これまでの全てと矛盾するファン心理となり、、、、、、、そんなことは今更、理解できない。

ライターの心を動かせる事が出来なかった事が、今の一青窈の姿でないのか。
それが、現実ではなかったのか。

ファンとして不満を述べても、その目で観たことを的確に語らずして、なんの説得力も無く、ただ意味もなく非難する事は読んでいて虚しいだけ。
一青窈の、何がどう進化しているのかも説明出来ないままでは、なんの意味もない。
一青窈の、どこがどう進化していると言うのか・・・・。
それは、あの「姿見一青也」や、アルバム「月天心」を超える事が出来ないのだから、仕方のない事なのに、、、、。

お堂の敷居が高いのと同じように、グループ化の弊害が見受けられるが、、、、、それが、ただ、虚しいだけで、
一青窈が伝えようとした「ハナミズキの想い」すら、まるで忘れ去られたかのようで、、、全く理解されていなかった。
一青窈の発する言葉には、どんな内容でも褒めまくるのに、しかし、それ以外では、、、、


2006年7月7日 23:01:35

ダ・ビンチ8月号を買った。
一青窈の髪型が、、、右分けが似合わないのが確認出来た。
作詞に於ける数学的検知も垣間見た。
それと同時に、数字は、後から何とでも説明出来る事も、、、、。

しかし、一青窈は、、、最後に、、、数字の「7」を取り出したが、その真相心理は、夢を追い求めているのだろう。
だけど、平和やエコロジーを叫び続けることが、歌手としての、まるでライフワークと化してしまう。
それは、自らに課してしまった責任でもある。
一抹の不安でもあるが、、、、、、。


2006年7月1日 22:38:37

Yo & U ツアー WOWOW での話

アリガ十々のMC

えぇ〜っとねぇ、、、今日はぁ もうちょっとだけぇ 近くにぃ よってぇ
家族みたいな感じになりたいので えぇ ここで・・・
あのぅ・・
 私の お家には あのぅ いっぱい家族の想い出がつまってて
特に・・ 庭にある 石とか 木とか
ずっと変わらないで あり続けてくれます。
えぇ 大切な人を失っても 悲しい ことがあっても
いつも その景色をみると 
強くなれる気がします。

どうか ここにいる 皆さんも 
変わらない景色を 心の中に 持ち続けて下さい。

今日 この夜が あなたの その後押しになる事を祈ってます。
きょうは 本当にありがとうございました。




       一青窈は、Yo & U で、ステージに腰掛けて、、、まるで姿見一青也の渋谷AXのように、感情を込めてアリガ十々を歌った。
       歌に心を込める真剣な姿に、一青窈の存在感を知らされた Yo & U であった。


2006年6月26日 23:55:53

Yo & U ツアー WOWOW での歌(一思案)

一思案

(1番)
昨日 東京に帰って来て
あなたの子供時代に触れたような気がした

おんなじ空気が吸えることが嬉しくて
でも、季節は あたしの知らない所を駈けて行くもんだから
あたしはただ 風の音だけを 聴いた  

ねぇ そのころ吹いていた風は 
何をあなたに 運んでくれたかなぁ


(2番)
たくさんの土地で 優しい人に出会った
ご当地の 美味しいもの たらふく食べた
どれもこれも わたしを形作る 大切な 景色

でも、私は全ての雲になれない
ましてや あなたの涙にもなれない
ただ、、、守りたいものがある
生まれてよかった・・・・



2006年6月26日 23:36:33

Yo & U ツアー WOWOW での話

ハナミズキのMC

例えば、、、私たちか生きてて えぇっと 
残せる物は何かなぁーと考えた時に
えぇ、、、「想い!」 が 有ると思います。
で・・  もちろん想いは えぇ 見えないもので 
時々 不確かだから不安にもなるんだけども
えぇ 何を 残せるかと言うと 
やっぱり えぇ 自分の ぇぇ 子供でもいいですし
えぇ・・例えば、もっと ぇぇ次の 新しいね 人間 が 
新しい種みたいな出来るのか分かんないけれど 出来たときに、、、
あのぅ 同じような景色を 残してあげれたらいなぁと思う訳です。
で、あのぅ・・
この前の ツアーでは えぇ ハナミズキの 苗木を 皆さんに
えー 東京に来てくれた皆さんにプレゼント しましたが、
今回は、あのー くちなしの えー 木を えぇ ここに来た皆さんに
全員に ぇぇ苗木を あのぅ ぜひ受け取って欲しいので、、、
もらって下さい。

あのぅ・・・うれしい?

あのね、  こちらこそ!
 あのー 本当はね、ハナミズキを作った時は えーっと
昔、東京の市長で尾崎行雄さんて方が居て ぇぇ その人が
あのぅ・・日米国交の為に、えぇ 桜を アメリカに送ったんです。
で、 その返礼でもらったのが ハナミズキで、、
えぇ、そうゆう、、、
まぁ 文字通り ハナミズキの花言葉は返礼なんですけども・・
あのー 実際に 見える物で 想いを交換しあぅって 
凄く素敵だなぁと思いました。
でぇ・・、えっと、私と あなたの中にも
えぇ なんかこう残せる ものが あったいいなぁっと思って
このなんかねぇ フフ・・ えーっと
想いを見える形にして どんどん あのぅ こう くちなしとかハナミズキとか
これから先 生まれるであろう 分からないけれども 
木がね どんどん植わっていって
素敵な 森になったら、、いいじゃないですかぁ・・ フッフフ

で、本当は、あのぅ・・その、
想いの交換みたいなものに気づいたのって言うのは 9.11の
あのぅ テロの起こった日に ぇぇ ハナミズキとゆうのを書いたんですけども
えぇっと・・どうか、、あんな悲しい ことが 起こらないように
えぇ 想いを 切り替え 優しい気持ちの連鎖を
あのぅ・・・ どうぞ、ここから 始めたいと思うので
私からみなさまに えぇ  願わせて下さい。

あなたと、あなたの好きな人が 100年 続きますように・・・


2006年6月25日 22:57:22

WOWOWのYo & U の録画も無事に成功し、データはHDに入れた。
てとしゃん以来の感動が、画面を通しても伝わってくる。
その、歌う仕草に、一青窈の美しくも切ない想いを含ませながら、歌詞に秘められた想いの深さを、感じ取っていた。
再び一青窈のコンサートへ行けるのかどうかも分からないと思うと、色々なことが思い出される。

一青窈が伝えたいと願ったことが、、私には理解できていないのかも知れないと思うことが、一抹の不安でもあるが、
一青窈に勝る歌い手が見つからないのは、安心感でもある。
眩しい程に輝いていた一青窈に、、、、、


2006年6月12日 20:37:15

お堂に、主のコメントが載った。
これで一応の収束を得たが、、、それは、表面上に過ぎないことは、主のコメントにあるとおりで、、、
心の痛手は、完全には拭えていない。

失われたものは、書きたくなったら、、、書くそうだけど、、、、それは、もう少し先のような気がする。
主のコメントは嬉しいけれど、ファンとの間には、やはり見えない壁に遮られているのが、あのコメントから伺えてしまった。

その最後に2行に、、、、、言いしれぬ存在感が生まれてしまった。
それが、お堂ですら理解されていないのが、少し寂しいと思っているのだろうと、代弁したくなる。


2006年6月10日 21:46:07

大分での記事が、公式を含めて、話題になっているけれど、、、、
どれも、右へ習えの意見ばかりで、、、、過剰反応をしている。
事件が起きなければ、一青窈がしたことすら知らなかったことなので、、、、、、、
一青窈としても、個人的な願いをしたためたことだから、、、、、、
それよりも、、、、なぜ、この問題だけに過剰反応するのか、、、、
ネットオークションで、個人的なサインや、プライベートな情報が出品されても、こんなにも過剰反応はしないし、、、、、
あるサイトでは、デビュー前の一青窈のことを、こぞってファン自らが欲しがったりしている。

そもそも、その見学帳はノートなのだから、、、一青窈の書き込みの前後の人の想いも切り取られたのでは?・・・・・。
有名人だから、大騒ぎする、、、、大騒ぎされる、、、、、ただ、それだけのこと。
名も知れぬ人達の想いが切り取られているかも知れないのに、、、、一青窈だから・・・・・・と、過剰に抗議するのは、いかがなものか、、、、、

もしも、一青窈が、本当に悲しんでいるとしたら、それは本心ではないように思う。
あんな事で悲しむようでは、一青窈は、歌手を続けることすら不可能になってしまう。
今回の件に対しては、いずれ一青窈もコメントをするはめになるだろうが、そこで、悲しみを表現するようでは、一青窈らしくない。
しかし、カリスマ性が芽生えることなんて望んでいない。


2006年6月6日 21:36:40

ダ・ヴィンチ 7月号を買ってしまった。
今回は、なぜだか、、、一青窈の写真が、気に入ってしまった。
その、、、何とも言えぬ無表情っぽさが、まるで無防備な様子で、、、、、、、、一見、キリッとしているようでも、なぜか笑えてしまう。
賢そうで、実は賢くなさそうな、、しかし、何か惹き付けるような目の表情からは、、、不思議な視線を感じる。
まるでOLのような一青窈に、親近感を覚えてしまう。そんな写真です。

さて、肝心の対談内容は、、、、、読んでのお楽しみ!


2006年6月6日 21:23:21

あたしんち に、一青窈の言葉が載った。
それは、一青窈としては、久々の長文である。
しかし、私は、その内容に惹かれることはなくて、一青窈の文章そのものに惹かれてしまった。

なぜ一青窈は、あの長文を書いたのか、、、
なぜ、このタイミングで発表したのか、、、
自身の歌ではなくて、他人に提供した歌詞を、、、、なぜ、解説したのか。

その深層から一青窈の心理を探ると、別の感覚を生み出すのだが、、、、しかし、
試聴する限り、、、、それが一青窈の伝えたいものを素直に表現されているとは思えなかった。
それから、、、うたまっぷ で、歌詞検索をしてみた。

もしも、この作曲を一青窈が歌ったのなら、、、それは、一青窈の歌とは思えないと、、、考え込んでしまった。
一青窈らしい詩ではあるのだが、、、。


2006年6月5日 22:49:20

次の新曲が、少しだけ気になった。
まさか「てんてこ舞い」を入れるなんて馬鹿げたことはしないだろうし、、、、、
アレンジに先走るような選曲なんてしないだろうし、、、、
一青窈の殻を打ち破るような刺激的な歌なんて発表しないだろうし、、、、
影踏み や かざぐるま の路線に戻ることはしないだろうし、、、、
されど、アルバム月天心を超えるものを創りたい気持ちを忘れた訳ではあるまいし、、、。

いずれにしても、難しい選択になる。


2006年6月1日 21:16:59

もはや公式BBSに、、、、
一青窈の書き込みもさること、、、そのシステムに、期待することは無いし、期待出来ない。

何のための、誰のための、BBSなのか、、、、、、、、、。
まるで逆行するように、そして、あたりまえのように、書き込みたいと思えなくなってしまった。

最初にお堂がパスワード化した時の喜びが、期待する程では無かった虚しさとなることを、再び味わう事だけは避けたい。
その為には、もう書き込みをしないことにした。
もっと本音が書けたのなら、、、、そんな期待をする場所ではない。
それが分かっただけでも、、、、、良かったのかも知れない。
と、個人的に思うばかり。
何のためにパスワード化したのですかと、、、。

ちょっと、書き過ぎたのかも知れない。


2006年6月1日 20:56:15

一青窈は、次のシングルに、どんな選曲をしてくるのだろうか。
今まで以上なポップ感を魅せるのか、それとも、正統派としての一青窈らしさを魅せるのか。
私は、今までにない本物の一青窈として・・・後者の予感がすると言うよりは、後者を期待している。

ハナミズキを超えるヒットを狙うには、今までと同じ事を繰り返しては難しいし、新たな戦略を魅せることも難しい。
今の一青窈に出来ることは限られるし、優しいだけの歌では、大きなヒットは無いだろうから。
そこで狙うのは、強い個性の復活しかない。

本物の歌を求める時代だからこそ、一青窈の出番でもあるし、逆に、ヒットが狙えるチャンスでもある。
だけど、今は、一青窈自身の、伝えたい想いが薄れているのが、、、少し気に掛かるだけ。
もうじき発表されるであろうシングルに、何が込められるのかも、気に掛かる所である。

一青窈に期待するものが大きい程に、その想いが強くなるけれど、しかし、その意に反しても繰り返すのが、一青窈なのだろう。


2006年5月27日 21:45:01

2003年は 池上本門寺の「月天心しゅるり の世界」
2004年は 熊野本宮の「花逢娘」
2005年は 京都祇園甲部歌舞練場の「夢街バンスキング〜はいらんせ〜」

単独ライブは、魅力溢れるものだけれど、、、その音楽の質が高まっていったとしても、、、
一青窈の歌として、どうしても観たいと思うものへの憧れが、初期の頃に遡ってしまうのが、、、、一青窈の不思議さでもあるが、、、、、。
では、2006年は 何処で、何が行われるのだろうか、、、、

だけど、音楽活動の全てが記録として残らないのは、ある意味として良い面もあるが、果たしてそれでいいのだろうかと思ってしまう。
ライブDVDにしても、カットされた部分が多くて、それが「見せない戦略効果」を期待しているとしても、ファンとしては、ガッカリするしかない。
ライブの良さを体験しても、それがDVDとなる事に期待感を膨らませるばかりで、それだから当然に完全版を期待するけれど。
一青窈の気持ちと営業の気持ちとファンの気持ちが、少しだけ離れている。
そんな気持ちを感じたのなら、姿見一青也の世界に触れるしかない。
そして・・・・・今日も、渋谷AXの一青窈を観てしまった。

その一青窈の歌声からは、、、はいらんせ や 花逢娘 の華やいだ衣装が、無駄な演出のように思えてしまう。
一青窈の歌に、その時の表情がプラスされると、歌詞が活きることも、、、再確認できた。
見た目の演出よりも、それを取り払った姿こそが、一青窈の証だから、、、、「ええいああ」が色あせることもない。
一青窈の変化に惑わされない限り、、、、一青窈の歌の良さを信じられるのだろう。


2006年5月18日 22:40:33

アートブック ええいああ を、あれほど興味を誘ったら、どれほど欲しくなるのだろうか。
しかし、手に入らないから、良いものとして残るもの。
もしも、ファンの要望が殺到して、光沢紙になって再販されたのなら、迷わず買ってしまうだろう。
だけど、そうはならないでいて欲しい気持ちも、残っている。

最後の言葉は・・・・・・ありがとう


2006年5月8日 21:55:42

ダ・ヴィンチ 6月号
もう脱帽です、、、
ハナミズキの歌詞解釈に、、
夏は暑すぎて、、、、、が、、、環境破壊による気候温暖化を指しているだなんて、、
夏が暑いのは北半球だけど。
夏が暑い原因は、、、テロ、戦争、環境汚染、、、、直接原因が、、、曖昧だけど、、、。
その結果、、、地球崩壊を向かえると、、、それこそ、、、ノアの箱船の出番となってしまう。
そこまで考えていたなんて、、、、、、、、でも、ノアの箱船は、テロをイメージしてのことだろうけれど、、、。

いや、まてよ、、、しかし、その事を、なぜ、今になって説明するのか、、、、
あれほど9.11の事を言ってきたのに、、、。
後から付けて説明したと思われても、、、仕方ないのでは。

だけど、、よく読むと、、、
夏は暑すぎて・・・・・は、「・・考えたこともあったんです。」だから、必ずしもイコールとしての地球温暖化を指している訳でもないような。
やはり後付の説明になってしまう。
それに、そんなにいろんな想いを込めて作詞しても、、、、伝わらない真意に、気持ちを込めて歌う意義が、、、、ない。
まぁ、、いいや。

私が、もしも、世界一のお金持ちだったら、、、、、、しかし、そうなっても、一青窈のコンサートを、心待ちにしているんだろうなぁ。


2006年5月3日 22:44:01

昔の一青窈思考は、凄く、凄〜く、考えて書いていました。
それこそ、一青窈に負けないくらいに、凄く考えて書いていました。
簡単なように見えても、スパイスの効いた言葉に心掛けて書いていました。
例え、それが理解されないとしても、思考する楽しさを味わっていました。
それが、一青窈のライブが重なる度に、、、、曖昧な思考しか出来なくなったのが、、、、残念に思う。
その事は、以前にも書いたのだけれど、、、。

その原因が、、、一青窈の歌の「聴き手」から「受け手」になってしまったことに気が付いてしまったのが、「Yo &U」だった。

ツアーが終わり、また、新たな一青窈思考が始まる。
だけど、、、失った感性が元に戻る保証はないから、一青窈の手のひらの中で泳ぐのも、また楽しいし、そこから新たな思考が生まれるのかも知れない。
だけど、この一青窈思考が、どんな方向へ進むのか、、、、、それは誰にも分からない。

イベントライブに一青窈の活躍を期待しても、、、、、一青窈には、変わらない「うた」でいて欲しい思いがあるし、
それを、いつまでも聴きたいし、その想いも、変わらないでいられたらいい。
だから、、、、

だから、、、、、、だから!
一青窈の思うように動くファンでは無いのが、、、私!・・・・即ち、一青ファン!
コンサートにしても、ライブにしても、そこはいつまでも真剣勝負の場所なのだから、、、、、一青窈がスタンディングに拘り続ける限り、ファンとの戦いの場でもある。
一青窈が思い描くように動かされるのを、時と場所によっては、素直に受け容れない。
外形に惑わされる程に、ファンとしての信念を曲げたくはない気持ちがあるのも事実なのだから、そんな私をノックアウトしてくれる「うた」を、期待している。
もしも、パックステージが当選していたのなら、もうメロメロだったかもしれないけれど、、、、_| ̄|○
当選しなくて、、、なぜかホッとした、、、_| ̄|○、、、と、思いたい。


2006年4月29日 18:25:01

あたしんち が更新されても、、、、いつ見ても、、、ガッカリするだけ、、、。
なにをそんなに出し惜しみしているのか、と思えるくらい、、、、お堂が、パスワード式になっても、一青窈の書込に、あまり変化が無い。
むしろ、、、、BBSに書き込む内容を、あたしんち に書いて欲しいくらいです。
BBSを見返す手間を考えたら、そっちの方が断然良いのに、、、でも、私の考えは、ハナミズキの精神に反してしまう。

ツアーが終わり、書き込むネタも、そして、書き込み易さも増したと思うのだけれど、、、、。
でも、、、、文字にして書き込むことの難しさを考えると、、、、その気持ちも分からない訳ではないけれど。

ここを閉鎖した分、、、一青窈思考が、増大しそうな予感がしてしまう。
しかし、一青窈思考のスタンスは、だだ、感じるままに、思うことを、ただ、書き連ねるだけ、、、、
文法や文章を意識している訳ではない。ただ、一青窈思考スタイルとして思った瞬間を、、書き連ねるだけ、、、、
だから、ファンのblogみたいに、考えてから書いてはいない。
その点が危ういから、、、、、楽しいのかも知れない。
それを、あしたんち に望むのも、逆に危ういのかも知れない。


2006年4月26日 20:31:09

本日限りで、この一青窈思考が終わります。
個人的に、これだけ好き勝手なことばかり書けて、、、、、楽しかったです。
こんなHPですが、応援して下さる方もあり、、、、、それも楽しかったです。
一青窈のコンサートも、、、、楽しかったです。
熊本 Yo & U 、、、、、楽しかったです。
一青窈のファンで、、、、嬉しかったです。

いつか、また、コンサートへ行けたらいいと願っています。


2006年4月25日 22:05:00

ツアーが、もう終わってしまう。
そして、、なぜか、、、、寂しい。

次は、、、また2年先なのだろうか、、、、、、、。
だけど、、、待つことが出来ません。

今年も、特別なコンサートを開いてくれるのだろうか、、、、。
チケット代に上乗せしてもいいから、、、ハナミズキの苗、プレゼントしてくれないのかなぁ・・・・・・。
家の庭は、広いんです。


2006年4月24日 22:57:22

一青窈の趣味の1つが、ネットサーフィンをすること。
今となっては忙しくてそんな暇もないだろうけれど、、、、もしも、この一青窈思考の存在を知っていて、もしも存続を望むのならば、、、、
あたしんちに、「玉子かけご飯専用醤油は美味しい」と発表して!

しかし、、、更新を望まないのなら、、、、、何も書かないで、、、。
まぁ、このHPを知らないと、何も書けないのだけれど、、、。
さぁ!どっち?って、どっち?
なんて、、、、例え、、、いや、知っていても書かないのが、一青窈の良いところ、、、。

もはや、それぐらいの後押しがないと、、、、、一青窈思考が続けられない、、、、。
仮に偶然だとしても、、、、それでもいいと思えるくらいに、、、、早くも、、、、一青病が始まった!
だけど、、、


2006年4月21日 21:29:49

明日は、私が、、、一青窈の歌を聴くことが出来る、、、最後の日となる。
もはや、何も望むことは、、、、ただ、今の一青窈の力を、認識するだけ、、、、。
歌手一青窈の実力を記憶することに、集中するだけ。

思えば、、、てとしゃん以来、、、長いようで短かった。
そしてもう、一青窈思考は終わる。
最後のコンサートを、どんな気持ちで終えられるのか、それもまた楽しきこと。
そして、ファンで居られたことに、感謝している。

いざ、熊本へ!


2006年4月15日 21:19:43

てとしゃんと同じく、またしても、、、プレゼントが配られた。
しかも、ファイナルではなくて、、、また東京で、、、。
WOWOWの放映料からすれば、安いものだけど、、、気持ちの違いは受け容れられない。
ツアーの最中での、一部の人への特典なんて、、、一青窈らしくない行動に、過ぎないだけ。

誰だって、プレゼントは嬉しい。
しかし、形じゃなくて、気持ちの問題。
だけど、今後もこのような事が続くならば、再考を要するだろう。
一青窈のスタッフを含めて、そんなことでは、、、、、、と、思ってしまう。
一ヶ所で苗木を配るよりは、各会場で、くちなしの種を、ほんの数粒でもプレゼントする方法はとれなかったのだろうか。

東京国際フォーラムへ、行かなくて良かった。むしろ、行きたいとは思わない。
残された苗木が、泣いている、、、。
観客の反応を冷静に分析する目を備えたら、、、、一青窈のコンサートが、全く別の方向へ進んでいるように見えてしまう。


2006年4月15日 20:29:48

一青窈の歌は凄い。その一青窈も凄い人。・・・・だけど、”一青窈は”、偉い人ではない。
一青窈に、感心させられる事は多いけれど、だからと言って、一青窈のことを、何でも称賛することは、決してしない。
一青窈は、あくまで、1人のシンガーだから。
期待したり、答えを求めたり、、、、そんな事は、しない方がいいから、それに、出来ないから、しない。
あくまで惚れ込んだのは一青窈のうた、そのものだから。
最初の「市原」から本気モードならまだしも、回数を重ねて、益々、磨きがかかる一青窈の姿勢は、素直に感心出来ない。
一青窈のコンサートを、1ヶ所だけ観たとしても、観客にとっては、それが、今の一青窈の全てなのだから

私にとってのファイナルは熊本だから、、、ステージ上の一青窈の左頬を見る位置に座っている。
そこで、一青窈は、どんな「うた」を歌ってくれるのだろうか、と、考える。
福岡サンパレスと同じだったら、私は迷わず席を発ってしまうかもしれない。
だから、せめて「大家」を歌う時だけは、じっくりと座って聴かせて欲しい。
それが、どんな「大家」であったとしても、最後の生歌を心に刻みたい。
一青窈のコンサートへ行けるのも、これで最後となる。
一期一会を心得て、一青窈の”うた”に期待したい。

期待した程でなければ、私はレポを書かない。
それは、Yo & U ツアーのテーマが、私の肌に合わないだけだから。

ツアーが終わって、一青窈が、どう変化していくのか、、、、それを知ることも出来ない程に、一青窈思考は加速している。


2006年4月14日 23:58:36

僕らの音楽100回記念 未公開放送分で、、、「かざぐるま」を聞いた。
あれが、今の一青窈の歌唱力を物語っているのだと考えたら、、、、Yo & U ツアー の残念さも、納得することが出来た。ある意味、正直な声、だった。

気持ちを込めないと上手く歌えないと言ってきたことが、、、、本当なんだと、、、残念ながら、、、知ることもできた、、、、。
「かざぐるま」を歌う一青窈からは、歌に対する気持ちなんか、、、全くと言っていい程、感じられない。
アカペラの力も、衰えてしまったのか、、残念なこと、、、と言ってしまいたいくらいに惜しいこと。

どの部分が優れていないのか?
それは、せっかくのピアノ伴奏が、一青窈の言葉の「タメ」を生ませていない点。
語りかける口調が、優しい雰囲気を出し過ぎてしまい、感情移入が曖昧な点。
荒々しい程のこぶしを消した点。
綺麗に歌おうと心掛けていることが、逆にマイナスな点。
要するに、一青窈が一青窈を演じようとしている点。
それらが、、、歌唱に占める割合が、例え10%だとしても、歌うことに全エネルギーを注いでいないから、マイナス要因が目立ってしまう。
この歌は、歌い出しで全てが決まってしまうから、愛想を振りまきながら歌うと、気持ちがおろそかになってしまう。

歌う時の”目の色”が、いつもと違った。
それは、一青窈が、、、鋳型を離せられないでいる、、、、「かざぐるま」だった。


2006年4月9日 21:13:34

最後のチケットが送られてきました。
行けない事が分かっているから、虚しい。
今回のツアーが、、せっかくのプラチナチケットばかりなのに、無駄な出費ばかりが増えてしまった。
FCでありながら、5ヶ所も申し込んでおきながら、、、、3ヶ所へも行けないなんて、空席ばかりを作ってしまい申し訳ない。
全て行くつもりだったのに、、、、、行けないことの悲しさなんて、、、、、だけど、チケットは、想い出として残しておきたいから、譲れません。

一青窈のコンサートに、行きたくて行きたくてFCに入ったのに、最後はあっけない幕切れとなってしまった。
それをどう説明しようとも、もはや意味を成さないけれど、、、、私は、一青窈のファンであった事に、感謝している。
ドキドキ感が薄れたとしても、一青窈の歌は、いつまでも聴きたいことに変わりはないし、一青窈は、最高な歌手だと信じている。
歌で、人の心を動かせる人。それが一青窈だった。

どんなにアレンジしても、、どんなに上手にうたっても、、渋谷AXの大家を超えることは出来ない。
だから私は、一青窈のファンになってから、ずっと、そして最後の最後まで、渋谷AXの大家を求めていたけれど、、、、もう、無理なことを求めることに疲れてしまった。
一青窈は、渋谷AXの大家を歌ってくれることはない。そして、私の Yo & U は、熊本で終わってしまう。


2006年4月9日 11:54:46

Yo & U の中で比較対象になるものを体験していないが、福岡サンパレスの一青窈に点数を付けたのなら、、、、いったい何点になるのだろうか、、、、、。
どの会場でも、、、盛り上がった、、、良かった、、、の意見だらけでは、、、。
だから、熊本で、自ら確かめるしかない。
一青窈のコンサートを、一ヶ所だけで評価してしまうのが、、、逆に、一ヶ所だから評価されて仕方ないのか、、、。
演奏音と歌声の強さのアンバランスが、一青窈のコンサートを台無しにしてしまった福岡サンパレスに、、、、、不満解消を探す決意をさせられた。

Yo & U の評価は、「大家」の出来具合を抜きにして語れない。
一青窈が思いを込めた”うた”だから、、、全国ツアーの飾りとして付け加えただけでは、、、歌が死んでしまう。
なのに、どこサイトを見ても、、、大家の評価が芳(かんば)しくない。
むしろ、どのサイトも、評価していない。
それはやはり、Yo & U に於ける大家が、それだけの歌に過ぎないだけなのだろうか。

歌に心を込める事は、簡単なようで難しい。
それが、中途半端なら逆効果となり、むしろ、歌わない方が良いのは実証済みだから。
その全てが、福岡サンパレスのように思えてならない。
その後の会場の雰囲気も、何処までが本当なのか、良く分からない所がある。
WOWOWで放送される東京国際フォーラムは、放送を意識した意気込みとなるから、各地の雰囲気とは違ったものになるのだろうが、、、。
でも、一青窈の凄さは、、、妥協を許さない所にあるのだから、、、、。

あと9ヶ所で、Yo & U が終わる。
その中で、一青窈は、どれ程の本気を魅せてくれるのだろうか。
せめて、、、熊本だけは、、、本物の、、、いや、本当の「大家」を歌って欲しいものです。
この歌は、、、、本当は、泣き歌なのだから。


2006年4月3日 22:34:51

今日は北海道でコンサートが行われている。
一青窈の Yo & U ツアーも、残すところ、あと数ヶ所となってしまった。
ここの最後は、、、知らぬ間に終わらせようと思っていたけれど、更新を期待されては良くないから、終了宣言は明確にした方が良いと思いました。
今後は、ブログのデータを、このHPに移すことに専念します。

ツアーの最後が、この一青窈思考の最後です。
今までにも、止める止めると言ってきたけれど、今度は本当です。
私は、もはや、一青窈を思考する事が出来なくなりました、それはもう、真剣に一青窈を応援する事が出来ないことです。

コンサートへの期待と落胆は、正直なところ、後者です。
そう思うのも、私は、一青窈の歌への想いが強すぎたからなのでしょう。
想いが強すぎると、それ以上の期待をしてしまいました。その結果は、自分が辛くなるだけでした。
今後は、ごく普通のファンとして、一青窈の音楽に触れられたらいいと思います。
一青窈の本気の本気が聴けなかったことだけが心残りですが、それは仕方ありません。
近くて遠い人になってしまいました。それでいいのかも知れません。


2006年3月31日 23:59:30

僕らの音楽100回記念で、一青窈は My Favorite Things (映画 サウンドオブミュージック)を歌った。

一青窈が好きな映画から、、、、番組の企画に絡み合わせた結果だろうが、生放送の番組なのに、、、、、期待外れも甚だしい。
もはや、コメントする気も湧かない。
残念の一言に尽きる。

ただ、それだけのものだった。それしか感じない。・・・・・残念だ!
一青窈の持ち歌でないにしても、、、「うた」は、何処へいったのか、、、、、。

そう思わせながら、、、突然、さよならありがと を、歌った。
けれど、、、、何だか、、、カラオケボックスで歌うような雰囲気では、歌の良さなんて、表現出来ない。それも、残念だ。

髪型や衣装は凄く良かったのに、、、、
歌うことが楽しいと、自分自身に言い聞かせているようでも、、、、自信満々で、、しかし、それで、、、、、良いのだろうか、、、、。
こんな感想しか出来ない私は、もうおしまいですが、、、。
しかし、この歌は、「♪さよなら ありがと♪」の部分を歌う時の表情、視線、身振り手振りに注目すると、まるで気持ちがノッてるように思えて、想いも強いと感じるが、
それが一見すると良いように思わされるけれど、よく見比べると、違いが分かってしまう。
むしろ、優しくささやくように歌う方がしつこくなくて、特に、「♪ありがと♪」の時の表情と目の悲しみに注目すると、演技なんか要らない。
気持ちを込めて歌うことと、感情表現することの微妙な違いが、その部分に出るから、ただ楽しいだけを表現してしまった歌唱に、”さよならありがと”の本当の気持ちが
込められていなかった。それが残念なこと。


2006年3月25日 18:45:38

ミュージックフェア21で、一青窈は、「さよならありがと」を歌った。

白の衣装も、後ろに結んだカワイイ髪型も、凄く似合っていた、、、、。それは、やはり黒髪の成せる技。
歌う前のリズム取りも上手くしていた。
そして、ため息混じりに大きく息をしてから、歌い始めた。
だけど、、、しかし、やってしまった。「・・・・2100回」と、、、、ワンコーラス中に、ささやいてしまった一青窈。
そして、♪さよならありがと♪ を、言い終えてから深々とお辞儀した直後、、、、頭を上げた一青窈の表情は、全く違った”もの”になっていた。

正に、本領発揮するかの如く気持ちMAXなその表情に、微笑みも優しさも消えていた。
しかし、どうしてそんなに不安そうな目をするのですか。

気合い充分な顔と、眉間にシワを寄せて、唇をとがらしながら、、、、、時に、笑みを浮かべながらも、、、、体を揺らしながらも、やはり、気合いは充分あったのに。
高音域が出し辛そな表情も、不安げな目も、それは歌詞に込めた気持ちの表れなのか、、、、。
だけど、歌唱に力は注がれていた。

何だか、、、、険しい一青窈を見たような感じがします。

何がそうさせたのか、、、、、思うように声が出ないだけではないようだけど、、、。
でも、その歌い方では、「さよならありがと」が、苦しくなるだけでした。
もっと余裕をもって歌えたのなら、、、、、そんなに声を張り上げるだけじゃない、気持ち(心)の余裕が出せたのなら、もっといい「さよならありがと」になったと思います。

しかし、、、こんなに早く、TV出演の感想を書くファンサイトなんて、、、、ここだけでしょう。少し辛口だけど。



(追伸) 2006年3月25日 20:35:09
「さよならありがと」の映像ライブラリを探したけれど、@ズームインスーパーのクリスマススペシャル生ライブと、AHNKのスタジオパークしか保存していない。
その2つと、今日の映像を見比べたら、、、@クリスマス生ライブの方が断然いいと思った。
優しさの中でも一筋の芯を込めた歌い方こそが、この歌には似合っているのだろう。
何も、歌唱力を丸出しにするばかりが、一青窈の歌ではないのだから、、、、、。
余裕を感じさせる温かい表情に包まれてこそ、”さよならありがと”が、美しく伝わって来るものだから。
歌、それぞれに、似合う歌唱法があるのだから。

しかし、一青窈の歌を消音して見ていると、その表情が豊か過ぎるのが気になる。
特に、嬉しそうにした後の悲しみの表情などは、TV出演の度に、不思議に思う時がある。
でも、よく見ると、歌詞のタイミングに合った変化で、歌詞だけじゃない、その歌詞に含まれる深い意味に合わせて、顔の表情が変化している。
歌詞に込めた想いや、感情表現、その伝えたい想いを、、、、、顔の表情で伝える事を、今もって聴覚障害者に向けているのだろうか。
その事を、今も実践しているとしたら、、、、、脱帽するしかない。でも、一青窈なら、当たり前のこと、、、、なのだろう。
歌詞解釈がしたくなった。


(追伸) 2006年3月26日 13:41:56
この時の一青窈の心理状態を分析すると、、
平原綾香の後に歌うことで、、、しかも、多くのプロ歌手を前にして、、、特別な緊張感があったのだろう。
歌う前のため息も、極度の緊張の表れで、、失敗しないかなぁ、、、大丈夫かなぁ、、、なんて思いが、そうさせたのでしょう。
♪2100回♪ を言っても、、、、誰も反応してくれないし、、、「あれれ、、、」と、感じた事でしょう。
そこで、最初の♪さよならありがと♪を言って、深々とお辞儀をして、気分を入れ替えようとしたのでしょう。
「よ〜し、ここからは歌に集中するぞぉ〜」ってな気持ちを持ちつつ、歌唱に力を入れようとしたけれど、、、、高音が綺麗に伸びなかったから、、、、
「あれれれ・・・・」と、感じてしまい、正直に焦ったのだと思います。
しかし、それでも、プロを前にしてしっかりしなくてはと思い、動作を加えて、気合いを入れようとしたけれど、、、やっぱり、気持ちだけが空回りしてしまったのでしょう。
思い描いた程の高音域の伸びが出せなかったこと、、、
だから、歌い終わって最後にお辞儀しても、、、、いつもなら満面の笑みを浮かべるのに、安堵感が無いから、、、、笑顔が出せなかったのでしょう。

要するに、極度の緊張感で、頭の中が真っ白になったのでは、と思います。ただそれだけの事なのは、目が物語っています。
一青窈は、まだまだ、緊張屋さんです。コンサートでは、その緊張を解そうとして、最初から元気いっぱいを魅せているのかもしれません。
なので、、、、一青窈が、受話器を持って「・・・立って下さ〜い!」と言ったら、、、飛び上がって下さい。

どうですか?ちょっと安心した?相変わらずの私見だけど、、、って?


2006年3月25日 11:15:19

「あたしんち」、、、、期待外れな内容が続いている。
お堂が、パスワードを導入して、堂員だけの広場になってから、その書き込みが、もう修復も出来ないくらい、落ち込んでいる。
ネタ切れなのか、出し惜しみなのか、、、感心させられる内容が少ない。

一青窈に、書き込む義務はないけれど、書き込むからには、それなりのものを提供して欲しくても、面と向かって要望すら、出来る訳もない。
書き込みに情熱が感じられないのは、HPに対する情熱の欠如だけでは無いような気がする。
だけど、一青窈は、、、、意識して、そのように書き込みしているように思える。

それと同じように、この一青窈思考も、時々、意味不明な書き込みをしているように思われている時がある。
一見、もっともらしい事を書いていたり、時には、何が言いたいのか分からない言い回しをしている時もある。
そして、理解されようと意識しているように書いている時や、難解を装う時こそが、文章に隠された思いが強い時もある。

練ったつもりや素直な感情を織り交ぜながら、言いたいことを好きなように書いていると、訳が分からなくなる時もあるけれど、
もっと分かり易く書いたらいいと思う時もあるけれど、
それを含めて、全てが意識して書いているのです。
だから、気分を害された方には、申し訳ないと思っているのですが、これが一青窈思考のスタイルなので、ご理解頂けたら幸いです。

だから、「分かりますよ、その文章(隠された意味)、、、。」なんて言われてしまうと、嬉しいやら悲しいやら、、、、なんです。


2006年3月19日 21:22:03

福岡レポが、単純なものになりました。
しかし、てとしゃん以来の2年間、よく続いたものだと思います。
残りは、熊本と宮崎ですが、、、、先のことは分かりません。

一青窈思考は、、、、タイトル通りに、一青窈だけを思考してきました。
書かれていることは、全てが一青窈に関する事です。
ですが、、、あくまで、、、個人的な意見なのですから、、、、だけど、、、、最初は、どうやって、このHPを知ったのか、、、
普通のキーワードで検索しても、見つからないようにしているのに、、、、、。


2006年3月17日 20:57:37

今日、仕事帰りに、切符を買いました。福岡行き決定です。
「のぞみ」で、福岡へ行きます。

ツアーパフォーマンスが固定する中、一青窈が、どんな姿を魅せてくれるのか、、、なんてことは期待していません。
ありのままの姿から、一青窈の歌手としての実力を見極めたいと思います。
それは、私が何を感じ取れるのかによるし、、、、だからもう、空席だけは作りたくない。

立って下さいと言われると、、興醒めする反発心にも、明日で答えが出せるのだろう。
そして、長く待った分だけ、期待も大きい。
どんな大家を歌ってくれるのか、、、
レポが書けても書けなくても。


2006年3月13日 23:09:08

ツアーが終わると、一青窈思考も終わります。
スタンディングは、諸刃の剣のようです。

私は、3月18日(土)の福岡サンパレスで、一青窈のコンサートを観ることにします。
第二のびわ湖は、ありません。絶対に行きます。そう決めました。
一青窈思考を終えるにしても、一青窈を見ないで終える後悔だけは残してはならないと思います。
「立って下さい」と言われたら立ちます。
「座って下さい」と言われたら座ります。
それをどう感じるのか、体感してきます。
そして、一青窈のうたを、じっくり聴いて観ます。

ライブ用の演出なんか望んではいないけれど、、、、それが本物なのか、、、、今後の一青窈らしさとライブのあるべき姿に、、、、答えを見つける為に。


2006年3月13日 21:39:52

広告批評Bを買ってしまった。

長い文章も、3回読めば、何が書かれているのか分かるものなのに、消化不良が続いていた。
言葉の意味や歌詞の意味を知らされたようでも、本質は未だ隠されたようにも思えるし、、、、。
そして、私のハナミズキの解釈に齟齬が生じたので若干揺らいでしまったが、根底は、さほど揺らいでいなかったから、安心させられた。

近頃の歌唱のアレンジ方法は、ap bank fes に影響されているのだろうが、観客の変化を受けとめるだけの度量が備わっていないから残念に思えてしまうのも、
この、広告批評を読まなければ、知ることもなかったのだろう。
作詞方法が難解を生んでしまう必然性も、興味深いものだった。
それらの一青窈の半面を知ると、どうしてもあと半面が知りたいと思うようになるが、、、、逆に、知らない方がいいのかと思うようにもなる。
対談内容に、しいて真新しさを見つけるとすれば、一青窈の部屋は整理整頓されていて、ぬいぐるみなんか置いてないこと。
男性的感覚が一青窈を動かしているのだとすれば、一青窈は、常に、一歩も二歩も先を見据えているようで、私の考えの浅はかさをも知らされる。
立ち止まる事を許さない感性が、一青窈の本質なのだろうかとも思わされるし、しかし、言葉遊びは、これからも続くのだろう。

歌詞解釈も遊び心に通じるし、歌手としての変化を望み続ける気持ちも、遊び心に通じてしまう。
だけど、対談の最後にこそ、その人の本心が出るものだから、それが、少し安心した。

「音楽的な部分は変わりたいけれど、それ意外のところまで変えると、私が私で無くなってしまう。」

本質を見据えた言葉に、安心した。


2006年3月12日 2006年3月12日 8:25:06

一青窈思考を創ろうとしたきっかけは、、、てとしゃんコンサート。
だけど、その原因は、今は無き「一青しんどろ〜む」だった。

一青窈のファンサイトが生まれては消える中、その掲示板は、特異な存在だった。
公式BBSなど足下にも及ばないくらいに、自由な意見表明ができた唯一のBBSには、色々な想いを書きたい人達が集っていた。
ありきたりの褒め言葉なんか求めない人達が、それぞれの想いを自由に書き込み出来たのは、今にして思えば不思議な信頼関係だったのかも知れない。
私自身の書き込みも、時にエスカレートしていたが、なんら違和感を感じなかった、不思議な掲示板だった。
これに代わる掲示板は、残念ながら、もう何処にも無い。

今の公式BBSを、どう評価するのがいいのか、答えることすら無意味だけど。
それが、不特定多数が利用する公式の使命なのだと知りつつも、残念なことだと思い続けている。

一青窈が公式BBSに満足しているとは思えないが、それもまた、仕方のない結果なのだろう。
だから、、ネットサーフィンをすると、とんでもないサイトに出合う時がある。
それがインターネットの世界であり、この一青窈思考の世界でもあるし、別の世界でもある。
バーチャルを理解出来ない人が踏み込むには、危険な空間でもあるから、惑わされる書き込みなら、即刻、削除するのが、管理人としての責務である。
不適切な書き込みなのだから、、、、削除する勇気がないのなら、管理する根拠がない。
反面教師として、自分自身に言い聞かせている。


2006年3月9日 22:55:22

危険な香りがしている。

デビュー前の一青窈の歌声に興味があっても、いざ手にして聴きたいと思っても、実際に聴くことはしないだろう。
だから、それを得ようとはしない。
それこそが、、、私が、他のファンとは、、、根本的に違う考え方なのです。

何でも知りたいと思えば思う程に、どんなものでも得ようとするのが人の心理なれど、一青窈が自らをさらけ出すならまだしも、、、
プロであるなら、アマチュア時代は封印したいのが普通であるのに、、、一青窈は、それを望んでいるのだろうか、、、本当は嬉しいとは思わないだろう。
情報が溢れ出すと、麻痺してしまい、逆に欠乏する事も、良く分かっている。
見えないものを探したり、見てはならないものを見ようとしたり、、、

だから、なぜ、このサイトがテキストだけなのか、、、そのことの本当の意味が分かる人だけに、それが分かるでしょう。
例え反感を持たれようとも、一青窈のファンとは、、、一青窈を応援することは、、、どうあるべきなのか、、、、、ファンとしての原点回帰を自問自答している。
私は、一青窈を応援している。それ以上でもそれ以下でも無い。


2006年3月8日 22:59:01

いっぱい泣きました。
ことさら涙を流すばかりが泣くことではないから、心の中でいっぱい泣きました。
泣くとスッキリするもので、、、、一青窈も、、、今の立場になるまでには、いっぱいいっぱい泣いてきたのだろうかと、思えてしまいました。

Yo & U ツアーグッズの「アートブック」を、見る余裕も生まれたし、、、、
「本当に無くしたいのは あなたとあたしの壁」なんて安易なメッセージに惑わされるような私ではない事も再認識する事が出来ました。

作られた写真の域を、、、その表情からも伺えるのが残念でならないけれど、、、、
一青窈が、決して、自身の手紙を証さないことが、、、、、一青窈の神秘性に繋がっていることを、、、一青窈自身がよく知っているからだろうか。
それに3,000円の価値が無くとも、、、、、これが詩集だったら、、、と、思ってしまう。

一青窈思考に「新たな書き込みはありません」と書いてはみたものの、、、もう、更新すらしていないblogですら、、、、アクセスしてくれる人がいる。
ここが終わって、、、何が残るのかと考える事も、、、、意味のない事なのかも知れない。

かげながら、、、、の意味は、当人に知られることなく。よそながら。ひそかに。ではありません。と、わざわざ書く、、、by一青窈思考は、、、、、、、
あくまでノーリンクを貫く所存です。だから、一定数を超えると、、、、、、、、、と、考えてしまう、変なサイトなんです。
ここはあくまで、トップページに書いたように、「一青窈の熱心なファン」だけに見て頂きたいのです。by一青窈思考!

それに、、「私は、FC失格です。」は、真意なのですから。。。。


2006年3月5日 15:12:40

私は、罰を科せられたのかも知れない。
こんなにも切望したツアーへ、、、行くことすら出来ません。

もしも、FC枠で、隣の席が空いていたら、、、、それは一青ファンの席なのです。
ライブレポートすら、書くことが出来ません。

今後は、更新の予定がありませんので、アクセスして頂いても、、、新たな書き込みはありません。
メールはご遠慮して下さい。チェック出来ませんので返信も出来ません。ごめんなさい。アドレスも消しました。
2年間の想いが、崩れてしまいました。こんなHPが無くなって、、、、良かったのかも知れません。
かげながら一青窈の活躍を願っています。


2006年3月3日 20:51:24

予定の仕事を終え、帰宅して一息ついたところなのに、何故か、虚しい。
使うことが出来なかった悲しいチケットが、目の前にある。
神戸国際会館こくさいホール1階4列21番が、空席となってしまった、、、。
一青窈のコンサートに行きたくてFCに入ったのに、、、、、今頃は、神戸で、、、コンサートが終わった頃だろう。

ワクワクした気持ちも冷めてしまい、虚脱感が漂う中、もう一青窈のコンサートが終わってしまったと思うだけで、この2年間が無駄となってしまった。
単発のコンサートにも参加する事が出来ず、、、、お堂イベントにも嫌われて、、、唯一の期待が、全国ツアーだったのに、、、、。
一青窈の生歌が、、、、もう、聴こえない。

誰よりも一青窈の歌が聴きたかった。
そして、大家を聴くまでは、FCを止められそうに無いと思い続けて来た。
その願いも叶わぬまま、、、、一青窈思考が、終わりを告げようとしている。
こんなファンが居た。こんなHPがあった。。。。それは、一青窈の熱心なファンしか知らない。
このHPが無くなっても、、、、これに代わるHPが生まれることだろう。
そして、一青窈のコンサートも、様変わりするのだろう。

なぁ〜んて、ことは、、、、実は、、、ありましぇ〜ん。(‐^▽^‐) オーホッホ
悲しいのは今日だけ!
明日は、びわ湖だ!どうし窈!一青窈!待ってろ窈!(*'-'*)エヘヘ


2006年2月28日 22:54:12

予定していた会場へは、行くことが出来なくなりました。
とても残念な気持ちです。
大切なチケットも、紙くず同然になりました。

待ちこがれたコンサートだったのに、、、、、
てとしゃん以来の2年間は、長いようで短かった、、、、、。
もう、ガッカリを通り越して、言葉もありません。

残りのチケットも、、、、どうなるのか、、、思考停止です。


2006年2月25日 17:09:30

プラチナチケットが宅配された。
3枚目の中で一番遠い席となったが、外では絶対に手に入らないプラチナチケットにかわりない。
座席表をチェックして、再び、お堂のありがたさを実感している。
残りは、あと2枚の、、、プラチナチケットが、、、、楽しみである。

これからは、溢れる情報を遮断しようと思う。
ライブを、どう感じるのか、そして、自らも惑わされない為にも、その方がいいと思ったから。
しかし、我慢出来ないのかも知れない。

どうやら、コンサートへ行けそうです。(本当は、直前にならないと分からない。)
ハードスケジュールが続くけれど、どうか、元気に乗り切って欲しいと思う。自分バンザイ?だから。


2006年2月22日 23:02:16

あれ程までに切望した「大家」の好評を目にすることがない。
一青窈が、歌うことに何倍ものエネルギーを要すると言ったのに、その歌の評判が、乏しい。
一押しどころか、最大押しの大家なのに、世間の評判は、、、、、、、なぜだ。

まさか、楽に歌っているから、その想いすら伝わらないのだろうか、、、、それとも、歌い方を忘れてしまったのだろうか。
大家は、何も、、、、感情表現を前面に出して顔を歪めて歌うのが良いのではないから、むしろ、表情を変えずに、木訥と歌う姿が良い。
しかし、その内面には、溢れる想いを込めて、眼力で伝える事が出来る、数少ない、、、一青窈の本物の歌だから、ここぞとばかりに魅せるだけの歌でもない。
まるで無表情のようでも、しっかりと言葉を噛み締めて歌えば、その想いは伝わっているはずなのに、いい評判が聞こえない。なぜだ、、、、。

下手なアクションも必要ないから、、、、歌唱の心さえしっかりしていればいいだけなのに、、、、、。
大家だけは、期待を裏切らないで欲しいのだけれど。


2006年2月17日 23:01:53

チケットが贈られて来ました。
何となく微妙な席だけど、贅沢は言えません。

視力、、、悪いし、、、、首が曲がりそうな感じなのは、てとしゃんと比べたらのこと。
何度も座席表を確認しても、変わるはずもないのに、、確認するばかり。
でも、これだけ近くで見られるのは、FCのおかげです。
スタッフさん、ありがとう。そして、一青窈、ありがとう。


2006年2月16日 22:41:09

チケットが、キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!  けれども、、、、留守だった、、、、、不在通知が、、なぜか嬉しい。

明日、届くように手配したから、楽しみも2倍。
さて、どんな席なのか、、、まさか、まさか、とんでもない席じゃないだろうから、、、、、と、期待しつつ、、、、。

ツアーグッツは、あれと、あれと、あれを買う。
それに、あれも買う。
あれも欲しいし、あれも欲しい。

でも、一番欲しいのは、一青窈の本気。
こぶしの効いた、本気印のうた声が聴けたのなら、グッズなんか必要ない。

月天心な夜に


2006年2月12日 15:26:17

Yo & U ツアー日程は、良く考えられているものだと、感心すらしてしまうの予想。

@第1ステージ(2月10日〜2月11日)
   始まりは慣れ親しんだ関東エリアで、様子見のような構成。
   初日の雰囲気を払拭すべく、綱渡り的な状態で、細かなところをチェックしながら、ツアーの目的を確認するのだろう。
   この段階では、探り探りの状態だから、時にアップアップしているかも知れない。

A第2ステージ(2月18日〜3月4日)
   ツアーの雰囲気も確認できる頃になると、何かを試したい欲求に駆られるかも知れない。
   しかし、幅広い地域を駆け抜けるから、会場の雰囲気も色々だろう。
   体力的なピークを含んでいるが、東北から関西までを一気に駆け巡る、本格的ツアーの真っ最中。
   ピークの最後を締めくくり、これぞ一青窈である本領を発揮してくれるのを期待したい。
   
B第3ステージ(3月13日〜3月20日)
   休養充分で、西日本を一気に駆け抜ける。
   ツアーも自信に満ち溢れ、時に空回りしながら舌好調になるのだろうか。

C第4ステージ(4月3日〜4月5日)
   気合い充分で北海道に上陸し、一暴れして、弾けまくるのだろうか。
   食べ過ぎに注意。

D第5ステージ(4月10日〜4月23日)
   主要ヶ所を楽しみつつ、九州を縦断しながら、最後の力を振り絞るのだろう。
   沖縄を前にして、今回のツアーとしても、最高な出来を披露してくれるのだろうか。

E第6ステージ(4月26日)
   安心感から、沖縄の海にダイブして、Yo & U ツアーが終了する。

F第7ステージ(土曜日限定の某日)
   ラッキー7で堂員限定 夢のYo & U シークレット追加公演&一青堂があったら、夢の夢。

などと、、、考えているのでは、、、、無い。。。_| ̄|○
今日も、雪かき、、、辛い、、、_| ̄|○


2006年2月11日 21:21:23

今日で、一青窈は、ツアー4ヶ所を終えた。
しかし、まだ先は長い。
最初から飛ばすと息切れするし、だけど、手を抜けない。
正に、体力勝負のツアーになってしまった。

観客動員も大切なことだけど、過密な事は宜しくない。
一青窈には万全な体調で続けてもらいたいし、最高なステージを披露して欲しいから、無理をしてまで頑張る姿だけは無いように願うだけ。

プロだから、それも出来て当たり前だけど、連日となると大変な事に違いない。
決められた歌をこなし、予定したMCをこなし、、、、、その繰り返しが単調にならないよう心掛けることも大変なもの。
だけど、その繰り返しを苦ともしない熱心なファンが多いのも、一青窈を支える力でもある。
てとしゃんの時もそうだったように、何度でも観たいのが一青窈のコンサート。
今回も、期待通りの予感がする。それだけでは無いことも、予感するが、、、、。
だけど、どうかスタンディングが起こりませんようにと、、、そんな期待もしてしまう。


2006年2月11日 17:37:51

コンサート内容については、程度の差こそあれ、その書き込みを許すか許さないかは、サイト管理者である一青堂の判断によるものだが、
管理者としてもコンサートツアーが行われる度に、傍観したり、ファンの意見に任せたりばかりでは、、、そんな事では宜しく無い。

書き込みを控えるのもひとつのマナーとして尊重されるが、お堂だからこそ書き込み出来る人もいるし、お堂だからこそ、貴重な情報もあり得る。
だが、それを知りたい人もいれば、知りたく無い人もいる。
一概にネタばれと言っても、ひとくくりに出来ない難しさもあるし、他サイトに情報を求めるだけでは、得るべきものの価値を見いだせない事もある。
結局、それらは難しい問題であるから、良識としてのマナーとするのが一番良いのかもしれないが、、、、、、、いつまでも、くり返される問題である。

だが、一青窈なら、この問題にどう決着を付けるのだろうか、、、、。
「ちょっとだけ控えてね!」←ちょっとだけが何を指すのか難し所であるが、これが本音なのかも知れない。
めくるめく混沌の世界へ


2006年2月9日 19:48:30

待望の第一声が、公式を彩った。
短くも、その素直な言葉に、一青窈の充実度が伺える。
不安なまでの心境すら、明るく表現出来るのは、充実したコンサートのなせる技なのだろうか。

あいかわらずの緊張も、それが無くては一青窈ではないのだから、適度な緊張感を楽しむ余裕は、まだ先の楽しみ。
だから、もっともっと緊張して、その緊張を歌にぶつけて欲しいもの。

緊張がピークに達した時、一青窈の表情は、本当に引きつってしまう。その緊張の中から全力を振り絞ったのなら、恐らく、体力が持たない。
だけど、歌に対しての自らの気持ちに妥協は無いはずだから、そこから本物の歌声が生まれるのだろう。
その本物が証された時に、一青窈の頬が笑う。
20曲の中に、それが1曲あればいい。


2006年2月7日 22:10:13

ツアーが始まり、公式も賑わい始めた中で一青窈の第一声を期待したのだけれど、未だアナウンスされていない。
どんな気持ちで初日を終えたのか、その生の声を期待したのだけれど、そんな暇もないくらい過密スケジュールが続いてしまう。
恐らく、初日のガチガチな心境は察するが、それがほぐれる頃に第1のピークを向かえるのだろう。
しかし、日程的には、本当に過密な時があり、ツアーが体力勝負なのもうなずけてしまう。
だけど、モバイル派の一青窈ならではの、ピリッとしたコメントを期待しているのは、私だけでは無いはずだ。

ツアー会場の雰囲気だどか、地方の名産だとか、そんなコメントなんか間違ってもしないでおくれよ。
セットリストが安定的なだけに、コメントはぶっ飛んでもいいから、なんか一言が欲しい今日この頃。
まぁ、別に無くても良いのだけれど。

どうか無理せずに、体に気を付けて、無事、ツアーが続けられますように、、、、、と、望みつつ、まずは神戸で最高な歌声を期待して、、、、楽しみに待つことにしよう。


2006年2月6日 22:44:46

セットリストに「犬」と「イマドコ」が無かった。
あれ程までに拘り続けたものが、いざ外されるの知ると、逆に、どうしてなんだ?と、思うが、しかし結果的には、それで良いんだと思う。
まさか、関係者がこの一青窈思考を閲覧しているとは思えないし、ましてや、ここで反対してきた考えなんて、1つの主観に過ぎないだけ。
それに、コンサートで毎回するようなものでもないし、忘れた頃にすればインパクトが強くなり、効果的かも知れないが、、、、、
でも、今までの雰囲気では宜しくないのかも知れない。
また、歌うにしても、パフォーマンスの再考を要すし、むしろ、真剣な犬を聴いてみたい気もするが、それは又の機会にとっておこう。

今回のリストに望春風が無いのも残念だが、「翡翠」があるのがこの上なく嬉しい。これは名曲の仲間だから、ぜひ聴きたいと思っていた。
sunny side up も、嬉しい。しかし、ジャングルジムが無いのは残念。
終盤でアリガ十々が聴けるのも、なんだか感慨深いし、これは相当楽しめそうな構成なのだろう。
どうか、スタンディングがありませんように、、、、と、変な期待をしてしまう。

ツアーが始まって、一青窈思考も始まってしまった、、、、、、、ここも暴走しなければいいのだけれど、、、、、、_| ̄|○


2006年2月6日 21:57:35

待望のツアーが始まった。
しかも、念願の「大家」が、、、、聴ける。

これはもう、5会場全部に参加せねばならない!   と、思ったが、、、いや、まてよ?
一青窈は、大家を歌うことは何倍ものエネルギーを要すると言ったのではないのか、、、
大家は、特別な歌ではなかったのか、、、、大家を歌う代わりに、月天心を封印してしまったのか?

聴きたいと願い続けた大家を、やっと聴くことが出来るのだから凄く喜んでいいはずなのに、何となく不安を感じてしまう。
てとしゃんでの体調不良が思い起こされて、「一青窈!大丈夫か?」と心配するのは、取り越し苦労でなければいいのだが、、、、。
でも、そんな事より、本当に大家が歌えるのか?心配してしまう。

一青窈の歌は、気持ちが入っていなければ100%の想いを伝える事は出来ないのだから、この長丁場で、大家を歌い続けることが、本当に出来るのだろうか。
中途半端な大家なら聴きたいとは思わないし、全力投球なら絶賛したい。
だけど、本物の大家が、本当に歌えるのだろうか。

せっかくのコンサートで、あの衣装ではイメージが、、、、、せめて、大家の時だけでも、ワンピースに着替えてくれないのだろうか、、、、なんて希望は届かない、、、、。
(一青窈さん。このHP見ていても見ていなくても、どっちでもいいから、大家を歌う時はワンピースに着替えて窈。って、何言ってるんだろ、、、、、_| ̄|○)
コンサートは体力との戦いでもあるから、体調管理に気を付けて、万全の体勢で、元気に乗り切って、いい歌を届けて欲しいものです。


2006年2月5日 19:19:07

一青窈は大きな失敗をしてしまったのか。
今度のツアー Yo & U で、あんな衣装はハッキリ言って似合わないと思う。
カワイイを通り越して、意味が無い。

歌に合わせてこそ衣装が映えるのに、あの衣装でツアーを乗り切るとするならば、多くの歌が死んでしまう。
イメージチェンジを狙うのに、歌唱とのバランスを度外視してしまうと、落ち着いた歌がアンバランスになるだけで、ツアー全体をカバーすることは出来ない。
衣装チェンジがあったにしても、てとしゃんの方が優れているし、あんな風に足を見せた事は、逆にマイナスとなるだろう。
一青窈の楽曲に合わせると相応しく無いことなのに、どうしてそんな冒険をしてしまったのだろうかと思うと同時に、残念でならない。

BBSが賑わったとしても、イメージダウンを感じるファンは悲しい思いをするだけだ。
歌のイメージも衣装によるところが大きいのは、過去のライブを検証すれば一目瞭然で、例え集客したとしても、イメージ転換を試みたとしても、
もっと相応しい衣装があっただろうにと思う意見が生まれることに違いない。

ワンピース風が似合う一青窈に肌の露出は無理があるし、あんな衣装では、一青窈本来の歌の心を伝えるには無理があること、、、、、、
それとも、そんなことよりも、、、ファンサービスに重点を置いているとしたら、、、大きな勘違い。

あれが、これからの一青窈の路線では無いだろうし、そんな戦略なんか期待していないと思うファンが、どれ程の数なのか、、、、それが少数派だとしても、
ファンの気持ちは大切にして欲しいものなのだが、、、、、、、。

カワイイと褒めることは容易いが、、、、それが全てでは無いことも大切なこと。それも、私見に過ぎない、、、、し、
だけど、写真しか見ていないから、実物は、どんな感じなのか、、、、う〜ん、悩んでしまう。

2006年2月4日 23:22:47

明日、一青窈のツアーが始まる。
やるべき事の全てを終えて、あとは、その時を待つ一青窈の心境を察するに、相当な緊張感とプレッシャーを、楽しむ余裕もあるはずであるが、やはり、最初は、
それを見せまいとする程のガチガチな心の内を想像する。
何度経験しても、ライブは緊張するものだろうが、それがどれ程の緊張具合なのか、想像するだけで、こっちも緊張しそうになるが、しかし、
緊張する一青窈にこそ、頑張って欲しいくらいの喜びとも思える嬉しさを感じてしまう。

一青窈には、もっともっと緊張して欲しいくらいで、その緊張感が一青窈の力の源なのだから、、、、、なんて考えるファンは、私ぐらいだろうが。
リラックスしようとしても、そう簡単にできるものでもないし、リラックスして歌う一青窈には、まだなって欲しくない。

緊張を力に換えてこそ本気の印であるし、無難にこなすコンサートなんか期待していないから。
人前で歌う喜びを体験した者にしか得られないものを、どんな言葉にして発するのか、、、、その第一声に注目したい。

でも、最初は、空回りするのだろうか、、、、それもまた一青窈らしくて楽しいのだけれども。


2006年2月3日 22:13:35

この一青窈思考が、どうしても見たいと思う人がいる。

ここは、何処ともリンクしていないし、普通に検索しても見つけることが出来ない特殊なサイトです。
良いことも書いているし、悪いことも書いています。
しかし、その全てが主観的なので、その事を理解して下さい。

不快だと思う人は、どうか見ないで下さい。
全てのホームページが、公開してアクセスを増やす事を意識している訳ではないのですから。
だから、何処ともリンクしていないのです。


2006年2月3日 21:16:31

昨日の、音楽・夢くらぶ を観て、一青窈の不思議さを再認識させられた、、、、、。
”ハナミズキ”を、あんなに上手く歌う事が出来るなんて、、、、上手いとは、歌唱力のことだけではない。
この歌が名曲と評されるのは、一青窈が歌ってこそ知らしめることが出来るし、力を込めて歌うことの出来る、一青窈でなくてはならない歌である。
歌唱力を超えた「歌唱の心」があってこそ、ハナミズキの想いを生み出すものだから、、、。
ただ、この時の”ハナミズキが本当の「ハナミズキの想い」では無いものだから、コンサートでは、”本物”を観たい。

そして、一青窈は、もらい泣きを歌った。
このもらい泣きが豊富なバリエーションを創り出すことが出来るのは、やはり「もらい泣きの力」によるところが大きい。
デビュー曲としてよく練り込まれた結果、もらい泣きなくして一青窈を語ることは出来ないし、加えて、アレンジに失敗が無いのは、この歌が一青窈そのものだから。
もらい泣きの豊富なバリエーションが、なぜか懐かし想いとして聞こえるのは、そのポップ感が、初期のもらい泣きに通じているからだろう。
ポップジャム初登場で歌われたもらい泣きが、元祖もらい泣きだから、あの時の躍動感溢れる一青窈の姿か、いつまでも”もらい泣き”の根底にある限り、
もらい泣きは、もっともっと進化し続けるのだろう。もらい泣きは、悲しい歌ではなかったのだ。最近は、そう思えるようになってしまった。
すました顔をして歌う時が、一青窈が真剣な証なのだろう。

「さよならありがと」にしても、一青窈は、力を込めて歌った。
限られた曲数だから、こんなにも一生懸命に歌う事が出来るのだろうが、その事が、長丁場のコンサートとの違いを感じてしまい、ちょっと残念に思うこともある。
でも、TVで、あんなに力と想いを込めて歌ってくれると、「あぁ、やっぱり一青窈はいいなぁ」と、想わずにいられない。

こんなTVの雰囲気がコンサートで観ることが出来たのなら、どんなに良い事だろうと思うし、はいらんせなど問題外な事だろう。


2006年2月1日 22:58:33

はいらんせDVDを観ながら反発する気持ちが湧き上がるのが、どうしてなのかと考えるようになったけれど、その根本は、一青窈に華やかさを期待していないことだから。
意識したかの、結果的に無意味な表情も、自然さから滲み出てくるもので無い限り、その曖昧な心境も読み取れられるようでは、プロとして甘い。
見過ごしてしまいそうなマイナスポイントが、一青窈からみなぎる自信の逆効果として、今後の注意点に成りかねない。
それに、一青窈は、「大家」を歌うことは何倍ものエネルギーを要すると言っていたのに、はいらんせでは何倍ものエネルギーを使う事もなかった。
たった一夜のコンサートなのに、、、それが、このDVDを褒めることが出来なでいる最大の「点」である。

はいらんせDVDが3部構成なら、第1部だけを褒めることが出来るし、その一青窈らしさの神髄に惹かれてしまう。


2006年2月1日 22:28:07

はいらんせDVDの中から、「翡翠」と「影踏み」だけを観ている。
辛口批評が偏見だとしても、こと「翡翠」に関しては、観ることが出来て良かったと思う。
メリハリがあって無いような持ち歌の構成が、「翡翠」の登場で、「こぶし」の”ありがたさ”に触れられるから、それに続く「影踏み」と共に、美しい世界に引き込まれそうになる。

全てが失われた訳でもないから、、、一青窈に期待するものがある限り、ツアーを観たい気持ちが湧いてくる。

Yo & U で、一青窈は、きっと魅せてくれるはずだ。
それを期待する限り、ファンでありたいと願っている。


2006年1月31日 0:18:24

知らぬ間に消えゆく一青窈に関するファンサイト、、、、、、、また1つ2つと消えてしまった。
始まりの情熱も時と共に薄れる運命として、同じ管理者としても共感する部分があることは不思議な感覚でもあるが、
しかし、ここは特異な場所だから、そう簡単には消えることは無い。

こうしてパスワードでブロックしていても、PCの簡単な知識さえあれば、簡単にジャバを解除できるし、ここは公開しているのと同じこと。
何人かは、ここを見ているはずであるし、、、、だけど、私はアクセス解析が大嫌いなので、そんな事はあまり意識していない。
ただ煽るだけの人がいる限り、今後もこうするつもりなのは、このHPを作り始めた気持ちである「一青窈の熱心なファン」だけに見てもらえたらいい、それだけのこと。
賛否両論あろうとも、ここは、一青窈の言葉遊びを意識した壮大な遊びの場であるし、反面、一青窈思考の本流でもあるから、私の思考が続く限りは、自由気ままに
楽しもうと考えている。

一青窈のファンサイト運営の難しさは、やってみなければ分からない部分もあるけれど、サイトとしての目的がハッキリしていれば、自然と続くものだから、、、、
あまり深く考えないことが良い場合もある。他のサイトと比べると、まったくもって変な場所だけれど、しかも、何処ともリンクしていない、一体何が言いたいのか、、、
管理者の素顔も分からない、、、、、この”一青窈思考”は、ファンサイトと言えるのかと、、、、、、自問自答する時もあるけれど、、、、、そんなこと真面目に考えないでいると、
案外、楽な気持ちになれる時もあり、それがある種の安心感として、長続きする秘訣なのかも知れない。

今までに何人かの人からメールを頂いたが、皆、熱心な一青窈ファンであるし、一青窈について語りたい気持ちに溢れている。
一青窈本人も知らないくらいに応援し続けるファンサイトの中にあって、ここが見られてしまうと、ちょっと困ったことでもあるし、出来るだけ見つからないようにしているつもり、
なんて考えている、ちょっと変わった管理人が作るマニアックなサイトに集うファンは、「一青窈の熱心なファン」なので、どうか自信をもってファンを続けて下さい。

さて、ネットサーフィンする一青窈は、この場所を、既にサーチしたのだろうか、、、、多分、知っているのだろうなぁ、、、、、ギャー。


2006年1月30日 21:49:03

明日の、、、、1月末日をもって、hitoto. が終わる。

始まりのゴタゴタから問題があったけれど、いざ無くなってしまうとなると、可哀相な気もする。
入会者にとっては残念なことだろうが、でも、結局、それで良かったと思えてならない気もする。
2つのサイトでは無理があるし、、、益々の弊害を生じかねない心配の種が、ツアーの始まる前に無くなることは、結果的に良い結果を生むのだろう。

お堂がメインとして残されると活気も取り戻せるし、また、ツアーによって自由な意見が発せられる場としても復活して欲しいのだけれど、
どうも、そう簡単にはならないような気がしてならない。
てとしゃんの時みたいな事が起こることは充分に考えられるし、逆に起こらないとすれば、ファン心理が大きく変化してしまった悲しい結果でもあるのだけれど、
一青窈に期待するものが一枚岩となってしまっては、それが楽しいだけの人になってしまうから、そうならない為にも、もっともっと悩んで欲しい。

いざとなったら、また登場しようかと、、、、、考える自分が情けない。


2006年1月28日 15:52:30

一青窈京都夢町バンスキング、、、、、、、 by HNK。
あぁ、、、ある意味、観て良かった、、、、。そして、もう観たいとは思わない。

余裕が無い。
その表情からも、うたに対しても、全くと言って良いほど余裕が感じられない。
てとしゃんと見比べても、焦りすら感じてしまう。

それは、「目つき」が違うから、、、、、、、。
一青窈が、どんなに上手く歌ったように見せかけても、、、、余裕が感じられない。
年に一度の企画ライブが、、、、こんな事では、、、、体調不良だったのだろうか、、、。

映像を観ても、、、一青窈のライブで無くても良いんじゃないかと。

一青窈にイメージされた 癒し 涙 感動 を外す狙いが、何ら目的意識を見いだせない中で、昭和のメロディーすら、取り込め切れていない。
そのアンバランスを引きずりながらの持ち歌が、活かされることもなく、空回りしている。
もらい泣きだけでは無いことを言わんが為の一青窈のイメージ払拭作戦が、あんな映像に包まれるばかりでは表現方法に再考を要する。
多くのミスが重なった、失敗作に過ぎないし、もらい泣きにしても、ただ歌っているだけで、歌の良さが全く伝わらない。

一青窈が伝えたいとするものが、歌う姿から見えてこない。ただ、コンサートを開いただけ、、、、、。
演出を意識しただけの、とても残念なコンサートに思える。それは結局、もらい泣きに押しつぶされただけなのでは。


2006年1月27日 22:41:29

凄く、凄〜く、落ち込んでいた。
なんの為に、こんなHPを続けてきたのか、、、、これから、なんの為に続けるつもりなのか、、、、、なんて、ちっぽけな問題なんか、取るに足らないことで、、、
そんな問題よりも、もっと本質的なことで、ずう〜っと悩んでいた。
HPの更新すら、もうどうでも良いくらい、一青窈思考すら出来ないくらい、悩んでいた。その問題は今後も続くだろうし、辛い選択を強いられ続けることだろう。

それでも、一青窈の歌に救われる錯覚が、弱い自分を垣間見る。

このHPは、何処ともリンクしていない分だけ、本音を記すことが出来きるし、その本音も、全てではないのだけれど、反面としての心の鏡がそうさせる。
今度のツアーで、一青窈は「シンプル」を意識している。それが一青窈にとって一番大切な事であり、忘れてはならないこと。

ここも原点に還ることにした。


2006年1月4日 22:07:41

NHKスタジオパークに、一青窈は出演した。
凄く、いい顔をしている。いわゆる、活きた顔をしている。

NHKのことだから、何回もリハーサルを繰り返してのことだろうが、そんな雰囲気を感じさせない。しかし、TV慣れは、複雑だ。
「はいらんせ」の映像も、ダイジェストで流された、、、、、
しかし、その映像に、なんら魅力を感じることが出来ないでいるファン心理が、DVDを手にしても、どう変化するのだろか、、、それもまた複雑な心境だ。
一青窈が目指すものの歯車が、どこかで狂い始めているのか、それとも、こちらの失望感なのか、、、2月1日のDVDの発売日には、その答えが出るのだろう。

「かざぐるま」を歌った。
一青窈は、自身の「こぶし」に、もっと自信を持つべきで、「影踏み」に負けないくらいの”こぶし”を強調してこそ、”かざぐるま”は良くなる。
間奏での仕草も、一青窈が、歌を”リズム”として表現しているように感じられるし、それはとても良いこと。
歌の表現が、言葉や動作だけでは無くて、第三の表現として”気持ちが伝わる想いの丈”にあることを実践すべきで、かざぐるまは、もっともっと響いてくる。

「さよならありがと」を歌った。
この歌はいい感じなのに、、、この歌の評価が高くても、仮に、一青窈らしい歌だと評されても、私はそうは思わない。
作詞に拘る一青窈が、今持てる力の全てを出し切ったとは思えないし、逆に、これくらいしか出せないのかと考えると、、、、それは仕方のないことなのだろう。
一青窈が恋愛をテーマにしては、満たされない失速感が広がるだけで、むしろ、「人の絆」を掘り下げることをテーマにしてこそ、一青窈らしさの真骨頂なのに、
今の心理状態が、そうはさせないのが残念である。
バラードを、あえて盛り込んだだけの、、、、仕事としての作品のように思えてしまう。

しかし、、、、昭和のメロディーは、似合わない、、、_| ̄|○


2006年1月1日 10:35:31

カウントダウンTVで、一青窈は「かざぐるま」を歌った。
こんなにも嬉しそうに歌うかざぐるまを見たことはない。
最初から、ほんのちょっとの緊張感と沢山のリラックス感の会場で歌い始めた一青窈の表情は、紅白とは比べものにならないくらいに活き活きとしていた。
会場との一体感が、一青窈を楽しくさせ、終始、楽しくて楽しくて仕方ないくらいに、とても良い顔をして歌った。
そう考えると、紅白での緊張感が想像される。

去年のカウントダウンTVでも、とてもリラックスしていたし、その時の歌唱も、素晴らしいものだった。
それにも増して、今年のカウントダウンTVでの一青窈は、とってもかわいい。

歌のバリエーションとしても面白いくらいにステキなステージだった。
こんなかざぐるまも、たまには良いものです。
しかし、ツアーでは、感情移入された本物の「かざぐるま」を期待している。

しかし、カワイイ。まるで風呂上がりの宴会場みたいな雰囲気で、ヘアスタイルが凄く良く似合っている。
それに比べて紅白でのヘアスタイルは、なんだったのだろうか、、、、、、。


2006年1月1日 9:30:58

2006年が始まった。
ファンサイトでありながら、一青窈に関する画像は一切使用しないことが、この”一青窈思考”のポリシーであり、かつ、どのサイトともリンクしない、不思議なサイトです。
しかし、このサイトは熱心に検索した結果でないと見つける事が出来ない、ある種の秘密サイトです。
だから、発見した人は”一青窈の熱心なファン”であることに間違いありません。自慢しても良いくらいです。
だけど、ここに書かれている事は、全て、管理人である私の、主観的意見ばかりです。HP版のblogみたいなものです。
なので、ここに書かれている思考が全てではないし、一青窈の言葉遊びを、時に表しつつ、時に隠しつつ、遊び心満載で書いているつもりです。
その隠れた部分を探す楽しさも堪能して頂けるのなら幸いです。
だけど、整合性がない部分は大目に見て下さい。

では、2006年も、一青窈を応援していきましょう。

新年早々、CDTVを、見ずに寝てしまった、、、、_| ̄|○


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