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01/11/30(金)
言うこっちゃない、ホンマにジョージ・ハリスンが逝ってしまった。仕事を終えた5時半頃に車の中でのラジオのニュースで聞いた。いつもならFMを流しているのにこの時は何故かAMを聞いていた。ニュースの最後で、この訃報を速報のような感じで流していた。
夕食を済ませて、前の広場で1人焚き火をしながら、去年レンタルショップで借りたジョージ・ハリスンのオムニバスをCDにコピーしたものをデカイラジカセでかけながら、酒を飲んだ。「サムシング」からはじまり「イフ・アイ・ニード・サムワン」と続き、「ヒア・カム・ザ・サン」と続くので変な感じがするが、今日は追悼の意味で少しボリュームを上げて、一曲一曲を静かに聞いた。
ソロ活動しだしてからのジョージ・ハリスンは、「私の人生はいい人生だったし、もちろん、これからもそうだろう」というような内容の物が多い。彼の持っていた運というんだろうか「レノン・マッカトニー」というとんでもない2人のいるバンドの一員となり、巨万の富を得た。解散後はチャリティーコンサートや自分の好きなように音楽活動をして来た。
彼は逝く時に「ホンマにオモロイ人生やった」と思っただろうか、私はきっと思っていたと思う。
私も臨終の際には「ホンマにオモロイ人生やった」と思って逝きたいものである・・・
空にはものすごく明るい満月があった。その明るい満月の下に天文に詳しい人なら分かるだろうが、星がふたつあった。ひとつは少し北にあり、明るくて大きい。もうひとつは月の真下にあり、少し小さく少し赤いように見えた。
酒がまわってくると、大きくて明るいのがジョンレノンで小さくて赤く光るのがジョージハリスンのように見えた。
ジョージ・ハリスンに合掌・・・
最近ネット依存症というのが増えているらしい。ネット依存症とは1日中パソコンの前に座り、ネットをしている。何かというとネット上で物を調べたり、ネット上で情報を得たりしている。などが相当するらしい。私は不精者なのでネットで物を調べるというのは本当に少ない。この日記もほとんど「知ったかぶり」で書いている。自分が今まで得た知識とうっすらとした記憶を頼りに書いているので、よく事実でないことを書いているようである。誤字脱字も含め、文章の構成などもメールや掲示板でご注意いただいたりする。しかし、こういう時が1番うれしい。何故なら、私の日記を読んでくれていると実感出来るからである。
職業柄、本当はもっとネットに依存せないかんのかも知れないが、やはり何事であれ「依存する」というのは私の感性には合わない。依存、群れる、頼る、委ねる、自分で物事を考えない。実はこれが気軽に出来る人は、人生本当に楽に生きれる。しかし、依存して生きるというのは「ホンマにオモロイ人生やった」とは最後には思えないだろう・・・
01/11/28(水)
実は本日は私の誕生日である。今日で恥ずかしながら47歳となった。世間では「完全なオッサン」という年齢になってきた。昔は人生50年であるから、もう後3年である。昔なら人生の終盤である。病気になるまでは「60歳以降は付録の人生」と粋がっていたが、今では「50歳まで生きて、後は付録の人生」という事に考え方を変えた。もっとも50歳になればまた、この考えも変わると思うが、今は謙虚に50歳にしておく。
ジョージ・ハリスンの癌が色んな所に転移して、余命があと1週間ほどらしい。これでまた1人、ビートルズのメンバーがこの世を去ることになる。ジョン・レノンが殺されたのは、ショッキングな出来事ではあったが、変な表現になるが「ジョン・レノンらしい死に方」であった。ジョージハリスンも癌というが、何かジョージ・ハリスンらしいような感じが私にはする。
ジョージ・ハリスンといえば、売れない時期のシルバービートルズ時代、伝説のドイツでの合宿のようなライブハウス活動からのメンバーである。1番年下ということでメンバーの中では「末っ子の弟」のような扱いであったようである。もちろん、ビートルズのアルバムにも、ジョージ・ハリスンの作詞・作曲の曲は何曲も入っている。もっとも有名な楽曲は、実際には「レットイットビー」よりも後に録音された本当の最後のアルバム「アビーロード」の最初の「サムシング」というスタンダードになった名曲が、このジョージ・ハリスンの作詞・作曲である。もっともこの名曲は私から見ると「とんでもなく、すんごい、ベースライン」を弾いている、ポールマッカートニーのアレンジの功績で仕上がった名曲であることは否めない。
旧友であり、ジョージハリスンのギターの先生でもあったクラプトンは現在日本での最後の引退公演の最中である。不謹慎な気持ちではなく、日本にいるクラプトンがジョージハリスンの訃報を聞いた日のコンサートには是非行ってみたい。(無理やけど)
「泣きのスローハンド」がきっとこの日はより一層に泣きまっせ・・・
「While My Guitar Gently Weeps」←(スペル自信ないけど)
なんか、もしやってくれたら、そらあんた、聞いてるもんも皆泣きまっせ、正味の話しが・・・
私は十年程前にあった、ジョージハリスンの日本公演に行っていない「ふとどき者」である。あの時何故行かなかったのか・・・悔やまれる・・・
ウィングスでやって来た「ポール・マッカートニー」や、すごいメンバーと一緒にやって来た「リンゴ・スター」も見に行ったが、皮肉にも私が実物を見たこの「2人」は未だに元気なようである。
01/11/27(火)
今年最後の追い込みの仕事の時期となった。昨日も日記を休んでしまった。
書きたいネタが一杯ある時に限って、ウィルスに遭遇したり仕事が結構詰っていたりする。
ジョージハリスンがもう余命幾許もないらしい。
皇太子妃のご出産は、もうすぐのようだ。
死ぬ者がいれば、生まれる者もいる。
また、明日・・・日記は書けたら、書きます・・・では・・・
01/11/25(日)
今日は関学vs京大戦、所謂「関京戦」である。テレビ中継は録画中継で夜中の1時55分から3時20分という「そんなもん、起きてられへんがな」という時間だった。見たい者のほとんどはビデオ録画していると思われる。
このスポーツ録画中継で1番面白くないのがゴルフである。ゴルフ中継は2時間程のタイムログがある。多くの人は生中継と思っているようだが、実はほとんどのトーナメントは「時間ずれ録画中継」である。だから、必ず最後はプレーオフになりそうな場面でも番組の残り放送時間を考えれば、このパットが入るか外れるかが分かる。プレーオフになると、どのホールでケリがつくかも分かってしまう。
結果が分かってしまうと面白味が半減する。夜の10時頃であろうか、携帯電話で2代目とあくび茶屋から電話があった。便利な時代になったもんである。携帯電話で飲み屋にいようが、スタジアムにいようが、家にいる者とで簡単に連絡が取れる。始めの「もし、もし」で勝敗はすぐに分かった。後はお定まりの十数年振り、中には二十数年振りという者と回し電話である。中には当時世間では「スーパースター」といわれた者もいたが、今はいいお父さんをしているようである。甲子園での再会を誓い電話を切った。
携帯があるので当日は甲子園内では各自のいる場所を確認しながら、集合する予定である。
携帯電話はこういう時は本当に便利である。
しかし、飲み屋からでも気がるに試合結果を伝えられるのも困ったもんである。
しかし、お陰で無駄な時間を夜更かしをしないで、助かったのは助かったのだが・・・
01/11/24(土)
先日サル(←サルと言っても猿ではありません念の為)お方からメールで「日記に曜日を入れたらどないですか」というご指導をいただき、今日から日付に曜日を入れることにしました。
今日は3連休の中日である。ログハウス村の中にも、別荘として週末だけ使っておられる方もたくさん来られた。最近3組の新しく入ってきた方もいたので「自己紹介的立ち話会」を呼びかけた。我が家も含め久しぶりにログハウス村みんなが集まった。始めは「顔合わせなので10分ほどで終ります」と言って集まったのだが、結局は夜遅くまでお酒を飲みながらの雑談、談笑となった。「自然発生的に集まり、自然発生的に解散する」。私の理想とする「ログハウス村の集まり方」が出来た。
当然のことだが、新しい3組の方々も「自然が好きで、いい意味での不便さも楽しんでみたいので、ここを選びました」というのが基本的な考えであった。こんな考えの者が焚き火を囲んで話し出すと、長くなるのはしかたがない。巻ストーブの薪の調達方法から菜園のこと、猪や鹿対策から地元の人達との関わり方まで、色んな話しで盛り上がった。5時から始めた「自己紹介的立ち話会」も何時の間にか全員が座り、焚き火を囲んで、各自が酒や食べ物を持ち寄り、とりとめもない話しで盛り上がり、解散したのは夜の10時を軽く回っていた。えらい長い「自己紹介的立ち話会」になってしまった。
しかし、もちろん楽しかったのは、言うまでもない・・・←(言うまでもないなら、言うな)
01/11/23
久しぶりの日記になってしまった。いや、久しぶりに日記を書ける状態になったという方が正しい表現かも知れない。この何日間かは結構大変だった。ようやく?メールウィルスという物を初めて実体験した。運が悪いのかよいのか、仕事がぎっしりの状態で、あこがれ?のウィルスに遭遇した。現在、ようやく落ち着いて久しぶりの日記を書いている。今思うとよく乗り切れたと思う。ほとんど徹夜でこの対処に追われ、町のIT講習の隙間の時間を使い、知り合いや顧客の何台ものパソコンのメールウィルス駆除をした。結果的には私にとってはよい経験となった。
「転んでもタダでは起きん」という私の基本的理念が効を奏したようである。
詳細は又明日からの日記でチビチビと書いていきます。
レソ イカトンホ(青空 球児・好児)よりっと
01/11/19
久しぶりに今日の日記を今日に書いている。ここしばらく、日記、三十一文字、セオリーの「3点セット更新」を翌日にやっていた。明日から、また結構忙しくなる。朝3時間、昼2時間、夜2時間の講習が2日続く。これから2週間程はお陰様で結構仕事で忙しい。そんなんで日記を書かない日があるやも知れませんがご了承のほどを・・・
今回は昼が2時間なのでまだ少し余裕がある。以前は昼の部も3時間で開始も1時であった。朝の部が終わって移動中におにぎりを食べながら昼の部へ直行したが、今回の昼の部は開始が1時30分なので、まだ少し時間に余裕が出来た。しかし、1日8時間人前で喋ると、流石に声が少し変わる。
ようやくネタが固まったというか、反省失敗を繰り返しながらも、ようやく「これだ」という教え方が分かって来た頃である。しかし、この町のIT講習というのもボチボチ終盤になって来てしまった。来年度からこのIT講習を、どのようにするかはどの市町村も未だ決まっていないようである。今の生活状態は家内にとっては不安だろうが、実は私の理想とする生き方である。「風の吹くまま、気の向くまま、あてもはてしもねぇ旅に出るのよ」「親分!」新国劇の名ゼリフやないが、私の今の心境である。家族にとっては迷惑な話しだ。私も今の状態なら結婚もしていなかっただろうし、もちろん家族も持たなかっただろう。しかし、こうなったのも運命である。何かの縁?である。
とにかく、やるとこまでやりまっせ・・・
気合いや気合い・・・
01/11/18
今日は隣の青垣町という町に行った。大名草と書いて「おなざ」と読む集落で「来とくんなはれ まつり」というものすごいキャッチコピーのまつりがあった。このまつりに「ヒサ・トモ」で出演した。村のまつりと言ってもかなりたくさんの人が来ていて、どこぞの町のイベントよりたくさんの人の前で演奏した。こんなことならデジカメを持って来るべきだった・・・ハンセイ・・・コウカイ・・・
けんちん汁が無料で振舞われていたが、これがものすごく美味かった。食べたのは11時ぐらいである。そんなにお腹が減っていたわけではない。ということは空腹時に食べたらこれは絶品であろうと思う。
ギャラとして地元の野菜や米を1輪車に1杯にしたものをいただいた。お金に換算したら大した金額ではないかも知れないが、私としてはこの方がお金よりうれしい。
イベントの1つ「普通のノコギリで、丸太を早く切る競技」にも参加した。5人づづ5組に分かれ予選をする。そして予選で1位だった5人で決勝をする。私は予選5組目に参加したが、惨憺たる結果だった。丸太なんぞはチェーンソーでしか切ったことのない私には、ノコギリのうまい引き方が分からない。もちろんそれ以前に体力がまったくなくなっている。
私よりはるかに年上の方が1番であった。ちなみに私は立派なビリケツであった。高校時代は柔道で鍛えたはずのトモさんも第2組に参加したがこれも立派なビリケツであった。2人より明らかに年配と思われる人に、完敗してしまった。ちなみに優勝された方も50歳は越えているようにお見受けした。お見事の一言である。コツと体力だろうが、二つとも今の私には欠けている・・・
あかん、体力が落ちている、何とかしなければ・・・
明日から、ギターや三味線もええけど、心機一転、もう1度体力作り、「ジョギング」から始めよか・・・なぁトモさん・・・
01/11/17
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| ピアニカを吹く娘 |
歌を唄う息子 |
今日は子供の学校で「ふれあい発表会」なるものがあった。学芸会でもなく音楽会でもないその中間のような発表会であった。ウチの娘の小学校は1学年1クラスである。各学年で歌を唄ったり劇をしたりというものであった。体育館兼講堂のようなところで行ったが、かなり寒かった。幼稚園も向いにあるのでこういう行事は必ず合同ということになる。ウチの息子は幼稚園でウチの娘は小学校四年で出演していた。前列にはビデオカメラを三脚に取り付けて、沢山の父兄が撮影していた。私はデジカメに何枚か収めたが、もうひとついい写真は撮れなかった。
音楽会や学芸会。この儀式は、やっぱり残した方がいい・・・
01/11/16
明後日の日曜日隣町で大きな集落(約300世帯)での祭りがある。そのイベントに久しぶりに「ヒサ・トモ」で出演する。何故依頼が来たかというと、早い話が、トモさんの住む集落で彼も実行委員の一員なのである。今日の晩に久しぶりに練習をしようと予定していたが、彼の仕事が長引き、練習は明日になった。
実は私もギターを不精にも長く触っていなかった。今日2週間ぶりにギターを弾いたが、2週間も触らないとダメである。ギターもパソコンと同じである。毎日5分でも触るのが大事である。
明日「ヒサ・トモ」として簡単に練習して、明後日に本番。
流石にプロ?となるとこんなもんである。
これでいいのだぁ・・・(久しぶりに、バカボンのパパ)よりっと
01/11/15
今日はこの秋1番の冷え込みだという。しかし、風のないせいか、外にいてもそんなに寒さは感じなかった。
実は本日は私ら夫婦の結婚記念日である。平成元年11月11日の1が5つ並ぶ時に「結婚しようよ」と拓郎のように言っていた。すでに実質的な結婚生活を始めていたが、正式な入籍はしていなかった。2人にとってはいつでもよかったのだが、これはちょうど「語呂がいい」と思いついた。大安吉日や風水を気にする人には考えられないかも知れないが、そんなものをまったく信じていない2人は、「それがいい、それがいい、と言いました」(←かなり古いギャグ)とすぐに決めた。
しかし、三文ドラマのように「君と僕は、1が五つ並んだ日に結ばれたんだね・・・」とはいかなかった。「代書屋」でいう憶えやすい日(←1部しか意味が分からないのは承知です)にしたかったのである。お互い婚姻届をかなり前に書いていながら、私がこの日に区役所に提出するのを忘れてしまっていた。もちろん家内も忘れていた。思い出したのは私だった。そして、その日が15日だったわけである。慌てて区役所に提出に行ったのを憶えている。
「すいません。提出日を1日に変えといて貰えませんか?」とも言えず、区役所で受領確認を待っている間「洒落で結婚記念日を決めたのに、これでは洒落にならんがなぁ」と自分で自分にぼやいたのをはっきりと憶えている。
そんなんで、今日で婚姻届を提出して12年目ですわ。
こんなん連れてやってまんねん
気ぃ使いまっせ
そら、わしが言うねがなぁ
ハハー、しゃいならぁー (ラッパ・日佐丸)よりっと
01/11/14
仕事で大阪へ出掛けた。舞鶴自動車道という兵庫県を南北に縦断する高速道路の周りにの山々の紅葉が今は本当にきれいである。ゴッホの絵のように山が彩られている。もっともゴッホの絵を山が真似てるんではない。改めてゴッホの絵はやっぱりすごいと思った。
「秋の色」というものを具体的に、表そうとしたらこの山の色は「秋の色」そのものという感じがする。絵心のない私でも、「チョット絵でも書いてみたい」と思わす景色である。
家に戻ると今年2回目のサウナを使った。ようやく外気温も下がってくれて来て、サウナの時期になって来た。体から蒸気を噴き上げながら外に出ると、月は出ていないが、きれいな星空である。西の空で上から下にすーっと流れ星が見て取れた。「よし、もうひとつ流れ星を見るまではサウナに戻らないでおこう」と遊び感覚で、自分に科せた。全裸で庭に座っていると、流石に五分を過ぎたあたりから、寒くなってくる。しかし、決めたことである。私は相変わらず空を見上げる。流れ星を見るにはコツがある。1点をじっと見つめるのではなく、ぼんやりと空の真中あたりを何となく見ることである。もう10分も経っただろうか。西の空を今度は北から南へ斜め下に落ちる「流れ星」をはっきりと見てとれた。少し震えながら、サウナに飛び込んだのであった。
流れ星 見つけ飛び込む サウナ棟 (待男 不肖)まつお ふしょう
01/11/13
本日は隣町の中学校のPTAからの依頼があり、「パソコン四方山話」と銘打ち、パソコン講習を行った。昨今何かと話題になっている、Q2などの高額接続問題から、ウィルスやマルチ商法の勧誘まで様々な問題を実際にパソコンを触りながら行った。中学のコンピューター室は立派な設備であった。パソコンは50台あり、講師用には何故か4台のパソコンが並べてある。しかし、プロジェクターがない。パソコンの講習でプロジェクターがないというのは、黒板がないに等しい。事前に下調べをしておけばよかった。メールアカウントも設定されていなかった。要するにメールは出来ない状態にしてある。中学校でもパソコンの授業では、ワードやエクセルをやっているようである。もちろんワードやエクセルもやればいいが、メールの送受信というのは大事であると思う。メールはいい意味で手紙に近い。携帯電話で「何食べた?」とか「今何してんの?」という短いメッセージを書き込むのとは違う。文章伝達能力を養うには、eメールはもってこいである。ネットに繋いでいるのに「ホームページ閲覧はしてもメールはしない」というのは如何なものだろう。教える者もいないんだろうか?。現在の教育現場で行われているパソコンの授業の実態を垣間見た気がした。パソコンを教える事の出来る教師やキチンとしたカリキュラムもない。それなのに、「IT時代」だからと、パソコンの事を大して分かってない役人が学校のパソコン整備には大きな予算を組む。
「仏作って魂入れず」ちゅうとこですか・・・
今、満足に使われず、置物化したパソコンの数は計り知れないだろう。きっと・・・
01/11/12
今年は、毎年買っていた薪屋さんからの連絡がなかった。いつもなら今ごろまでには必ず「今年はどうですか?」というお伺いがあった。こちらもなければ困る。そんなんで本日、こちらから「今年も薪をお願いしたんですが・・・」と電話をした。すると「申し訳ないですが、今年はまだこちらに入荷していませんので、入荷しだい連絡致します」との返事だった。それなら・・・待つしかない。薪ストーブと言っても使い方にもよるが、ガスよりは安いが灯油よりは高くつく。もしここの薪屋さんが今年ダメな場合は、少し割高になるがネット上での薪の購入をしないといけない。
「貧困とは飢えと寒さである」と言われている。その寒さを我が家は、薪ストーブというもので凌ぐのであるが、その薪も広葉樹、所謂「堅木」と呼ばれているものが火持ちもよくススも少なく薪ストーブには適している。但し杉や檜でもよく乾いて入れば火持ちは短いが問題はない。問題は松である。これはススが出て、煙突掃除が大変になる。金曜日には懇意にしていただいているお寺に、薪を頂きに行く。その薪は杉だが何十年も前から納屋に置いてある「ビンテージ物」である。まだガスを使っていなかった時代に使っていて残った薪である。このぐらいになると極端な表現だが、マッチ一本で火が付く。薪というのは火が付くまでが大変であるが、このぐらい乾いた薪があれば素人でもすぐ火が付く。
広葉樹が日本では最近はめっきりと減ってきている。戦前までは、日本のたくさんの山で広葉樹を伐採し、「金になる杉や檜」を植林をしたのである。皮肉にもその杉や檜も今では新建材の登場で重要が激減し、「金になる木」とは言えなくなっている。私の村でも周りはほとんどがこの杉と檜である。年中、緑の山の景色も贅沢な話しだが飽きてくる。少し離れた場所にはまだ紅葉のきれいなところがある。ここからもっと南の方に行くとまだ紅葉が美しい山はたくさんある。
しかし、最近は紅葉している山を見ると「きれいなぁ」と思う前に、「あれはええ薪になりそうやなぁ、4トントラック1杯にして自宅配送してもろたら、5万はするなぁ」と思ってしまう。
水族館のふぐを見て「おもろい、カッコしとんなぁ」と思う前に「ええ、とらふぐやなぁ、美味そうやなぁ、黒門で買うたら1万5千円はするなぁ」と思うのに似ている。
いい意味で「原始人的な感性」になっているのである。
何と言っても貧困とは「飢えと寒さ」なのだから・・・
01/11/11
今日は日曜日、いい天気であった。私の住んでいる周りは全てログハウスである。今日は週末だけにやってくる住人達も、草刈りや焚き火をしている。隣同士の距離もいい距離である。目が合うと軽く会釈し、後はそれぞれが作業を黙々としている。夜はウチのように野外で晩ご飯を食べる家もあれば、外食に出掛ける家もある。近所の付き合いというが、「目が合うと会釈する」程度の付き合いがベストであると思う。ご近所とは、「親しくなり過ぎる」というのを煩わしく感じる人もいる。しかし、何かの縁で隣同士になったんである。もちろんまったく無視するというのは論外である。
「ログハウス村」なる集まりを作った当初は「2ヶ月に1回は集まりましょう」ということで始めたが、何時の間にかいい意味で「消滅」した。「2ヶ月に1回は集まる」と決めたことで変な義務感や閉塞感が出来てしまった。「既存の『町内会』というものではない集まりにしましょう」というコンセプトで始めた集まりである。集まる必要のある時は全員が集まる。集まる必要がない時には集まらない。これでいいのである。
後は「各自が責任を持ち、コモンセンスを弁えて、周りを適当に気にして」生活すればいいのである。
これは田舎も都会もまったく同じである。
01/11/10
今日はペンキ塗りだった。このところ正に小春日和が続いている。今やっておかないと、天気や時間の都合がいい時など中々あるもんではない。そんなんで今日は1日中ペンキ塗りをやった。もう少しのところでペンキが切れた。また明日である。
本日はウチの最終戦であった。去年2部リーグに上がって来たわりには1敗しかしていない。本日勝ってライバル校が負ければ3校でのプレーオフとなる。ペンキを塗りながら後輩から電話が頻繁にかかってくる。午前の試合でウチは勝った。これで関大が龍谷に負ければ3校プレーオフ、相撲でいう「巴戦」となる。それに勝ち抜けば、入れ替え戦である。それに勝てばなんと関西1部リーグに復帰出来る。
私としてはこうなってくると、マリナーズを応援しているのとは分けが違ってくる。最終クォーターに入り何と関大が10−3で龍谷に負けている。現場にいる後輩の興奮した声が伝わってくる。「試合がこのまま終わるか、何らかの変かがありしだい、また電話します」と言って後輩は今日の何度目かの携帯電話を切った。10分後、後輩の声のトーンですぐに結果は分かった。関大も大したもんである。なんと間際に得点を上げ、引き分けで試合を終った。引き分けならプレーオフにならない。
刻一電話をくれた後輩に「まぁようやったがな、今年は『特別・残念・大忘年会』を気の合うOB有志とやろうや」と電話を切った。まぁホンマにようやった。若者の能力はやはりすごい、こんな短期間でこんなにレベルを上げるとはたいしたもんである。去年からの勝率はすごいもんである。我々の時は・・・
以下 NHKの『プロジェクトX』風に・・・(ちょっと気色悪い「中島みゆき」の例の歌がバックに流れ)
昭和48年だった。我々は1部であった。しかし、勝った試合はまったくなかった。4回生が2人、2回生が8名、1回生が7名、チームの要といわれる3回生はすでに部を辞め1人もいなかった。全員で16名という公式戦でフットボールの試合が出来る、ギリギリの人数だった。春から始まった公式戦、定期戦、練習試合、すべてが負け試合だった。当然ように、最後は入れ替え戦が待っていた。相手は2部とはいえ全勝無敗で1年を終えた強豪チームだった。誰もが我々の2部降格を疑わなかった。しかし、奇跡は起こった。新チーム結成以来、初めての勝利であった。ほとんどの者が歓喜の雄叫びをあげ、抱き合った。しかし、4回生2人と当時のコーチや監督は全員に言った。「喜ぶな!オレらは1部リーグのチームや!相手は2部リーグのチームやないか!勝って当たり前やないか!」しかし、その目にはあきらかに涙が見て取れた・・・
テロップが流れ、BGMとともにフェードアウト・・・
01/11/09
本日は、先月の6日にあった千葉県柏市でのコンサートの打ち上げの帰り、東柏駅のホームで出来た詞を紹介します。
今、30年振りにこれに曲を付けています。(恥かしい)
西へ向う
@古い歌を唄った 古い歌をがなった 古い昔を想った
人生の祭りはあっという間に終わった
若い友にホームで追い付き
たいくつな昔話を聞かせた
若者は東へ向かう夜汽車に飛び乗リ
私は西へ向かう汽車を待つ
ひとりホームで酔いを冷まして
ひとりつぶやく 人生はおもしろいよと
古い歌を唄った 古い歌をがなった 古い昔を想った
人生の祭りはあっという間に終わった
A古い事を語った 古い事を叫んだ 古い昔がよぎった
人生の不思議さを酒が教えてくれた
若い奴らも苦しいんだよと
酒が俺に説教を始めた
若者は東へ向かう夜汽車に飛び乗り
私は西へ向かう汽車を待つ
ひとりホームで酔いを冷まして
ひとりつぶやく あとは頼んだよと
古い事を語った 古い事を叫んだ 古い昔がよぎった
人生の不思議さを酒が教えてくれた
B古いモノを捨てた 古いモノをぶち壊した 古い昔を偲んだ
人生で出会った古いモノが教えてくれた
若い者には新しいんだよと
時代が俺に教えてくれる
若者は東へ向かう夜汽車に飛び乗り
私は西へ向かう汽車を待つ
ひとりホームで酔いを冷まして
ひとりつぶやく 時代は変わっていく
古いモノを捨てた 古いモノをぶち壊した 古いモノを偲んだ
人生で出会った古いモノが教えてくれた
※若者は東へ向かう夜汽車に飛び乗リ
私は西へ向かう汽車を待つ
ひとりホームで酔いを冷まして
ひとりつぶやく 人生はおもしろいよと
古い歌を唄った 古い歌をがなった 古い昔を想った
人生の祭りはあっという間に終わった
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01/11/08
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荒い仕事だが、
すっきり・さっぱりとはした。
後はペンキで仕上げるだけ。 |
今日は久しぶりの完全オフである。日がな一日のんびりとしようと思っていたが、デッキが腐っていることを思い出した。当然「デッキ」というぐらいであるから「デッキ」は外にある。ペンキを塗ったりはしているが、もう十年は経っているはずである。寿命といえば寿命である。腐っている部分を切取り、まだ使えるところを残し補強した。出来た廃材も全て木である。全て焚き火に使える。無駄がない。環境にもやさしい。やっている間に段々面白くなり結局は1日中、久しぶりのオフをデッキ作りで過ごした。少し狭くなったが以前よりは落ち着いた感じになった。夜は焚き火を楽しんだ。
「ログハウスに住むなら、家のメンテナンスを邪魔くさいと思う人はログハウスに住まないことです」とは、このログハウスを購入する際に不動産屋さんが言った正に的確なアドバイスであった。
ログのメンテは楽しい・・・
これでこのデッキも後3年は大丈夫である・・・
01/11/07
今日は1日休みとなった。そんなんで1日中、空き地の草の仕上げ刈りをした。薪ストーブ用の薪も割った。あとを掃除して、枯草や薪くずを燃やしたり、結構体を動かした。草刈りには、エンジン付きの草刈り機を使い、薪割りには、油圧で動くエンジン薪割り機を使う。昔の人は草はカマで刈り、薪も斧で割っていたと思うと、これは並大抵の労力ではない。もちろん私も、古典落語の世界でしか知らないが「割り木」といって昔はこれが生活には重要な燃料だったのである。風呂を沸かすにも、ごはんを焚くにも、暖をとるにも、この薪を使ったのである。きっとものすごい量の薪が必要であったはずである。水すらも昔は外にある井戸から、家のなかの「水かめ」に運び、ため置いたようである。現在のガスと水道の存在がいかに便利かが分かる。この水を運んだり割り木の段取りも、昔は女性の仕事である。水と燃料でどれぐらいの時間要したかは推測が付く。
現代人は本当に「体を動かすことを厭う」。スポーツクラブでフィットネス体操をしたり、スイミングセンターで水泳をしたり、散歩やジョギングをしている人はよく見かけるが、仕事や身の周りの事になると、何故か体を動かす事を嫌がる。
昔、机上管理職階級をホワイトカラー、生産労働者階級をブルーカラーと呼んだ時期があった。今は「勝ち組み」とか「負け組み」とかで、表現しているのとよく似ている。(もちろん、どちらも私の大嫌いな言葉)。昔から現在にかけても「現場で額に汗して働く者」より、「机上から現場に指示している者」の方が偉いという考えがある。
私は参加したことがないが、村には「山入り」という儀式?がある。これは村が所有(正確には村人全員の所有)している山を整備するために村人が山に入り、下草を刈ったり、枝打ちをしたりするのである。村の山を所有希望する者は、一定の金額を村に払い、山の権利者の1人になる必要がある。山の木が売れたり、山からの何らかの収益があった場合は所有者で分配する。しかし、今はこの山からの収益はほとんどなくあったとしても村人には分配されず、村の行事などの運営費にほとんど使われている。というこは、私も道義的には「山入り」しないといけないのである。しかし、「山入り」は昔からの慣わしで日曜日なのである。私の日曜日のほとんどは何かしら仕事が入っている。だから行けないのである。←言い訳・・・
昔は、山の木や、松茸などで、個人の分配もさることながら、村の山は村の運営費の多くを捻出してくれていたようである。しかし、木材価格の下落や、松茸も毎年のように獲れなくなって来たようだ。今は完全に森林保護のようになっている。もちろんそれも大事である。しかし、参加している村人の実態は「いやいや」という感じである。大儀がる人が多いのが現状である。
森林ボランティアというのがある。都会に住み、休日になると、このような「山入り」で人が集まらなくなった村の山に入り、草刈りや枝打ちを無償奉仕で活動している。自然の山の中で体を動かして食べる昼のお弁当は最高と言う。家に帰ってからのビールもこれがまた最高と言う。
この人たちは、すばらしと思うが、こういう実態を見ると、人間いかに飽き性かがよく分かるのである。要は非日常だから楽しいんだと思う。ほとんどの人間は同じ事を繰り返すと飽きてくる。面白くなくなる。要は大儀になって来る。
田舎の者が都会に行きたがり、都会の者が田舎に行きたがるのは、実はものすごく自然な人間の感性であると思う。
この村で薪割りをしているのも、私達のようにログハウスに住んで薪ストーブを使っている者だけである。
1番大事な事は「日常と非日常の区別が、自分でキチンとついている」ということである・・・
私もあと「50年」ほどここで暮らした後は、田舎が飽きて、きっと都会で暮らしていると思う???
01/11/06
アフガニスタンでジャーナリストがタリバンに拘束されて、何かと話題になっている。しかし、彼は危険覚悟で自分の意思で行ったのである。民主党の議員などが救出活動に動いているが、如何なものか。ジャーナリストにとって、これで拘束を解かれ開放されたら、自分しか書けない「ネタ」をいっぱいに引っさげて帰って来れる。ジャーナリストにとっては、こんなに「おいしい」ことはない。リスクを背負ってやっていることである。彼には何の遺恨もないが、このような状況下であのような所へあんな格好で入って行くにはそれなりの危険が伴うのは覚悟で行ったはずである。
お笑いタレントが、殴られたり、痛めつけられたりしている場面に関して、よく新聞の投稿欄に「非人道的な行為はやめて欲しい」とか「子供の教育によくない」と書いている人がいるが、殴られているタレント本人は実に「おいしい」んである。これが仕事なんである。これでメシを食っているんである。子供や家族を養っているんである。
このジャーナリストも、今回の拘束をいい意味で「反省や後悔」なんかしていないと思う。もちろん、生きて帰りたいとは思っているだろう。生きて帰れたら、自分だけが知っている「タリバンの本質」を書きまくりたいとも思っているだろう。それがジャーナリストである。「世界の人々にこの現状を伝えなければならない」などという、薄っぺらい偽善的な「義務感や正義感」で彼は行動していないのなら、彼はホンマモンのジャーナリストである。
これは私の想像だが、戦争の実態というものはそんなに生易しいものではないだろう。戦争の現場にいると「気合いや!」とか「根性出せ!」とか「人の命は地球より重い!」などという言葉がなんと虚無的に感じるかは、凡人の私にも推量は出来る。
しかし、私は今幸運にも戦争の現場にいないので、あえて何度でも言う。「やはり、戦争はしない方がいい」と・・・
01/11/05
体重が増えた。今日、毎日のように通っている隣町にある「薬草風呂」に行き、体重計に乗ったら65キロを表示した。1時は58キロを切るるところまで痩せたが、体重は回復した。私の身長は170cmである。皮肉なことに理想の体重を越えてしまった。まぁ、この年になり理想の体型もないんであるが、手足はそのままで腹だけが出てきた。これはあまり喜ばしいことではない。腹が出て来るというのは「私の美学」にとって最も恐れている体型の変化である。アメリカでは「タバコを吸う者と、肥満の者は管理役職につけない」という、「すごい、しきたり」がある。要は自己管理が出来ない人間と見なされるらしい。「自由の国アメリカ」というなら、これは矛盾する考えである。
私は昔から斜交い人間だったので、周りでタバコを吸い出した高校2年の終わり頃にタバコを止めた。当時セブンスターが流行り出したころで、「セブンスターを吸うとインポテンツになる」と、まことしやかな噂が裏で流れていた。私は当時からエンジのパッケージで270円もしたラークを愛吸していた。悪ぶって吸っていた私にとっては、周りの多くが吸い出して「そんなベタなことなら、もう止めよう」ということですぐに止めた。止める際に三ヶ月程は吸いたい気持ちが残ったが、友達から「タバコは?」と言われた時「俺はもう、止めたから」というのが、ガキの私にはものすごくかっこよく感じたのである。「タバコ吸うんやったら、マリファナの方がええがな」とも言っていた。
今の世の中は喫煙者にとっては、非常に不便な状況になっている。至る所が禁煙で、ちょっとした会議や集まりでも禁煙が当たり前になっている。しかし、タバコを吸った方が頭が回転して会議などでいい意見が言えるなら、タバコを吸ったらどうだろう。私はいつでも思うのである。体に悪く、周りの人が煙を吸っても体に悪いなら、今すぐ販売も栽培も中止したらどうだろう。要は周りに対する状況判断が出来ない者が多いからやたらと禁煙場所が出来るのである。ここでタバコを吸ってもいいか悪いかが判断出来ればいいのである。(もっとも、判断が出来るている者は少ないが・・・)「何にでも規則を作るから、モラルが低下する」のである。モラルというのは各自が考えるものである。「タバコというのは趣向品である」というのなら、好きにさせてあげればどうだろう。先進国(私の嫌いな言葉)といっても、西ヨーロッパではまだまだタバコを吸う人間も多く、禁煙場所も少ないと聞く。アメリカではアメリカの考え、日本では日本の考えがあってもいいのではないのだろうか。それが文化とも言えるのである。
どうです、タバコを吸わない私が言うから、重みがあるでしょう・・・
01/11/04
今日も市島町で昨日と同じ文化祭があり、ここでもパソコンコーナーを担当した。プリンターの具合やパソコンの動きがどうしても悪く、デジカメで写真を撮り合成してプリントアウトするまでの工程のどこかで必ずトラブルが発生する。
パソコンの機嫌が悪いと言えばそれまでだが、こういう原因がよく分からない状況の時は困る。もう少し事前に周辺機器の接続やリハーサルをしておくべきだった。
今日は「パソコンのよろず相談コーナー」と銘打った企画だったので、ワープロから表計算、ネットからメール、プロバイダーからXPについてまで幅の広く、個人的質問に対応した。
様々な質問をされることが、実は教えている側にとってはもっとも勉強になる。質問というのは意外なものが結構多い。それと共通した内容のものが多い。現場の声を聞くと「そうか、こういうことは、案外知らないのか」という実態が分かる。「これはもう知っているだろう」と思っていることが、実は案外知らなかったりすることもよくある。
分からないことが分かってきた人の質問は、教える側にとっては物凄く参考になる。
分からないことが分かってきたら、パソコンの半分は出来たようなもんである。
そこまで行けば 後は簡単である。
パソコンを色々触ってみるだけである・・・
01/11/03
今日は氷上町の公民館の文化祭であった。地方には町の公民館が主催する文化祭という催しがある。出店や展示物や様々なコーナーがありそれを住民が見にくるというパターンである。今年からこの町でも「パソコンで遊ぼう」と銘打ったコーナーを作った。今回は私がそのコーナーの担当をしたが、結局は子供ばかりがパソコンの前に座りゲームをやりだした。「そんなことは家でも出来るやろ」と思ったがここは公民館である。私の気持ちをぐっと押さえた。
「ここで遊んどき」と自分は他に行く親も何人かいた。ここは託児所ではない。他のパソコンを触った事もないお年寄りなどに、パソコンを実体験していただくのが大きな目的である。数台しかないパソコンもほとんどの時間、子供達が占領してしまった。
「子供と一緒に来たのなら、子供と一緒に過ごせよ」と思いながら、子供達が哀れに思えた。家で親とどのように過ごしているのかが大体想像出来る。こんな親に育てられた子供達が、まともな社会性が身に付く大人になる確立はかなり低い。
孫と一緒に来ておられるお年寄りにはデジカメで写真を撮って、世界の名所旧跡をバックに合成写真にしてプレゼントした。これはお年寄りには、結構喜んでいただいた。この笑顔が、先ほどの危惧を帳消しにしてくれた、私にとっては救いの笑顔であった。
01/11/02
少し前になるが、閣議に入る前の控え室で農水大臣が「狂牛病で熱が出ました」と洒落のつもりで言ったのがマスコミでえらい問題になった。マスコミに言わせれば「大臣がこの時期に、こんな発言をするとは洒落にならない不謹慎な言動」という訳だ。洒落というのは分かるが、時と場所を考えれば、私でもこんな発言はしないだろう。
洒落というのは「洒落を認めてくれる時と場所」を自分で判断しないといけない。これを間違うとベタな表現だが「人を傷つける」ことになる。極論で言えば「笑いというのは、差別である」。バナナの皮で滑った者を笑うのも「自分なら、滑らないのに・・・」という優越感である。洒落とか笑いというものの基本は「自分のエゴイズム」である。この農水大臣はこれが分かっていないのである。
「人を怒らす」ことは1番簡単である。理屈やテクニックが分かれば「人を泣かす」こともそんなに難しくはない。しかし、「人を笑わす」ということは、1番難しい事である。
何故なら、「人を笑わす」ということは、時と場所も含め様々な要素が合致しないと、笑わないどころか、気分を悪くする者すら出てくるのである。
最近の素人は、特に注意するように・・・(オマエも、ど素人やがなぁ!!!)
01/11/01
01/10/30の日記で党首の顔について書いたが、公明党の党首は冬柴氏ではなく「そうは、いかんざき!!」とものすごいオヤジギャグで参院選のCMに登場していた神埼氏であった。
なんと、3人もの方からメールで「あほか!」「このもの知らず!」「ええ加減な事を書くな!」「分からんかったら、ネットででも調べてから書け!」いうような乱暴なお言葉は一切なく。非常に丁寧な表現で「勘違いされているのでは?」というような紳士的なご指摘をいただいた。
今回の件では公明党のあまりに「ひどい懸案」であの冬柴氏が活発に動いているのをテレビ報道で見て、つい党首と勘違いをしてしまった。冷静に考えれば「そうは、いかんざき」の神崎氏であった。これもメールで教えていただいたが、神崎氏は東大の演劇部だったらしい。それにしては、あのCMの押入れから出て来て「そうは、いかんざき!」は、素人丸出しの下手な演技だった。とにかく、現在の公明党党首は冬柴氏ではなく神崎氏でした。ここに訂正して「すいませんでした」と深くお詫びいたします。
しかし、こういうご指摘を受けることは、恥ずかしいことだが反面非常にうれしい。何故ならこれだけの人は間違いなく私の拙い日記をキチンと読んでいただいているということである。間違いが分かるということは、内容を理解していただいているということになる。うれしい限りである。
公開日記という名目である。「人に読んでもらう」という事がこの日記の第一の目的である。「公開日記」が「後悔日記」にならないように、これからも頑張る所存です。10/30の日記は自らの戒めの為、訂正せずにそのまま「さらし者」にしておきます。
しかし、この間違いのおかげで、11月初っ端の日記も無事書くことが出来ました。
上品に表現すると「災い転じて福となす」
大阪流に表現すると「転んでもタダでは起きん」ちゅうとこですか・・・はい・・・
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