私のアマチュア無線の歴史
アマチュア無線を始めるまで
私がまだ幼い小学生の頃、家にあったトランジスターラジオをわけもなくさわることが好きであった。別にラジオ番組に興味があったわけではなかったが、ラジオのバンド切り換えに「MW」、「SW」、「FM」などという切り換えスイッチがあり、それを切り換えてはダイヤルをまわし、聞こえてくるいろいろな音声(さまざまなノイズも含む)、いろいろな言葉に興味があったのだ。とりわけ、夜の中波放送や短波放送には大きな興味を持っていた。それは、日本語ではない外国語(何語であるのかは区別できなかったが)が、あの小さなラジオに飛び込んでくることである。
また、日本語のアナウンスの中にも、「こちらはモスクワ放送です。」とか「こちらは北京放送です。」などというアナウンスを耳にするたびに、わくわくとしたものであった。ちょうどその頃、海外放送を聞くことがブームのようになり、気がつくと、BCL(
Broad Casting Listener )と言う言葉が世間を騒がせるようになっていた。当時海外の日本語放送の数も20を越えていたように記憶している。
物事が論理的に考えられる年頃になり、どうして遠く離れた外国の放送が、こんなに簡単に自分で受信することができるのだろうか、と疑問を持つようになった。そんな疑問から、電波というものに興味を持ち、いろいろな書籍を読んでみて、電離層のこと、電波の伝搬の仕方などのことを理解するようになった。これがアマチュア無線を始めることの原点となったことのように思う。
それから後、私は外国語に興味を持つようになった。あまりしっかりとは聞き取れなかったものの、ヤンキードゥードゥルドゥーで放送が始まるVOA(
the Voice Of America ) や ビッグベンの鐘の音で放送が始まるBBC
( British Broadcasting Corporation ) などの英語放送を聞くようになった。ポータブルラジオ一台で外国の情報が簡単に入手できるとは、何と手軽で安上がりなのだ、とよく思ったものであった。電波は便利で安い、と自己満足していた。
アマチュア無線従事者免許を取得する
大学生になり、私は英文学を専攻した。英語のブラッシュアップのためにも、ラジオの海外放送で英語を耳にするのが日課であった。電波に対する興味は、以前に比べると薄れていたように思うが、それでもコミュニケーション(聞く、つまり情報を入手することも含む)のための「電波」というものには強い関心を持っていた。
当時、私は名古屋市内の大学に通っていた。たまたま幼なじみのT君も別の大学ではあったが、名古屋市内の大学に通っていたため、顔を合わす機会がよくあった。彼は大学の工学部で電気工学を専攻していた。何の話からだったかおぼえていないが、「アマチュア無線の免許を取ろう」という話になった。そして、二人そろって電話級(現4級)アマチュア無線技師の従事者免許を取得した。
念願の開局
大学一年生の終わる春休み、T君と某電機メーカーの工場でアルバイトをし、そのお金で二人とも無線機を購入した。1984年4月、二人そろって愛知県内で開局した。(T君は名古屋市南区で、私は春日井市で)ポータブル2の移動運用ではあったが、JL3KSO局の誕生である。幼なじみのT君は私と2つ違いのコールサインであるJLSKSQである。私もT君も50Mhzバンドの2エレHB9CVを下宿の屋根にあげたのであった。TVIを気にしながらの運用であった。
T君の下宿と私の下宿の間は名古屋の市街地を挟み、直線でも20q以上離れていた。そんなこともあってか、彼とお互いに下宿で交信した記録は、数えるほどしかなかった。(交信できたのは、グランドウェーブの伝搬状況のよい4月から7月と、あとは上空に飛行機が飛んでいるときくらいであった。)それでもつながったときにはお互いに大喜びしたものであった。
その頃、日本アマチュア無線連盟の会員になり、QSLカードの交換も盛んに行った。T君とも競争とまでは行かないものの、自分たちが得たQSLカードを見せ合って喜んでいた。
その後、私は翌年に電信級(現3級)を取得した。そして、1995年には出力10ワットから25ワットにパワーアップし、現在にいたる。
*幼なじみのT君について
T君とは小学生の頃より、現在まで友人としての付き合いがある。現在、彼とはアマチュア無線の話をすることはほとんどない。しかし彼との付き合いは現在までずっとある。
彼は大学卒業以来、ずっとコンピューター関係の会社でSE(
System Engineer )をやっている関係で、コンピューターに関することでよく助言をもらったり、相談相手になってもらったりしている。このページを書いている今日も、昼頃彼と電話でパソコンのトラブルに関する話をしていたところである。友人は長く続くものなので、大切にすべきだ、とつくづく思う今日このごろである。