町の姿

沿革・自然・人口と世帯


町の宣言

沿革

 久美浜町は、明治22年市町村制施行により、熊野郡が久美浜村、久美谷村、川上村、海部村、上佐濃村、下佐濃村、田村、神野村、湊村の9か村になりました。明治27年11月には、町制施行に伴い久美浜村が久美浜町に改称されました。さらに、昭和26年1月には、上佐濃村、下佐濃村が合併し、佐濃村となり、同年4月久美谷村を久美浜町に編入し、熊野郡は1町6か村となりました。その後、昭和30年1月久美浜町、川上村、海部村、田村、神野村、湊村が合併し、次いで昭和33年5月に佐濃村を久美浜町に編入して1郡1町になり現在に至っています。

 久美浜町は、弥生時代に鉄と稲作の文化が伝えられ、日本海沿岸に位置することから、大陸文化の影響を受けた函石浜遺跡が存在しています。江戸時代には、幕府の直轄領となり、代官所が置かれ、また、日本海の海上交通の要所として、湊宮には「五軒家」として回船業などが栄えていました。明治に入り、久美浜県が置かれ、丹後、丹波、但馬、播磨、美作の5か国を管轄し、明治4年まで行政、産業の要所としての地位を占めていました。


自然

 久美浜町は、京都府の西北端に位置し、西と南は兵庫県に接し、北は日本海に接しています。北側を除き周囲は山に囲まれ、南側は697mの高竜寺岳を最高峰とする500〜600mの山です。町の総面積は145.04平方Km(久美浜湾7.27平方Kmを含む)で、東西約13.8Km、南北約15.8Kmとなっています。

 地質は、中部から南方府県境にかけて、宮津花崗岩が広く分布しています。一方、ほぼ国道312号以北には、火山岩類を主とした新第三世紀中世以降の地層が広く分布し、本町の地質はこの二大岩層によって特徴づけられているといえます。佐濃谷川、川上谷川に沿って、たい積面より数メートルの所に花崗岩の風化作用によってできた、砂礫層の河岸段丘がよく発達しています。また、地形的に久美浜町を特徴づける久美浜湾の形成は、東北東から西南西に走る木津断層との関係が推定され、湾口閉鎖は旧期砂丘の時期と思われます。

 河川は、佐濃谷川、川上谷川、久美谷川、栃谷川の4河川が南北に流れ、久美浜湾に注いでいます。この河川に沿ってたい積平野が発達し、農業を中心とした集落を形成しています。

 気候は、対馬暖流の影響を受け、京都府内でも他の地域と比べ、夏の温度はは比較的涼しく、冬は比較的暖かい海洋性の気候で、温暖といえます。しかし、降水量は年2,000mm以上と極めて多く、特に冬に積雪などによる降水量が多い日本海側の典型的な特徴を有しています。

 四季折々の風景は、山や川、草木の花などの自然が美しく調和しています。中でも、青い海と白砂の日本海岸一帯、かぶと山、大明神岬などを抱える久美浜湾とその周辺は、昭和38年に山陰海岸国立公園に指定されました。また、町内には、温泉が多く湧出し、名勝、旧跡も多く、これらがすばらしい景観をつくっています。平成8年には国民保養温泉地の指定を受けました。


人口・世帯数

平成7年国勢調査  人口12,338人 世帯数3,353世帯

平成2年
12,821人
3,353世帯
昭和60年
13,177人
3,401世帯
昭和55年
13,178人
3,380世帯
昭和50年
13,522人
3,412世帯
昭和45年
14,024人
3,375世帯
昭和40年
15,303人
3,433世帯
昭和35年
16,915人
3,532世帯
昭和30年
17,821人
3,659世帯


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