否定語の語法(文法)

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a.「〜へん」(〜ない)
 上方方言をはじめ、西日本で広く使われている否定語の一つである。但馬地方でもこの否定語を日常生活の中で老若男女頻繁に使用する。しかし、他の地域とくらべると、前に来る動詞の形に独特のものが見られる。
<例1>「〜へん」(〜ない)の用例
単なる否定 書けへん(書かない) 私は毛筆が苦手だしけー、筆で手紙を書けへん。(書かない)
不可能 書けれへん(書けない) 僕は鈴木君みたいに上手な字は書けれへんわ。(書けないわ)
単なる否定 歩けへん(歩かない) 駅まで遠いで、歩けへんとこう。(歩かないでおこう)
不可能 歩けれへん(歩けない) ここから駅まで30分では歩けれへん。(歩けない)
単なる否定 見れへん(見ない) 今、テレビで野球やっとるけど見れへんの。(見ないの)−−−うん、見れへん
不可能 見れれへん(見られない) 朝早う起きんな、テレビのニュースが見れれへんで。(見られないよ)
単なる否定 くれへん(来ない) 今日は太田君がくれへんなあ。(来ないなあ)
不可能 これれへん(来られない) 明日は用事があるで、ここにはこれれへんわ。(来られないわ)
 ただし、単なる否定の「書けへん」、「歩けへん」などの前に「よう」をつけると、不可能の意味となる。
 <例2>「よう〜へん」(〜できない)の用例
不可能 私の弟は小さいから、まだ字をよう書けへん。(書けない)
不可能 私は体力がないしけー、そんな遠くまでよう歩けへん。(歩けない)

b.「〜へ(ん)なんだ」(〜なかった)
 「〜へん」の過去形は「〜へんなんだ」、「〜へなんだ」となる。
<例3>「〜へ(ん)なんだ」(〜なかった)の用例
単なる否定 歩けへ(ん)なんだ(歩かなかった) 映画館は遠かったで、歩けへ(ん)なんだ。車で行った。
不可能 歩けれへ(ん)なんだ(歩けなかった) 雪が深くて、学校まで歩けれへ(ん)なんだ
単なる否定 見れへ(ん)なんだ(見なかった) きのう祭りに行ったけど、恭子ちゃん見れへ(ん)なんだ
不可能 見れれへ(ん)なんだ(見れなかった) 遅う仕事から帰ってきたもんで、テレビの天気予報が見れれへ(ん)なんだ

c.過去の否定を表す「〜なんだ」(〜なかった)
 「〜なかった」と過去の否定を表す場合、「〜なんだ」という表現をする。「〜」には動詞の未然形が来る。
<例4>過去の否定を表す「〜なんだ」(〜なかった)の用例
おい、祭りで鈴木さんに会わなんだか。−−−うん、会わなんだけど。
きのうはくたびれて早う寝たもんで、風呂に入らなんだ。だしけー朝風呂に入った。
ベンチャーズのコンサート、行きたかったけど行かなんだ
最近の傾向
 「〜なんだ」は「〜んかった」に「〜へ(ん)なんだ」は「〜へんかった」に替わりつつある。
 共通語の「知らなかった」にあたる表現を普段どのように言うかを、私の勤務している中学校の生徒たち(無作為に抽出した中1から中3の男女合わせた17人)にたずねてみた。結果は次の通りである。
<「知らなかった」を普段友だちと話す時どう言うか>
「知らなんだ」  1人
「知らんかった」 15人 うち、11人は家族(両親、祖父母など)は「知らなんだ」を使うとのこと。
「知らなんだ」または「知らんかった」  1人 「知らんかった」と言うことの方が多いとのこと。

注意:「知る」の否定形として「へん」をつける形はこの地方にはない。

 「行かなかった」についても数人にたずねてみた。(私自身は「行けへなんだ」と「行かなんだ」を併用する。)生徒たちの回答はすべて「行けへんかった」であった。「行かんかった」と言うかどうかたずねてみると、全員言わないという回答であった。語彙により「〜へんかった」と「〜んかった」のどちらをとるか決まっている場合もあるようである。
 中学生たちにとって、「〜なんだ」という表現は耳にはするが自分では使わず年輩層の使う表現、というイメージがあるようであった。明らかに、言葉の交替がすすんでいる。ちなみに、私自身は「〜なんだ」の中で育った。現在、普段の生活の中で「〜なんだ」を使うことが多いが、中学生相手の時は「〜んかった」を使う時もある。

d.意志・推量の否定を表す「〜めぇ」(〜しないでおこう・〜しないであろう)
 自分の意志で「〜しないでおこう」と表現する場合、また主として3人称の主語が推量で「〜しないであろう」と表現する場合、「〜めぇ」を使う。「〜」には動詞の未然形が来る。年輩層の中には「〜みゃー」という発音も見られる。
<例5>意志・推量の否定を表す「〜めぇ」(〜しないでおこう・〜しないであろう)の用例 
意志 行かめぇ(行かないでおこう) 明日は大雪で吹雪になるで、スキーに行かめぇ
意志 起きめぇ(起きないでおこう) 明日は休みだしけー、朝早う起きめぇ。昼まで寝るで。(昼まで寝るよ)
推量 忘れめぇ(忘れないだろう) 佐藤さんなら次の会議の時におやつを持ってくるのを忘れめぇ
推量 嘘をつかめぇ(嘘をつかないだろう) 健二君は嘘をつかめぇな。−−−絶対嘘なんてつけへん。あいつはごっつい正直もんだもん。

e.禁止を表す「あかん」と「いけん」(だめ)
 禁止を表す否定語として、但馬地方では「あかん」と「いけん」が用いられる。それらの語は入れ替えが可能である。
 「あかん」は京都、大阪などを中心とする上方方言から来ているのに対し、「いけん」は鳥取、岡山など中国方言から来ている。私の生まれ育った豊岡市では、「あかん」の方が優勢であるが、「いけん」も多用される。年齢層が高くなるにつれて、日常の会話の中で「いけん」を用いる割合が高くなる。また、地域的に見た場合、但馬地方でも西へ行くほど「いけん」を用いる割合が高い。
<例6>禁止を表す「あかん」と「いけん」(だめ)の用例
晩おそうまで起きとったらあかんぞ。次の日えれーぞ。(いけないぞ)
お母ちゃん、小遣いもう500円増やしてーな。−−−あかん。もっと上手に使いねぇ。(だめ)
寒かったらいけんで、ぶ厚い毛糸のセーター着て行きねーな。(いけないから)
おじいちゃん、今遊びに行ったらあかん。(いけない)−−−いけんなぁ。今おばあさんが昼ごつくっとるしけー、それからにしょーや。(だめだねぇ)

f.過去の禁止を表す「あかなんだ」と「いけなんだ」(だめだった)
 「だめだった」と過去の禁止を表す場合は「あかなんだ」、「いけなんだ」と言う。
<例7>過去の禁止「あかなんだ」と「いけなんだ」(だめだった)
先週の祭りはどねーだった。−−−中止にはならなんだけど、雨でわやだがな。あかなんだわ。(だめだった)
この芝生のなかで弁当食べたけど、こん中に入ったらいけなんだんだなぁ。悪いことをした。(だめだった)

g.「あかん」と「いけん」の丁寧表現「あきません」、「あきまへん」、「いけません」、「いけまへん」(だめです)
 「あかん」と「いけん」の丁寧表現として、「あきません」、「あきまへん」、「いけません」、「いけまへん」がある。「〜ません」の方が「〜まへん」より優勢である。現在、「〜まへん」は年輩層が用いる。
<例8>「あきません」、「あきまへん」、「いけません」、「いけまへん」(だめです)の用例
ここに車を駐車したらあきませんか。(だめですか)−−−駐車禁止ですで、あきませんなぁ。(だめですねぇ)
この山の林道に入ったらあきまへんで。このごろ熊が出ますでなぁ。(だめですよ)
ここでキャンプしんさったらいけませんで。危ないですわ。(だめですよ)
さあ、わしの作った料理、全部食べておくんなはれ。残したらいけまへんで。冗談、冗談。(だめですよ)

h.新しい否定形「こーへん」(来ない)
 但馬方言において、否定を表す「〜へん」は、一般的に動詞のエ段に接続する。「a.『〜へん』(〜ない)」を参照していただきたい。「来ない」の意味を表すものも、以前は「くれへん」が優勢であった。私は現在でも普段この形を使っている。
 ところが、近年「くれへん」に加え、「こーへん」が多用されるようになってきている。特に若い年齢層に多く見られる。私は中学校で勤務しているが、生徒たちの半数以上がこの「こーへん」を日常的に使っている。
 「こーへん」という形は、神戸市など兵庫県南部で頻繁に使用されている形である。その影響を受けて「こーへん」が多用されるようになったものか、あるいは共通語の形である「こない」の影響を受けて成立したものか、また別の理由によるものなのかはわからない。
 また、「こえへん」という形も存在する。ただし、この語については、「くれへん」、「こーへん」にくらべるとマイナーなイメージがあるようだ。
<例9>「こーへん」(来ない)の用例
貴代子ちゃん昼休みに図書室に来るって言っとったのに、こーへんなあ。どうしたんだろう。
放課後すぐ昇降口前に集合なのに、だーれもこーへんぞ。