あこがれのパースへ

インド洋に面した西側はまさに手つかずの大自然。
いや、だれも手がつけられない大自然。
淡々とバイクを走らすが、景色は変わらない。
エンジンを止めると、無音の世界。
この景色は、退廃的なのか、原始的なのか?
エンジン音の耳鳴りと、スライドギターの音が頭の中を交叉する。
北から南へ涼しくなるにつれ、夏から秋へと変わるよう。
いよいよ西の終点。あこがれのパースへ

27日

ブルームに着く。
ここもいいぐらいの町の大きさで、全ての店が一つずだけあるぐらいの、赤土の小さな町。
CAに入り、小雨の中テントの中で、イヤだなーと思っていたら、目の前のモーテルにタンちゃんが偶然入っていて、すぐそこに鞍替え。
このブルームにはヌーディストビーチがあり、ここにいると服着ている方が恥ずかしくなってくるから不思議!
そこで素っ裸になってバイク乗る。
チンコを風になびかして、海岸線を走るというのはこんなにも気持ちいいもんだったとは!
シンプルが気持ちいーぃ!
ちんプルが気持ちいーぃ!
ここは夕日が有名な場所なのにずっと曇りの日。
ここブルームは、真珠の養殖で、昔日本人の入植者があり。日本人墓地があった。
ある日、炎天下の中一人の男が墓地でなんかしている。
よくみたらタンちゃんが、何百もありそうなお墓一つ一つに花を供えている。
聞くと、「何となくさびしそうだから」と。
確かにこんな所でお墓を守する人もないだろう。お墓は愛媛か和歌山の出身の年代としては僕らの爺さんぐらいの人が主だった。
厳しい環境のなか、台風や、疫病でたくさんの日本人が死んだそうだ。
いまごろ日本の孫はいたらどうしているだろうか?
タンちゃんがあんまり熱心なので、僕とタケも、まわりにたくさん咲いているきれいな花びらを取って手伝った。
5月2日
タケがブルームを出る。

3日

ブルームを出る。
ここから南の方向へ下る。
また一人だ。
気温が変わった。あんまり暑くない。少し涼しいぐらい。
昼過ぎ向こうからライダーがやってくる。
1日走っていると、2〜3台はすれ違うので、そんな珍しくないのに、むこうはオーイオーイと、手を振ってくる。
知り合いかな?と思っていると今度は止まるので、こっちも止まる。
「日本人ですか?」と聞いてくる。
「ワタシハニホンゴ、スコシハナセマス」と言って話しかけてくる。
ミリゴスと名乗るギリシャ人であった。
英語より変な日本語の方がうまいXL250Rに乗る、日本人びいきの男であった。
今までも何年も日本に住んでいたことがあったそうだ。
彼曰く世界で1番日本人が親切で信用できるのだそうだ。
何もない道端で30分ほど話してお互い写真を撮り別れた。
夕方テントを張ろうとすると、誰もいないはずのブッシュになにか視線を感じる。 (大げさ!)
足元を見ると、「なんだこのヤロー」と言うように大きなアリが顎をがくがくして、 僕を威嚇している!
アリといえども何もないところで1対1で面と向かって威嚇されると、同じ生き物として、たじろいでしまう。
こいつらはファスナーの最後の隙間からでも進入し、1日経てばテント中蟻の行列なんて事もしょっちゅうだ。
おまけに怒らせて噛まれたらめちゃめちゃ痛い!
あなどるなかれ、アリ

5月5日

曇りばかり続いていたが、昼から土砂降りになってしまった。
ゴトちゃんの、ガスコンロ8Rの調子が悪く、ここ2日間生米を食っていて、 とうとう腹をこわした。
だんだん日が短くなる。
ここ西側が、今まで持っていた僕のオーストラリアのイメージに近い景色。
退屈な景色に飽きない。変な表現。
ブッシュキャンプし放題。どこも人の気配があまりない。
道端でメシ作り、道端でタバコ巻いて、道端でテント張り、道端で休んで、道端でクソする。
昼間、クソは緊急時以外しない。
何でかと言うと、蠅が北の方はめちゃめちゃ多くて、クソするやいなや、どこにおまえら住んでいたのと言うぐらいわんさか水分求めて、口や鼻に入ってくる。
ここで喋るときは、絶えず顔のまわりを手で払いながらでないと、のどの中まで入ってきます、もしそうなれば、えずく「おえーっ」と
いくら自分のクソと言ったって、そんな蠅が口の中に入ってきたらたまりません!
だから、クソは奴らの出る日の出前にしてしまうのです。
彼らは太陽とともに、活動しています。
日が沈むと、不思議にどこかへ飛んでいきます。
今度は交代に、同じくらいの多くの蚊が飛んできます。
そうなれば、なにかするとき、絶えず手は一本開けておきます。
そうです手で蚊をたたくためです。
そして昼間緊急時にどうしてもクソしたくなったとき!
横に砂の山を用意しておきます。
クソしたら、即、砂をまぶします。
まいったか!ハエ!
そして猫は偉かった!

5月8日

コーラルベイ
ここではマスクなどレンタルして、シュノーケリングした。
きれいな海。あまり暑くない。
ここら辺が泳ぐ暖かさの境界線になった。
これより下は涼しくなってくる。
時間もなくなってくる。
西側の旅は金はあるのに、時間がない。
夜、雨でテントから物置小屋に避難していたら、先客のサソリがいた。
いつもなら即、踏みつぶすところを、何となく慈悲を感じ見逃してやった。
(いいことした。)

5月9日

シェルビーチ
いい奴だと思ったら、ドイツ人
何度かそう思うことがあった。
彼女をフィアンセにするかこの旅でテストしてるんだと、そっと耳打ちしてくれた。
BMWでアメリカから渡ってきたそうだ。
日本人とドイツ人の感覚はにていると思う。
オーストラリアに来てドイツに興味を持った。
ここの浜はシェルビーチというだけあって、浜の砂が砂ではなく、全部小さな貝殻。
この広い砂浜全部!
何十億?何百億?
今日はいいことがたくさんあった。
僕と反対まわりでシドニーから走っていた、カーペンに会う。
むこーの方から点で見えたとき、なんとなくこいつか?!と思った。
カーペンはミヤちゃんのGT550に乗っていた。
そこで、カーペンはシュラフカバー、僕はアイスBOXをこれからの気候に合わせて、交換し合う。
「お互い無事でシドニーで会おうぜ!」と約束して、別れる。
バックミラーにまた小さく点になり地平線に消えていく。
その日、昼飯にと、たまたま寄った小さな町の店でチキンを頼む。
店の人が僕に何か行ってるのだけど、さっぱりわからん。
店の人は諦めて、見れば分かるから待っととけという。
しばらくして大きなチキンが来た。
今日はチキンが倍の量になる日だったのだ。
なぜかこんな事が、すごくうれしく感じてしまうしみじみした心境だ。
たぶん季節感ののないこの移動に、僕のおセンチな気分が、勝手に今を秋にしてしまっている。
そして道端でブッシュキャンプしているタケに会う。
その後CAにタダでもぐり込んだ。
次の日イルカを見た。
ここら辺の海には最古の単細胞生物の珍しい生き物がいたりして、誰もいない遠浅の静かな海は、どこまでも続き、暑くもなく寒くもなく、ただ耳元で弱い風が時々「パサパサ」と音を立てているだけの、眠くなるような不思議な海だ。
西側最長約300キロの無給油区間も問題なくパス。
ロードハウスに着くとほっとする。
四方八方何もないとことに、ぽつんとロードハウスがある。
パラボラアンテナで、ハウスの中にはテレビが鳴っている中
年頃のおねーさんが、普通にフイッシュアンドチップスなんかを、作ってくれる。
中でテレビを見ながら食べ物をパクついていると、ここがどこだか忘れてしまう。
このおねーさんは何が楽しくてここに住んでいるんだろう。
それが当たり前だからなのか?僕にとっては、ただ通り過ぎるだけの場所だけど。
最近バイクの調子が悪い。
エンジンの音がうるさくなった。
そして息つきもする。
高速で長く走っていると、時々ギクシャクしてスピードがでなくなる。
一日おきにエンジンが止るようになってきた。
とにかくパースまで行ったら、ゆっくり見てやるからと、なだめすかす。
途中の休憩所に日本人の落書きがあった。
「暑い暑い!助けてくれー」と書いてあったので、その下に 「涼しすぎる!もっと太陽を!」と書いておいた。

5月11日

だんだん町が連続してくる。
あれなんか変だぞ?!と思ったら、信号で止まらされた。
バイクに跨ったままじっと止まっているのが、久しぶりの信号に、なんか変な感じ。
と同時に安心する。
もう人の圏内だ。

5月12日

ケアンズにいる時からずっとあこがれと目標だった、「てんじゅく」パースに着いた。
車の多さにびびる。こわい!
ここはてんじゅくではない大都会だ!
去年の9月以来ブリスベン以来の高層ビル。
その間をすごい車の量が、3〜4車線の道路をひっきりなしに流れる。標識がいっぱいあって訳が分からない。タケは無事に来れただろうか?
田舎暮らしが長すぎた、参った。
今日中にと少し無理をしたので、着いたのはもう夜だった。
ここではテントはやめ、パース中心にあるバックパッカーを探すが時間が遅くなりそうで、少し焦る。
大きな町に詳しい地図もなく、ビル街の路肩にバイクを止めしばし戸惑っていると、少しくたびれた親父が話しかけてくる
この町に荷物満載の汚いバイクはやはり目立つ。
親父の言葉はかなり訛っていて、よく分からなかったが、どうやら日本人の僕に、WELL COME と、親父はオーストラリアを代表して言っているみたいだった。
しばらくするともう一人親父が来て、なんやかんや僕に話してくる。
今日はよく親父にもてる日だなあと思っていたら、
「FUCK」と端々に言っているのでどうも友好的ではなさそうだ。
どうも、太平洋戦争時の事で、日本人の僕が気に入らないらしい。
しまいに「JAP!」とか言い出した。
初めの親父が、ここにはあんな奴もいるが気にするな、と言うが、 おかげさんで英語はよく分からないので、何とも思わない。
ここパースは、いろいろな意味で保守的なのかも。
30分以上もこんな事で、時間がつぶれた。
なんとか駅近くの安宿を見つけた、
ここは少しの間いるつもり、XTをしっかり点検したいし、 これからは、寒さ対策も考えないといけない。
ここにはひとみちゃんのお墓もあり、そこにも行かないと。
そして何と言っても、安い日本食屋がある。牛丼が安い。
ここまで下ると、日本でいう10月くらいの気候で、夜は暖房が欲しい。
XTは、もうここで乗り換えようと思っていた。
エンジンもダメだし、タイヤ、スプロケ、チェーンも変え時だ。
売るならこのパースしかないと思っていた。
ここパースは西側最大の都市で地理的にも、ほかとは離れたところにあるので、 古いバイクやなんかが、たくさん残っているのでは、、、。
と期待していたが、案の定、車バイクと店に見に行くと、結構あった。
まあ東側と一概には比べられないけれど。
程度中のZ1000があり、XTとトレードと追い金1000ドルでいいと言う。
一応言い値は3000ドル。
日本ではこういうのが、流行っていることも店はよく知っている。
ここオーストラリアでもZはやっぱり人気で高めだ。
と言うことは、XTが2000ドルの価値で取ってくれると言うことだ。
これはいい話し。
これを日本にもって帰って、ゴトちゃんには2000ドル返せる。
恩返しが出来る。
そしてこいつを日本で売ったら、儲かる!
まだまだ値切れると思い、追い金500ドルから始めた。
なかなか負けない、
いくらがんばっても結局ガンとして負けないのでむこうの言い値1000ドルで仕方なく商談成立。
明日金もって行くからと言って帰るが、次の日店に行くと、 「きのうあれから別の奴が買っていった」と言う。
札束を見せて「ごめんな」と言う。
ジョークやろおー?そらないでオッサン!まあ手付けとか払ってないから仕方ないのかもしれないけど、、、、。
ひそかに、マッドマックスみたいに、4発の集合でハイウエイぶっ飛ばしたろ!と思っとったのに、、、。 次の日、XTのタイヤオイル交換、キャブの掃除などする。
ごめんね君を売ろうとした僕が悪かった。
タケに再会、パタパタ号は左フェンダー部分ぶち当ててハンドルもおかしくなっていた。
でも無事で何より。

5月30日

近くのヨークというところに、バイク、クラシックカーレースを見に行く。
日本じゃ柵の向こうに、(お手をふれないでください)とあるような30〜50年代の車から馬車のような車が、干し草で閉鎖された田舎の公道を、おおざっぱなレギュレーションの区分けの中で、オイルや煙、がんがん噴きながら、コーナでは、よれよれのサスと細いバイアスタイヤがきしみながら走り、バイクはノートン、BSA、トライアンフ、W1などが、爆音上げて走る様は、気絶寸前ぐらいよかった。

伊丹十三さんの文庫本をケアンズから持って行っていた、他に読む物がないから、もう5回以上も読み返した。
パースの安宿には、誰かの置いていった「ヘルマンヘッセ 車輪の下」という国語の教科書にもでてきそうな堅い本が一冊ある。
パースを出るまでに、ついにはこの本まで読んでしまった。
つづく




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