東海岸〜ケアンズ
旅を初めて、約一ヶ月。
案ずるよりうむがやすし。
ジョーという男と出会い、これが吉と出るか凶と出るか!?
順風満帆、家内安全、無事故無違反、快眠快便、東南西北、国士無双、一か八か出たとこ勝負
これが読めるか!ジョー!
次の日タウンズヒルという町に着く、だんだん道に飽きて、別のことを考えて走っている。
ここのガキは、東洋人が珍しいのか、キャラバンパークで荷物を下ろすなり、ウワーと寄ってきて、質問の嵐「どっから来たの?」「何で軍服着てるの?」できるだけ僕は英語がしゃべられないことを、悟られまいと無口な男を装っていたが、すぐにばれ、チビどもは今度は俺のテントになにを間違ったのか体当たり攻撃してつぶそうとする。
ほとほと困り、チビの中から1番年長の女の子を捕まえて、あんたは可愛くていい子だから、こいつらにやめさせるように、と頼んだ。「OK!」と言うものの、しばらくは収まるが、それからもここにいる間ずっとチビの攻撃を受け続けた。クソガキー!!
このキャラバンパークに異様な雰囲気の男がいた。キャンパス地の布で、うまく杭を使い、頑丈なテントを張り、そこに長く居座っていそうながっしりした体つきの男。ウーフーだ。
彼はあまり話し好きではないが、ビールを飲ませるとよく話す。
彼は夜になると6−70年代の音楽をラジカセからかけけて、いつも一人で本を読んでいた。なんか気になる人だったが、ジョーが最初に仲良くなり、そして僕も仲良くなった。
彼は元軍人で、世界を回っていたそうだ。
実際いろいろな事をよく知っていた。
今彼の凝っていることは、革細工とオリジナルナイフ作りで、いい出来なので、ぜったい店を出したら売れるよ!と言ったら、照れくさそうに、何本もオリジナルナイフを見せてくれ、1本のナイフに実に4−5種類もの違う金属から作ってあって、ここはジャガーのカムシャフト、ここは馬車の板バネという風に、彼曰く今店に並んでいる多くのナイフは、ほとんどゴミなのだそうで、昔の工作物の金属は、いい素材であったらしい。
そして彼は言う、この国で走っている4WDは金持ちのステータスシンボルだそうだ。
そんな事言うウーフーに、日本で走っている4WDの使われ方を見せたら、どんな顔するだろう、と思った。が黙っていた。
またある夜、彼は僕に武士道について、教えてくれと聞いてきた。
武士道ナンじゃそれ?知らないと言うと、じゃあ、忍者はなにを報酬に殿に仕えていたのか?なんて聞いてくる、するとジョーが横からニンジャ?俺は知ってる!スズキカワサキ!などと口を挟みウーフーにうるさいと言われていた。
なにを報酬にと言われても?忠誠心?しかしそんなもん英語でどういえばいい?
いつも僕の困る質問ばかりされ、ウーフーはほんとに僕は日本人なのかと疑問に思ったのかもしれないな。
9/25
フェリーに乗り近くの島、マグネティックアイランドに行く。しかしそこは僕の思っていたと所は大きく外れ、若者のリゾート地と言う風で、騒がしく俗っぽい所であったが、まあ綺麗なインコなんかが飛び回って、まるで鳥かごの中にいるようだったけど。
ジョーのバイクの調子が最近悪く、ジョーもかけ方を今ひとつ把握していないみたいで、僕が説明しても言葉がうまく通じないときがあり、気持ちのすれ違いが間々ある。
しかし最初よりかは、僕の英語力も少しはましになっただろう。
最近はジョーの口癖「クレイジー」がなにかにつけでてきて困る。
釣りをするが全然だめ。最近メシの準備が早くなり暗くなる前に、すべて終了して、ゆっくり夕日を見られるようになる。
夜のとばりのころ、空全体に鳥が覆った。信じられないぐらい。ほんとに空全部が鳥。
一方行に飛んでいく。それが星空に変わるまで、何十分も続く。
不思議な光景だった。
4/28
いつ船が来るのかよくわからなかったので、僕たちはずっと船着き場で向こうから船が来るのを、ボーッと待っていた。
タウンズヒルまで戻り、そこから隣町のウッドストック(いい名前!)でエアショーがあるので行く、しかしその町に行っても、ロードハウスが1軒あるだけで、キャラバンパークがない、僕はブッシュキャンプでいいでいいと言ってるのに、ジョーは、「いやだ!毒グモや毒蛇が出るからだめだ」と言った。
ばかばかしいとおもったが、こっちの意見なんか聞きそうもなかったので、またお馴染みのあのガキどものキャラバンパークに戻る。
4/29
また再びウッドストックまで近づくと、低空飛行で、頭上を飛行機が飛んで行った。ジョーが「ムスタング!」と言った。
飛行機のことあまり詳しくないんだけど、第2次世界大戦当時のやつが、7−8機いる。それとは別にクラシックバイク、車、空軍なんかも来ていて、賑やかだ。
空から自家用で来るお客さんの、駐車?駐飛行機場?もありいい感じ。
いったいこの年代物の戦闘機をどうして運んだのかなあ?と思っていたら、
これら全部実働で、自走してきていたのがわかった時には、クレイジーと言うしかなかった。
これら1機1機飛ばしてくれ、当時の戦闘機のエンジン音を生で初めて聞いたんだけど、規制前という感じのサウンドで、ハーレーに通じる、ドロドロと言う腹に響く、とてもいい音でした。
この日ウーフーが6ヶ月ぶりにここから動き北上するというので、4WDデンマーク人も混じり、入り最後の宴会をした。
この夜は、オーストラリアの土地の雄大さに比べ、日本も含むヨーロッパの人の多さに嘆き、話は盛り上がった。
僕は当然ほとんど聞いてばかりだった。
次の日またもやジョーが二日酔いで出発できず。
僕は少し焦っていた。
というのはこの頃、北ちゃんや、スイサンがもう北にある町ケアンズという所にもう着いているはずだ。
そしてもう今時点で、ほかのタニアを出発した連中にも出会ってもいいはずなのに、
相変わらずジョーはここは重要だ、ここは行かなくてはならない、と言うポイントがジョーの分厚いガイドブックにはたくさんあり、僕は急ぐから一人で行くと、ジョーに告げると、「わかったわかった急ぐから」となかなか一人になりたがらない。
もしかしたらこいつは臆病者なのかもしれないと思う。
それからもタウンズビルからケアンズまで普通なら、半日強で進める事ができるのに、僕たちは5日間もかけてケアンズに着いた。
この間、山歩きやローカルな博物館やありとあらゆるポイントを這うように。進んでいった。山歩きなんぞは、もう疲れるからいやだと言っても、いやいやこれはケープヨークに行くまでの予行練習だとかなんとか、もっともらしいことを言うが、実際山歩きなんぞは、景色なんか日本とかわらん。
しかしジョーは「オオーまるでジャングルだ」などとほざいて石や木の写真を
撮っているし、果ては歩くとき「この木で前方をたたいてから歩け!でないと蛇が襲うぞ!」とどこでそんなこと聞いてきたんじゃい!と言う等な事を、本気で言う。
あるポイントでスペイン人が作ったという、建物の跡とその大きな庭のある観光地にに行き、僕はただの廃墟と思うような場所、でもジョーは「ここで昔の人はここでメシを作りここで踊り、、、」なんて雰囲気に浸っている。
僕はスイスには、もっと古い歴史があくさんあると思うのにと思っていたら、突然ジョーは腹が痛いと言いだし、その庭園に流れる小川の中に入って行き、中腰でズボン下ろしたかと思うと、バホバホと大便たれ流し始めた。
ジョーよ!おまえの名前はほんとはジョセフ。
おとぎ話みたいな名前のくせに!
途中の小さなナショナルパークに、川が流れていて、そこの看板に、変な日本語の字で、「この岩は滑るのできをつけること」とあった。
どうしてこんなへんぴな所にこんなのがあるんだろう?ナゾだ。
まあこんな感じで、僕は暑さと、ジョーのバイタリテイと毎日続く缶ずめ&ご飯に、体の具合が悪くなりかけ、たぶん仲間がすでにいるだろうケアンズに出発してから1ヶ月と6日かけやっと着いたのでした。
つづく
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