ストックルートケープヨークへ

やっとたどり着いた、ケアンズ。
田舎道はもう飽きた、もう自炊も限界、なんかうまいもん食いたい!
周りが芝生のいい道になり、白い大きなアーチが架かっている。
「WELL COME CAIRNS」
椰子の木や看板がいっぱいある、華やかな町並みだ!俺はここで日本人観光客になるぞ!

ケアンズに着くとすぐ誰かこの町に着いてないかと探し回るが誰もいない。
シドニーの友達の所に電話入れたら、どうやら僕は、仲間内では行方不明になっていたそうで、ある者はケープヨークを目指して出発したらしい。
仕方なく僕はダイビングスクールに通い様子をうかがうことにする。
そこは日本人スタッフの店で、久々に日本語の世界に戻り、ダイビングの実技は、2泊3日で会場の船の中のベッドで寝られることができ、なおも船の中は、メシ食い放題状態の天国だった。
海から帰ってくると、ケープヨーク組が帰ってきていて、やっと合流することが出来た。皆のバイクがぼろぼろになっていた。
ここでケープヨークの説明をすると、このケアンズから、ひたすら北に1000キロ先にある、オーストラリア本土最北端で、ケアンズからの道は、ストックルートと呼ばれ、ほとんどが未舗装の道。川もいくつもあり、季節を選ばないと、通れない。
しかしオフロード好きのライダーにとっては、一度は通ってみたい道でもある。
そのケープヨークまでの道のりは、途中で何カ所か川を迂回するニューロードと呼ばれている抜け道があり、そこを通ればかなり安全に行けるらしいのだが、今回帰ってきた4人は、「どうせ行くならすごい方を選ぶぜ!」とすべてオールドロードで行ったということだ。
この4人の中で、1番バイクの痛みが激しいスイサンのXTテレネはかろうじてカウルはあります、という程。エンジンも、よくここまでもったなあ、と思うぐらい「ガランガラン」音で焼き付きかけていた。 41回もこけて、水没、オイルも換えられなかったらしい。
しかし41回もこけるのもなんやけどもそれまで数えるほうもなんやな。
XT600のゴトちゃんは、途中でブッシュに突っ込み脳しんとうを起こして、 記憶が1時飛んでいた事があったと言った。
あとの、DR600のサトちゃんと、KLR250のケーシーは日本の林道で慣らしていたせいか、大きなダメージはそれ程なかった。
そのことを、キャラバンパークに帰ってジョーに話した。
僕としては、やはり日本人、「苦しみの後の喜び」が好きなので、オールドロードと言うところを走ってみたい。
しかしこの話を真に受けた、ジョーがおじけずいて、ニューロードにしたいというかもしれないので、そんなに大げさでなく軽く話した。
意外にも、ジョーは、「そんなとこなら俺は川も渡るし、俺もオールドロードを走るぜ!」と言ったので安心した。
ここでの道は、先の4人組の話では、一人より複数の方がいいらしい。川越の時は一人ではバイクを押せない川もあると言うことだし、だぶる荷物は、減らすこともできるからということだ。
まあこうういう成り行きなのでジョーとコンビを組んで、ケープヨークを目指すことにする。

10/20 ケープヨークへ

シドニーを出発してから、今まで雨は全然降らず、いつも青い空だったが、 最近朝少しだけだけど、変な雲が目につく。季節の変わり目かもしれない。
バイクの荷物を吟味して、バックパッカーで半分に減らし「今からいくべー!」と心の中で叫びながらバイクに乗っていた。
とりあえずディントリーのキャラバンパークに着き、ジョーはそこで荷物を預けてもらうようだ。
こいつの荷物もバカ重い。スポーツバッグの3/2に調味料や、食料品ぎっしり入っている。そしてバイクのチェーンやブレーキパッドまでも入っていた。
「そんなもんいらんで」と言っても「いやこれはいる」と言って受け付けない。
ジョーはほとんど荷物が減らせなかった。
工具は僕とジョーで一組とする。

10/21

今日はケープトリベリューションというところ経由で、クックタウンという町が目標だ。
2ドルの渡し船で、川を渡りそこから土ぼこりのダート。
どちらかが前を走ると先のバイクの土けむりで、前が見えなくなるので、並んで走る。途中のペトロスタンドの親父が「この先すごい坂があって、四駆しか登れないよもしバイクでこんなに荷物積んでいたら、前輪が浮くかも、危ない!」と言った。
僕はまた、オージーが大げさなこと言ってると思って聞いていたが、実際行ってみると、すごい長い急坂だった。
僕はその場で止まって様子を見ずに、何とかなるだるうと、ドコドコと登りだし、 3分の1ぐらいは、何とか行けたものの、すごいブルダストというこっち特有の土ぼこりでよく足元が見えなくなり、おまけにただでさえ、でかい600がここぞとばかりに暴れ出し、やはりというかひっくり返ってしまった。
オーストラリアに来て初めての転倒だ。
こけたバイクの荷物を外したいのだけど、ブルダストで手元がよく見えないし、ガソリンはこぼれてくるし、暑いし、坂だしなんだか腹が立ってきた。
ジョーはというと、さっさとあきらめて坂を少しずつ下っている。
「ジョーを先に行かしておくべきだった!くそー」 その坂から僕のバイクを下ろすのも大変で、二人で静かにおろした。
さてこれからどうしよう?!昼飯を作りながら考えた。
その間にアボリジニの2WDのピックアップトラックが、何回もその坂にアタックしたいたが、結局ダメで、4WDに引っ張ってもらって、登っていった。
ここの坂は、長さ200−300メートル。荷物をおろして、二人がかりで、バイクを少しずつ押していけば何とかなりそうな気もするけど、ジョーが「この先行けたはいいが、その先のもっとすごい坂があって、坂の間にはまり、にっちもさっちにも行けなくなったらどうする?」ともっともらしいことを言う。(たまには)
今日の所は、勇気ある撤退ということで、今日来た出発地点まで引き返し、別の道から再アタックを試みることにする。
帰り道、途中で越えた川に、乗用車がスタックしていたので、押したりして手伝ったが、助けられなかった。しかしこんな所に乗用車で来ることが信じられなかった。
再び二ドル払い渡し船に乗る。
そこでケープヨーク帰りの、ドイツ人の三人組ライダーに会い、これまたぼろぼろのバイクで、服も何とも言えない色に変色していた。
あの道はコルゲーションがひどいと言っていた。
コルゲーションてなんだ?ケープヨークってどんな所なんだ?と考えながら今日出発したところに戻りまた同じ所にテントを張る。
ジョーが「No Work!」と言う。
その夜、テントの中でこれから先の道を考えると怖くなり眠れなくなった。
もし今度は一本道でまたあんな坂が出てきてらどうしよう?! 今回の道のり1000キロもある道のりの今日たった70キロ進んでこのざま。
今からもしかして、とんでもないところに行こうとしているのか?もしそうなら、明日ジョーに僕はケアンズに帰る、もうケープヨークには行かないと言おうと思った。
このケープヨークの情報を、ケアンズにいたライダーから集めていたのだけど、人によって言うことがまちまちなのだ。
へんな噂は結構聞き、車と正面衝突して今も記憶喪失で入院している人がいるとか、途中で、バイクが炎上して、荷物もすべてなくしてしまった人がいるとか、と思えば一方では、「楽勝で行けるよ!3泊4日でで行って来ました」とか「行って来てよかったけど2度と行きたくない」と言っていた人もいたり、2度トライしてダメで3度目挑戦しようとしている人がいたり、帰ってきた人、これから行こうとしている人が、ケアンズのバックパッカーやキャラバンパークにうろついていた。ツーリストの中でもケープヨークを目指している人は、そんなにいるわけではないが,ほとんどが日本人か、ヨーロッパ人だった。バカな日本人、僕も含めて。
朝になると昨晩考えていたことは取り越し苦労のようにも思える青空で、朝飯を作りながら、 ジョーは開口一番、「ガソリンで飯を炊くと、癌になる」なんて事言う。知るかそんなこと!
気分一新、昨日は一時的にナーバスになっていただけみたい。というわけで、出発。今度は別の道で問題なく、クックタウンという町へ着く。
この町は約70キロ横道に入った所にあり時間と距離の無駄なので、あまり行きたくなかったのだけど、例のジョーの重要な行かなくてはならない場所ということなので、渋々行く。
ここはオーストラリア大陸を発見し、初めて白人がこの町より開拓?侵略?した歴史のある町ということです。
ここで初めて旅を初めて、雨が30分ほど降った。少しずつ雨期が近ずいてきているのかも、この夜、僕が暑さにばて気味で、飯をあまり食わなくなっていたところ、ジョーが、焼き魚とサラダを恵んでくれた。
前は船のコックをしていたそうだ。うまい。酢をたっぷり使った健康的な食いもんに、ジョーに感謝したまではよかったが、その後たき火のまわりで、ジョーが大騒ぎしだしたので、理由を聞くと「ケアンズで知り合った女の子にもらったコアラのクリップを落としてしまった!!」と騒ぐ「あれは俺のラッキーアイテムなんだー!!」と、仕方なく一緒に探してやるが出てこない。
そのうち「おまえが見つけたら、50ドルやる」などと言いだした。「そんなもんいらんわい」と言っても、絶対やると言い張る。(50ドルってとこが、この状況ではかなりいい線でリアル)
ほんとにこの男は35歳かほんま?オメガやロレックスなんかを、生み出したスイス人なのか?よくわからん、奴は、一応時計はスオッチをしているが。
次の朝、目が覚めたらジョーの機嫌がいい。コアラは?と聞くと、自慢の帽子に、これだとちゃっかりはさんであった。 晩のうちに、見つけたらしい。
クックタウンでもミュージアムに行った。こんな町にも日本人向けのパンフレットが貼ってあるのには驚く。 クックタウンを後にして、ケープヨークに向けて進むが順調に進む。
砂やコルゲーションもあるが、前に進めなくなると言うようなもんではない。
コルゲーションとは、道が洗濯板のように波打った状態をいい、未舗装で車の量が多いと、自然に出来るのだそうだ。
コルゲーションにはいると、スピードがある程度出ていないと、振動がもろにきて、大変走りずらい。対処は、時速100キロ程で通過すれば問題ない。実際シールドロードよりもオフロードの方が、10−20キロ平均速度が上がってしまった。
道にはほかにも、車の轍が道中縦横無尽に走っているので、轍の凹に沿って、走っているつもりでも、凸の上になっていたりして、ハンドルを取られそうになるけども、時速100キロで走ると、もう飛ぶといった感じで、対向車が来ない限り、坂もなく結構楽しく走れた。
ただ昼間は暑く、2人の会話もあまりなく、どちらかと言えば不機嫌になる。
途中の場所には、ジョーが「アボリジニのすばらしい壁画があるから、ここに止まるぞ」と言っていたのに、その場所を通り過ぎようとしたので、ここは壁画があるところだぞ、と教えてやると、ジョーは呆れたように「おまえこんな暑い中そんな壁画見たいのか?俺は急ぐぞ!」と、のたまい、あきれた。
まあそんなことはいつものことで、夕方テントを張り、ビールを飲んでしまえば、もう旅の醍醐味ってやつで、2人とも機嫌がよくなるのだ。
ここのロードハウスの周りは、ごちゃまぜで、飛行場でもあり、馬も歩いていたり、車も止まっていたり、俺らのテントサイトでもある。
夜、馬が勝手に僕のバイクの振り分けバックの中を荒すので困った。後、糞もそこいら中なので困った。

10/22

ここまでの道は1時間に1台くらいは対向車があった。
時々、2連結の大型トラック(ぼくらマックと呼んでいたけど) そいつがものすごい馬力で走ってくる。途中でもしマックを見たら、すぐさま道のはじっこにピタとより、目をつぶってひたすら通り過ぎるのを待つ。しばらくしてからでないと土ぼこりで道が見えない。
こいつが夜走っている時なんか、風の向きによって、10分ほど前から音でわかる。 怪物のようだ。
周りにはなにもないけど、景色も美しくもなく、乾いたブッシュがだけ続くだけ。
何時間か経って、道ばたに誰かいる!よくみると僕らより数日先に出発したイスラエル人の4人組の一人で、KLR600を道ばたに止めて座っている。
聞くと途中エンジンが止まってしまってらしい。
仲間は2人はすぐ先のロードハウスにテントを張ってあって、もう一人は部品を手に入れるためケアンズに戻るそうだ。
もうじき仲間が助けに来るから心配しなくていいと言っているけど、水も持っていないので、分けてやる。
止まったKLRをそんな中、いじるが、エンジンはかかるもののすぐに止まってしまう。
電気系統らしい。もう一人のXTも転んでかなりのダメージを受けているそうだ。
ケアンズで出会っていたイスラエル4人組も、大変なケープヨークへの道になっていた。
彼をここに一人残すのも気が引けたが、しつこく大丈夫だというので、リンゴを一個あげて「ケープヨークで待ってるぜ!」と言って別れた。彼は「もちろん!」と言った。
アーチャーリバーのロードハウスに着く。
あと400キロだ。ここで日本人ライダーに会うXT250に乗っている、名前は聞かなかったが、ここに来るまで、道を間違いウエイパの町まで行ってしまい。そこから近道をしようとしたけれどまた迷い、半分泣いていたそうだ。
やっとさっきここにたどり着いたと嬉しそうに言っていた。僕と同じミスターバイクのシールを貼っていたので、話が弾んだ。
ジョーはキャリアが振動で何カ所も亀裂が入っていたので、ここで10ドルで溶接してもらっていた。 あとケープヨークの村バマガまで400キロなのだが、ここからがほんとの勝負だ。
ここまでの道は、ウエイパと言う港町へ行くために道があるために、道も広く、走りやすかった。 その広い道から右にそれて、本当のケープヨーク道にはいる。
ここからは実際は、テレグラムロードといい、電話線の保守のためにある、道というか、ただの轍らしい。
ここからNEWとOLD、Roadに分かれる場所がなんか所もあり、バマガと言う村までは、何もない。ここの区間は初めてジェリカン(予備のペトロタンク)に10リッター予備の燃料を入れる。

11/13

道にDIPという看板があり、そこには高さ2−3メートル谷になっていて、雨期には、クリークという川になるのだろう。今はジェットコースターのような気分で、楽しい僕は「ヤッホー!!」と叫んでジャンプする。
ジョーは荷物が重すぎサスが底着きしている。
ケープヨークでは初めての川越をしたら、砂道になってしまった。
前に進めない。足で漕ぐようにする。後ろでウオーンという音がして後ろを見ると、ジョーがこけている。こっちもすぐに助けてやりたいけど、足元の砂でバイクのスタンドが立たず、手間取る。
ジョーは足がバイクの下敷きなり抜けられなくて、大声でわめき叫ぶ。
あんまり激しいので、こっちのバイクその場で倒しジョーのバイクを起こそうとするが、足元が砂で、またバイクも特別重い。
とにかく足を抜くが、抜いたあともうるさい。足をひねったらしい。
痛むみたいだ。ジョーのDR倒したまま荷物を外しバイクだけにして、起こす。
起こすなり、「FUCK!!」と言って、何度もバイクを蹴飛ばすが、自分が悪いのに砂やバイクのせいにしてしまう、この愚か者めと思う。
そして僕のバイクも起こすがこの間かなりペトロがこぼれていて、これから先、燃料が持つかどうか心配になってきた。
ここで昼飯休憩。高さ4−5メートルの蟻塚がたくさんあり、不気味。
ジョーはひねった足が腫れ上がってしまった。これからオールドロードはこの足では、ダメだろう事で、すべてをニューロードを選ぶことにする。FUCKはこっちだ!全く
道は少しずつきつくなってきた、コルゲーションや砂が交互に現れ、道により時速20キロ−100キロとスピードが落ちてしまうけれど、バイクが止まりこけるということは、スピードがゼロになると言うことであって、少しでも進んでいる限り足を着いても斜めになっても、こういうのはこけてはいない。
もうごり押しバカっぱしり!ジョーは足をひねっているので、バイクをうまく操れず何度かこけていた。 その度に僕は引き返して、助ける。
ジョーも自分で起こすことはあきらめて、最初からタバコなんかふかして、待っている。
今度はこっちがこけた!スピードを出しすぎいて、路肩の蟻塚にぶつかった。
バイク起こすと、振り分けバックが、リアスプロケットに擦れていて破れ、中の食料がぐちゃぐちゃになっていた。振動でラーメンが粉々で、粉末に近かった。
僕の嫌いなベジマイトがチェーンで擦れていて、チェーンはべとべとに臭くなっていた。これでベジマイトはもう食わなくて済むと思った。
この日は180キロしか進めなかった。
ジョーの嫌いな初めてのブッシュキャンプ ジョーはすぐたき火を作った。動物よけだそうだ。
そして、「A Lot of ナッシング!」と言ってこの道に呆れていた。
でも僕は、今日ニューロードを通ったからまだここまで進めた訳で、OLDなんか通ったら、スイサンの言うように1日70キロなんてもっとすごい所なんだろうと思うと、OLDから行った連中に申し訳ないという気持ちで一杯だった。
その夜このバカジョーは、何を血迷ったのか、持ってきた水、全部紅茶にして飲んでしまった。
バカ!おまえまだ俺ら半分も来ていないんだぞ、ここで全部飲んで明日どうするつもりだ!と言うと、「明日は水を飲まない。一気にバマガまで行きそこでビールを俺は飲む!」などとふざけたことを言う。
やっぱりこいつはバカだったんだ、そしてこんな奴について走ってた俺もアホだー その分、僕は水を我慢して水を余分に残す。あーあー

つづく




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