不滅の男、再び地平線へ
下積生活3ヶ月
そして再出発!
これから自分のことをこう呼ぶことにする!
不滅の男 WOO!
わははーっ!
そして口座には4000ドルもの大金が!
あこがれの大名旅行開始!
2月上旬ヒロヒトはツアーガイドをやりだした。
相変わらず仕事を続けている僕に日本で火傷の療養しているゴトちゃんから連絡が入った。
どうもゴトちゃんの足の直りが思わしくなく、大学を休学していた関係で、4月からは、バイクでの旅を続ける事が出来ない。
今まで病院やその他でお世話になった人たちに、お礼かたがた、保険屋関係の後始末に一度こっちに来るという。
その時に、バイクと荷物の処分を僕に頼みたいという。
早い話、バイクとキャンプ用品、好きに使っていいよということなのだ。
なんということ!渡りに船!アル中に酒!下痢便に正露丸!紙なしトイレに新聞紙!願ったりかなったり!ハワイでフラダンス!イエーイ!
チャンスは巡ってくるもんです。
2月24日
ゴトちゃんケアンズin
仕事3日間休みをもらい、早速Mt・isa行きの小型飛行機に、
そこからは、4駆をレンタルしてゴトちゃんにお世話になった人の所へ菓子折
持って挨拶に回る。
お礼を言いたい人が小学校の先生ということだけを頼りに、この町の小学校全部を当たる。
菓子折というところが日本ぽくていい。中身は餅せんべい。
このほかにも、最初にゴトちゃんに助けを求めた家などは、飛行機で診療所まで運んでくれ、ここがまたすごいへんぴなところで、買い物は自家用飛行機、電気は自家発電という、普通の生活が僕にとっては大変興味深いものでした。
ゴトちゃんは全ての目的の人に会えてよかったと言っていた。
僕は一度でいいから4駆で、ダートを走りたいと思っていたので満足した。
目的の一つのバイクは、Mt・isaから200キロほど西にある集落の診療所に置かしてもらってあった。
XT600のエンジンはすぐかかった。
1ヶ月後今度は僕が取りに来るからと、ドクターによろしくと挨拶しておく。
すべて用事が終わりまたケアンズに戻った。
と書けばそれで終わりなのだが、すごく腹立つことがあったので、
それをどうしても書きたい。
Mt・isaの最終日、次の朝6時の飛行機だったので、モーテルの親父に
目覚まし貸してくれというと、
「モーニングコールをしてやるからドンウオーリー」と言う。
それじゃあということで、次の朝、がばっと起きたら7時半!
飛行機はもう行っている!一応飛行場まで行ったら、やっぱり行ってしまったあと。
次の飛行機の予約振り替えでは70ドルいるという。
もう一度モーテルに戻り、親父に文句言った。
でも何も反応がない。
「忘れていた」それだけだ。
僕はこのために昼からの仕事が出来なくなった。
約束が一つ出来なくなった。
給料が減る、だからせめて今日のチケットのキャンセル料70ドル払え
と言っても、「それはおまえの問題で俺の問題ではない」と言う。
10分ほど粘ったがもう呆れて、と言うか僕の英語でこんなふうに言ったつもりだけど、文法がめちゃくちゃで、間が持たず、親父もこいつ英語しゃべれないから、
てきとーにしておけば、そのうち諦めるだろうという感じで、すごく悔しかった。
「信じられないオーストラリア。金はいらん!」と言ってドアの所まで行ったとき、初めて小さな声で「ソーリー」言った。
それを最初に言わんかい!最初に、おまえが悪いんやからとにかく最初に謝るのが、
筋やないか?いいわけはその後や!ぼけ!最初に自己弁護これが西の文化かい!
でな事があり、2月26日ケアンズに戻る。
ゴトちゃんとは空港でお別れ。
そしてまた仕事の日々
3月7日
スケボー隊2人がケアンズに上がってきたではないか!
エアーズロックで別れてから西回りで、ぐるっと1周して、また上がってきた。
すごい!車もエアーズロックの道中何度も止まっていたらしいのに、よく持っているなと思う。
このGODシグマ号、いまではマフラーが半分落ち、道路に当たりガラガラうるさいし、ハンドルも、アライメントがおかしいのか、工事のはつり機のように、振動がすごく、中風の爺さんがハンドル持っているみたいで、大笑い。
ここの滞在中、深夜路上駐車時に、謎のエンジン内火災というトラブルに巻き込まれたりして、トータルで20日近くここに内緒でタダで泊まっていた。
そしてヒロヒトは、突然日本に帰らなくてはならないことになった。
家の人の具合が悪くなったらしい。
「私は無念でとても悔しいですけど、仕方がないですなぁートホホ」と言って、ケアンズで稼いだ金全部お土産にして17日、日本に帰ってしまった。
働きだして2ヶ月が経ち、そろそろ旅の準備をし始める。
仕事の憂さ晴らしに、ギターを買っていて、シドニーでタコヤキという男から、譲り受けたのからこれで2代目なので、タコヤキ2号と名付けていた。
3月25日
2ヶ月と2週間で、キッチンハンドの仕事を辞める。3ヶ月以上同じ所では働いてはいけないのでした。
日本の友達が、金を貸してくれたこともあり、4000ドル以上僕の口座に入っていた。
金があればこっちのもの、おまけにバイクまで借りれるという。
まさにオーストラリアンドリームカムカム!ワオーッ
運良く、横浜から来たと言うが、どう見てもチベットの少数山岳民族のみすぼらしい少年という感じの男、タケ、そして元、台湾人のタンちゃんも西へ行くというので、
2台の車に途中ちゃっかり便乗して3人で出発することにする。
どちらも同じ店でキッチンハンドをしていた、先輩や仲間でもある。
これから先色々問題はあった。
一番の問題は、タケは車は買ったがいいは、実は免許を持っていないのだ。
運転経験も一度もない。
出発までに運転の猛特訓する。こいつは世の中なめとんなと思った。
(車買えと、最初にそそのかしたのは実は、僕だったのだけど、それを真に受けてほんまに買う方も買う方だと思う。)
タンちゃんも、ホールデンというオーストラリア製のピックアップバンを2300ドルで買う。
ここケアンズは旅行者が多く、旅で使った車を路上でFORーSELEにして
個人で売る車が結構あり、2人ともそこから買った。
売る方はこれからの旅の足しにと出来るだけ高くと、ダメなところひた隠し、買う方はちょっとでも、安くと、アラ探し。
相場としては、下は1000ドル位からあるけど、そこそこなら2500ドルからというとこか?
そんな車見ながら、毎日仕事に行くのが僕のささやかな楽しみでした。
いよいよそんなケアンズを出る日がやってきた。
ここはトータルすると、シドニーよりも長く、半年近くいたことになる。
日本や外国の友達がいっぱいできた。
全ての荷物を2台の車に積み込む。
たくさんの友達に手を振ってもらい、さよなら。
ずーっと見えなくなるまで、手を振ってくれる。
途中でたくさん稼がせてもらった、日本レストランの前を通る。
仕事中は厳しくイヤな奴や、なんやかんやあったけど、終わって外から見るとすごく懐かしい感じがする。
スタッフの仲間が中のガラス越しからこっちに気が付いて、手を振ってくれる。
「バイバイ、行って来ます」
数ヶ月前にやっと着いたと思った、ウエルカムケアンズのアーチを再びくぐり、
30分後にはもう退屈な道の世界に入っていた。
しかし今回の旅はうきうきする。
まるで殿になったような気分。それはしばらくの間だけれども、自動車旅行だからなのです。
あー何度バイクで走っていて、うらやましく思った事か!
荷物つめ放題!音楽あり!いつでも冷たいビールが飲める!夜には明かりがともる。
そしてまた、タケの車は僕の大好だったワーゲンデリバリー71年式それもキャンピングカー仕様なのです。中には小さなコンロやテーブルもある。
こりゃ胸ときめくわけだ。
これがオーストラリアでは、2000ドルぐらいで買えるのだから、何ともうらやましい限りです。
タケもすっかりこのスタイルに惚れ込んでしまいました。
まあ余談ですが、持ち主のタケよりこっちの方が古いのです。
スパルタ教育のためか、タケ君の運転も今では慣れたものです。
これで、ゴトちゃんのバイクが置いてあるところまで、バスや飛行機に乗らなくてもタダでいける。作戦大成功。
もう僕は助手席で、殿様のような気分でした。
いいこと長くは続きません。
またトラブル発生です。
タンちゃんの車の調子がおかしくなりました。
息つきします。とうとうエンジンが何とかかるだけで、負荷をかけると、
全然回りません。
暗い中、あーでもないこーでもないといじり倒し、最後はディストリビューターをはずし、それもバラバラにしてしまいました。
その日は悲しく、道端で1泊。
次の朝バッバッと息つきしながら、スタンドまでなんとか到着。
親父は怪訝そうな顔で、タイミングライトであちこち見た後、「チョークは?」
と聞く。
「これはオートチョークやろう」と言うが、変なところにチョークレバーがあり
それを戻すとたちまち直ってしまった。
アホラシーハズカシー
トラブルと言えることと言えばそれだけで、後はビールを飲みながら、
(オーストラリアは一定量までなら合法なのです)町以外はほとんどタケちゃんが運転、(これ自体は違法ですが、、、)
一度トップに入れてしまえば次の町まではあとそのまま。
僕は好きな音楽聞きながら、時々「シフトチェンジが遅いっ」とかケチをつけるだけ。
横で地図を見ながら、OOまであと何キロ!とか快適な車の旅が続きます。
この前ここを走ったときは暑さとの勝負って感じだったけど、今は昼でも耐えられる暑さにまで落ち着いていた。
それでも昼飯時は暑く、炎天下のランチは避けたいので、進む先にある雲を追っかけ、そこにたどり着くと、急いでテーブルを出し食事。
毎回そんなにうまくいかないけど、、、、。
空冷エンジンのこのワーゲン、タケはパタパタ号と呼んでいた、こいつにとってもラッキーでした。
しかしどういう訳かこいつがオイル大食いで、半日走ったら、500cc程減る。
昼と夜の1日2回補給する。1日1リットル!
ということで安売りに店で絶えず徳用5リットルのエンジンオイルを購入しなければならなかった。
エンジンの漏れはほとんどないのだけど、一緒に燃えているのかなあ?めんどくさいのでこれは2サイクルエンジンなんだということにしておく。
このワーゲンバンに乗っている人はやはりこいつが好きで乗っている人が多くて、
旅をしている最中は、すれ違うとき同じ車だと、手を挙げて挨拶する人が多い。
僕たち今は一緒に行動しているけど、目的は当然バラバラ。
僕は金にものを言わせ、これからダートに挑戦、そして残り西側に渡り1周する。
タンちゃんはゆっくり釣りをする。
タケは金もなく、パースで終わり。そこで車は売り英語の勉強するのだそうだ。
食料品などみなで買うと、経済的でかなり節約できた。
そしてCAにも泊まらず、道端でブッシュキャンプするから、タダ。
その分ビールと氷をしこたま買う。
こっちの方が気楽で好きだ。
ギターは大声で歌えるし、見渡す限り何もないところでなにかするのは気持ちいい。
夜露がないから、テント張らずにそのまま寝ることもできる。
朝やけの中ウンコするのも。
あんまり安上がりなので、金のある僕は仕事の分担の皿洗いをタケちゃんに金出してやってもらう。
作るのもタンちゃんに金を出してやってもらう。
みんなも喜ぶ。僕も楽ちん。ハッピーハッピービールがうまい。
あの忌まわしい場所、ジュライクリークに来た。
果たしてあの場所は、あった。草が生えていたが、まだまだブッシュが黒々していた。道路も変色している。
バイクは見あたらない、ハンドルのみ残っていた。
仁王ちゃんにもらった5円玉を探すが、ガラクタばかりで分からない。
焼けこげた水筒や、鍋などがそのままで、胸が痛い。
その中から、ガスコンロを拾いだす。
その時は、半ば自棄になっていたが、4ヶ月間野ざらしだったけど、部品を変えればまだ使えそうだ。
近くにあった、杭にDRのハンドルと、水筒をくくりつけ、バイクの墓を作る。
「さらばじゃ!」
4月14日
バイクの置いてあるコーモウエルに着いて、診療所の親父にサンキューと言い、
バイクを手に入れる。エンジンすぐかかる。
ゴトちゃんのコケた時の状態のままなので、ハンドルなど直し真っ直ぐ走るようにするが、バイクが泥で汚れていて生々しい。
ヘッドライトはあさっての南十字星の方を照らす。
でもこのXT600、87年式の程度は僕のDRよりか数段上。
燃料タンクも強化プラスチックの20リットル大容量。
ゴトー大先生それでは遠慮なく使わせていただきます。
「どうぞ!」「ありがとう。」
車2台それにバイクが加わった。
次の日からタケちゃんが運転の一人立ち。
僕の荷物はパタパタ号に全部積んである。
僕のサポートカーだ。
そのかわり時速80キロと遅く、眠ってしまう位のスピードしか出ないので、その分
道を外れて横のブッシュなど退屈しのぎに走る。
感覚で言うと、こっちでの時速80キロは、日本で言う時速50〜60キロ。
今から思うとここからの旅はあとビザ切れまで、2ヶ月と終わりの見えてきた旅になり、後半節操がなく、オーストラリア1周してしまう事が最優先で、この1周にこだわりすぎたように思う。(やっぱり日本人だなあ)
最近凝っている音楽は、タケが好きで買ったジプシーキング。
荒涼とした景色にぴったり。
4月15日
2〜3日前からハーレーの集団が多く見かけた。
結構怖そうな奴もいた。一番普通そうな奴に「なんかあるのか?」
と聞くと、ダーウインで年に一度のハーレーの集会があるという。
僕もそれが見ることが出来るか?と聞くと「わからん」と言う
でもものすごく興味がわいてきて、ほんとは暑くて行きたくなかったけど、
ダーウインに寄り道する。
タケ、タンの2人も行くことになった。
4月18日
ダーウインに着く。
ハーレーの集会場を探して、中にはいるが、入り口に無線機を持った男がいたりして、なんだか閉鎖された感じで物々しい。
でもこのために500キロも、寄り道しているので、悔しいから別の所から潜入した。
やっぱりこれは一般開放のミーティングではなかった。
強面の男がたくさんいて何だかやばい雰囲気。
丁度着ていたGジャンが、後ろに僕の日本でのチームのプリントがそれなりにあり、違和感なく潜入した。
写真を撮らせてくれと頼むが、ダメだという。
このダーウインでタンちゃんと別れる。
24日
ウエスタンオーストラリアに入る。
ここの州境には食物の検疫所があり、病虫害対策のため生ものは一切ここで処分される、と聞いていた。
そんな事されたら大変なので、あらかじめ残った野菜やなんかは車の隅っこに隠しておく。
無事パス。
まあ形式のみという感じが強い。
今日初めて、ケープヨークに次ぐスコールにあった。
ダーウインを出てから、空が変わった。
晴れていても空のどこかに雨雲があるような感じだ。
景色は少しずつブッシュから荒れ果てた岩の景色に。
つづく
元旦最北ページに戻る