「虹色の布」
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 日本のわりと暖かい所にある架橋町の真ん中に、小川という名の川があります。町を半
分にする様なかたちで流れているこの川は、小川という名にふさわしくないような、結構、
大きな川で、なだらかな坂をゆっくりと流れています。
 その小川沿いの坂道を西谷さんは、ゆっくりと自転車を手で引きながら上っておりました。
時刻は夕暮れ、会社帰りの西谷さんの背中を夕日が、真っ赤に染めてます。
 西谷さんは、坂道を上りきった所で、ふと、立ち止まりました。前方には五歳くらいの女の
子が、じっと南の空を見つめています。
 普段なら、気に留めずに通り過ぎるのですが、あまりにも女の子が真剣に空を見つめて
いるので、何故、見つめているのか訳を聞いてみたくなったのです。
「何を見ているの?」
「おそら。」
 女の子は、空に向かって指を差しました。
「どうして、お空を見ているの?」
「にじが、でるのをまってるの。」
「虹を?」
「うん。」
「あぁ、虹手山か。」
 確かに、女の子が見ている空の下には虹手山という山があって、その山の上には虹がよ
く出るという話を西谷さんは、思い出しました。
「ぱぱがね、にじのふくをきるとね、びょうきがね、なおるの。」
「お父さんが、病気なの?」
 女の子は、コクっとうなずきました。
「ずっとねぇ、びょういんでね、ねてるの。」
「・・・・・・。」
「でもねぇ、にじのふくきたらねぇ、なおるんだよ。」
 女の子は、西谷さんと話している間もずっと、虹手山の方から目を離しませんでした。
「ずっと待ってたのかい?」
「うん。」
 そろそろ、辺りが暗くなろうとしているのに、女の子は帰る様子がありません。どうしよう。
西谷さんは、このまま放って帰るのが、心配になってきました。                  1

「裕子、ここにいたの。」
 女の子の元へ、女の人が駆け寄って来ました。どうやら、女の子のお母さんのようです。
「まま、にじをまってたの。」
「もう、あれは夢の話しだって言ったでしょう。」
 裕子ちゃんのお母さんは、裕子ちゃんの手を引きながら、西谷さんに軽く会釈をしました。
「すみません。お嬢ちゃんが、あまりに真剣に空を見てたんで。ご主人は、入院してらっしゃ
るんですか?」
「あら、この子から、聞いたんですか。」
 裕子ちゃんのお母さんが言うには、裕子ちゃんのお父さんは、肝臓を患って入院してると
いう事でした。軽い症状ではなく、あさって手術を行なうそうなのです。
「そうなんですか。」
 西谷さんは、裕子ちゃんが真剣な理由が分かりました。子供ながらに、お父さんの病気の
重さを感じとり、裕子ちゃんなりにお父さんの病気を治そうとしたのでしょう。
「裕子、もう帰るわよ。」
 裕子ちゃんとお母さんは、夕闇のなかを立ち去って行きました。西谷さんは、紫色に染ま
った虹手山をしばらく眺めてから家に帰りました。
 次の日、この日は朝から雨が降っていたですが、水の増えた小川沿いの坂を会社の帰り
の西谷さんが上ってみると、また裕子ちゃんが黄色いカサを持って、虹手山を見ていました。
「今日も虹を待ってるの?」
 西谷さんは、声をかけました。
「うん。」
 裕子ちゃんの返事が、カサの中からしました。うずくまるように、しゃがみ込んでいたから
です。
「裕子ちゃん、今日は虹でないから、お家に帰った方がいいよ。」
 西谷さんは、心配そうに言いました。西谷さんにも、裕子ちゃんくらいの女の子がいて、裕
子ちゃんと重なって見えてきたのでした。
「ぱぱは、にじのふくをきないと、びょうきがなおんないんだよ。」
「でもね、もう夜になるから虹はでないんだよ。」
「まだ、あかるいもん。」
 裕子ちゃんは、昨日と同じように動きそうにありません。西谷さんは、また困ってしまいま
した。仕方がないので、お母さんが迎えにくるまで、裕子ちゃんと一緒にいる事にしました。 2

 しばらくすると、裕子ちゃんのお母さんが迎えに来ました。
「本当にこの子は、ここに行くって聞かないんですよ。」
「そうなんですか。」
 西谷さんは、しゃがんだままの裕子ちゃんを見ました。
「まま、きょうも、にじでなかった。」
「そうなの。でもね、裕子。あれは夢の中のお話しだから。」
 裕子ちゃんのお母さんは、強い口調で言いました。裕子ちゃんは、お母さんの方を見て、
今にも泣き出しそうです。
「裕子ちゃん、虹の服はどうやって作るの?」
 西谷さんは、かわいそうになってきて、裕子ちゃんに聞いてみました。すると裕子ちゃん
は、泣くのをこらえながら、教えてくれました。
「にじがね、でたらね、このね、ふくをにじにつけるの。」
 裕子ちゃんが、カバンから出して見せてくれたのは、白いTシャツでした。裕子ちゃんは、
白いTシャツを虹に触れさせる事で、シャツを虹色に染めるつもりのようでした。
「明日は、パパの大事な手術があるんだから、ここには来ちゃだめよ。」
「ご主人の手術は、明日でしたね。」
「えぇ。」
「成功するといいですね。」
「ありがとうございます。」
 裕子ちゃんのお母さんは、そう言うと裕子ちゃんの手を引いて帰って行きました。
「虹色のTシャツかぁ。」
 西谷さんは、呟きました。裕子ちゃんのお父さんの病気、治るといいのに。そう思う西谷
さんの目には、雨の中の真っ黒な虹手山が写っているのでした。
 次の日、会社帰りの西谷さんは、裕子ちゃんの事を考えながら坂道を上っていました。
天気は朝から晴れ。ただ、小川の水は、少し濁っていました。
 今日は、裕子ちゃんのお父さんの手術の日。さすがに今日は、いないだろうと思いなが
ら、虹手山の見える所まで行ってみると・・・。
「裕子、いい加減にしなさい。」
「うわ〜ん。」
 裕子ちゃんのお母さんが、怒りながら裕子ちゃんの手を引っ張ってます。どうやら、裕子
ちゃんは、また来ていたようなのです。
 西谷さんは、声をかけようか迷いました。裕子ちゃんのお母さんが、あまりにも凄く怒っ
ていましたから。                                             3

 結局、西谷さんは、裕子ちゃんに声をかける事が出来ませんでした。手を引っ張られて
いく裕子ちゃんの泣き声は、どんどん遠ざかって行きます。
 でも、西谷さんの胸には逆に、裕子ちゃんの泣き声が大きく響いてくるのでした。
「裕子ちゃんのお父さんの手術は、成功したんだろうか。」
 裕子ちゃんは、本当にお父さんの事が心配なんだなぁ。西谷さんは、自分の娘の事を思
いました。もし自分が同じように病気になったら、娘も、裕子ちゃんの様に自分の事を心配
してくれるのだろうかと。
 しばらく考えて、娘は、絶対に心配してくれるだろう。そう思った時、西谷さんは決心をしま
した。裕子ちゃんに、虹色の服をプレゼントしようと。
 虹手山には虹がよくでる。西谷さんが、子供の頃から聞いていた話しです。でも、伝説だ
と思っていました。だって、西谷さんは、虹手山に虹がでているのを今まで見た事がなかっ
たからでした。
 しかし、そんな事を近所のおじいさんに言うと、
「今でも虹はよくでているよ。」
 と、おじいさんは言うのです。
「え、そうなんですか。でも、でているのを見た事がないんだけどなぁ。」
 西谷さんがそう言うと、おじいさんは笑いだしました。
「そうだろうなぁ。でもな、虹はでとるんだよ。ただし・・・。」
 日曜日の朝、西谷さんの家に二台の車がやって来ました。車に乗っているのは、西谷さ
んと同じ会社の人達です。
「それじゃ、行きますか。」
 体操服の西谷さんは、そう言うと車に乗り込みました。車の中の人達も体操服姿です。行
く先は、虹手山です。
「ただし・・・虹手山に登らないと、虹は見えないんだよ。」
 と、おじいさんに教えてもらったのです。虹に布を当てれば、布は虹色に染まる。西谷さん
は、そう考えたのでした。
「忘れ物はないですね。」
 車の中の人が言いました
「えぇ、ちゃんと持ってきましたよ。」
 西谷さんは、持っていたリュックサックをポンと軽くたたいてみせました。中には、白くて
長い布が入っているのです。                                       4

 西谷さんは、布や服を作る会社に勤めていましたので、布は事情を話して会社から買い
ました。
 長さは、およそ200メートル。布を買うお金は、今日、車に乗っているみんなで出し合い
ました。みんな、裕子ちゃんと同じくらいの女の子を娘に持った人や持っていた人、または、
これから持つかもしれない人達です。
「本当に虹が出ているといいですね。」
「そうだね。きっと出てるよ。」
 西谷さんは、期待と不安で胸がいっぱいでした。
「凧の方は、大丈夫ですか?」
 西谷さんは、車の中で、一番、若い男の人に聞きました。
「バッチリですよ。」
 元気のいい返事が返ってきました。
「よし、準備は万端だ。」
 凧に布をつけて、虹のところまで布を上げようという計画なのです。
 1時間くらいかかって、西谷さん達は、虹手山に到着しました。虹に最も近づくために、
歩いて頂上を目指します。
 山道は、わりと険しいものでした。みんな、汗をいっぱいかきながら登って行きます。西
谷さんも、フゥフゥ言いながら登って行きます。
 しかし、途中から、裕子ちゃんの喜ぶ顔を思い描きながら登っていると、不思議に疲れ
なくなりました。
「あぁ、出てる。出てる。」
 頂上の付近まで登ると、虹が出ているのが見えました。
「さぁ、もうひとふんばりだ。」
 西谷さん達は、お互いに励まし合って、頂上に向かいました。そして、しばらくして、頂
上に着く事が出来ました。
「奇麗だなぁ。」
「本当ですなぁ。」
 みんな、虹を見て口々にそう言いました。虹は、7色の光を放ちながら、西谷さんの頭
の上にクッキリと出ています。手を伸ばせば、届きそうです。
「それでは、始めましょう。」                                       5

 みんな、虹に見とれていたのですが、西谷さんの掛け声とともに、一斉に準備に取り掛
かりました。そして、
「準備、出来ましたよ。」
 凧をつくった若い男の人が言いました。凧には、しっかりと布が取り付けてあります。布
を糸の代わりにして上げるのです。
「皆さん、頑張りましょう。」
「オー。」
 いよいよ、凧を上げます。みんな、頭の中で虹色に染まっていく布を思い描きながら、1
列になって布を引っ張りました。
「あがったぞ。」
 成功です。凧は風にのって、どんどん上がっていきます。
「いいぞ、いいぞ。」
「やったー。」
 みんな、口々に歓声の声をあげてます。
「さぁ、もうすぐだぞ。」
 西谷さんは、虹の近くまで上がった凧を見て言いました。
 しばらくして、ついに凧の端が、虹の一番下の青色の線に触れる事が出来ました。
「虹まで届いたぞぉ。」
「よーし、布に染めましょう。」
 布が虹に届くまで、後、数センチです。あと少しで、虹色に染めた布を手に入れる事が
出来るのです。でも、その時・・・。
「あぁ〜。」
 列の一番後ろで、布を引っ張っていた男の人が、大きな声をあげました。
「どうしたんです?」
 一番前で、凧を引っ張っていた西谷さんは、後ろを振り返ってみました。
「もう、布がないんです。」
 なんということでしょう。あと少しで布が虹に届くというところで、布が足りなくなってしま
ったようなのです。
「困ったぞ。」
 西谷さん達は、しばらく、どうしようかと考え込んでしまいました。その間、凧は上がった
ままです。
「そうだ、こうしたらどうだろう。」
 西谷さんは、みんなを見回して言いました。                             6

「みんなでピラミッドを作ってみたらどうだろう?」
 西谷さんは、ここにいるみんなが積み重なって、ピラミッドを作る事で、凧を少しでも高く
上げる事が出来るのでは。と説明しました。
「よし、その方法でやってみよう。」
 みんな、賛成してくれました。メンバーは、西谷さんを合わせて6人。まず、歳の若い人
3人が一番下に並びました。そして、その上に2人。1番上には、西谷さんが乗りました。
「よ〜し、上げるぞぉ。」
 西谷さんが布をひくと、凧は、さっきより高く上がり、ついに虹に布が触れる事が出来ま
した。布が少しだけ青く染まっていきます。
「う〜ん、でも7色に染めるには、まだ、高さが足りないなぁ。」
 西谷さんは、凧上げに夢中になって、みんなのピラミッドの1番上にいる事を忘れて、立
ち上がろうとしました。が、その時、
「ピューーーーゥ。」
 物凄く強い風が、西谷さん達や凧に吹きつけました。
「あぁ。」
 西谷さんは、思わずバランスを崩して、布を持っていた手を離してしまいました。そして、
みんなで作っていたピラミッドも崩れはじめました。
 ここで、布を風に飛ばされたら、みんなの苦労が無駄になるし、裕子ちゃんも安心させて
あげられない。そう思った西谷さんは、無我夢中で飛んで行こうとしている凧に飛びつきま
した。
「あ、西谷さ〜ん。危ない。」」
 布に飛びついた西谷さんに、誰かが叫び声を上げました・・・・・・。

 日本のわりと暖かい所にある架橋町の真ん中に、小川という名の川があります。町を半
分にする様なかたちで流れているこの川は、小川という名にふさわしくないような、結構、
大きな川で、なだらかな坂をゆっくりと流れています。
 その小川沿いの坂道を西谷さんは、ゆっくりと自転車を手で引きながら上っております。
自転車のカゴの中には、袖を虹で青く染めた3着のお揃いのTシャツが入ってます。
 坂道を上りきった所では、裕子ちゃんと裕子ちゃんのお母さん、そしてお父さんの3人が
仲良く虹手山を眺めています。
 どうやら、裕子ちゃんのお父さんは、虹の服を着なくても病気は治ったようです。
 お見舞いから、退院祝いに変わるであろうTシャツを持った西谷さんと、裕子ちゃん家族
が出会うのは、あと、もうすぐです。
 あと、30歩。20歩。10歩。・・・・・・。




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