[日本]

狐は、ノウサギやノネズミの天敵として農民にとっては有益な獣であるが、世間体には、人間をたぶらかす性悪の獣という印象が広まっている。
これは、キツネが農耕神として稲荷の仮の姿、または、使者であり、霊獣であるという信仰が哀徴していき、他方、知識人の間では中国伝来の、キツネが女に化けて人をだますという(金尾九尾狐)などの話が広まり、さらに仏教系の神である荼枳尼天(ダキニテン)などの進行が加わって、その霊力がしだいに妖怪的な内容を持つとイメージされるようになった結果であり、中世以来の変化の現われといえる。それ以前には、文献上でも(日本霊異記)に記された狐値(きつねのあたい)のように、霊ある狐が人の妻となって強力な子孫を残したという伝承がは恥ずるところなく旧家のあかしとして語られた。このような話は、近世に至るまで安倍晴明の出自を語る(信田(しのだ)妻)の系統の伝説として各地の旧家に伝えられた。

遺跡として各地に残る狐塚、あるいは狐壇と呼ばれる場所は、古くからの水田地帯を見渡す高みにあり、昔の村人が稲作の神としての狐を祭った後であろうと推定される。
近畿地方の一部に残る狐施行、あるいは狐狩りと呼ばれる、初冬に狐の好む油揚げなどをやぶ陰などにまき歩く行事も、この狐神を饗応したなごりとも考えられている。

後代に狐をじゃとする思考が広まると、このような霊狐を神使い、または村を守る狐とし、人をだまし、また人にとりつくキツネはネコ、あるいは人狐とかクダキツネなどと呼び分け、後者は人の目につかない小型のものという考えも生まれた。
これを広めたのは、室町期から始まった飯綱(いづな)使いといわれる呪術者の一派ではないかと思われる。

狐の霊力はそのと師のは地目にあたって、その豊凶を住民に告げることも考えられたので、東北地方では(狐の館(たて))とか(お作り立て)と称して、農耕開始のころ気温が高まって、蜃気楼のような現象が見られるのを豊凶占いとした土地もあった。
現代の狐信仰は京都伏見稲荷と愛知県豊川稲荷との神仏2系統に大きく分かれるが、その他各地に独立の稲荷信仰の地方的中心があり、これを宣布して歩いた宗教者の痕跡を示す。
ことに近世急速に発展した東日本漁村では農村と同じく漁業の豊凶を稲荷の使者として、狐に祈願する風習が広い。
近世の民間薬として狐の胆が用いられ、そのづこつが狂気治癒の祈祷に用いられたのも狐の霊獣視による。