最北端制覇

我が日本スイス連合軍の行方は!!
行くしかない!行くしかない!進むしかないーっ!
連合軍の勝利か!はたまた玉砕か?

11/24

朝、ブッシュキャンプでの朝。
残り少ない水で紅茶を作る。
遠くからエンジン音がする。
音の主は、バマガ方面からのバイク野郎だった。日本人であった。
この先どうなってるのか、情報収集する。
そのライダーは、このためにバイクを新車で買ったそうで、僕のくたびれたバイクを見て、これで行くのかと驚いていたが、最後に「ケープヨークの海は言葉にならないぐらいむちゃくちゃ綺麗で、感動するで!」と言っていた。
そのままジョーに通訳してやる。
道は相変わらず、蟻塚と、乾いたブッシュのみ、 延々続くコルゲーション、なんかバイクが変だぞと思ったら前輪がパンク、ケアンズを出るときチューブもタイヤも新品に替えたばかりなのに。
路肩で修理するが暑い!水を少しずつ飲みながらする。見るとタイヤにはどこにも刺さった形跡はない。しかしチューブには小さな穴があいていた。
たぶんコルゲーションと道の熱さで、開いたのだと思う。
こんなことならケチらずに日本製のチューブにしときゃよかったよほんま。
ちなみに台湾製のKENDAというメーカだった。
ジョーがそのうち戻ってきた。1時間以上ロスしてしまいジョーに謝ったが、「焦るなゆっくりすればいい!」と言った。
1時間ほどして今度はジョーのリアタイヤがパンクした。(この国ではフラットタイヤーというそうだけど、) これは大変なことになったと思った。
なんでかというと、ジョーのDRは、オフタイヤでありながら、チューブレスタイヤでチューブ入り、僕は前から、この手のは、耳を落とすのが大変だから、チューブタイヤにしといた方がいいよと、でないとあとで問題だ、と言っていたのだけど、これの方がダブルセキュリティでパンクはしないと言ってそのままだったのだ。今はそのことは言わずにただ黙って見ていた。
ジョーはそのうち「水がない!水がない!」と騒ぎだすので、水をやるが、さっきのパンクのためにすぐになくなってしまった。
仕方なくたまたま通りがかった、ツーリストの四駆のメキシコ人を止めて水をもらう。「アミーゴ!」 しかしタイヤの耳は、落とせず途方に暮れた。普通はここらで、第三者が現れて助けてくれるけど、こんな地の果てではどうにこうにももならん。
あと100キロでバマガなのに。
ジョーはこの状態のままポンプで空気入れながら走るという、でも僕は今までのようにコルゲーションなんかが、この先続いたらどっちにしても進めなくなると思う。
「じゃあほかに手はあるか?」「ない」「じゃあ行こう」と言うわけで、少しでもジョーのタイヤに負担をかけまいと、ジョーのくそ重い荷物をこっち側にくくりつけ、進んだ。
ここからは、いい道になり時速100キロ以上で進めることが出来た。
だいたい5分に1度空気を入れて走る。
このまま進めば、あと20回も空気を入れれば、バマガまで行けると思い。少し気持ちが明るくなった。
のもつかの間、4−5回のポンプのあと、ジョーがこのポンプ壊れかけているという。
なるほど、それは台湾製の、日本のバッタ屋にでも売ってある、足踏み式のポンプで砂をかんでいて、かなり踏んでも、空気が入らなくなっていた。大汗かいて、ポンプ踏みながら、「このままじゃ直に壊れてしまう、どうする、えー!」とこっちに八つ当たりしてくる。
もしかすれば何とかなるかもと思った。それは、あと40キロ先に大きな川があり、そこには渡し船があるから、とりあえず人がいる、そこまで行けば何とかなるに違いない。それからもポンプは悪くなり、ほとんど空気は入らない、僕がケープヨークの詳しい地図を持っていたので、止まる度に僕のトリップメーターと比較して「あと何キロ」とカウントダウンをしていった。
しかしもうすでに、川に来てもいいはずなのに全く水の気配はない。そんな状態で、水も飲めないまま、走り続けているので、2人とも苛つきが頂点になってきた。
「おまえほんとにこの地図どうりに走ってるのか!」「どっかの分かれ道で間違ったんじゃないのか!」もし今来た道が違っていても、残りのガソリンも少なく引き返せるかどうか ただジョーの文句には「トラスト ミー!!」としか言えない。
乾いたジャングルの中、暑苦しいエンジン音、全く先の読めない状態。最悪の展開。少しの道の変化にも敏感になり、すべての場所が川へのアプローチに思え、「ああ来た着いた!」と何度も見間違えた。
そして何度目かにしてほんとの看板が、見えた
道は間違ってなかった。結局20キロもどこかで僕のメーターが狂っていた。
さて、その渡し船は全くの期待はずれの施設で、小さな小屋と両側をワイヤーで結んで、その間に小さいエンジンのついた浮き船があるだけで、日陰で番をしているアボリジニの親父は、「パンク修理はむりだよ」とこっち側の思いとは裏腹に素っ気ない返事。
小屋にある工具をあさるがたいした物は持ってない。
とりあえず俺らを反対側の岸まで乗せて20ドル受け取ると、俺らは今や喧嘩状態なのを察したのか、とばっちりを受けまいと、そそくさと木陰へ入っていった。
ジョーは「どうする?」と聞くが、どうするもこうするも、ポンプが完全に壊れた今、ここなら川の水もあるから、ジョーはともかくここで待ち、その間に俺は30キロ先にあるバマガまで行って来て、誰か助けを呼んでくるか、それか僕のリアホイールをバマガまで行ってで外して、こっちに行く車に頼んで運んでもらい、ジョーはそれをつけてこっちにくればいい、早ければ今日中に、遅くとも明日の午前中には、ここに戻ってこれるはずだ、と答えた。
がしかしジョーは「おまえはここにおれ一人残して行ってしまうのか!」「おまえはそういう奴だったのか!」と言い出す。
いや違うだた俺は、このまま2人で進んでも、もうあまり十分な燃料もないし、 特にジョーはパンクしたまま走っているために、もういつ切れてもおかしくない、
この先30キロどんな道になるかもわからないのに、このままではリムが変形してしまう。今度はもう帰ることもできなくなる!こんな状態では進めない。
明日になれば確実にバマガまで行けるのだから、今日は無理せずここで止まれというが、「絶対いやだ絶対いやだ!!今日どうしてもビールが飲みたい!!」と大声でわめく、このときしみじみと、こいつとペアを組んでバカだったなあと思う。
ほとほとあきれ果てた。もう進むしかない。もう夕方に近い。
言葉どうりフラットになったタイヤで、スタート。
道の状態は運良く良くなり、タイヤをぼこぼこゆわしながら、時速3−40キロのスピードでキープできる。何とかもってくれ!と心の中でいのる。
少しずつバマガに近かづいて来ているが、タイヤも大きく揺れてきた。
さすがメッツェラーなのか?なんとかもっているが、焼けた臭いがしてきている。
でも、気温も下がり、すごく道の状態がいいので、今までのトラブル続きの苛立った気持ちも落ち着き、燃料の心配も、なぜかしなくなった。
だんだんジョーのタイヤから煙が出てきた、そろそろ限界のようだ。
日が沈んでしまった。アボリジニの乗ったランクルのピックアップが追い越していく、チビたちが「ピース!」をする。人々だ!もう村も近いはず。
ブッシュのむこうに屋根が見えた!電柱も見えた!着いたぞー!道がアスファルトに変わる。村に入った。セイシアというところにキャラバンパークがあるので、そこを目指す。
ペトロを入れたかったが、スタンドはもう閉まっていた。
アボリジニの人が動き回っている。おーっ!生活があるぞー!ビールが飲める! ジョーのタイヤはほとんど終わっていた。セイシアのキャラバンパークの受付で金を払い、エンジンをかけるとジョーのはかからない。タンクを見るとみごとになかった。
ジョーは首から下げている黒い石を見せて、ラッキーストーンそしてこの間探していたコアラのおかげだと言った。
僕もその石が欲しくなった。
その夜、アボリジニのパブでビールをバカスカ飲むとアラ不思議、今まで頭にきていたこと全てどっか飛んで行ってしまった。重いジョーを乗せて、凸凹道をテントのあるセイシアに帰る。ついにここまで来た。岬のケープヨークまでは30キロだ。
この村はオーストラリア本土最北端の村だと思うけど、ここまで来ると白人の世界ではなく、先住民族アボリジニともう少し北にある褐色がかった、パプアニューギニア系の人種が混じっているよう。ここは一応オーストラリアではあるが、陸路ではもうほとんど、つながっていないと考えてもいいかも。
文化的にも、もうパプアニューギニアの方が近いような、、(行ったことないけど)
ここからケープヨークまではあと30キロなのだが、そこは最北端の標があるだけなので、実際はこの村は地理的にも孤立している村。
見たところ白人は、パン屋とキャラバンパークの親父だけだった。
これからの予定としては、ジョーのタイヤがダメになり、最速の飛行機便で取り寄せることにして。それまで2−3日かかるので、ケープヨークはお預けのままひたすら待つ。
このセイシアというところは、前にスイサンが魚が100万匹はいるから、釣り竿をもって行け、と言っていたが、小さな船着き場は海が黒くて、汚いなと思って、よく見ると黒いのは全部魚だった。サーディンが群れて船着き場ジェッティの下で泳いでいた。それを地元におばちゃんがひょいひょいと釣り上げている。でもそれは食べない。そいつに大きな釣り針フックをかけて、また海に投げる。
それで目的の大きな魚を釣り上げるのだ。すごいぞーここは!えらいこっちゃ!うほほほほー!それからは時間があれば、ずっと釣りをして過ごす。
夜、ジョーがのどこかのツーリストと喧嘩して、「おいここは良くない!あっちにテントを張りなをすぞ!」と言う。ほとほとこっちは、愛想が尽きていたので、一人で移動してもらう。
椰子の実を取って、ココナツジュースや、ココナツミルクを食べて昼間は過ごした。
暑いけど、魚とココナツはただだ!
それから2日後タイヤが送られてきた。タイヤ+送料70ドルだった。
さあいよいよケープヨークだ!バマガでビールを買い出発。
ジョーは前回のトラブルでなにか悟ったみたいで水タンクを5リットル程バイクにくくりつけている。
たかだか30KMで5リットルは、またおまぬけだなと思っていたら、僕にに水は持っていかないのかと逆に聞いてくる始末。進むうち、振動でその水のタンクがバイクから落ち、それが何度もあったのでまた、ジョーが怒りだした。
僕はただ無視していた。
そしてタンクの落とした場所が悪かったのか、とうとう割れてしまった。ジョーの怒りが頂点に達し、「FUCK!!」とか言って、タンクをブッシュの中に放り投げた。僕は笑いがこみ上げて仕方なかった。こいつは漫才師だ。それもボケ。
小一時間でケープヨークに着いた。最北端は岩場になっていた。
そこで用意していたビールをぐびぐびする。誰もいない白い砂浜。
今この瞬間、俺はオーストラリア大陸のTOPにいるのだ。
うまいビール最高。ジョーは大事そうに鞄から生卵を出した。
この時のために、ジョーはわざわざクックタウンから生卵をがんばって運んでいたのだ。
こいつの写真をここケープヨークで撮り、帰って人に見せる時こう言うのだそうだ、 「Easy!」生卵も割れずに簡単にこれるといいたいらしい。
ジョーに1本やられたと思った。
結構、酔っぱらい帰りふらふらとセイシアまで帰る。
キャラバンパークの親父に、行って来たというと、そこは先じゃない、そこから100m程言った所に、海と岩の境に標識がありそこがtopだと言う。
しまったと思ったが、また明日行けばいい、ジョーはもう行かないと言った。
その親父が、とっても綺麗な美しいビーチがある道で、アボリジニの壁画もあるところが、サマーセットビーチだ。ケープヨークの帰り道そこにも寄ってみることにした。
次の日再トライ。サマーセットビーチへの道は、いつになったら海に出るのだろうと思うくらい延々と林の中の砂道が続く。タイヤが砂で埋まり半分押して進む。
もう戻ろうと思ったけれど、あの砂道を戻るのもだるいので、先はきれいな道があると信じて、前に押し進む。やっと海に出たらと思ったら、出たらでたで柔らかい砂浜。
途中何度も押す。どんどん深みに入っていく、もうここでこそ引き返すなんて出来ない。ついには3m程の砂の下り坂がありそこをずるずるとバイクを押して下りる、この先どうなっているんだ?もう引き返せない。
水をあまり持ってきていないのに、こんな所人も来ないだろうに、「神様もうこんな所一人で来ないから助けてください!」先はいい道でありますように、と都合のいいときだけ神様にお願いしたりして、自分が情けない。
無理矢理、落ち着くために、持っていたパンと水を飲む。念のため水は最後まで飲まない。
まだ昼だ大丈夫!といい聞かせ進む。
祈りが通じこれ以上は悪くなることはなく、その先は砂もなくなり、砂浜から元の道に帰れそうな道が出てくる。たった20km程の道えらく疲れた道だった。
肝心の壁画なんて、この間一度も思い出さなかった。
ここセイシアでの1週間の暮らしぶりは、 朝夕にココナツをたくさん採っておいて、テントの周りにそれを並べ、キープしておく食べたい時に食べる。昼間は40度近くまで気温が上がり、何もしない。昼から2−3時頃までは日陰で昼寝。
それ以外はバイクいじったり、釣りとか、ココナッツ狩りとか、どういう風にして取るかというと、長いひもに重りを付け、それを椰子の木の実に投げて絡ませる、そして引っ張る。そんな事が1週間、楽しいけど、ただ食べ物の面でつらかった。
この村の店は、パン屋、ペトロスタンド車修理兼用、食料品屋、雑貨屋、キャラバンパークの軽食屋、ぐらい、ここは僻地なので、肉は全部冷凍、野菜も冷蔵庫の奥の方に入って高い、なかなか自分の思う物が食べられなくて、食欲がわかない。
ここで毎日、トーフや納豆、牛丼が食べられたら、ここはすばらしい所になるのになあ。でもあとになって思うと、ここが一番オーストラリアの中で気に入り印象深い所だったことは確か。
さて次なんだけども、いったいどうして帰ろうか?道は2つ。オールドロードとニューロードではない。自走かもうひとつ船という道があるのだ。
船は3泊4日で、400ドルもする。自走なら同じ道を引き返せばよい。たぶん100ドルもかからないだろう。
しかし僕はもうジョーと一緒にあの道を戻ると言うことは考えられない。ジョーははっきり言ってお荷物だ。まだまだここに書いていないことで、ちいさなプロブレムをあちこちでたくさん起こしていた。
ジョーと僕の仲も今ひとつになっていた。一人で走っている方が気楽で安全だ。
装備の面ではエアポンプが壊れてもうない。僕のDRも、コルゲーションでサスペンションは死んでしまい、至る所、部品交換の必要があった。走行が6万をとうに越え、これから1周するのにこれ以上バイクを無理させたくなかった。
もう船で帰るしかない。ジョーもそのつもりらしく、2人で船の予約をした。
ここでDRに最後のペトロをスタンドで入れる。それまでずっと裸足でバイクに乗っていたのだけど、この日初めて靴を履いて乗っていった。
そしたら店の親父が、「アリガトー」というびっくりした。
そしたらそれまで僕を何人だと思っていたのか?
そしてやらなければならない事が一つあった。
400ドルもの現金がないので、セイシアから高速船で1時間ほどの所にある、木曜島?火曜島?に行き、そこで銀行からクレジットカードで、キャシュをおろさないといけない。
この島は僻地中の僻地だと思っていたら真珠養殖の日本人技術者もどこか近くの島にいるそうだ。
この島の店の掲示板に、行方不明、ファントムかなんとか空軍の戦闘機、とあり、予想墜落地点の緯度経度があったが、戦闘機の行方不明なんて、びっくり。
ここは小さな島だったけれど、同じような雑貨屋ががたくさんあり安心した。
売ってあるものは同じようなもんだったけど、値段がまちまちで、気をつけないといけない。その中に見覚えのある、ボトルが。キッコーマンの醤油赤い口の奴!あれが並んでいた。
そして日本語そのままのインスタントラーメン、さっぽろ一番しょうゆ味!英語のシールが貼ってあり、JAPAN NO1 SELE!みたいなことが書いてある。恐るべしめいどいんじゃぽーん。もちろん買いました、2個も!一つ2ドルほどと高かったけど。そしてどこの店にも、楽器がなぜかたくさんおいてあった。ここの島民は音楽好きなのか?!
その夜椰子の木の下で、こっそり食べたラーメンの味は、僕が日本人であることをしみじみと感じたのです。

11/1
最北の村最後の夜。 予定の時間より2時間遅れで夜9時頃、船は来た。
僕はてっきりフェリーだと思っていたが、ただの貨物船だ。
僕がフェリーと言っても、違う「カーゴだ」と言っていた意味が分かった。 いつも釣りをしているフナ着き場に着いた。船から若い兄ちゃんが、とも綱をこっちに投げた。
みている僕らがとも綱を結ばなくてはいけないみたい。
生活物資がどんどん下ろされる。僕のDRは荷物フルパッキングしたまま、1本のロープの手動ウインチで吊される。バランスが狂えば、海にドボン。
見ているのが怖くなった。そしたら見送りのキャラバンパークの友達が中指とひとさし指を絡ませて、「こうして神様に祈れ!」
CAの仲間がみんな見送りに来てくれる。そうでなくとも週1度の物資補給が、ウキウキするのだろう。
CAの親父と握手して、物資の入れ替えも終わり、出航だ。
1週間釣りをしていたジェッテイが少しづつ離れていく。
旅情をそそる瞬間、見慣れた場所を反対の海側から見る。ジェッテイのライトが少しづつ小さくなり、やがて一つの点の明かりに。
空を見ると、星が大きく静かに回っている。航路を変えたみたいだ。
この船は日本の船みたいに、ゲーセンやレストランがあるわけでもなく、僕らに与えられるのはベッドだけで、あとは全部船員と共用だ。
昼間は荷物の間から、ずっと海を見ていた。時々島やきれいな砂だけの浅瀬があり、たぶん陸上からはこの海岸は来られないだろうな、と思う場所を船から見ているのは退屈しないし、見ないと損だ。
波もほとんどなく、船上でビリヤードが出来るくらい揺れなかった。
船が止まった、故障かと思ってみていると、どこからか親父が、モーターボートにドラム缶積んでやってきた。そしてこの船からホースを出し、水を補給している。
1杯になると、どっか水平線にに消えていった。

つづく




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